(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年3月2日04時00分
福井県敦賀港
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第二十八結城丸 |
総トン数 |
75.92トン |
全長 |
34.70メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
536キロワット |
3 事実の経過
第二十八結城丸(以下「結城丸」という。)は、沖合底引き網漁業に従事する鋼製漁船で、A受審人ほか7人が乗り組み、操業の目的で、船首1.30メートル船尾2.80メートルの喫水をもって、平成11年2月28日20時00分福井県敦賀港を発し、同県越前岬西方25海里付近の漁場に向かった。
ところで、結城丸は、当季、敦賀港から3時間半で到着できる漁場において、ほぼ24時間にわたって操業を行ったのち、水揚げのため未明に同港に戻り、荒天でなければ同日の夕刻に出漁していたもので、A受審人が漁場における操業の指揮のみならず、航海中の船橋当直にも当たって運航していた。
A受審人は、23時30分漁場に到着後自身の指揮により操業を開始し、その後これを繰り返し8回行い、翌々3月2日00時30分立石埼灯台から301.5度(真方位、以下同じ。)26.7海里の地点で、かれい500キログラムを獲て操業を終え、直ちに発航地に向けて発進した。
発進時、A受審人は、長時間に及ぶ就労で睡眠不足であったところ、単独の船橋当直に就き、あらかじめGPSに入力していた立石岬東方1海里の地点に向くよう、針路を120度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、風潮流により1度左方へ圧流されながら9.5ノットの対地速力で進行した。
その後、A受審人は、暖房のあまり効かない操舵室において、立ったり右舷側のいすに腰を掛けたりして、見張りを行いながら若狭湾を東行し、03時23分立石埼灯台から057度1.3海里の敦賀湾口に至り、針路を湾内に向く157度に転じたころ、風も収まって視界が良く、前路には他船を見掛けなくなり、眠気を催したが、目的地まであとわずかであるから我慢できるものと思い、休息中の乗組員を起こして見張りに立たせるなど居眠り運航の防止措置をとることなく続航した。
03時38分A受審人は、立石埼灯台から127度2.5海里の地点に達したとき、敦賀港防波堤灯台にほぼ向首するよう180度に転針すれば、やがて同港東側の田結埼付近から西方へ800メートル延びている鞠山防波堤を左舷側に無難に航過できることを知っていたので、同じ度数に転じることとし、自動操舵の針路設定つまみを指先で回したところ、覚醒度が低下した状態で175度に転針したばかりか、同灯台が右舷船首6度4.4海里に見えていることにも気付かず、前示のいすに腰を掛けたまま居眠りに陥った。
こうして、A受審人は、03時45分敦賀港の港域内に入り、鞠山防波堤のほぼ中央部に向首していることに気付かず進行し、04時00分敦賀港防波堤灯台から023度1,830メートルの地点において、結城丸は、原針路、原速力のまま、その船首が鞠山防波堤の北側に84度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力3の西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期にあたり、視界は良好であった。
その結果、船首外板の水線上に破口を生じたが、のち修理された。
(原因)
本件防波堤衝突は、夜間、漁場から敦賀港に向けて帰航中、居眠り運航の防止措置が不十分で、同港内の鞠山防波堤に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、単独の船橋当直に当たり、漁場から敦賀港に向けて帰航中、敦賀湾口に至り眠気を催した場合、居眠り運航とならないよう、休息中の乗組員を見張りに立たせるなど居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、目的地まであとわずかであるから我慢できると思い、休息中の乗組員を見張りに立たせるなど居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、居眠りしたまま、敦賀港内の鞠山防波堤に向首進行して衝突を招き、船首外板の水線上に破口を生じさせるに至った。