(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年6月8日01時40分
瀬戸内海 安芸灘
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船三光丸 |
油送船豊永丸 |
総トン数 |
498トン |
488トン |
全長 |
64.85メートル |
64.42メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
735キロワット |
3 事実の経過
三光丸は、船尾船橋型の液体化学薬品ばら積船兼油タンカーで、A、B両受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首1.4メートル船尾3.6メートルの喫水をもって、平成11年6月7日14時30分神戸港を発し、瀬戸内海経由で大分県大分港に向かった。
A受審人は、19時45分男木島東方から単独で船橋当直に当たり、23時45分高井神島西方4.5海里の地点に達したとき、B受審人と当直を交替したが、瀬戸内海ではしばしば霧の発生する季節であったものの、そのころ晴天で視界がよかったことから、まさか視界が悪くなることはないと思い、当直を任せるに当たり、来島海峡航路西水道を通航するよう指示しただけで、視界が悪くなった際にはそのことを報告するよう指示することなく降橋した。
船橋当直を引き継いだB受審人は、単独で当直に当たり、法定灯火を表示し、燧灘を西行して来島海峡西水道を北上し、翌8日01時09分半小島東灯標から068度(真方位、以下同じ。)650メートルの地点に達したとき、針路を305度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの逆潮流に抗して10.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、手動操舵として進行した。
01時26分半少し過ぎB受審人は、桴磯灯標から029度1,700メートルの地点に達したとき、来島海峡航路第4号灯浮標を左舷側400メートルに見て、針路を航路に沿う263度に転じたが、そのころ急に霧のため視程が約0.5海里に狭められて視界制限状態となり、霧中信号を始めたものの、このことをA受審人に報告することなく、安全な速力とせず、同一速力のまま続航した。
01時30分B受審人は、桴磯灯標から347度1,400メートルの地点に達したとき、レーダーにより左舷船首24度2.7海里のところに豊永丸を初めて探知し、同時34分少し前来島海峡航路第2号灯浮標を左舷に通過し、同船が左舷船首25度1.6海里となったとき、針路を安芸灘南航路推薦航路に向け除々に左転するつもりで250度に転じて進行した。
01時35分B受審人は、来島梶取鼻灯台から027度2.5海里の地点に達したとき、レーダーにより左舷船首10度1.3海里のところに同船を認め、その後著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、いずれ自船が右転すれば相手船も右転して無難に航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく、同時36分半針路を258度に転じて続航した。
B受審人は、01時38分半豊永丸が左舷船首方0.3海里に接近し、このころ更に視程が狭められたので速力を5.0ノットに減じて進行中、同時39分半左舷船首方約250メートルに同船の白、白、緑3灯を初めて視認し、同時40分少し前左舷側至近に迫った豊永丸の船体を認めて右舵一杯としたが及ばず、01時40分三光丸は、来島梶取鼻灯台から009度3,700メートルの地点において、275度に向首したときその左舷後部に、豊永丸の船首が前方から60度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はなく、視程は約300メートルで、潮候は上げ潮の中央期にあたり、衝突地点付近には1.0ノットの北東流があった。
A受審人は、衝撃音に驚き、直ちに昇橋したが、自船の航行に支障がなかったことから、そのまま大分港に向け航行中、巡視艇から連絡を受けその指示に従った。
また、豊永丸は、船尾船橋型の油タンカーで、C受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首1.2メートル船尾3.5メートルの喫水をもって、同月7日12時00分宮崎県宮崎港を発し、香川県坂出港に向かった。
C受審人は、22時00分愛媛県長浜沖から単独で船橋当直に当たり、法定灯火を表示して伊予灘及び安芸灘を東行し、翌8日00時58分菊間港防波堤灯台から303度1.8海里の地点に達したとき、針路を安芸灘南航路推薦航路線に沿う039度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、折からの順潮流に乗じて12.0ノットの速力で進行した。
01時26分半C受審人は、来島梶取鼻灯台から309度1,650メートルの地点に達し、針路を大下島寄りに向けて035度に転じたころ、急に霧が濃くなり視程が約500メートルに狭められ視界制限状態となったので、手動操舵に切り替え、霧中信号を始めて、9.0ノットの速力に減じたものの、安全な速力としないまま続航した。
01時30分C受審人は、来島梶取鼻灯台から339度1.1海里の地点に達したとき、レーダーにより右舷船首24度2.7海里のところに三光丸の映像を初めて探知し進行した。
01時35分C受審人は、来島梶取鼻灯台から001度1.6海里の地点に達したとき、更に視程が狭められたので5.0ノットの速力に減じ、そのころレーダーにより右舷船首25度1.3海里のところに、三光丸を認めることができ、その後著しく接近することを避けることができない状況となったが、右舷側を無難に航過するものと思い、レーダーによる同船の動静監視を行うことなく、このことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく続航中、同時40分少し前右舷至近に同船の白、白、紅3灯を視認し、慌てて全速力後進としたが及ばず、同じ針路のまま、2.0ノットの速力となったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、三光丸は左舷側後部外板凹損及びハンドレール曲損などを生じたが、のち修理され、豊永丸は船首部に凹損を生じた。
(原因)
本件衝突は、夜間、霧のため視界が制限された来島海峡西口付近において、西進中の三光丸が、レーダーにより前路に探知した豊永丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、東進中の豊永丸が、レーダーにより前路に探知した三光丸に対する動静監視が不十分で、同船と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
三光丸の運航が適切でなかったのは、船長が船橋当直者に対し霧のため視界制限状態となった際には、その旨報告するよう指示しなかったことと、船橋当直者が視界が悪くなった際、船長にその旨を報告せず、著しく接近することを避けるための措置を適切に行わなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、霧がしばしば発生する瀬戸内海を西進中、部下に当直を任せる場合、霧のため視界が悪くなった際には、その旨報告するよう部下に指示すべき注意義務があった。しかるに、同人は、交替時に晴天で視界もよかったことから、まさか視界が悪くなることはあるまいと思い、船橋当直者に視界が悪くなった際には、その旨報告するよう指示しなかった職務上の過失により、豊永丸との衝突を招き、豊永丸の左舷船首部外板及びバルバスバウなどに凹損を、並びに三光丸の左舷後部外板に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、霧により視界制限状態となった来島海峡西口付近を西進中、レーダーにより前路に探知した豊永丸と著しく接近することを避けることができない状況にあるのを認めた場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、いずれ自船が右転すれば同船も右転して無難に航過するものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は、夜間、霧により視界制限状態となった来島海峡西口に向けて北東進中、レーダーにより前路に三光丸の映像を探知した場合、同船と著しく接近することとなるかどうかを判断できるよう、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、レーダー画面を一見して右舷を対し同船と無難に航過するものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、三光丸と著しく接近することを避けることができない状況であることに気付かずに進行して、同船との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。