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平成12年横審第92号
件名

漁船公好丸貨物船チュン ジン衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年2月28日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(向山裕則、半間俊士、西村敏和)

理事官
関 隆彰

受審人
A 職名:公好丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
公好丸・・・船首部を圧壊
チ 号・・・右舷中央部外板に擦過傷

原因
チ 号・・・横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
公好丸・・・居眠り運航防止措置不十分、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、チュン ジンが、前路を左方に横切る公好丸の進路を避けなかったことによって発生したが、公好丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年7月31日23時50分
 伊豆諸島三宅島西方沖合

2 船舶の要目
船種船名 漁船公好丸 貨物船チュン ジン
総トン数 9.7トン 36,560.00トン
全長 17.41メートル 225.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力   7,413キロワット
漁船法馬力数 120  

3 事実の経過
 公好丸は、主として一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人が父親と乗り組み、金目鯛漁の目的で、船首0.3メートル船尾2.0メートルの喫水をもって、平成11年7月28日15時30分静岡県妻良漁港を発し、翌29日03時ごろ八丈島の南西約30海里の漁場に至り操業に掛かった。
 A受審人は、日出前から日没にかけて連続して操業を行い、日没となると漂泊しながら休息をとり、翌30日も同様に操業後、八丈島の八重根漁港に寄港して休息し、翌31日02時30分、同漁港を発して前示漁場に至り、操業を再開し、約500キログラムの漁獲を得て、水揚げのため、16時ごろ同漁場を発進して静岡県下田漁港に向けて帰途に就いた。
 A受審人は、市場が開く時刻まで十分に時間があるので、機関を半速力にかけて10.0ノットの対水速力で北上し、17時ごろからいったん父親に操船を任せ、夕食ののち約1時間の睡眠をとり、その後再び航海当直に就いて、適宜同当直を交代するつもりで父親を休ませ、椅子に座って自動操舵により進行し、日没となって航行中の動力船の灯火を表示し、神津島東方に向けて進行中、炎暑下での操業中に1人で操船を行っていたことや、豊漁で忙しく、睡眠時間が1日に約5時間であったことから、疲労蓄積と睡眠不足の状態で、時々眠気を感じるようになったが、その都度、立ち上がってジュースを飲んだりして眠気を排除していたものの、長時間の当直が続けば居眠りに陥り易い状況となっていた。
 23時00分A受審人は、阿古港防波堤灯台から229度(真方位、以下同じ。)12.5海里の地点において、神津島東岸沖合にある祇苗島の東方1海里を航過するよう、折からの北東に流れる黒潮による偏位を考慮し、GPSプロッターを見て針路を341度に定め、実効針路348度、対地速力10.8ノットで続航し、同時37分神津島灯台から142度11.7海里の地点に至り、左舷船首68度2.9海里のところにチュン ジン(以下「チ号」という。)の白、白、緑3灯を初めて認め、進路が互いに交差しているものの、自船が半速力で航行していることやチ号が大型船で船足が速く、自船の前路を無難に替わって行くであろうことから、その後チ号を気に掛けずに進行していたところ、眠気を催すようになったが、まだ居眠りすることはないだろうと思い、休息している父親と当直を替わるなど居眠り運航の防止措置をとらなかったので、間もなく居眠りに陥った。
 23時40分A受審人は、チ号の方位が変わらないまま2.2海里となり、同船が前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近することを認め得る状況となったが、居眠りしたままでこのことに気付かず、機関を停止するなどして衝突を避けるための協力動作をとることなく続航中、23時50分神津島灯台から136度9.6海里の地点において、公好丸は、原針路、原速力のまま、その船首部がチ号の右舷中央部に後方から68度の角度で衝突した。
 当時、天候は曇で風力6の東風が吹き、衝突地点付近海域には黒潮による1.5ノットの北東流があった。
 また、チ号は、鋼製ばら積専用船で、船長Bほか19人が乗り組み、穀物58,800トンを載せ、船首尾とも12.00メートルの等喫水をもって、7月22日16時25分(現地時刻)シンガポール港を発し、鹿島港に向かった。
 B船長は、船橋当直を自らと一等航海士及び三等航海士による4時間3直制として各直に甲板手を配して航行に当たり、越えて31日本州南岸沖合を北東に向け進行していたところ、日没となって航行中の動力船の灯火を表示させ、20時00分神津島の南西約55海里のところで自ら船橋当直に就き、23時00分神津島灯台から191度15.5海里の地点に至り、神津島と三宅島のほぼ中間に向首する049度に針路を定め、機関を全速力前進にかけ、折からの黒潮に乗じて15.0ノットの対地速力で、甲板手を手動操舵に就けて進行した。
 23時35分B船長は、神津島灯台から158度10.1海里の地点に達したとき、右舷船首44度3.4海里のところに公好丸の白、紅2灯を初めて認め、同時40分同船の方位が変わらないまま2.2海里のところとなって、前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近している小型船であることを知ったが、右転するなどして同船の進路を避けることなく、自船に比べて小回りのきく公好丸が大型船である自船を避けてくれるものと思い、可動式昼間信号灯を用いて公好丸に向けて断続的に照射を行い、既に昇橋していた次直の三等航海士を主機テレグラフに就け、同じ針路、速力で続航中、同時46分公好丸を同方位0.9海里のところに見て、衝突のおそれを感じ、機関停止を命じたが、効なく、対地速力が12.8ノットとなったとき、原針路のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、公好丸は船首部を圧壊し、チ号は右舷中央部外板に擦過傷を生じたが、のち、いずれも修理された。

(原因)
 本件衝突は、夜間、伊豆諸島三宅島西方において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、北東進中のチ号が、前路を左方に横切る公好丸の進路を避けなかったことによって発生したが、北上中の公好丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、伊豆諸島三宅島西方を北上中、疲労蓄積と睡眠不足の状態で眠気を催した場合、居眠り運航とならないよう、休息している父親と航海当直を替わるなど、居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、ほぼ左舷正横にチ号の灯火を認めたのち、眠気を催したが、まだ居眠りすることはあるまいと思い、居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、間もなく居眠りに陥り、チ号が前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近していることに気付かず、衝突を避けるための協力動作をとらずに進行して衝突を招き、公好丸の船首部を圧壊させ、チ号の右舷中央部外板に擦過傷を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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