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平成12年横審第64号
件名

押船第二十八山和丸被押バージ2011貨物船ニューバロネス衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年1月31日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(半間俊士、西村敏和、向山裕則)

理事官
関 隆彰

受審人
A 職名:第二十八山和丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
C 職名:ニューバロネス水先人 水先免状:横須賀水先区
指定海難関係人
B 職名:第二十八山和丸甲板員

損害
山和丸・・・損傷なし
バージ・・・右舷前部外板を曲損
バ 号・・・左舷後方外板を凹損

原因
山和丸・・・動静監視不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
バージ・・・動静監視不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
バ 号・・・動静監視不十分、警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、第二十八山和丸被押バージ2011が、動静監視不十分で、前路を左方に横切るニューバロネスの進路を避けなかったことによって発生したが、ニューバロネスが、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Cを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年2月1日18時30分
 東京湾中ノ瀬西方

2 船舶の要目
船種船名 押船第二十八山和丸 バージ2011
総トン数 99トン  
全長 28.00メートル 63.00メートル
  16.00メートル
深さ   5.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 734キロワット  

船種船名 貨物船ニューバロネス
総トン数 16,498トン
全長 167.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 4,931キロワット

3 事実の経過
 第二十八山和丸(以下「山和丸」という。)は、主として浚渫土砂運搬に従事する2基2軸のコルトノズルラダーを装備した鋼製押船で、A受審人、B指定海難関係人ほか2人が乗り組み、浚渫土砂約2,000立方メートルを積載して船首尾とも4.5メートルの等喫水となった、バージ2011(以下「バージ」という。)の船尾中央にある浅い外付き凹部と山和丸のタイヤフェンダー付き船首を嵌合させて押船列(以下「山和丸押船列」という。)とし、船首2.4メートル船尾3.2メートルの喫水をもって、平成11年2月1日16時30分京浜港東京区城南島沖合の浚渫場所を発し、横須賀港馬堀沖合の投棄場所に向かった。
 A受審人は、約3箇月前から城南島と馬堀間を1日1往復航海するにあたり、中ノ瀬沖合を南下する場合、横浜航路沖合から京浜港横浜区福浦沖合に向かう針路を採るので、浦賀水道航路に向かって南下する船舶と中ノ瀬西方において針路が交差する状況下、乙種甲板部航海当直部員として認定されているB指定海難関係人に途中の1ないし2時間を同当直に就け、馬堀から城南島に向かって北上するとき、バージが浮上して前方視界が制限されるので上層船橋から操船することとなり、バージの風圧が強くなることや、航海計器の装備の関係で操船が難しくなるので自らが当たっていた。また、同人は、B指定海難関係人が乗船してから約1箇月間、本航路を航行中に同人に対して東京湾の航路事情や船橋当直に当たる注意事項を教育し、単独当直を任す場合、判断に迷ったり、視界3海里未満となったら早目に報告する旨の指示を与えていた。
 ところで、山和丸押船列の連結は、山和丸のウインチドラムから一旦同船の船尾側に伸ばした曳航(えいこう)鋼索に接続金具を付け、そこから左右2本に分けた鋼索に化学繊維索を接続したものを船尾リーダーを介してバージ船尾左右両端のビットに掛け、同ウインチで堅固に巻き締めて両船を連結しており、いわゆる一体型プッシャーバージではなかったが、平穏な海上航行中は両船の船首尾線がほぼ一線となっていた。また、航海灯については、山和丸に、白色2灯の押船灯、船尾灯及び両舷灯を、バージには、前端に舷灯設備がないので船尾部ハウスの左右舷に山和丸から電源供給する舷灯と、船首部の揚錨機上に乾電池式の点滅式簡易白色灯とを設置していた。
 A受審人は、出航操船に引き続き前示の山和丸及びバージの航海灯を点灯し、船橋当直に当たり、東京湾アクアライン風の塔西方の西水路を南下し、17時30分ごろ東燃扇島シーバースの東方約0.5海里において、B指定海難関係人と船橋当直を交代し、当直を引き継ぐに当たり、たまたま周囲の交通船舶量が比較的少なかったので、鶴見及び横浜両航路からの出航船に注意を払うこと、及び船舶が輻輳(ふくそう)して不安を感じたら報告するよう指示したものの、折から横浜航路を出航するなどして南下する船舶が多い時間帯にあたり、中ノ瀬西方海域において、これらの南下船と進路が交差し衝突のおそれがある態勢を発生させることが十分に予測され、急激に舵をとったり機関を後進にかけると、連結索の切断の危険もあったが、前示のごとく教育していたこと及び山和丸で約3箇月の当直経験があるから大丈夫と思い、自ら操船指揮がとれるよう、接近する南下船を認めたら直ちに報告する旨の指示を徹底することなく降橋した。
 当直に就いたB指定海難関係人は、自動操舵によって京浜港川崎区沖合から横浜区沖合にかけての中ノ瀬西方海域を南西進し、18時12分本牧船舶通航信号所(以下「本牧信号所」という。)から129度(真方位、以下同じ。)2.60海里の地点において、216.5度に針路を定め、機関を全速力前進にかけて7.6ノットの対地速力で、前路に南下している数隻の小型船の灯火を見ながら進行し、同時18分半本牧信号所から146度2.76海里の地点に至り、右舷正横後14.5度1.5海里のところに、ニューバロネス(以下「バ号」という。)の白、白、紅3灯を初認し、自船の右舷側を追い越す船舶であろうと思い、バ号に対して注意を喚起するつもりで、山和丸マスト上端にある黄色回転灯を点け、そのままの針路では両船の進路が交差して衝突のおそれが発生し易い状況であったが、A受審人から報告について明確な指示がなかったこともあって、同人に直ちに報告することなく続航した。
 18時22分B指定海難関係人は、本牧信号所から154度2.93海里の地点に至り、バ号を右舷正横後13度1.0海里のところに見るようになり、前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近していることを認め得る状況であったが、時々3海里レンジとしたレーダーを見るのみで、動静監視を十分に行っていなかったので、この状況に気付かず、減速するなどして同船の進路を避けなかった。
 18時26分半B指定海難関係人は、バ号が右舷正横後15.5度0.5海里のところとなったのをレーダーで認めて目視したものの、依然として同船が自船の右舷側を追い越すものと思って進行中、同時29分少し過ぎ右舷正横100メートルに迫った同船の船体を見て衝突の危険を感じ、汽笛で短音を連吹したが、舵及び機関を使用せずに操舵輪に向かって立ったままで、両船がほぼ並航状態となってバ号が少し前に出たとき、18時30分本牧信号所から169度3.55海里の地点において、山和丸押船列は、同針路、同速力のまま、バージの右舷前部にバ号の左舷後部がその前方から13.5度の角度で衝突した。
 当時、天候は曇で風力1の南東風が吹き、潮候は下げ潮の初期であった。
 A受審人は、汽笛を聞いて昇橋する途中、衝突するのを目撃した直後に船橋に入り、操舵を交代して機関を停止し、事後の措置に当たった。
 また、バ号は、船尾船橋型鋼製貨物船で、船長Dほか21人が乗り組み、C受審人を乗せ、鋼材12,080トンを載せ、船首6.23メートル船尾7.80メートルの喫水をもって、港内水先人嚮導のもと、同日17時50分京浜港横浜区本牧ふ頭を発し、神戸港に向かった。
 18時07分C受審人は、横浜本牧防波堤灯台を航過したところで港内水先人から嚮導を引き継ぎ、航海灯を点灯し、横浜航路第1号灯浮標を右舷正横に見たころから右転して浦賀水道航路に向けて速力を漸増(ぜんぞう)しながら南下し、同時17分本牧信号所から145度1.04海里の地点において、針路を178.5度に定め、機関を12.0ノットの速力にかけて進行した。
 D船長は、一等航海士に機関操作やレーダー監視をさせるとともに見張りに当たらせ、甲板手を手動操舵に就け、C受審人の操船指揮に応える運航全般の指示を乗組員に命じて運航に当たった。
 C受審人は、前路に浦賀水道に向かっている数隻の小型船の灯火を見ながら続航し、18時20分半本牧信号所から158度1.67海里の地点において、左舷船首39.5度1.2海里のところに、山和丸押船列の連掲した白、白及びその頂部に黄色回転灯を初めて認め、緑灯に気付かなかったものの、自船より遅く、浦賀水道に向かっている船舶であろうから同押船列の右舷側を十分隔てて追い越せると思い、その後同押船列を気に掛けず、前示の同航船の灯火に注視して進行し、同時22分本牧信号所から161度1.97海里の地点において、山和丸押船列が左舷船首39度1.0海里のところとなり、前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近することを認め得る状況であったが、コンパス方位の変化を確かめたり双眼鏡を使用するなどして、動静監視を十分に行っていなかったので、この状況に気付かなかった。
 18時23分C受審人は、速力13.5ノットを指示し、その後速力が徐々に微増するようになったものの、両船の見合い関係にはほとんど変化がなく、山和丸押船列が避航動作をとることなく衝突のおそれがある態勢で接近していたが、警告信号を行わず、同時26分半同押船列が左舷船首36.5度0.5海里のところで、速力が12.5ノットとなったとき、同船が押船列であること及び進路が交差していることを知り、更に接近していることを感じたもののまだ大丈夫と思い、右舵一杯とするなどして協力動作をとることなく続航中、同時28分半同押船列が左舷船首40度400メートルとなったとき、一等航海士から同押船列が至近に迫ったことの報告があって初めて衝突のおそれを感じ、針路185度に続いて右舵10度そして右舵一杯を令したのち汽笛を吹鳴したが、効なく、13.0ノットの対地速力となって230度に向首したとき、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、山和丸は損傷がなく、バージは右舷前部外板の曲損を生じ、バ号は左舷後方外板の凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
 本件衝突は、夜間、東京湾中ノ瀬西方において、南西進中の山和丸押船列が、動静監視不十分で、前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近するバ号の進路を避けなかったことによって発生したが、南下中のバ号が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 山和丸押船列の運航が適切でなかったのは、船長が、航海当直部員に船橋当直を引き継ぐ際、中ノ瀬西方で接近する南下船を認めたら自ら操船指揮がとれるよう直ちに報告する旨の指示を徹底しなかったことと、同部員が接近する南下船を認めたことを報告しなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
 A受審人は、夜間、東京湾を南下中、航海当直部員に船橋当直を引き継ぐ場合、船舶が輻輳する時間帯であり、中ノ瀬西方で横浜航路から出航するなどして浦賀水道航路に向かって南下する船舶と、進路が交差して衝突のおそれが発生することが十分に予測されていたのであるから、その場合に自ら操船指揮がとれるよう、接近する南下船を認めたら直ちに報告する旨の指示を徹底すべき注意義務があった。ところが、同人は、同部員は本船で約3箇月の当直経験があるから大丈夫と思い、接近する南下船を認めたら直ちに報告する旨の指示を徹底しなかった職務上の過失により、南下中のバ号が自船に接近していたが、その報告がなく、自ら操船できずに同船との衝突を招き、バージの右舷前部外板に曲損を生じさせ、バ号の左舷後方外板に凹損を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 C受審人は、夜間、バ号の水先に当たって浦賀水道航路に向かって東京湾中ノ瀬西方を南下中、前路を右方に横切る山和丸押船列を認めた場合、衝突のおそれの有無を判断できるよう、動静監視を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、同押船列は浦賀水道に向かう船舶であろうから十分にその右舷側から追い越すことができるものと思い、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、衝突のおそれがある態勢で接近していることに気付かず、警告信号を行うことも、更に接近しても衝突を避けるための協力動作をとることなく進行し、衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B指定海難関係人が、接近する南下船を認めても船長に報告しなかったことは、本件発生の原因となる。
 B指定海難関係人に対しては、勧告するまでもない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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