(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年4月15日15時47分
大分県関埼東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船東耀丸 |
漁船友政丸 |
総トン数 |
499トン |
2.4トン |
登録長 |
63.02メートル |
9.80メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
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漁船法馬力数 |
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70 |
3 事実の経過
東耀丸は、液体化学薬品の輸送に従事する、船尾船橋型の油タンカー兼液体化学薬品ばら積船で、A及びB両受審人ほか4人が乗り組み、アクリル酸502トンを積載し、船首2.1メートル船尾3.3メートルの喫水をもって、平成10年4月15日14時15分大分港を発し、速吸瀬戸西部の関埼と高島間を通航する予定で名古屋港に向かった。
A受審人は、船橋当直を8時から12時の間を同人が、0時から4時の間を甲板長が、4時から8時の間をB受審人がそれぞれ単独で行う4時間交替の3直輪番制をとっていた。
ところで、関埼と高島の間は、可航幅が1.7海里あるものの、関埼北東方1,300メートルには平瀬、その東方1,200メートルには権現碆(ばえ)の両険磯が存在し、潮流が強く、漁船の操業や通航が多い海域であったが、豊後水道から別府湾に至る航程を短縮することができることから、小型船の常用航路となっていた。
発航後、A受審人は、出航操船に引き続き船橋当直に当たって別府湾を東行し、14時54分関埼の西方沖合8.5海里ばかりの地点に達したとき、出航作業を終えた甲板長が昇橋したので、同人に同当直を行わせることとした。その際、同受審人は、関埼と高島間の海域に達するころには通航経験の多いB受審人が当直に就くので、同受審人に操船を任せておけば大丈夫と思い、自ら操船の指揮をとることができるよう、同海域に達したら報告するよう次直者に引き継ぐことを指示せず、操業する漁船が多いときには、早めに平瀬と権現碆の北方に向けて佐田岬と高島の間を通航するよう指示し、自室で休息した。
B受審人は、15時42分関埼灯台から350度(真方位、以下同じ。)0.6海里の地点で、いつものように早めに昇橋して甲板長から当直を引き継ぎ、操業する漁船を認めなかったことから、針路を関埼と平瀬の間に向かう110度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの潮流に乗じて12.0ノットの対地速力で、自動操舵により進行した。
定針したころ、B受審人は、高島の北西方沖合にあたる、左舷前方1.8海里に、前路を右方に横切る態勢の友政丸を初めて視認し、15時43分関埼灯台から009度980メートルの地点に達したとき、同船が左舷船首39度1.4海里となり、その後その方位がほとんど変わらず、衝突のおそれのある態勢で接近するのを認めた。
15時44分少し前B受審人は、関埼灯台から025度970メートルの地点で、豊後平瀬灯標を左舷側410メートルに並航し、針路を130度に転じたとき、友政丸が左舷船首58度1.1海里となり、依然、その方位がほとんど変わらないまま衝突のおそれのある態勢で接近するのを認めた。そして、同受審人は、やがて友政丸が自船の進路を避けないまま間近に接近したのを認めたが、そのころ、近くを航行していた数隻の漁船が自船の進路を避けたので、友政丸も避けるものと思い、自船の運動性能を考慮したうえで、速やかに機関を後進にかけて行きあしを止めるなど、衝突を避けるための協力動作をとらなかった。
B受審人は、15時45分友政丸が左舷船首60度0.6海里に接近したとき衝突の危険を感じ、警告信号を行うとともに、機関を中立とし、回転数が下がるのを待って全速力後進としたが、効なく、15時47分関埼灯台から080度1,200メートルの地点において、東耀丸は、後進による右回頭で船首が142度を向いたとき、4.0ノットばかりの速力で、その左舷側前部に友政丸の船首が後方から86度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の北風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、衝突地点付近には2.0ノットの南東流があった。
A受審人は、自室で休息していたところ、甲板長からの報告で自船が衝突したことを知り、昇橋して事後の措置にあたった。
また、友政丸は、船体中央部に操舵室を有するFRP製漁船で、C受審人が1人で乗り組み、船首0.4メートル船尾1.0メートルの喫水をもって、同日06時10分大分県佐賀関漁港を発し、高島北方沖合4海里の漁場に至り、あじ、さば等の一本つり漁業に従事した。
C受審人は、正午ごろまで前示漁場で操業を行ったのち、12時10分高島北方沖合のホゴ瀬付近に移動して操業を再開したが、その後釣果がなかったので帰航することとし、さば等13匹を獲て15時35分豊後平瀬灯標から052度3.3海里の地点を発進し、針路を高島西端と権現碆の間に向く228度に定め、機関を全速力前進にかけて17.0ノットの対地速力で、折からの南東流により7度左方に圧流されながら、操舵室右舷寄りに立って、自動操舵により進行した。
15時43分C受審人は、豊後平瀬灯標から075度1.1海里の地点に達したとき、右舷船首23度1.4海里に、南下する東耀丸を視認でき、その後同船が前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近したが、帰航中の僚船のほかに他船はいないものと思い、見張りを十分に行っていなかったので、東耀丸の存在及びその接近に気付かず、速やかに右転するなど同船の進路を避けることなく続航した。
C受審人は、15時44分少し前豊後平瀬灯標から082度0.9海里の地点に至ったとき、東耀丸が右舷船首24度1.1海里となって20度右転し、その後もその方位がほとんど変わらず、依然、衝突のおそれのある態勢で接近していることも、同時45分同船が右舷船首22度0.6海里となったとき、汽笛を吹鳴して警告信号を行ったことにも気付かないで進行中、友政丸は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、東耀丸は左舷側前部外板に凹損等を生じ、友政丸は船首部を圧壊したが、のちいずれも修理され、C受審人が入院加療を要する腰部捻挫、口腔内裂傷等を負った。
(原因)
本件衝突は、速吸瀬戸西部において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、西行する友政丸が、見張り不十分で、前路を左方に横切る東耀丸の進路を避けなかったことによって発生したが、南下する東耀丸が、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
東耀丸の運航が適切でなかったのは、船長が船橋当直者に対し、速吸瀬戸西部の関埼と高島間の海域に達した際、報告するよう次直者に引き継ぐことを指示しなかったことと、次直の船橋当直者が衝突を避けるための協力動作をとらなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
C受審人は、速吸瀬戸西部の関埼と高島間の海域を西行する場合、右舷前方の東耀丸を見落とすことのないよう、見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかし、同受審人は、帰航中の僚船のほかに他船はいないものと思い、見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、東耀丸の存在及び接近に気付かず、その進路を避けないまま進行して同船との衝突を招き、同船の左舷側前部外板に凹損等の損傷を、友政丸の船首部に圧壊をそれぞれ生じさせたほか、自身も負傷するに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、速吸瀬戸西部の関埼と高島間の海域に向け航行中、船橋当直を乗組員に行わせて降橋する場合、同海域は険礁が存在し潮流が強かったから、自ら操船の指揮をとることができるよう、船橋当直者に対し、同海域に達した際に報告するよう次直者に引き継ぐことを指示すべき注意義務があった。しかし、同受審人は、そのころには同海域の通航経験の多いB受審人が当直に就くので、同受審人に操船を任せておけば大丈夫と思い、船橋当直者に対し、同海域に達した際に報告するよう次直者に引き継ぐことを指示しなかった職務上の過失により、自ら操船の指揮がとれないまま進行して友政丸との衝突を招き、両船に前示のとおりの損傷を生じさせたほか、C受審人を負傷させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、速吸瀬戸西部の関埼と高島間の海域を南下中、左舷前方の友政丸が、前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢のまま、自船の進路を避けずに間近に接近するのを認めた場合、自船の運動性能を考慮したうえで、速やかに機関を後進にかけて行きあしを止めるなど、衝突を避けるための協力動作をとるべき注意義務があった。しかし、同受審人は、相手船の方で自船の進路を避けるものと思い、衝突を避けるための協力動作をとらなかった職務上の過失により、友政丸との衝突を招き、両船に前示のとおりの損傷を生じさせたほか、C受審人を負傷させるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文平成11年11月25日門審言渡
本件衝突は、東耀丸が、動静監視不十分で、無難に航過する態勢の友政丸に対し、新たな衝突のおそれを生じさせたことによって発生したが、友政丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
受審人Cを戒告する。