日本財団 図書館


2003年3月31日
日本財団 御中
NPO法人
日本サハリン同胞交流協会
会長 大角芳正
副会長 笹原 茂
副会長 金成良克
 
 拝啓
 時下、貴財団益々ご清栄の段、お慶び申し上げます。
 いつもサハリン同胞のためにご援助を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて
サハリン日本語教室3ヵ年終了報告(報告)
 2000年4月より、貴財団のご援助を得て運営を続けてまいりましたサハリン日本語教室は、お蔭様をもちまして無事丸3ヵ年を経過し、去る3月19日ユジノサハリンスク第15学校にて最終授業が行われました。これまでのご支援を心から感謝し、謹んでここにご報告申し上げます。
 
1、サハリン日本語教室設立経緯
 1999年8月5日、貴財団 曽野会長、歌川常務理事など多数の方々がサハリン日本人会の事務所を訪問して下さり、当時の近藤孝子サハリン日本人会会長や多くの同胞と2時間にわたり懇談をもたれました。
 その折に曽野会長より、日本財団として何かお手伝いできる事がありますか、若し希望があるならば遠慮なく云って下さい、とのお話がありました。
 急なご提案でしたので、近藤会長から後日あらためて要望書を提出します、と返答してお別れいたしました。
 
2、要望書提出
 1999年10月21日、第18次一時帰国団の団長として来日した近藤会長と日本サハリン同胞交流協会が日本財団を訪問、サハリン日本語教室設立を、サハリン日本人会と日本サハリン同胞交流協会連名で提出しました。
 目的は、日本に永住帰国する同胞と一緒に来る二世、三世、四世たちの就労、就学にあたり、日本語のハンディキャップを少しでも減らそう、ということでありました。勿論日本文化や生活習慣などを教えることも大きな目的に含まれておりました。
 貴財団からのご返答は、即おやり下さい、とその場で言われましたので、驚きと共に、責任の重さに身が引き締まる思いがいたしました。
 
3、 講師の人選(日本、サハリン)
 思わぬ急展開となり、日本サハリン同胞交流協会は協会員の中から4人の講師を選定し取り敢えず1年間の授業が可能なことを確定しました。
 講師予定者は金成良克、斉藤精一、小林幹夫、笹原 茂でありました。
 サハリンの講師は、前年から日本語教室開設に熱意を示していた高橋順子さん(二世でありますが6ヶ月の日本語研修を北海道で受けており、ユジノサハリンスク第9学校日本語教師をしていて、恩返しをしたいとのこと)に依頼、快諾を得ました。
 日本側は誰一人教師の経験が無い素人集団なのでカリキュラムもなく、急遽所沢市の中国帰国者定着促進センター(中国からの永住帰国者に日本語を教える為の独自のカリキュラムを持つ)に応援依頼、早速4人が数日間所沢市に通ってカリキュラムの立て方、教え方を勉強しました。2000年4月のサハリン日本語教室開設には、提唱者の一人でもあった金成良克が初代講師として赴任することに決定しました。
 
4、生徒募集
 サハリンに於ける生徒募集は、主として日系人二世、三世を対象に口コミで行いました。その理由はサハリンから永住帰国した二世、三世の日本語習熟に役立てたい、との大きな目的を達成する為でありました。我協会は既に永住帰国者を42世帯114名もの受入れを厚生省に代わって行っていましたので、永住者には何が問題かが実感として分かっておりました。
 話を聞いた一世達は競って子供、孫を勉強に通わせたいと申し込んできた、と言います。
 結果的には日系人に限らず、朝鮮民族、ロシア人も是非、と言って申し込みをしてきましたので、敢えて拒まず全てを受け入れることとしました。
 その中には、火傷治療で有名になったコースチャ君が両親と共に申し込みに来ました。目的を聞きますと、日本の病院で命を救ってもらったので、日本に恩返しをしたく、将来は日本と関係ある仕事に就きたい、とのことでありました。即OKを出し、Cクラスの生徒に加えました。
 勿論一世もおり、祖父が戦前敷香中学校で日本人と同じ教育を受けたという孫娘2人(朝鮮民族)など近くに住む子供たち、或いはユジノサハリンスク市の学校の先生(語学担当=朝鮮語)が数名加わっていました。
 さらにサハリン州立大学日本語科の生徒や、外務省系の日本語教室(レヴェルが高すぎて70パーセント脱落)の生徒がどうしても入れて欲しいと申し込んできました。
 永住帰国希望者クラスには10名を越す生徒の申し込みがありました。
 
5、教室追加借用とクラス分け
 応募する生徒数は、当初50〜60名と予測して、2クラスの授業を考えていましたが、開けてみると100名近くに膨れ上がったのには正直驚きました。
 教室を開設するユジノサハリンスクの第15学校の校長は、講師を依頼した高橋順子氏のご主人でしたので、彼女を通して2教室の借用を申し入れ許可を得ておりましたが、1教室の定員は28名で、無理をしても30名が限度でありました。
 急遽もう1教室の借用を許可してもらい、併せて通訳として来ていた平山梶夫氏に講師を依頼、快諾を得て第15学佼にA、B、C3クラスの開設となりました。永住希望クラスは日本人会事務所に開設しました。
Aクラス 申し込み 31名 担当講師 金成良克
Bクラス 39名 平山梶夫
Cクラス 34名 高橋順子
永住クラス 8名 金成良克
  112名
 
 第15学校の位置は、ユジノサハリンスク市の中央バザールから徒歩10分ほど西に在り、ホルムスク行きのバスが通っていて、市の中心から歩いても20〜25分の距離です。1949年に設立された2階建て、鉄筋モルタルの校舎であります。
 
6、授業開始
 4月18日第1回授業、この日の実受講者が90名に達し、土産に持参した文具(ノート、鉛筆、消しゴム)が不足となってしまいました。
 授業は水曜、金曜の週2回、午後7:00から60分。永住クラスは土曜のみ午後2:00から120分。
〔Aクラス〕
 一世、二世、三世及び3名の大学生と、レヴェルの高い日本語教室から1名、28〜30名の生徒が受講。13歳〜63歳と年齢に幅がありますが、大体日本語が分かる生徒のみの授業。原則としてロシア語は遣わず、どうしても必要な場合は一世に通訳してもらい、若い年齢層の理解を促しました。教材は日本から持参した「新日本語の基礎I(ロシア語対訳付)」を使用。
 授業が終わると作文の宿題を出し、月末には練習問題を宿題としてテスト代わりとしました。作文も練習問題も必ず全てを添削し、批評を記して返却、さらに練習問題は間違いを解説し、正しい答えを教えました。そこまでやってから次のステップに移るようにしました。
 漢字は年配者の希望を入れて、折に触れ4画までを教えました。また普通の電車と新幹線の区別も分からないので文明、文化の違いも出来るだけ教えました。
〔Bクラス〕
 このクラスは日本語は全く初めてという生徒たちで、ロシア語と日本語の両方を遣って授業。教材は日本から持参した「やさしい日本語」を使用。それと中国帰国者定着促進センターからのカタカナ、ひらがな練習テキストを使用しました。
 平山講師はサハリンでも一流の通訳であり、以前工学を教えた経験もあって中々堂に入った教え振りでした。生徒の年齢は25歳〜60歳でロシア人も数人含まれていました。
〔Cクラス〕
 6歳〜50歳の生徒で、主体は子供達でした。日系三世、15歳前後の学生が中心で、学生は平素、高橋講師が通常の授業で日本語を教えている生徒でした。教材は日本の教科書(小学校4、5年)であり、内容についての質疑応答が中心。必ずカードによる単語記憶を授業前に行い、また作文を書かせそれを発表させていました。3人の現職教師が含まれているが高橋講師の同僚です。
 見ていると殆どロシア語は遣わない授業で、コースチャ君は経験不足でしたがこのクラスに入れてもらいました。
 このクラスは年齢は若いが、優秀な生徒がいて、毎年数人がサハリン州立大学の日本語科を受験とのこと、間違いなく優秀な成績を修めると確信しました。
〔永住クラス〕
 永住クラスだけはサハリン日本人会事務所で土曜日(遠方、仕事を考慮)午後2:00から120分。
 教材は特に決めず、数字の読み方、電話の掛け方、社会体制の違い、買い物の仕方、礼儀作法などを質疑応答形式で行ないました。
 5月に永住帰国する大泊の淡中詔子夫婦など常に7〜8名が参加。特に二世が熱心でありました。
 
7、総評価と今後の展望
 語学の評価は眼には中々見えないものでありますから、その評価は大変難しいですが、先ず眼に見えたものから評価をしてみました。
 サハリン日本語教室を始めてから永住帰国した同胞は十数名を数えますが、所沢の中国帰国者定着促進センター小林教務課長の評価は高く、少しでもサハリンで日本語を勉強してきた帰国者はその効果が非常に大きいとのことでありました。
 所沢のセンターでは永住帰国者に対し4ヶ月間の講習を行うにあたり、先ず取り組みの姿勢が良いと云っています。理解が少しでも出来ると覚えるスピードが断然早いのだそうです。全く日本語が話せなかった二世、三世が,例え片言でも日本語を話せる状態で永住帰国することに大きな意味を見出すことができます。
 2000年夏のサハリン内日本語スピーチコンテストで優勝した大学生のヤン・イリーナさんは、日本語講師の前で何回も予行演習を行い、言葉遣いやアクセント、内容修正などを熱心に行い、サハリン代表でモスクワの大会にも参加しています。
 2002年にはゲートボール大会の北海道芽室町に招待されたコースチャ君は、テレヴィの取材にハッキリした日本語で返事をしており、我々を感激させました
 サハリン州立大学の日本語科は数名の合格者を生徒の中から輩出していて、夫々が優秀な成績を修めています。
 日本から派遣した講師の中には、料理を教えたり、着付けや遊戯を教えたり、絵手紙を教えた講師もおり、個々の特技を生かして、できるだけ日本の文化を教えてもいました。
 また、日本語教室の生徒で成績の良い者は、教室の中の授業だけでなく、現実の日本を見せ、生きた日本語に接するチャンスを十数名の生徒に与え(一世の一時帰国の付き添いとして招待)、帰りには貴財団からの短波付ラジオを贈って、さらに日本語放送に親しんでもらうように心掛けました。
 語学教育はその効果が、直ちに顕著に現れる、というものではありませんので、その効果は今後に大きく期待したい、と考えています。
 継続は力なり、と云われますが、3ヵ年の日本語教室運営でそれを強く実感しました。今後は高橋順子講師を中心に現地スタッフが心を合わせて授業を継続することになりました。その為の教室借用料を15年度援助金予算に計上させていただき、ご認可をいただきました。
 サハリンは現在、サハリン1、サハリン2の石油産出事業が軌道に乗りはじめ、石油を日本や大陸にパイプラインで送り出す計画が実現しつつあり、事業に参加している日本企業の現地採用が予想され、日本語が少しでも話せることは大きなプラス材料になるものと期待しております。
 更に日本とサハリンとの交流が深まるにつれ、日本語の重要性が高まることは必至と考えられます。ご援助に依って始まったサハリン日本語教室は、今後も現地スタッフが継続させることで、更に実りあるものとなる、と確信しています。協会としましても今後、現地スタッフの支援を続けて参る所存であります。
 
 以上簡単ではありますが、心からなる感謝の念をもちまして、サハリン日本語教室3年間の経緯のご報告といたします。
 
 追伸、3月21日に第15学校で修了式を予定しておりましたが、インフルエンザの流行によりユジノサハリンスク市内の学校は全て学校閉鎖となり、近所のレストランにてお別れ会をいたしました。その様子を映したヴィデオを別途お送りいたしますので、ご高覧いただけますれば幸いと存じます。







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