(6)三好 孝
●条件付で造船できる(材料が調達できれば)
年齢:昭和13年生まれ
経歴:昭和32年19歳で父親・三好寅一(現在90歳)に習った。経験は45年。
船種: |
ヨツバリ(昭和40年まで)ヨツバリ網(マキ網)、イワシ網 8尋船(3t) 櫓船→昭和35年に4〜5馬力のディーゼルを積む。 突棒船 45t(全長30m) 5隻造った。 機帆船 100t マキ網運搬船 生船(活魚運搬船) 20t以下 ☆引田(香川)の辻本海運の船は修理(明石型) マキ網オヤ船 60t(25〜28m) サバツリブネ 80t(24m全長30m) |
船材: |
スギ・佐伯の地物。弁甲は木はやわらかいが、力がない。 釘・尾道の島屋、大和商会むかしは保内川之石の釘屋で注文した。宇和島には角藤船釘 釘差鑿・丸三や倉橋の丸伊。天草ものも多い。 |
直近造船:15年前、養殖作業船
調査者:織野 英史
(7)山下津留夫
●造船できる
年齢:昭和7年生まれ
経歴: |
昭和20年に13歳で父親・山下平治(明治44年生まれ93歳、健在)に習った。昭和22〜23年には宇和島の赤松造船〜宇和島造船にも行った。 |
船種: |
ツリブネ 一本釣り 長16〜18尺、幅5尺5〜6寸 最初オシブネ(櫓)のちエンジン キンチャク網(30歳前半頃)長40尺、幅7尺5寸 フカシ網(夜) 長35〜40尺、幅7尺5寸まで。 底曳網 長40尺(5t未満)幅8尺〜5尺6寸 キンチャク網の母船 長40尺、幅8尺 |
船材: |
弁甲→色黒い(やわらか)。佐伯の杉→さえとる(かたい) 釘・宇和島に2〜3軒あった。 道具・見本をみせて地元で打ってもらう。 |
直近造船:18年前、下灘・由良神社のオシブネを造船を父親と一緒にやった。
調査者:織野 英史
(8)松田 尚雄
●造船できる
年齢:昭和6年生まれ
経歴: |
昭和22年頃16歳で船大工・宮本勇造に弟子入り4年勤めた。34年前(昭和44年頃)自立し宮本と競合しないよう木造専門でやった。経験は55年 |
船種: |
ツリブネ 一本釣り 5t未満 長15〜20m、肩幅3m ディーゼル ハマチ養殖のエサブネ 20t、長38尺、肩幅4m ディーゼル テンマセン伝馬 0.5〜1t、長13尺5寸 機帆船 長30m、40〜50t 焼玉 アミフネの本船(母船・ヒキフネ)長20m、幅5m 20t コアミブネ(両手まわし) 長8尋(40尺)肩幅3m 櫓 |
船材: |
スギ・弁甲→油津(宮崎)挽きに行き機帆船でとってもどった。 佐伯材は木がかたい。上回りには使う(くさり早い) 釘・尾道から機帆船で送ってくる。 道具・宇和島の吉本材木店(代理店)。クギサシノミは天草 |
直近造船:5〜6年前、ハマチのエサブネを造船。
調査者:織野 英史
(9)宮本 貢
●造船できない
年齢:昭和10年生まれ
経歴: |
昭和26年16歳で宮本勇造に習った。生まれは沖ノ島鵜来島。 5tから20t船の改造をよくやった。長崎県アイノ浦の7尋のエサブネを10隻造った。木造は30年前まで。 |
船種: |
カツオ船 19t、長20m、幅4m、ディーゼル マキ網網船 20m、幅4.5m ディーゼル 一本釣り(1人乗り) 5t未満、長40尺 ディーゼル 渡船(人を5、60人乗せる)長12〜3m、幅4m ハマチの作業船(エサ船)7〜8尋 テンマ船 真珠の作業船 4〜5m 櫓のち船外機 ☆福浦で弟子の頃は和船(櫓船)を造ったが、独立してからはエンジン付き。 |
船材: |
スギ・弁甲は吉本材木店、宇和島製材へ注文 佐伯のスギはねばりがある。元がまがっているので、マルドモなど曲がりの欲しいときに使う。 釘・古島商店(今もある) クギサシノミ・天草のでないといけん。 |
調査者:織野 英史
(10)水野 昭
●造船できる。
年齢:昭和8年生まれ
経歴: |
終戦の直後、小学校6年卒業の12、3歳で井川造船へ弟子入りした。父親は石彫師。親方が遊び人だったので、きつい仕事ばかりした。30歳過ぎで止めて、家大工になり5〜6年やったあと、井川造船の後を買って造船をはじめた。FRPは肝臓にわるいのでやらない。 |
船種: |
ツリブネ 全長30尺 ☆20年ほど前、日立造船所が縮小し、職工を止めた人木造船を造ることが多かったので、それを一手に引き受けて造った。 リョウセン(漁船) カワラ4尋全長20〜25尺、幅7尺 |
船材:スギ・弁甲釘・尾道(ダイワ商会) |
備考: |
家大工をやったりしたので、カワラなども丸ノコではいだあとノリ付けするとか、ボルトを使うとか、伝統的造船に固執しない。カワラにグラスファイバーを巻いたりする。 |
直近造船:平成8年頃ツリブネ。まだ現役の船がたくさんある。
調査者:石原 義剛
|