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(13)加藤 洋市
●条件付きで造船できる。道具がそろえば
年齢:昭和9年生まれ
経歴: 昭和25年頃16歳で紀勢町錦浦の錦造船所・阪口五郎に5年半教わった。後の半年はお礼奉公だった。昭和43年頃まで同造船所で働き、その後、南島町で加藤 明(昭和9年生まれ)と一緒に大鵬造船所として独立した。経験は30年。150隻くらい造った。
船種: イッポンツリブネ 一本釣り用動力付
 長25〜6尺、肩幅5尺5寸 動力付(電気着火4馬力)
ヒブネ アグリ網の集魚船
 長35〜6尺、肩幅6尺 動力付(25〜30馬力)
アミブネ アグリ網の網船
 長50尺程度、肩幅13尺、動力付(ディーゼル75〜120馬力)
シンジュブネ 真珠養殖用作業船
 長18〜20尺、肩幅4尺5寸 櫓1丁
カイツキテンマ 磯漁用
 長18尺、肩幅4尺 動力付(3〜5馬力)
船材: スギ・大宮町滝原の吉田善三郎家
釘・広島の靹ノ浦
直近造船:昭和55年頃カイツキテンマを造船した。
調査者:平賀 大蔵
 
(14)浜田 惣助
●造船できる
年齢:大正14年生まれ
経歴: 中学2年後15歳頃、引本の船大工・泉茂一の弟子になった。終戦前、台湾のキールン港でも働いたが、帰って引本にあった三井木船(KK)で戦時標準船を造った。そこでは家大工から床屋まで600人くらいいた。
昭和25〜30年頃、清水、横浜など関東で「渡り大工」(船)もした。30年に奥さんをもらって引本に落ち着いた。「渡り大工」のころ友達の船大工のところへ「コメ、カネない」という電報がきたものだ。
昭和50年頃からFRPに代わった。
船種: オオシキブネ(定置網)
テント(釣り漁・22尺)
ベカ(物の運搬など・シキ20尺、幅4尺5寸、深さ1尺2寸(海の場合は1尺4寸)・モーター)
材料: 伊勢市神社から木挽に挽いてもらってきた。
地元の鍛冶屋(家崎高吉・現在手のマヒで作れないが、日に500本も打った。)
調査者:石原 義剛
 
(15)庄司 修次
●造船できる。1トン程度の漁船まで。
年齢:昭和8年生まれ
経歴: 新制中学の第一期卒業で昭和23年15歳で庄司富三郎に弟子入りした。6年間。この辺では5年働いて1年礼奉公するのが普通。実父・平尾佐市も賀田の船大工だったが、ここは兄・喜市がついだので、修次は外へ修業にでたのだった。しかし、富三郎の一人息子が戦死したので、修次は養子に入り、庄司造船を継いだ。現在は兄(も来て)2人でやっている。
船種: 中型船(サンマ刺網用・20mくらい14、5トン・2〜3ケ月で造る。)
大型船(カツオ一本釣り・100トン)
石材運搬船(石材運搬・名古屋港埋め立ての頃、紀州の石を運んだ・70〜80トン)
漁船(小型船・曳縄など・全長30尺シキ25尺、幅5尺5寸、深さ2尺5寸・1トン)
材料: 尾鷲市三木里の杉が一番、地元の杉はねばりがあって最良。
戦後はまだ地元に「黒釘」を作る鍛冶屋がいた。
亜鉛テンプラは尾道の尾道商会、串本の丸井商店から。
直近造船:平成9年に1トンほどの漁船を造船した。
調査者:石原 義剛
 
(16)東 浅市
●造船はできない
年齢:大正14年生まれ
経歴: 15歳から引本浦の川上造船に弟子入りしたが2年いて、東京の工学院造船科へ入って3年で兵隊へ(?)。終戦後、九鬼へ移った川上造船で働き、昭和25年25歳から早田の中尾造船に移ってそれ以降平成のちょっと前までそこで船大工をした。
父親は白浦(海山町)の奥村茂一郎(故人)で、海の博物館へ白浦からもって行った「クジラ船」の修理をした。その弟・常三も船大工で矢口でやっていた。
船種: カツオ船(釣り)
貨物船(150トン)
コブネ・テントウ・テンマ(釣り、磯漁・幅4尺)
材料:地元の杉・引本で製材 釘は矢口の家崎 尾道
調査者:石原 義剛
 
(17)湊 旗章
●造船できない
年齢:昭和2年生まれ
経歴: 高校2年16歳の時、船大工だった父親に習った。父親は厳しかった。4〜5年たった20〜21歳頃もう一人で船を造った。
平成6年頃まで。多い年は年5隻くらい、これまでに50〜60隻造船。
船種: カワブネ(川向こうの畑への往復。ウナギ、ボラなど川漁・長12尺ものと17尺もの・幅12尺もので3尺8寸・シキとタナ作り・棹)
☆熊野七里御浜へ流れ込む小河川の河口部にある湿地で使う特徴的な船。
材料:杉・地元や新宮 釘は勝浦や新宮で買った。
直近造船:平成5〜6年頃(まだ自分で使用している)
備考:船大工専用の小屋はなく、野天で造った。
調査者:石原 義剛
 
(18)谷上 嘉一
●造船できる。現在も造船中。
年齢:昭和17年生まれ
経歴: この人の経歴は珍しい。熊野川の脇に子供の頃から住み、通学や遊び場としていつも船「ヒラタ」になじんで来た。自然、ちょっとした船の修理くらいできるようになった。また、いつの間にか(35〜36歳くらいで)自分の船を造ったり、頼まれて人のも造った。平成13年紀州製紙を定年退職するとともに本格的に船大工になった。
船種: ヒラタ(カワブネ)(通船、アユ漁・長8.6m、幅1.6m、深さ30〜40cm・船外機)
櫂伝馬(熊野速玉神社の御船祭りの櫂伝馬船の練習船・長8.9m、幅1.435m、深さ70cm・櫂)
☆ホンブネの稽古船
材料: 杉・浦木木材から。ホンブネは和歌山県熊野川町田長から。
釘・以前は勝浦から。ヒラタで400本いる。
直近造船:現在、熊野速玉大社のホンブネ(早船)を造船中
調査者:石原 義剛







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