日本財団 図書館


「船大工現存状況に関する概況」
(和歌山県 すさみ町)
野田佳吾
 
 昭和40年代後半より急激に起こった木造船からFRP(強化プラスチック製)船への移行により当町にそれまで親方、弟子を含めて10数名は居たと思われる船大工は、次々と姿を消し、その後わずかに残った大工も昭和50年を過ぎると木船の新造注文がないため、もっぱら過去に造った木船の修理で生計を立てて来た。しかし、昨今では、それらの船も耐用年数が過ぎ(約30年と云われている)たため、そのほとんどが廃船となり、現在すさみの港で稼働している木船は数隻を数えるのみである。(FRP船は約200隻あるので木船の占める割合は1%程度)
 当町で最後まで残った船大工・石津久伍氏はすでに船大工用道具をほとんど手放したとの事。同じく塩飽信夫氏は今でも小修理程度であれば可能との事であります。今はお二人共カツオのケンケン漁に使う潜行板の製作・販売に従事して生計を立てられています。
 調査カードの(6)の現在造船の可否では、お二人とも、工場設備(以前は広いスペースの露天で行っていた)や道具が充分でないため、不可能又は条件付きでできると答えられているが「今でも造船のノーハウと設計書はきちんと頭の中に入っているよ。」と自信をのぞかせています。なお、いずれにせよ、上記のお二人が居なくなれば、当町の木船大工の歴史に幕が降ろされる事は間違いありません。
 
※ 隣町の日置川町の様子も伺いましたが、該当するような方は居られないとの事でした。
また、上記石津氏が木板に書いた船の設計図(ケンケン船)を数点保存されております。鮮明なものではありませんが寄贈してもよいとの事です。
 
三重県下の船大工の現状
石原義剛
 
 本調査期間中、面接した三重県下の船大工は16人で、日本財団調査による11人より5人多くなっている。日本財団調査の11人中、すでに2人が死去しており、新たに7人が加わった。そのほか、既に第一線を退いたり廃業しているが、船大工として存在情報を知らされたものが、11名(桑名、鳥羽、志摩、紀伊長島、尾鷲、熊野など)ほどいる。昭和30年代、大戦後、漁業が最盛期であった時期には、三重県132漁協地区の半数には、1人ないし2〜3人の船大工が存在したもので、さらに漁船の大型化、例えば、カツオー本釣り漁船などは櫓船から1〜5トンクラス、さらに19トン、39トンなどと急激に大型化してゆき、造船場は猫の手もかりたい時期であった。木造船船大工が最高に活躍したのは、大袈裟にいって歴史上この時期を措いてないかもしれない。
 しかし、昭和40年代に入ると、さらなる大型化にFRP船、鉄船への移行が重なって、瞬く間に木造船船大工は職を失ってしまった。その後は、志摩半島や熊野灘沿岸で、小型の釣り船が「木造船がいい」という経験ある漁師の求めで細々と造られる程度であった。
 このような現状の下で、6人しか木造船造船可能な船大工はいなくなっている。幸いにも海の博物館では、昭和40年頃から、実物木造漁船を集めてきたので、三重県下における各種用途の船は一応収蔵されている。
 今後造船可能なら、伊勢湾では「打瀬網漁船」、熊野灘沿岸では小型から1トンクラスの黒潮海域で漁をした木造船を復元しておきたいものである。しかし、全長15メートルを越える船になると、保管収蔵場所・施設に問題があり、実現は至難の業といえよう。
 せめて本調査を継続して、船大工の技術面はもちろん生活史全体を聞き取り記録する仕事だけはやっておきたいものである。
 
大分、宮崎、鹿児島県下の船大工事情について
 九州南部の3県を調査したが、1県に要した3〜5日の日数では、移動時間が長く1日2人くらいが限度であり、大分、宮崎および鹿児島県西海岸をほぼ歩いたが、聞き取り調査できたのは14人であった。(鹿児島県鹿児島湾、大隅半島、奄美を除く)
 この地域には以前、臼杵、佐賀関、佐伯、串木野、枕崎など有力な漁港、造船港湾があったから、まだ多くの船大工が存在しているだろうと推測していたが、少なくともわたしの歩いた範囲で自信をもって木造船を造船できると答えた船大工はいない現状だった。
 この地域で2つの代表的な船型(船呼称)に出会った。1つは、宮崎(日南市など)を中心とする「チョロブネ」で帆と櫓を使った昭和30年代までの沿岸漁船。もう1つは、「サツマ型(サツマミヨシ)船」で、全長25〜30尺程度の鹿児島県西岸の漁船。両者とも平成10年前後に、復元造船がおこなわれ、日南市と笠沙町にそれぞれ保存されているが、ともに学術的な取り組みではなく、現存の船大工が消滅すると技術も継承されなくなり、途絶することになろう。なんとかせめてもう数隻は残しておきたいものである。
 この地域では早くから南の海への出漁がすすみ、沿岸(磯場)漁業よりも遠洋漁業へ乗り出したため、漁船の大型化、FRP・鉄船化が急速に進んで、沿岸小型木造船がはやく行われなくなった事情があるように思える。
 
船大工
平石 健悦(北海道函館市)
ムダマハギ造船中
*写真提供:みちのく北方漁船博物館
 
金沢 京作(北海道鹿部町):右
自分が造ったイソブネの前で
 
中村 誠(新潟県粟島浦村)
むかし造った船をみる
 
野原 一郎(茨城県麻生町)
自分の造った霞ヶ浦の帆曳船、現役
 
番匠 光昭(富山県氷見市)
ただいま造船中
*写真撮影:出口 正登
 
矢田 照雄(三重県鈴鹿市)
道具も船釘もあるよ
 
庄司 修司(三重県尾鷲市)
1トンほどの木造船を最近まで造ってた
 
松井三四郎(滋賀県大津市)
昨年マルコブネ造船
*写真撮影:出口 正登
 
畑本 初一(広島県大柿町)
明治44年生まれ93才の現役
 
村上 正義(島根県都万村)
近年までカンコを造っていた
 
新庄 和幸(山口県上関町祝島)
昭和29年生まれ、木造釣船建造中
 
阿比留一磨(長崎県豊玉町)
大小500隻は造ったよ
 
中庭 一義(長崎県厳原町)
海女用のテンマを昨年まで造ってた
 
岩塚 司(鹿児島県長島町)
船もたくさん造ったが、酒もたくさん飲んだ
 
坪山 豊(鹿児島県名瀬市)
船漕競走の船を造る。島唄の第一人者でも
 
新城 康弘(沖縄県石垣市)
ただ今、サバニ造船中







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION