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ポータブル蛍光X線分析装置によるシナイ半島出土遺物のその場分析
中井 泉、保倉明子、山田祥子、沢田貴史
1. 考古遺物とX線分析
最近では考古遺物の研究に自然科学的分析手法が広く用いられるようになってきた1、2)。発掘により出土した貴重な考古資料は非破壊で分析しなければならないため、遺物の分析にはX線を用いた分析手法が用いられることが多い。図1に示すように、物質にX線を照射すると、X線と物質の相互作用がおこり、透過X線、蛍光X線、散乱X線などが検出できる。我々に最もなじみが深いものは、健康診断や空港の手荷物チェックに利用されている透過X線であろう。レントゲン写真は、X線の吸収の度合いが物質によって異なることを利用して、透過X線の画像を写真フィルムに焼き付けたものである。一方、蛍光X線は照射された物質の構成元素を反映するので、発生した蛍光X線スペクトルを調べることで、その蛍光X線のエネルギーから元素の種類を、また強度からその量を知ることが可能となる。このため、考古学においては蛍光X線分析法が広く用いられている。分析の一例として、表面にラスター装飾が施されたガラスについて、2次元平面に沿って蛍光X線分析を行った結果を図2(カラー図版3)に示す。資料の渦巻き模様と銅(Cu)の分布が対応していることが明瞭である。これに対してカルシウム(Ca)はガラス素地中に一様に分布している。銅を含んだ顔料3)を用いて渦巻き模様を装飾していることが分析結果からわかる。
このように蛍光X線分析は化学組成を知る上で、有効な分析法ではあるものの、実験室で用いられる装置は、サイズも大型であり、遺跡などの発掘現場に持って行くことなど従来は考えられなかった。従って、遺物の中でも実際に分析されるのは限られた対象だけであり、多くの遺物は収蔵庫や博物館に収蔵されたまま眠っているのが現状である。特に近年、海外で発掘が行われている遺跡では、出土遺物を日本に持ち帰ることが大変難しいので、出土しても分析の光を当てられないままになってしまうことが多い。この問題を解決する最善の方法として、発掘現場に持ち込めるようなポータブル分析装置の利用が挙げられる4、5)。発掘現場に分析装置を持ち込み、その場で分析を行うことができれば、多数の遺物資料について知見を得ることが可能となり、その分析結果について発掘を行っている考古学者と議論することも容易である。そこで、筆者らの研究室6)では考古試料の分析に適した新しい高感度なポータブル蛍光X線分析装置の開発を企業と共同で行った。
我々は、1999年度から(財)中近東文化センターエジプト調査室の関係の考古資料について、考古化学的な研究を行っている。従来、分析は大学の実験室で行っていたが、2001年にポータブル蛍光X線分析装置を開発した7)ことから、2001年および2002年の夏に、本装置をエジプト・シナイ半島のトゥールにある調査隊施設(調査隊長:川床睦夫)に持ち込み、現地に各々1ヶ月あまり滞在して、多数の遺跡出土試料の分析を行った。現在、分析結果について定量的検討を加えている段階であるが、年報として現段階における予備的成果をここにまとめた。本稿では、我々が考古資料の分析用に開発したポータブル蛍光X線分析装置を紹介し、それを適用して得られた出土遺物の分析結果についてその概要を報告する。別稿では、2002年度に分析を行ったガラス資料についてまとめているので、併せて参照されたい8)。
2. 蛍光X線分析
2.1 ポータブル蛍光X線分析装置の概要
アワーズテック(株)9)(大阪府寝屋川市)と共同開発したポータブル蛍光X線分析装置の外観を図3に示す。本装置は、X線管の高圧発生部、分光ヘッド部、計数回路・コントローラー部、小型真空ポンプ及びノート型パソコン部からなる。最近の技術の進歩に伴い、X線源は鶏卵位のサイズまで小型化されており、またX線検出器10、11)は指1本程度の大きさであることから、X線発生装置と検出器を1体化した分光ヘッド部の重さは10kg程度で、ハンディな装置となっている。本装置は、以前開発した装置12、13)にさらに改良を加え、持ち運びが簡単に出来るように各ブロックに分けて製作を行った。分光ヘッド部のブロックダイアグラムを図4に示す。X線源には省エネ型の空冷式小型X線管を使用しており、またX線管から発生したX線は分光器(2ビーム二重湾曲トロイダル型モノクロメータ)とキャピラリとの切り替えを行うことによって、照射するX線エネルギーを選択することができる。分光ヘッド部と試料室は4μm厚の高分子膜(プロピレンフィルム)の隔壁で仕切られているので、ヘッド部内は真空に保持され、一方、試料は大気中に置かれる。このようなヘッド内の真空保持は妨害となる散乱X線の低減に有効であり、また試料を大気中に置けることから、特別の試料室が不要であり、不定形や大型の考古試料の非破壊分析が容易に行える。電源にバッテリーを使えば、どこにでも持ち運ぶことができるので、屋外の壁画や大型の彫像などの分析もできる。その他、世界中の博物館や美術館などに眠っている数多くの貴重な文化財などに、自然科学の光をあてることができる画期的装置といってよいだろう。実際、著者らのグループは、中近東文化センターや愛知県陶磁資料館に収蔵されている資料の分析も現在行っている。
本装置をトゥールにあるエジプト調査隊の施設(トゥールハウス)の一室に設置し、分析を行った。分析はすべて大気中で行い、測定スペクトルをノートパソコンに記録した。軽元素から重元素までの全元素の定量分析が必要な場合は、3励起源で逐次分析を行った。このような測定では、自動的に励起源が交換され、測定も連続的に自動で行えるように制御プログラムも製作されている。分析した考古試料を表1に示す。現在まだ多くは解析中であるが、研究成果の一端をここに紹介する。
2.2 分析試料
今回分析を行った試料は、トゥール遺跡(14世紀〜)とその近郊のワーディー・アットゥール修道院(6世紀〜)、及びトゥール遺跡の約8km南に位置するラーヤ遺跡(8〜12世紀)から出土したものである。トゥールおよびラーヤとも港湾都市で、アジア・インド方面と中東・欧州を結ぶ紅海交易の要衝として栄えたことから、西はローマから東はベトナム、中国までのガラスや陶磁器などの多種多様な遺物が多数出土している14−16)。ところが出土遺物については、様式を中心とする考古学的研究16、17)が行われているだけで、化学組成についての研究はこれまで全く行われていなかった。そこで開発したポータブル蛍光X線分析装置を用いて、出土遺物であるガラス、コイン、陶器、壁画顔料等の分析を行った。特に重点をおいた対象はガラスである。ガラスの組成分析ではナトリウム(Na)、マグネシウム(Mg)、アルミニウム(Al)、ケイ素(Si)などの原子番号の小さい元素が重要であることから、このポータブル蛍光X線装置では従来のものと比較して、ナトリウムやマグネシウムを大気中で感度よく分析できるように設計段階で工夫を行っている。
3. 分析結果
3.1 出土ガラスの分析
2001年のラーヤ遺跡の発掘調査14)では、カット装飾された無色の完形ガラス杯が出土した15)。このような完形のガラス製品の出土は極めてまれなことである。このガラス杯の厚みは非常に薄く、切り口は再加熱されていない。このガラスの分析風景を図5に示す。この写真が示すように本装置の試料室より大きな試料を分析する際には、蓋(=試料室)をとりはずして測定を行うことができる。得られた完形ガラス杯の蛍光X線スペクトルを図6に示す。このスペクトルから、本装置によりガラスを構成する主成分の組成を知る上で重要な軽元素であるナトリウム、マグネシウム、アルミニウムが感度良く検出されていることがわかる。このガラス杯の化学組成の特徴は、消色効果3)があるといわれているマンガン(Mn)を多く含むこと、カルシウムに対するカリウム(K)の比率が高いことなどである。このような特徴はラーヤ遺跡から出土した無色ガラス全体を通してもいえることであった。また、大多数の有色ガラスにおいて蛍光X線強度がストロンチウム(Sr)<ジルコニウム(Zr)であるのに対し、無色ガラスではほとんどがストロンチウム>ジルコニウムであった。
分析の結果、遺跡から出土したガラスには消色剤を用いたガラス、着色剤を用いたガラス、そして消色剤も着色剤も用いていない青緑色のガラスの3つが認められた。ラーヤ遺跡では青緑色のガラスが最も多く出土している。そこで、無装飾の青緑色ガラスの深皿25点について分析を行い、得られた蛍光X線スペクトルからマンガン、鉄、ストロンチウム、ジルコニウムのKα線の強度比を求め、Mn/Fe vs. Sr/Zrプロットしたものを図7に示す。図7中の楕円で囲まれたグループが示すように、25点中17点がクラスターをつくった。これらはマンガンをほとんど含まないタイプであり、この組成をもつガラスが当時ラーヤ遺跡で最も一般的に流通していたガラスであることがわかった。さらに無装飾の深皿以外の形態を持つガラス器および装飾のあるピンサー装飾ガラス、型吹き装飾ガラス、刻線カット装飾ガラスの分析を行ったところ、これら分析試料においてマンガンをほとんど含まないタイプのガラスはそれぞれ、11点中3点、37点中26点、11点中5点、6点中2点であった。この同じ組成を持つガラスは、黄緑色から水色に近いものまで様々な色で存在するが、得られるスペクトルは全てきれいに一致していた。このことよりこれらのガラス試料は、装飾や形態にかかわらず、同じガラス塊(カレット)もしくは同じ原料組成でつくられたカレットから作られていたことが推定された。一方、薄い赤紫色のガラス試料RG248(分析番号EG214)についても分析したところ、この試料のスペクトルはマンガンのピークが顕著である以外は、上記の多数グループのスペクトルと良い一致が見られた。このため、この薄赤紫色のガラスは、その製作時において上記グループのガラスと同一組成の原料カレットに、さらに着色剤としてマンガンを加えてつくられたものであると考えられる。これらのガラスについて2002年度ではさらに数を増やして詳細な分析を行った。それらの結果は、稿を改めて記述している8)。
3.2 出土コインの分析
コインには文字や図像が刻まれており、年代を特定することが比較的容易であることから、重要な出土遺物である。トゥールおよびラーヤ遺跡からの出土コインには、金貨(図8(a)=カラー図版3)、銀貨(図8(b)、(c)=カラー図版3)および銅貨がみられた。金貨はほぼ純金であったが、銀貨には様々な量の銅や鉛(Pb)が混ぜられていることがわかった。時代とコインの純度の関係についてこのような知見が得られたことから、今後は文字や図像についての知見と合わせて分析結果について考察を加える予定である。また、ラーヤ遺跡から出土した銀貨の多くには図8(c)(カラー図版3)に示すように表面に黒色の物質が析出しており、この黒色物質を分析したところ臭化銀(AgBr)であることが判明した。これはラーヤ遺跡が海岸に位置するため、銀貨表面に海水の影響による特徴的な腐食物質が生成したと考えられる。
3.3 壁画顔料の分析
イスラーム教の礼拝堂であるモスクには、聖地メッカの方角の壁にミフラーブと呼ばれるアーチ形に窪んだ部分が設けられている。ラーヤ遺跡で発掘されたモスクの遺構は、調査の結果イスラーム時代初期のモスクであると考えられ、ここで発見されたミフラーブは、イスラーム史上最古のもののひとつである可能性がある14)。我々はミフラーブの周りを囲んでいたと考えられる彩色が施されたプラスターの黒色、赤茶色、白色、薄黄色の4色の顔料部分を分析した。各顔料から得られた蛍光X線スペクトルを図9に示す。分析の結果、前者の3つはそれぞれ硫化鉛(PbS)、ベンガラ(Fe2O3)、硫酸カルシウム(CaSO4)に基づくものであることがわかった。薄黄色については鉄と塩素(Cl)が多く検出されたが、どのような顔料であるのかは蛍光X線スペクトルのみでは特定されていない。今後、物質の結晶構造を知るための分析手法である粉末回折法によるデータが収集されれば、どのような物質が用いられているか明らかになるであろう。一方プラスターは分析の結果、炭酸カルシウムであると同定され、石灰プラスターであることがわかった。
4. まとめ
ポータブル蛍光X線分析装置を開発し、2001年および2002年の夏、エジプト・シナイ半島の発掘調査隊に参加した。各々1ケ月あまりの期間、ガラスを中心とする600点余りの出土遺物について、組成分析を行うことができた。新規装置は調査期間中トラブルなく稼動し、かつ新開発のX線光学系、検出器および計数回路を用いることにより、本装置は通常の卓上型蛍光X線分析装置以上に高分解能な測定が可能であった。試料室の雰囲気は大気であり、真空に引くという作業がないため迅速な分析ができ、本研究のように短期間に多数の試料の分析が可能になった。また、遺跡から出土した様々な形状と大きさの試料について、大気下という条件の中で軽元素から重元素までの多元素を高感度に同時分析できた。これらのことから、本装置は考古試料の分析装置として優れた特徴を持っていると言えよう。特に、照射X線としてPdLα線の励起エネルギーを用いると、大気中においてもガラス遺物中のナトリウムとマグネシウムを十分な感度で分析できたことから、本装置は考古ガラスの分析にも特に有用である。以上のことから、本装置は卓上型分析装置と遜色ない性能、作業性で分析が可能な可搬型装置であることを実証できた。今後は2回の測定で得られた分析データをもとに考古学者との意見交換を行いながら、定量的考察を行い、両遺跡から出土した遺物について考古学的考察を加えて行く計画である。
謝辞
本研究を進めるに当たり、エジプト・トゥールハウスにおける分析の際、様々な便宜を図ってくださった、中近東文化センターエジプト調査室の川床睦夫調査隊隊長、高橋岳志氏、また出土ガラスについて資料の選択から結果の解釈にいたるまで、いろいろとご教示頂いた真道洋子氏に深く感謝する。ガラスについての考古学的研究は、同氏との共同研究として現在進行しており、その一部を別稿8)に報告した。初年度の調査には東京理科大学(現在の所属:高輝度光科学センター・SPring-8)の寺田靖子氏が5日間参加し、ポータブル分析装置の立ち上げで多大なご援助をいただいた。厚く御礼申し上げる。また、著者らの様々な要望を実現し、実用性が高く優れた本装置を開発・製品化してくださったアワーズテック(株)の技術陣に感謝する。
参考文献
1)中井 泉、季刊「考古学」、77、93(2001).
2)中井 泉、化学と工業、54、1267(2001).
3)伊藤 彰:−ガラスにおける−炎と色の技術、アグネ技術センター(1996).
4)中井 泉、ぶんせき、572(2001).
5)早川泰弘、ぶんせき、593(2001).
7)中井 泉、山田祥子、寺田靖子、中嶋佳秀、高村浩太郎、椎野 博、宇高 忠:X線分析の進歩、33、331(2002).
8)沢田貴史、保倉明子、中井 泉、真道洋子:本書、pp.60−65(2003).
10)E. Gatti and P. Rehak: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res., Sect A, 225, 608(1984).
11)E. Gatti, P. Rehak, J.T. Walton: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res., Sect A, 226, 129(1984).
12)平井 誠、宇高 忠、迫 幸雄、二澤宏司、野村恵章、谷口一雄:X線分析の進歩、29、93(1998).
13)宇高 忠、野村恵章、美濃林妙子、二宮利男、谷口一雄:X線分析の進歩、31、173(2000).
14)川床睦夫、第9回エジプト調査関連公開研究会『紅海文化とナイル文化』、資料集、2001年11月17日、中近東文化センター.
15)真道洋子、第9回エジプト調査関連公開研究会『紅海文化とナイル文化』、資料集、2001年11月18日、中近東文化センター.
16)真道洋子:“ラーヤ遺跡出土のイスラーム・ガラス”、『港をめぐる地域史・世界史の動態的研究−ラーヤ港、トゥール港、スエズ港の考古学的、歴史学的、人類学的研究−課題番号11691055、平成11年度〜平成13年度科学研究費補助金(基盤研究(A)(2)研究成果報告書)』、pp.65−76(2002).
17)Y.Shindo: J. Glass Studies, in press.
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