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ラーヤ遺跡城塞内モスクの建築学的研究
遠藤孝治・西本真一
 建築班は2001年夏の調査に引き続き、ラーヤ遺跡のモスク内より出土した多数の彩色プラスター片の整理作業をおこなった。彩色プラスターのモティーフは、これまでのところクーファ体のインスクリプション、その他のインスクリプション(アラビア語の落書き)、植物文様、赤褐色地を有する花文様(ローゼット文)、赤帯を伴う斜めの平行線(黒線のジグザグ文様)、灰色地に大別される。このうちクーファ体インスクリプションの断片については、2001年の段階で接合をこれ以上進めることが難しいという状態を確認した後にトレースを開始している。今期調査では、特に多数の断片が取り上げられている赤褐色地を有する花文様、赤帯を伴う斜めの平行線、植物文様の3つのモティーフを中心に、モスク内での出土位置ごとに分類をしながら接合を進めた。以下に接合成果の報告を写真を交えておこない、キブラ面装飾の復原に向けて、今回の成果を基にした考察を加えることとしたい。
 
1. 赤褐色地を有する花文様(ローゼット文)
 この文様については今回、主にモスク東側で出土した断片の接合が進展し、文様帯の幅や、円形の花文の大きさ、花文同士の間隔、花文中心部の描き方などの詳細が明らかになった。一方、モスク南側で出土した断片は、総じて色層の剥落が激しく、東側で出土したものと同じ文様であることは明らかであるものの、復原を進めることが困難であった。代表的な断片に関しては、デジタルカメラによるメモ写真の撮影と、トレースをおこなった。
 比較的大きく接合された断片を手がかりにすると、円形の花文はほぼ均等に間隔をおきながら1列に配置され、花文の周りは赤褐色に塗られて幅約20cmの色帯を成していたことが推定される(写真1)。色帯の両外側は約1cm幅の太い黒線で縁取られている。花文の外輪の直径は約10cm、並び描かれた花文中心間の距離は約16cmと実測された。写真2の接合が進んだ断片では、2本の黒線が平行ではないように見えるが、これはこのモティーフがかなりの自由度を持って描出されたというよりも、むしろ裏側の泥モルタルが平坦ではなかった箇所にプラスターが施されたことによると考えられる。
 円形の花文に関しては、接合により完全なかたちにまで復原されることはなかったものの、いくつかの断片から詳しい描き方が判明した。花文中央の直径約5cmの小円では、白の無地の上に9つの小さな点が描き込まれているが、薄い赤色の点が十字を成すように5つ、これら各点の間に薄い黒色の点が4つ打たれるという規則があったように見られる(写真3)。この白地の小円の外側は幅約1cmの黒線で円が描かれて、上に小さな白点が打たれており、さらにその外側は白色に塗られた花弁が黒色の輪郭線で半円を並べるように描かれている。花弁の数は、断片によって花弁の大きさに偏りがあるため明らかではないが、最も状況の良い断片からは13枚程度であったことがうかがわれる。花文の外側の赤褐色地にも花文を囲むように白点が打たれており、写真4の断片に見られるように花文と花文の間に白色で円が3つ描かれている。
 残念ながら、この円形の花文を描出する際にどのようにして均等に配置したかは、これを示す補助線等の痕跡が見つかっていないために詳しく分かっていない。色帯を成す赤褐色地は円形の花文の下には塗られていないため、まず最初に花文の配置が決定されてから彩色がおこなわれたと判断してよい。詳しい彩色順序を明らかにすることも今後に残された課題である。
 この花文を並べた色帯が壁面において他のモティーフとどのように関係して配置されていたかは問題である。写真1のプラスター片からは、赤褐色の色帯が赤帯を伴う斜めの平行線の文様と直角に交わり、赤褐色の色帯の両外側が白の無地であったことが分かっている。この白地には植物文様または文字列が連続する可能性があろうが、未だ接合が確かめられていない。なお、今期調査では、赤褐色地の上に塗られた白色の顔料が垂れたように見える断片が1点確認されており、この痕跡に頼るならば花文を並べた色帯が壁面において水平に配置されていたと考えられることを注意に留めておく。円形の花文のモティーフは、ミフラーブの上の半ドーム部分にも並び描かれており、両者の類似が注目される。キブラ面装飾の復原を進めるに当たって、両者の詳しい描き方も丹念に比較していく予定である。
 
2. 赤帯を伴う斜めの平行線(黒線のジグザグ文様)
 斜めに一定の間隔で引かれた黒の平行線を3cm程度の幅の赤帯で囲んだ文様である。黒の直線と波線が2本ずつ交互に引かれており、この特徴的な波線に由来して黒線のジグザグ文様とも仮に呼んでいる。2001年の調査では、モスク東隅で出土した断片を中心に接合を試みているが、今回、モスク南側出土の断片の接合を時間をかけて進めた結果、最大で長さ60cmを超えるまでに復原がなされた。この文様に関しても、代表的な断片についてメモ用の撮影とトレースをおこなった。
 写真5は、最も大きく復原された断片である。黒の平行線の四方を赤帯で囲み込んだ一角と、その隣に多数の黒い平行線が連続している。黒線を区画した赤帯は正確には平行に引かれていないものの、赤帯間の間隔はおよそ20cmと実測され、赤褐色地の花文様と同じく帯状の文様を成していたと判断される。赤帯の外側には白の無地が続いているが、帯の片側でしか確認できていない。この断片で注目されるのは、それぞれの黒の平行線の間に薄い黄色で平行線が引かれている点である。白地の上に引かれたこの薄黄色の線は現在明瞭に視認することができない。しかしながら、この薄線と黒の波線が重なる箇所では、黒色の顔料がかすれ出ており(写真6)、黒色が完全に乾く前に後から薄黄色の平行線が引かれたと考えられる。ほとんど目立たない彩色ではあるが、黒い平行線の陰影のように見せる立体的な表現であったと思われる。なお、黒線は赤帯の上にはみ出して引かれた箇所が散見されるため、彩色願序は、まず最初に赤帯、次に黒線、最後に薄黄色の線であったと推定される。
 2001年までの調査において、斜めの平行線の向きは2種類あるということが分かっており、描かれる壁体の場所によって描き分けられたのではないかと注意して見たが、今回モスクの南側出土で復原された上記の大型接合断片も、2001年にモスクの東隅出土で復原されたものと同じ向きであり、この他、赤帯を伴う平行線文様と判断される全ての彩画片を確かめたところ、垂直な赤帯に対して右上がりに黒い線が引かれることの方が圧倒的に多いことが判明した。
 このモティーフはコーナー片にも描かれたものがあり、ミフラーブ付近で出土した出隅の鈍角を成す断片については、ニッチ状のミフラーブの輪郭部分を形成していたと推定されている。一方、今回の調査では、モスクの南隅で出土した彩画片で、写真7と8のように赤帯の端部がわずかに反り上がっているものが復原された。こちらは入隅部を形成していたものと判断される。他のモティーフがコーナー片に描かれることはなく、このことは赤帯を伴う平行線の文様が、他のモティーフを囲むボーダーの役割を成していたという可能性を強く示唆する。
 モスク東側で出土したプラスター片では、赤帯の両側が白の無地で平行線を全く伴わないものも復原された(写真9)。赤帯に対して垂直に赤色顔料が垂れ落ちており、水平に描かれた帯であったことは明らかである。この赤帯には植物文様が連続するものがあり、他にクーファ体インスクリプションの上でも同じく水平な赤帯が認められている(写真10)。これら3つのモティーフの壁面における配置関係についても今回明らかになったが、詳しくは後述する。
 
3. 植物文様
 植物文様は、出土した彩色プラスター片の中で最も数の多いモティーフであり、キブラ面において大きな範囲を飾っていたと推測される。このモティーフに関しても、他のモティーフと同様にプラスター片を収納した全ての箱から植物文に該当する断片を抜き出し、出土位置ごとに分類しながら接合を進めた。特にモスクの東側で多数の断片が集中的に出土しているが、逆にモスク南側から出土した植物文様片は総じて色層の劣化がはげしく、数も少ない。時問的な制約から今回はモスク東側から出土した断片のみの整理をおこなった。一部の接合が進んだ断片のみデジタルカメラにてメモ撮影を試みたが、トレースは今後の接合作業の結果を待っておこなうこととした。
 大きな進展があったのは、昨年の報告で暫定的に植物文様Aと分類された白いつぼみの植物文である(写真11)。写真12に見られるように、接合の結果、白つぼみを有する植物文の下には赤い水平帯が引かれ、その下に「全世界」をあらわす「アーラミーン」の文字が配置されるという関係が明らかになった。昨年、植物文様Eと分類された赤帯を持つ植物文片もこれに接合され、両者は同一視して良いことになった。また、この文字列の上には水平な赤帯を挟んで2本の黄色の太い茎が続くことが分かっており(写真13)、写真14において白つぼみの植物文様Aの右隣に見られる太い黒線の囲みを持つ植物文様Bがこの黄色の太茎の上に描かれていた可能性が高い。植物文様Bの黒線の囲みの中には白と黄色で植物の実またはつぼみと見られる円や黄色の茎が描かれており、豆粒大の黒色の点を打っていることが特徴であるが、モスク東側で出土した全ての彩画片からこれに該当する断片を抜き出したものの、大きく接合を進めることが困難であった。
 もう1つ接合が進んだのが、植物文様Cと呼ばれるモティーフである。これも植物文様Bと同様に太い黒線の囲みの中に植物を描いているが、囲みはさほど大きくない。植物文様Bと異なり、茎を黄色ではなく白色に塗るという特徴がある。今回、写真15のように白茎の先端に丸い実またはつぼみのようなものを白と黄色で交互に描き、扇状に囲み込んだモティーフが複数復原された。また、黒線で囲んだ1つの植物文から枝葉が出て、別の黒線で囲んだ植物が描かれるモティーフや(写真16)、網目状に白茎を描き、茎の間に丸い実またはつぼみを描いたモティーフ(写真17)も接合された。いずれも相互に類似するモティーフであるが、これ以上に接合が確認できておらず、残念ながら全容はつかめていない。これらはミフラーブの近辺から集中して出土しており、モスク東隅で多数取り上げられた植物文様AやBとは出土位置が異なっている。出土場所ごとにやや様子の異なる植物文が復原されつつあることは注意しておきたい。
 植物文全体の復原の可能性の1つとしては、植物文様AとBが文字列のすぐ上に描かれた植物であり、黒の輪郭線を持つ植物がさらに上方で細かく枝分かれをして最後には植物文様Cのように先端につぼみを備えているように推測されるが、詳細に関しては今後の研究の進展に委ねる。今回、モスク東側で出土した植物文様片に関しては、全てモティーフの描き方ごとに分類を完了した。幾何学文様と異なり、描かれたモティーフの予想が難しく、しかも白色の無地の上に描写されているために接合を効率的に進めることができない。見込みは少ないと思われるが、モスク南側出土の断片の整理作業が残されており、このモティーフの復原に当たってはまだいくらかの時間をかけて接合を進める必要があると言わなければならない。
 
4. 赤褐色地を有する花文様と赤帯を伴う平行線文様の出土位置と表面積
 彩色プラスター片の多くは壁体の足元で出土しており、接合が比較的良く進む箇所は、壁面から表層のプラスターが垂直にはがれ落ちた状態のままで見つかっている可能性が高い。また、彩色を有する断片がキブラ面側だけに集中して出土している点、白地を持つ出隅のコーナー片がモスク内に立てられた4本の柱の傍で多数見つかっている点、出土位置の異なる断片同士がほとんど接合できないという点などからも、多くのプラスター片は崩落後大きく移動されていないと考えてよいだろう。
 暫定的ではあるが、今回の調査中に赤褐色地の花文様と赤帯を伴う平行線文様について、接合が進んだ代表的な彩画片の出土位置を示した図を作成した(図2)。図中の4は、鈍角の出隅を形成するプラスター片で、片側一面には赤帯と黒い平行線が引かれている。出土位置からは、これまでの推定通り、もともとはニッチ状のミフラーブの輪郭部分を成していたと判断して問題がない。一方、今回新たに復原された5の断片は、上述したように端部が反り上がっているため入隅部を形成していたと推測しているが、その出土位置はモスクの南隅であり、キブラ面の南端においてボーダー装飾を成していた可能性が指摘される。同様に1、2、6のプラスター片に見られる赤帯も出土位置からは壁面端部のボーダー装飾に成りうる可能性があるが、断定はできない。問題なのは、出土した彩色プラスター片の絶対量が壁面の大きさに対してかなり少ないため、ミフラーブ部分を中心としたキブラ面の主要箇所だけに装飾がなされたのか、あるいは、キブラ面の広範に施された装飾であるかの判断が難しいことである。この点は今後の研究の進展を待って、慎重に見定めたい。
 なお、赤褐色地の花文様と赤帯を伴う平行線文様については、今回の調査で小片を含めてほとんど全ての断片を確認し、それぞれのおおよその表面積を測定した。赤褐色地の花文様(図中右下ではRosetteと表記)は、モスクの東側で約0.48m2、モスクの南側で約0.40m2、赤帯を伴う平行線文様(図中右下ではRedbandと表記)は、モスクの東側で約0.60m2、モスクの南側で約0.56m2であった。接合作業により、両モティーフは幅20cmほどの帯状の文様を成していたことが明らかになっているため、上で求められた表面積をこの幅で除することによって、それぞれのモティーフの最低限の長さについても求めることが可能である。この計算の結果、赤褐色地の花文様は、モスクの東側で約2.38m、モスクの南側で約2.01m、赤帯を伴う平行線文様は、モスクの東側で約2.99m、モスクの南側で約2.78mと算出された。赤褐色地の花文様は、モスクの東と南を合わせて約4.39m分の断片が出土していることになるが、仮にキブラ面において水平に1列に描かれたとするならば、キブラ面の長さが約13.5mと実測されているので、3割程度しか残っていないという詐算になる。しかし仮にこの色帯がミフラーブ付近に限定されていたと考えるならば、この残存率はさらに高くなる。赤帯を伴う平行線文様に関しては、垂直に描かれていたとすれば壁体高を見積もる目安として考えられるかもしれないが、残存率が悪い限りではさほど重要な値を得ることができない。赤帯はミフラーブの脇を飾る列と、おそらく壁体の端部を飾る列の少なくとも2つが存在したと考えられるが、更なる検討を要する。現段階は、赤褐色地の花文様と赤帯を伴う平行線文様は、同じ長さ分程度がモスクの東と南においてそれぞれ出土しているという指摘にとどめておく。
 
5. キブラ面装飾の復原に向けて(モスク東隅出土の彩画片を中心に)
 モスク内から出土した多数の彩色プラスター片の接合作業は現在継続中であり、今回大きく手掛けることができなかったその他のインスクリプション(アラビア語の落書き)などの断片も含めて、もうしばらく時間をかけて整理をおこなう必要がある。しかしながら、今回の調査では、赤褐色地を有する花文様、赤帯を伴う斜めの平行線、植物文様といった3つの主要なモティーフについて、特にモスク東隅で出土した彩画片の接合が進展し、おぼろげながらキブラ面装飾の様相が浮かび上がってきた。時期尚早である点は否めないが、カラー図版2の図1はこれまでの接合成果を基にして、スケールを入れて撮影した各彩画片の写真をパーソナル・コンピュータ上で合成した試験的な復原図である。今後の研究の進展によっては修正を迫られる可能性が大いに残されており、実際にプラスター片の1点1点を接合していく作業と同時に、全体のイメージを把握することを目的として試行錯誤しながら作成された1つのモデルであると言ってよい。
 すでに述べたように、今回明らかになった大きな点は、高さ20cmほどで書かれたクーファ体の文字列の上に赤い水平な帯が引かれ、その上に白つぼみを有する植物文と黄色の太い茎を持つ植物文が大きく描かれていたことであり、これら3つのモティーフが一時期に同一壁面を飾っていたことが分かった。塗り直しによりモティーフが変更された箇所は、これまでの推定通り、ミフラーブ部分に限られたことであると考えられる。文字が大書された部分には細かいアラビア語の落書きが見られるものの、植物文様が描かれた箇所にはそれが存在しない。従って、植物文様は壁面において手の届かないかなり高い位置に描かれていたことが想像される。
 図の左端に配置した平行線を伴う赤帯の文様は、接合の結果、左下に見られる断片のように赤褐色地を有する花文様と直角に交差することが判明した。いずれのモティーフもそれ自体が直角に折れ曲がるものはなく、顔料の垂れ以外に確かな根拠はないものの、水平方向の帯を赤褐色地の花文様とし、垂直方向に平行線を伴う赤帯を復原している。図の左中央の赤帯が直交する断片では、右側方向に平行線を伴わずに赤帯が続いているので、可能性の1つとしては文字列の上に引かれた水平な赤帯へと繋がることが考えられる。一方、赤褐色地の花文様の帯は、上下に無地の白色が続くだけで他のモティーフとの接合が明らかになっていない。図では仮に文字列の下に配置したが、植物文様の上に配置される可能性も残っている。後者の場合では、大きく描かれた植物文様の高さを勘案すると、壁面のはるか上方に花文様の帯が配置されることになってしまう。
 重要な問題は、これらのモティーフがミフラーブの壁龕の上の半ドーム部分に描かれた彩色画とどのように出会うかである。アーチの形状に沿って並び描かれた丸い花文様が、水平に描かれた花文様に連続する可能性がまず第一に挙げられるが、これを確証する断片は見つかっていない。しかし、この可能性が妥当だとすれば、植物文様の上に水平帯の花文様が配置されたと想定することは、ミフラーブの壁龕部分の高さが非常に高くなってしまうために難しくなるであろう。従って、現時点では図のように文字列の下に花文様の帯が配置された可能性の方が高いと判断している。
 以上、これまでの接合成果を踏まえて、キブラ面装飾の復原に向けた試験的な考察を試みたが、全容をつかむためにはいまだ不明な点が少なくない。幾何学文様の帯とともに、壁面には植物文様が大きな範囲に描かれていたことが分かっており、シリア地方にあるウマイヤ朝の初期のモスクや宮殿等で頻繁に描かれた植物文の描写との関連が注目されるところである(川床睦夫隊長の御教示による)。今後は一層、ラーヤ遺跡のモスクが成立するまでの経緯を踏まえて類例絵画作品を探索する必要があり、建築班の大きな課題としてプラスター片の接合作業と並行しながら進めていきたい。







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