2003年4月号 中央公論
イラク問題が迫る日本の決断
山内昌之(やまうち まさゆき)(東京大学大学院総合文化研究科教授)
「兵道常ならず、敵によつて変化すとは三略の語(ことば)。相手によつてあひしらひ様が違ふわ。来つて是非を説く人はこれ是非の人。大きな面(つら)をする奴は足であしらふ。無礼咎めをひろぐと下駄でぶつ。ぶたれてぎぢやばると引つこ抜いて切る。これが男伊達の意気地だ」(守随憲治校訂『助六所縁江戸櫻』岩波文庫)
イラク問題の現状をどう考えるか
米国を中心とした対イラク戦争が起きるとすれば、それはかなり「奇妙な戦争」になるだろう。米国の対イラク戦争は、二十一世紀の事実上の開幕ともいうべき歴史のエポックや米国の対外政策の転換点になるかもしれない。
何故なら、それは、国連安保理決議1441号で確認された大量破壊兵器の廃棄をめざすだけでなく、米国独自の戦略としての「先制行動論」が結合した特異な性格をもつ戦争になるからだ。新たな湾岸戦争は、いま進行中の米英と独仏との対立による同盟関係の変質と相まって、二十一世紀の国際政治と現代史にも新たな性格を刻印しようとしている。こうした複雑な状況にあって、日本のとるべき進路と政策の選択はいかにあるべきだろうか。
もちろん原則論からいえば、イラクで戦争が起きないことこそ、石油エネルギー安全保障にかかわる独自の利益を中東とくにアラブ地域にもつ日本の国益であることはいうまでもない。また、もともとは人工国家として発足したとはいえ、まとまった「国民国家」としての枠組みとリアリティを獲得してしまったイラクの領土的一体性の確保は、中東地域の安定をはかる意味でも、日本を含めた国際社会の利益といってもよい。
他方、ヒューマニズムとは無縁のイラク政府首脳に反戦論を語らせたり、市民に対する抑圧と拷問を日常化しているサッダーム・フセイン政権に平和主義のポーズをとらせている現状はまことに遺憾というほかない。国際社会は、平和的解決策が絶望となり軍事行動が不可避となる前に、イラク市民の犠牲を抑えるためにサッダームの出国を強く求めるべきであろう。しかし、二〇〇一年九月十一日の米同時多発テロルの直後とちがい、国際世論のうねりが「反戦平和」に傾き、イラク政府の反米姿勢と善意の市民の動きをシンクロさせるかのような責任の一端は、ほかならぬ米国にもあるのではないか。
何よりも、しばしば「先制攻撃論」と訳される「先制行動論」は、将来の潜在的な脅威を前提にした革命的戦略にほかならない。「先制行動論」は、アフガニスタンのように公然とウサーマ・ビン・ラーディンの国際テロリズム組織を庇護しイスラーム国際革命の拠点となった国ならいざしらず、国際テロル活動との関係が具体的に証明されていない国に適用されることになれば、三つの点で禍根を残す可能性が高い。その第一は、戦争が目標と異なる結果をしばしばもたらすように、人工国家の多い中東地域の秩序と安定に予測不可能な変動をもたらしかねないことである。
第二は、アラブの市民や若者をかえって米国に反発させテロリズムの予備軍にしかねない危険である。この動きは、パレスチナ問題の解決など包括的な中東和平や民主化の試みに逆行することが懸念される。第三は、現代世界最大の直接脅威である国際テロリズムと対決してきた各国の協力にひびを入れかねないことだ。米国は一国だけでも、テロリスト個人や個別の組織とは戦えるかもしれない。しかし、日本を含めた市民の共感と支援なしには、各国にまたがる複雑なテロリズム・ネットワークを壊滅させられないのである。
したがって、日本の国益とは、北東アジアで同時進行中の危機をひとまず捨象する場合、イラクに国連決議の尊重と大量破壊兵器廃棄の証拠をきちんと示すように要求し続けることにある。
そのうえで米国に対しても、気候条件といった政治の厳粛な選択になじまない本末転倒した思考にとらわれずに、一九九一年の湾岸戦争や二〇〇一年九月十一日以降のテロルとの対決のように、国際世論を味方につけて各国を結集する努力を求めるべきなのだ。
イラクの脅威を世界に向かって粘り強く説得しながら、封じ込めと軍事圧力を強く加え続けることが得策なのである。ここでは、「外交という忍耐強い芸術」(the patient art of diplomacy)の効用も改めて見直すべきであろう。
いずれにせよ、日本はもとより西側先進国の社会で反戦世論が台頭している原因は、無名の師ともなりかねない対イラク戦への懐疑心と並んで、自らの社会内部にテロルが拡散する危険を本能的に恐れているからだろう。そして、この危倶には根拠がないとはいえない。テロルと大量破壊兵器開発との結合の脅威を、各国首脳が市民に十全に説得して、よくよくのことで踏み切る最終手段こそ戦争なのである。
日本はどう対応すべきか
まず日本は、ブッシュ政権がイラクの大量破壊兵器問題を公にとりあげたからこそ、一九九八年以降、国連査察団を拒否していたイラクに査察受け入れを承諾させ、国際世論もイラクの危険性に注目したことを評価すべきである。サッダームは、もしブッシュが圧力をかけなければ、国連の査察を受け入れなかっただろう。この人物は各国が結束して圧力を加えなければ、平和的な解決手法を受け入れることはない。フランスもこの点は知っているはずであり、査察強化の立場だけに固執するのは国連の権威をそこなうだろう。
この十二年間のイラクの実績は、とても国連安保理決議に忠実だったとはいえず、イラクが終始査察に協力的であったかのように振る舞う現在の目くらましを許してはならない。また、この数ヵ月間のイラクの態度についても、それを査察に協力的と考えるのは仏独両国の思惑がらみの主観に属する問題であり、政治的立場の反映にすぎない。客観的に見るなら、隠蔽と否定の術にたけたイラクに協力の実と誠意を認めることはむずかしいのである。
たしかに、日本政府が呼びかけている国際協力による問題の平和的解決の努力と、大量破壊兵器を現実に廃棄させるための圧力の必要性との間にギャップがある点は否定できない。この隙間を埋めるものとして、国連安保理の新決議採択について必要性を強調するのであろう。新決議がないままに不幸にも戦争が勃発した場合、戦後イラク秩序の建設に際して、米国の単独攻撃では国連の枠組みを使えない可能性も出てこよう。この点でも、日本が米国に新決議による国際協力を求めたことはまちがっていない。つまり、新決議は、イラクの大量破壊兵器の完全廃棄を促す平和的解決の意味においても重要なのである。最初から、米国の戦争翼賛を狙ったという批判は一面しかとらえていない。
実際、イラクに対する債権の額をとっても、日本は一番のロシアに次いでいる。三番目がフランスであり、米英は無視できるほど少ないのである。日本にとって、問題の平和的解決から得られる利益の方が大きいのだ。日本の債権額は、ロシアの十分の一、官民合わせて六〇億ドル強(JBICべースで六六八億円、日本貿易保険ベースで四〇〇〇億円)といわれている。ついでにいえば、債権問題を未処理のままに戦後イラクに円借款や復興援助を提供できないのであり、自国の石油で復興復旧資金をまかなえるイラクはアフガニスタンとは違うのである。また、湾岸諸国を中心に計算された対イラク賠償請求額は、一説に二八○○億ドルにものぼると言われているが、ここにも日本企業の損害が含まれるはずだ。
しかし、日本は最悪の場合として戦争に備えて、平和的解決策の代替案(fall back)を用意しておかなくてはならない。その青写真は、日本外交の三つの柱である対米外交、国連外交、地域外交(としての中東外交)のつながりを戦略的に再考するなかで描かれるにちがいない。いまいちばん大事なのは、安全保障に関わる北朝鮮の危機とイラクの危機とのリンケージと、危機の同時進行に関わる深刻な認識を国民に向かって率直に説明することだ。
同時危機の進行を見据えながら、二つの危機をにらんだ外交・安全保障戦略の観点から、最終的には国連決議なしに米国がイラク攻撃に踏み切った場合についても、しかるべく対応せざるをえない。この対応策は、北東アジアにおける北朝鮮の危険な挑発のような脅威をイラクから感じていないか、あえて無視しようとしている独仏の姿勢と異なるのは当然なのである。その際、米国の行動を「理解する」か「支持する」しかない苦渋の選択を日本は迫られる以上、国民に対して日本のおかれた複雑な位置を分かりやすく説明するのは、政府の責任である。この点で小泉内閣の立場は一貫して分かりづらいという批判には、政府も謙虚に耳を傾けるべきであろう。
とはいえ、そもそも軍事力を外交問題解決の力として用いない日本には、経済力にも翳りが生じている現在、現実にとるべき選択肢は限られている。そのために、外交政策の可能性は、最初から選択肢をしぼって狭くしておくのでなく、できるだけ広げておかざるをえないのである。これは、イラク問題をめぐる国連安保理やNATO内部における各国の駆け引きや目まぐるしい攻防を見ているだけでもよく分かるだろう。しばしば一つに括られる独仏の二国でさえ違うのだ。
そもそも、イラク問題における独仏両国政府の「反戦・平和」の立場は、各国の世論が考えるほど素朴なものではありえない。四年ほど前、セルビアの独裁者ミロシェヴイッチにランブイエでの交渉で妥協と講和の機会を逸させた結果、独仏両国ともに米英のコソヴォでのジェノサイドを止めさせる強硬手段に参加せざるをえなかった。結局、独仏は人道の名においてミロシェヴィッチヘの攻撃をためらったために、かえって多数のアルバニア人犠牲者を出すことになったのである。その尻拭いをして軍事介入したのは、米英両国だったのである。ミロシェヴイッチは、独仏が和平の機会を与えたところ、これを奇貨として兵力を強化した。このあたりはサッダーム・フセインから手法を学んだのではと推量したくもなるほど、双方の手口には似たものが多かった。空爆だけがセルビアによるコソヴォでの残虐行為を阻止し、一〇〇万の避難民をコソヴォに帰還させたのである。同様な事態は、ユーゴスラヴィア解体直後のボスニア=ヘルツェゴヴィナでも見られたことを忘れてはならない。
はたして、フランスは最後の外交手段として軍事行動を否定しておらず、一般的なイメージに反して外交の最終的選択肢を広げたまま残している。ロシアも同じである。ドイツは、日本と反対に外交の展開や事態の変化の如何にかかわらず、選挙など内政の論理を優先させて「反戦」「不戦」を早くから言明してしまった。昨年夏からイラクでの軍事行動の意味と参加の可能性を雄弁に否定したのである。このためにドイツは、いまとなっては外交の狭い枠組みにとらわれて苦しんでいる。
結果としてシュレーダー首相は、将来の欧米同盟内部における政治的影響力を限定させる道を選ぶことになったといえよう。軍事力を外交展開の挺子にできるドイツよりも窮屈な日本にとって、外交選択の幅を狭めず、最終方針を早くから固定せずにきたのは決して間違っていない。
ただし、このぎりぎりの選択については、外交の最高責任者たる小泉首相がきちんとした総合戦略と外交哲学を基礎に国民に明快なメッセージを送る必要があろう。二十一世紀の国策と進路の根本に関わりかねない日本の立場を、国連安保理で職業外交官に語らせたのは適当ではなかった。日本政府は、日米関係の重要性だけでなく中東和平プロセスの主要部会議長国としての責任において、中東の秩序と民生の安定をどれほど重視しているかを発信すべきだったのである。
実際に、短期的にはイラク石油が市場から消える分、サウジアラビアなどから不足分を補填しなくてはならない。今後も長く石油エネルギーの安定供給を頼る中東アラブ世界の政府と市民における反米感情も無視すべきではない。こうして、米国・国連・中東の三者を考慮した総合的ヴィジョンと戦略的判断として、危機が深まった時点で、日本だけでなく国際社会も米国の立場を理解しながら大所高所から苦渋の選択をせざるをえないというメッセージを率直に発してもよかったのではないだろうか。この際、ドイツのような一元的な外交論に対して、日本は二元論や多元論的な外交論理を組み立てることもできたはずである。これこそ、日本外交の三つの柱である対米外交、国連外交、地域外交(としての中東外交)の組み合わせとして日本の独自性を印象づける道だったはずである。
さらに中長期の観点から見て、日本外交にも関連する重要な問題として、「同盟」とは何かという新たな問題が浮上してきた点も見逃せない。第二次大戦の終結後、五〇年にもわたって世界を安定させてきた安全保障システムは、米国がイラクを単独で攻撃するなら危殆に瀕することになろう。政治評論家のフリードマンは、アチソン元国務長官の書いた回顧録『創造の現在』(Present at the Creation)に因んで、パウエルが将来回顧録を書くとすればタイトルは『破壊の現在』(Present at the Destruction)とでも名付けられようと皮肉を放っている。
現在あらわになった大西洋同盟の亀裂は、アフガンでのターリバンやアルカーイダに対する戦争で示された米国のハイパー超大国化の特質に関わるものといえよう。今回はイラク問題を鏡としているが、同盟の性格が変質したことへの本能的な警戒心が独仏を動かしているのだろう。英国のサッチャー元首相は、米国が軍事作戦を担当し、英国を含めた他の国はアフガン戦争後の復興・復旧にあたるのが相当と語ったことがある。
現在の独仏露の米英に対する厳しい態度は、自らの外交の主体性を形式面でさえ米国に否定されただけでなく、役割分担を一方的におしつけられかねなかった欧州とくにフランスの反感の強さを示しているといえよう。同じような同盟のあり方の変容や見直しは、日本でも潜在的にくすぶっている。この点に関連して日本外交は、「同盟」のあり方をイラク問題における欧米分裂の教訓に学びながら、沖縄の基地問題など日米安保条約体制の問題点を通して考える機会とすべきではないだろうか。
対イラク戦争回避の条件と北東アジア危機
米国は大きく軍事行動に向かって動いているが、戦争は必ずしも避けられなくはない。そのカギは、一にサッダームその人の決断に関わっている。サッダームは、国連がらみでいえば、これまで違反してきた多くの決議について誠実にその内容を遵守すればよいのである。アパルトヘイトを捨てた南アフリカ共和国や、ソ連解体直後のウクライナとカザフスタンがおこなったように、大量破壊兵器の廃棄を証拠だてる書類を提出し、機器機材や材料の内訳と明細を全面的に開示する一方、技術者たちの聴取に全面的に応じさえすればよいのだ。これは、国連安保理決議1441号の最低基準を充たすことになり、査察の強化によって米国の軍事行動を回避できるであろう。さらに、ウクライナやカザフスタンによる戦略核廃棄のように、米国の政府や民間の専門家や技術者を招いて生物化学兵器などの廃棄をスムーズに進めれば、米国による攻撃の理由を確実になくすることになる。
国連決議ではないが、米国の「先制行動論」を抑えイラク社会と人民に惨禍が及ばないようにする切り札もまだ残っている。それは、サッダームが潔く権力の座から退くことである。もっとも、こちらのシナリオも実現の可能性はすこぶる低いであろう。サッダームは、その権力基盤が大量破壊兵器などの軍事力保有に依存しているために、査察の全面的な透明化に容易に応じられない。イラクにおいては、すべてを決するのはサッダームの意志なのである。査察の透明化とサッダームの進退は不可分である以上、査察をどれだけ強化しても、サッダームが権力の座にある限り、大量破壊兵器の行方を探し当てることはまずできないだろう。それでも、イラク国民を巻き込んだ流血の戦争を避けるために、サッダームに引退と出国の道を勧めるのは最良のシナリオだということを述べておきたい。この点でこそ、アラブの統一性と友情の証が発揮されるべきであり、アラブ諸国の政府と世論も大きな役割を果たせるはずなのだ。
それでは、イラク危機と同時に進行している北朝鮮危機にはどう対応すべきであろうか。北朝鮮には主として外交的手法、イラクにはもっぱら軍事的手法で問題解決に迫るというのは、首尾一貫していないように見える。同じく大量破壊兵器の開発をもくろみ、しかも北朝鮮は核保有疑惑さえ囁かれているのに、イラクへの対応が厳しすぎるというのは確かに当を得た疑問というべきだろう。そこには、政策の一貫性もないかのようにさえ思える。しかし、二つ以上の危機が同時に進行する場合、危機の同時処理という原則に立つなら、具体的な処理法は違ってくる場合もある。
そもそも日本や韓国の安全保障のあり方は、ソウルなど市民人口の密集度、ソウルが直接にミサイルの射程範囲に入る事実、在日韓米軍と家族が直接の脅威にさらされるなどの点で、危機の質は米国にとってイラクと違うと認識されたのであろう。現実に北朝鮮は、核兵器を保有している可能性が高く、それを搭載可能な長距離ミサイルさえもっている。そこで米国は、現段階ではイラクと北朝鮮の双方がもつ脅威の相違に即して、異なった政策を出したのかもしれない。
北朝鮮のミサイルの脅威にさらされる日本にとって、米国がイラク型の強攻策をいまのところ打ち出していないのは幸いというべきではないだろうか。この点で、イラクの大量破壊兵器の廃棄は、一九九〇年代のインド・パキスタンの核開発プロセスを座視してきた教訓とも無関係ではない。第二、第三の北朝鮮を生まないためには、ますますイラクに国連決議を遵守させるか、大量破壊兵器を廃棄させることが必須となるだろう。
北朝鮮については、朝鮮戦争以降、冷戦期からポスト冷戦を通じて封じ込めによる抑止政策がこれまでのところ成功してきた。他方、サッダーム・フセインは自国民に対する抑圧はいうまでもなく、近隣諸国とその市民に対して大量破壊兵器を現実に使用してきたのである。イラン=イラク戦争と湾岸戦争についてはいうまでもない。北朝鮮については、クリントン政権が試みたように、核開発計画のプログラムを断念させるために代償を与えるべきかどうかという点が中心となるだろう。
日本は、KEDO合意の枠組みに北を戻すように努力する一方、日米韓三国の協調によって核開発抑止の条件をもう一度つくることを目指さなくてはならない。おそらく国連安保理プラス日韓二国の協議、北朝鮮にパイプをもつロシアと中国を加えた北東アジア安全保障フォーラムなども動かしながら、多角的に北朝鮮を国際秩序に平和裡に復帰させることが現実的なのだろう。しかし、無条件の歩み寄りを避けながら、北朝鮮に大量破壊兵器を廃棄させるのは容易ではない。北朝鮮の扱いについては、さしあたり封じ込め政策を継続しつつ北朝鮮のレトリックや瀬戸際圧力の信憑性と本格度を測定しなくてはならない。これは、偶発的な戦争の発生を避ける第一歩につながるだろう。
おわりに――戦争と反テロリズム
不幸にして対イラク戦争が生じた場合に、予想される戦後の復興構想についても、具体的に語るには時期尚早かもしれない。しかし、日本の対中東政策のなかに、イラク問題を位置づけておく意味はそれなりにあるだろう。昨年十一月に、小泉首相の外交を助言する対外関係タスクフォースは、「二十一世紀日本外交の基本戦略」という報告書を首相に提出した際、「中東シルクロード外交」の推進を提案し、(1)イラクの大量破壊兵器の廃棄に向けた国際圧力への参加、(2)中東とくにアラブ・イスラーム世界に由来する国際テロリズムの脅威の除去、(3)サウジアラビアなど湾岸諸国との友好増進を通した石油・天然ガスなどエネルギー安全保障の確保、(4)イスラエル・パレスチナ紛争や地域の貧困や人口問題の解決に向けた「ソフトパワー」の活力への援助、(5)イランとの関係拡大と強化、(6)中東和平プロセスの環境部会議長国、水資源部会共同議長国としての日本の役割、を強調した。
とくに、イラクはじめアラブ・イスラーム世界内部に、改革と民主化の気運を促すNGOや学術機関などの「ソフトパワー」を支援する必要性は改めて力説されねばならない。こうした動きがネットワークとして拡がるなら、将来の中東において、ウサーマ・ビン・ラーディンのようなテロリズム組織やサッダームのような暴力独裁に頼る者は減り、テロルと大量破壊兵器との結合は少なくなる。政治的自由の欠如、女性の抑圧、創造力からの孤立を解決するのは、イラク国民はじめアラブ人自身なのである。中東の多民族・多宗教国家にスイス型の連邦制と民主主義あるいは米国型の民主主義をすぐには導入できない。
しかし、かれらの意志と努力に手を差し伸べ社会や教育の基盤整備を支援する仕事には日本も積極的に参加できるのだ。もしポスト・サッダームのイラク復興支援に日本の力が求められるなら、「ソフトパワー」の領域でも大いに果たされるべきであろう。「ソフトパワー」の駆使については、北朝鮮の場合においても将来、十分に考えられることなのである。
◇山内昌之(やまうち まさゆき)
1947年生まれ。
北海道大学大学院中退。
エジプト・カイロ大学助教授、東京大学助教授、米ハーバード大学中東研究所客員研究員を経て、東京大学教授。
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