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21世紀、環境は人類を支えうるか
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授 原剛
 
●原 剛〈はら・たけし〉
1938年台湾生まれ
〈現職〉早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授、毎日新聞社東京本社客員編集委員、全国地球温暖化防止活動推進センター共同議長
〈学歴〉早稲田大学法学部卒業
〈職歴〉毎日新聞社社会部副部長、同社科学部長、同社論説委員、米国国立東西センター客員研究員、北欧地域社会研究所(スウェーデン)客員研究員
〈主な著書〉「ザ・クジラ」1983年文真堂、「東京改造」1989年学陽書房、「新地球環境読本」―21世紀への提言―1992年福武書店、「日本の農業」1994年岩波書店、「農から環境を考える」2001年集英社、ほか著書多数
 
現代文明に未来はあるか
アメリカから導入した家畜の排せつ物によるメタンガス発電装置
 
 この課題は「現代文明に未来はあるか」と言い換えてもよいであろう。
 現代文明とはギリシャ・ローマ文明の流れをくむ西欧文明とその一種のアメリカ文明である。
 「自然環境との関連から現代文明の歴史をとらえるならば、その未来は危うい。
 人類とは地球環境にひとり大きな負担をかけている“特殊な存在”であることを歴史に学び、その振る舞いを改めない限り」。
 一九九五年度版の環境白書は冒頭でそのように警告している。
 文明論に力点を置くこの異色の環境白書は、二十一世紀の社会ルールとなる「環境基本法」と「環境基本計画」の根本の考え方を明らかにするため政府、各省庁が合意のうえで編集された。
 「自然と人間が共生する」「経済の仕組みを循環型に改める」「誰もが環境保護に参加する社会へ」。そして「国際環境協力を盛んにする」ことが、基本法と計画の四つの目標である。強制や規制によってこれらの目標に近づくことは難しい。社会の各分野、一人ひとりが「人類とは有限な資源と環境を際限なく消費し、人口を著しく増やして、生態系に負担をかけてやまない“地球のお荷物”」である。そう自覚することから、環境の危機を克服する道が始まるのだ、と白書は訴えている。
 白書が批判する現代文明の傾向とは、「拡大の基調」である。
 自国の森林を切り尽くしたローマは、イタリア、ガリア、イベリア、北アフリカ、小アジアなど他国を征服することで木材をまかなった。
 ペスト流行から立ち直った十六世紀の西ヨーロッパは、食糧と森林資源の不足をアメリカ大陸、オーストラリア大陸を始め世界中に求めた。
 「だが、今世界全体に拡大した現代文明は、地球という制約をこれまでの拡大の基調でのりこえることはできなくなった」と、白書は「見えてきた資源と環境の限界」に注意を促している。事実、人口の激増、砂漠化などを食い止めようと協定や条約が相次ぎ作られているのはその証拠であろう。従って技術革新の役割も大量生産、大量廃棄をもたらすのではなく生産と消費の在り方を持続可能なものに変えていくものにならざるを得ない、と白書は分析している。
 
発生し始めた温暖化難民
 気温の上昇により予測される海水位上昇の影響が各地で現れつつある。
 パプアニューギニア政府は、デューク・オブ・ヨーク島に住む約二千人の島民が、海水位の上昇で居住域が侵食され、危険な状態になったため、本島のイースト・ニュー・ブリテン島へ移住することを認めた。
 ブーゲンビル島・ガレッタ環礁の約二千人も同様な危険にさらされ、本島へ避難するよう勧告されている。
 しかし、政府がその費用を支出できないため、住民たちは動きがとれないでいる。
 「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が二〇〇一年に発表した第三次報告書によると、地球の平均気温は十九世紀末以降○・四〜○・八℃上昇し、平均海面水位は過去百年間に十〜二十センチ上昇した、と指摘している。とりわけ南太平洋の小島諸国の海域では、一九〇〇年から二〇〇〇年までの間に、海面水位が毎年一〜一・五ミリの割合で上昇した、と警告している。さらに一九九〇年から二一〇〇年までに、地球の平均地上気温は一・四〜五・八℃上昇し、海面水位は九〜八十八センチ上昇する、と報告書は予測している。
 温暖化による異常気象に脅かされながら、二〇五〇年には人口八十九億人へ。はるか大空には巨大な宇宙ステーションが建設されているだろう。
 環境破壊と技術文明の発展が、二十一世紀にはともに頂点へ近付く、と科学者たちは見通している。
 果たして現代文明は、「地球という制約」をギリシャ、ローマ文明以来の「拡大の基調」で乗り越えることができるのか。
 環境白書の疑問にもかかわらず経済不安のいま、社会は内外で「拡大の基調」への傾斜を強めつつある。他方で温暖化やオゾン層の破壊、生物の種の多様性の減少、砂漠化を防ぐ条約は「地球という制約」を証明し、東アジアでは酸性雨防止協定が緊急の課題とされている。
 しかしながら石油、石炭の消費量は、中国が一例だが、増え続けている。工業化の著しい途上国が排出する二酸化炭素(CO2)の量は、二〇一〇年ごろには現在の先進工業国全体の排出量に等しくなる、と予測されている。
 経済学がほとんど視野の外に置いてきた、しかし産業の維持基盤である空気や水、土や森林などの環境資源は、国際条約が示すように、すでに危機的な状況に陥っている。しかし条約の効果は、南北の対立と資金不足から期待できそうにない。現状のままでは産業文明の進展と環境破壊の拡大、深化が表裏の関係にあるのだ。
 
マルサスは亡霊ではない
 多くの途上国では増え続ける一方、工業先進国では、静止から減少に転じだした人口動態を、とりわけ食糧との関連でどう考えたらよいのだろうか(表1)。「食糧の限度によって、人口増殖は停止せざるを得ない。その過程で貧困と罪悪が拡大する」と、マルサスが「人口論」で指摘して、およそ二百年となる今、否定されていたはずの“マルサスの亡霊”が再び地球をうろつき始めたのではないか。
 文明の生態史観で知られる梅棹忠夫・前国立民俗学博物館長は、筆者のこのような疑問に対して次のように答えている。
 
 ――科学技術が発展したので、食糧や人口の問題は解決したという考え方は楽観的過ぎる。事態はますます深刻になるだろう。
 増える人口ヘの食糧供給は大変な問題になるだろう。人類が過去何千年間やってきたことは、限りある自然資源の食いつぶしだった。今も開発は確実に自然を破壊し続け、多くの地域では農業が地力を吸いつくしつつある。途上国の多くの都市ではスラム化が進行中だ。汚れた水、名ばかりの住まい、交通混乱、失業の増加、犯罪の多発、途上国の多くの大都市がすでに混乱状態、崩壊の兆しを呈している。巨大な人口にどうやって職を与え、メシを食わせるのか。どこかで必ず行き詰まる。暴動、貧民の反乱が予測される。
 
 このような人口の動態は、文明の現象としてどう説明されるのだろうか。
 ――生態史観風に言えば、人口の増減もまた文明のサクセッション(遷移)の一過程といえる。それは植物の自然推移によく似ている。ある地域では増え過ぎて衰退へ向かう。崩壊に至る前の増殖現象を思わせる。生物学における進化という概念を人間社会や文明にあてはめるわけにはいかないが、サクセッション(遷移)は起こる。文明と社会はそのほころび、部分的な崩壊をつくろいながら再編成されていくものだ。森林の遷移ではクリマティック・クライマックス(気候的極相)がその安定した姿だが、人間社会の場合は何がクリマティック・クライマックスか分からない。おおむね相当するのは、気候に合った穀物を基盤に人間社会が展開していくことだ。日本の場合には水田稲作を極相に、さまざまな換金作物をべースに社会が営まれてきた。ヨーロッパの社会は小麦と牛乳の上に乗っている。
 
〔表1〕人口の見通し
  人口(百万人) 1990年=100
  1990年 2000 2010 2025 2000 2010 2025
世界全体 5,295 6,228 7,150 8,472 118 135 160
先進地域
開発途上地域
1,211
4,084
1,278
4,950
1,341
5,809
1,403
7,069
106
121
111
142
116
173
アフリカ
アジア
うち中国
643
3,118
1,153
856
3,692
1,310
1,116
4,214
1,410
1,583
4,900
1,510
133
118
114
174
135
122
246
157
133
(資料)国連「World Population Prospects 1992」
 
先進国に食糧を依存する途上国
 食料の需給に影響を与える要因は人口、所得、そして一人当たりの食料消費量だ。
 人口は中国、インド、東南アジアで引き続き大幅に増加し続けている。
 一人当たり実質GNPは、中国、東アジアを中心に成長が見込まれている。
 開発途上国の一人当たり食料消費量は、経済成長を反映して増加傾向にある。
 特に畜産物の消費量は、所得の向上に伴い増加すると見込まれている。畜産物消費量の増加は、飼料用の穀物需要を飛躍的に増やすと見られる。
 今後の農業生産に影響を及ぼす三つの要因として収穫面積、反収、環境問題の動向があげられる。
 穀物の収穫面積は穏やかな増加にとどまっており、人口増のため一人当たりでは徐々に減少している。世界全体では環境への配慮や生産の過剰基調を背景に、先進国で生産調整が行われている。
 穀物生産の増加は、主として反収の向上によって実現されてきたが、反収の伸びは次第に鈍化しつつある。
 先進国では灌漑面積は横ばいで推移し、肥料の投入量は環境汚染対策から減る傾向にある。開発途上国では灌漑面積及び肥料投入量はともに増加しているが、灌漑施設への実質投資額は財政難と貿易自由化による安価な農産物輸入とにより減少圧力にさらされている。
 農業による環境破壊も著しい。世界の各地域で不適切な灌概管理、肥料の多投入、過剰放牧などによる土壌劣化や砂漠化が進んでいる。
 窒素肥料が地下水を汚染するため、アメリカ、EUなどでは、しばしば反収減をともなう環境保全型農業へ切り換えが進んでいる。
 地球温暖化の影響も異常気象に加え、気温と降水量の変化をもたらせ、農業生産に悪影響を及ぼすと懸念されている(表2)。
 
〔表2〕
気候変化に伴う2100年のアジア各国の農業生産の変化の推計
国名 現在と比較した2100年の増加率%
冬小麦 春小麦 トウモロコシ モロコシ キャッサバ ジャガイモ
バングラデシュ 3 -87 ・・・ ・・・ ・・・ -5
ブータン 161 -40 -38 -16 1 -9
中国 10 -15 -21 -40 -54 28 -7
インド -3 -55 ・・・ ・・・ 5 -39
インドネシア -2 ・・・ ・・・ -7 -11
日本 3 5 -3 -51 9 -7
北朝鮮 0 -19 -6 -70 -87 -6
韓国 -3 -13 -4 ・・・ ・・・ -7
ネパール -4 -52 -22 ・・・ ・・・ -29
タイ -4 ・・・ ・・・ -24
ベトナム O ・・・ ・・・ -13
−:
現在、生産がほとんど行われていない地域
・・・:
生産がほとんど行われていないが、将来に熱帯性栽培種が生産可能な地域
出典:
AIM(国立環境研究所、名古屋大学)
 
世界の食料需給はどうなるか
 収穫面積、反収の伸びなどの生産・消費を決定する要因が従来どおりである場合(現状維持シナリオ)、穀物の国際価格は横ばいか、若干強含みで推移するとみられる。
 環境問題が悪化し、灌漑などの農業基盤の整備が停滞して、今までのように単収の伸びが期待できず、生産の伸びが鈍化する場合(生産制約シナリオ)、将来の穀物の国際価格は上昇すると農林省はみている。確かなことは、多くの開発途上国では今後、人口増加、所得水準の向上による畜産物消費の増加から、穀物の需要が生産を上回る速度で増えて、先進国への食糧の依存が一層強まることだ。
 このような状況下で食料不足を回避するためには、持続可能な農業生産を確保しながら、人口問題への総合的な取組みが必要である。
 「食糧の限度によって人口増殖は停止せざるを得ない。その過程で貧困と罪悪が拡大する」。マルサスが「人口論」(一七九八年)で指摘してから二百年目のいま、否定されてきた“マルサスの亡霊”が再び地球をうろつき始める兆しがでている。
 穀物生産で最も憂慮されるのは水不足だ。世界の穀倉地帯で水資源の酷使のために地下水位が下がり、中国の黄河やカリフォルニア州のコロラド川の水は、河口に達することができない断流現象をまねいている。都市の水需要が優先されて、農業用水は細りつつある。それも穀物の減収を引き起こすだろう。







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