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財団法人 アジア人口・開発協会
活動要史
設立前史
昭和48(1973)年
10月13日 アジア人口事情視察団派遣
期間
1973年10月13日〜28日
派遣団員
岸信介(団長)田中龍夫(衆・自)、八田貞義(衆・自)、佐藤隆(参・自)、山崎竜男(参・自)、加藤シヅエ(参・社)、阿部昭吾(衆・社)、W・ドレーパー、J・タイディングス、花村仁八郎、官庁、マスコミ関係等
訪問先
インド、タイ、インドネシア、フィリピン
岸信介団長はじめ・・・
 ウイリアム・ドレーパー氏、加藤シヅエ女史らは、すでに70歳を超える高齢だったが、炎暑をものともせず四ヵ国を16日間にわたって農村、家族計画クリニック、スラム街の視察の先頭に立った。とりわけ団長の岸元首相の一途な情熱には、団員一同励まされ、訪問国では政府首脳、高官や家族計画関係者と真剣な議論を交わした。
 この視察が、人口・開発・食料の分野における国際活動の原点となった佐藤隆参院議員は、帰国の飛行機上で、
   スラム街 笑顔の児らに 罪もなく
と詠んだ。
 栄養失調でやせこけた母子、その子の異常に大きく見開かれた眼――道で生まれ、道で死んでいく子どもたち。この子どもたちが幸せに成長できるような社会をつくることこそ政治の役目であり、国際協力の責務ではないのか――佐藤隆議員は、このように述懐している。
 
カルカッタの家族計画クリニックで
 
昭和49(1974)年
4月1日 『国際人口問題議員懇談会』設立
内容
衆・参超党派議員119名で発足
会長
岸信介
アジア人口事情視察団に・・・
 参加した岸元首相を中心に佐藤隆参院議員らが発起人となり、世界に先駆けて、超党派の「国際人口問題議員懇談会」を設立した。田中龍夫衆院議員が「国連人口活動基金および国際家族計画連盟の基本趣旨に賛同し、人口問題とこれに関連する資源・食料ならびに国際協力などの諸問題を研究し、かつその対策を建議するために、ここに国際人口問題議員懇談会を設立する」と設立発起人を代表して力強く趣旨説明を行なった。
  岸元首相を会長に選出し、政府に対して、
(1)
国連人口活動基金(UNFPA)と国際家族計画連盟(IPPF)への資金供与を1974年には倍増して500万ドルとすること。
(2)
政府の行なう二国間協力(国際機関を通すのではなく、我が国と相手国で直接行なう協力)の中で、人口・家族計画での協力を緊急に増大させること。また、我が国の対外無償協力額の10%程度を目標とすること。
の2点について要望した。
 岸元首相の政治的使命感の一つは「人口問題の解決なくして世界平和はありえない」ということだった。人口問題は人権やヒューマニズムと分かち難く結びついている。地球上の人類の核となっているのは、あくまで家族である。人口問題の解決は単なる数の抑制ではなく、個々の家族の幸福を高めるためのものでなくてはならない。つまり、単に数のコントロールだけではなく、社会開発や経済開発とセットで考えていくべき問題である、という認識が根底にあった(佐藤隆参院議員の述懐)。
 以来、議員懇は、活発な国内、国際活動を続けているが、ちなみに昭和61年(1986年)当時の会員名簿は以下の通りである。
 
国際人口問題議員懇談会の設立祝賀パーティ
 
国際人口問題議員懇談会会員名簿(昭和61年12月12日現在)
(名誉会長) 岸信介
(会長) 福田赳夫
(副会長) 田中龍夫
(代表幹事) 佐藤隆
(事務局長) 扇千景
自由民主党
衆議院議員 参議院議員
(会長) 福田赳夫 (幹事) 石本茂
(副会長) 田中龍夫 (事務局長) 扇千景
(代表幹事) 佐藤隆   斎藤十朗
(事務局長) 住栄作   長田裕二
  原田憲   藤田正明
  安倍晋太郎   大鷹淑子
  加藤六月   山崎竜男
  江藤隆美   中西一郎
  倉成正   土屋義彦
  竹内黎一   古河雷四郎
  山口敏夫 (幹事) 石井一二
  羽田孜   原文兵衛
  村田敬次郎  
  中山正暉   岩上二郎
  愛野興一郎   福田宏一
  中島源太郎   田沢智治
  加藤紘一   曽根田郁夫
  保岡興治   志村哲良
  林大幹   小島静馬
  森喜朗   吉川芳男
  三ツ林弥太郎   小野静子
  小泉純一郎   宮崎秀樹
  瓦力   桧垣徳太郎
  山崎拓   森下泰
  三塚博   田中正巳
  鹿野道彦   降矢敬義
(幹事) 桜井新   山岡賢次
  原田昇左右   倉田寛之
  愛知和男   杉元恒雄
  大塚雄司   矢野俊比古
  石橋一弥   松岡満寿男
  中村喜四郎   永野茂門
  中川秀直   本村和喜
  佐藤信二  
  越智通雄
  上草義輝
  佐藤一郎
  平泉渉
  掘之内久男
  石川要三
  関谷勝嗣
  玉沢徳一郎
  津島裕二
  中村正三郎
  中西啓介
  田名部匡省
  東家嘉幸
  与謝野馨
  友納武人
  浜田卓二郎
  北川正恭
  自見庄三郎
  中川昭一
  中山太郎
  逢沢一郎
  大野功統
  村上誠一郎
  武村正義
  魚住汎英
  佐藤静雄
  粟屋敏信
  平沼赳夫
  野呂田芳成
  加藤卓二
  若林正俊
  谷津義男
  岡島正之
  持永和見
  江口一雄
  渡海紀三朗
  石渡照久
  片岡武司
  佐藤敏夫
日本社会党
衆議院議員  
(幹事) 井上普方
(幹事) 士井たか子
  金子みつ
  河上民雄
  小林恒人
  川俣健次郎
  阿部未喜男
  水田稔
  永井孝信
  城地豊司
  坂上富男
  野口幸一
  新村勝雄
公明党
衆議院議員 参議院議員
(幹事) 有馬重武 (幹事) 塩出啓典
(幹事) 矢追秀彦   原田立
  渡部一郎   中西珠子
  武田一夫   広中和歌子
  坂口力   高木健太郎
  藤原房雄   高桑栄松
民社党
衆議院議員 参議院議員
  春日一幸   栗田卓司
  塚本三郎   藤井恒男
  佐々木良作 (幹事) 三治重信
(幹事) 安倍基雄   田淵哲也
  塚田延充    
社会民主連合
衆議院議員  
(幹事) 阿部昭吾
 
4月25日 『食料と人口に関する宣言』・・・国連式典
参加者
 
佐藤隆(参・自)
場所
国連本部
宣言書署名
佐藤隆(参・自)。8月および11月の世界人口・食料会議に先立ち、各国政府に現実的かつ果敢な諸政策を採るよう要請する5項目からなる。宣言文では人口・食料問題解決のため、国連にリーダーシップをとることを要請した。この宣言文には、世界95ヵ国、1200名が署名した。
     
7月2日〜4日 日本人口会議
参加者
ウイリアム・ドレーパー(UNFPA顧問)、ラファエル・サラスUNFPA事務局長他
主催
(財)人口問題研究会、日本家族計画連盟、(財)家族計画国際協力財団、人口問題協議会
場所
国立教育会館
大来佐武郎議長、斎藤邦吉厚生大臣、岸信介国際人口問題議員懇談会会長他祝辞
     
8月19日〜30日 第3回国連世界人口会議
主催
国際連合
開催地
ブカレスト
日本からの参加者:
   
斉藤邦吉(厚生大臣)、八田貞義(衆・自)、佐藤隆(参・自)、堂森芳夫(衆・社)、柏原ヤス(参・公)、中沢伊登子(参・民社)他
過去2回の国際人口会議は専門家会議であり、第1回目の政府間会議。総勢4500人。
当時の世界人口は・・・
  39億9000万人、人口増加率は年間2%だった。この数字は、35年間で世界人口が2倍になることで、まさに人口爆発を意味していた。
この人口爆発的様相に対し、世界の食料生産、資源、エネルギー、環境は大丈夫か。これが引き金となって世界の平和と繁栄が脅かされないか――という危機感が高まっていた。
     
1974年 第3回国連世界人口会議
     
10月7日 IPU列国議会同盟会議
テーマ
佐藤隆 参議院議員
「食料と人口問題」ライス・バンク構想を提唱
開催地
東京
参加国
65ヵ国
主催
列国議会同盟(IPU)
 
昭和52(1977)年
9月3日〜18日 中南米家族計画視察団
派遣団員
〔国会議員〕:団長:岸信介(衆・自)、佐藤隆(衆・自)、住栄作(衆・自)、孫子藤吉(参・自)、和田耕作(衆・民社)、阿部昭吾(衆・社)、福岡義登(衆・社)、吉寺宏(衆・公)
顧問団(16名)
大来佐武郎、花村仁八郎他UNFPA2名、事務局5名
訪問先
メキシコ、コロンビア、ブラジル、アメリカ、カナダ
先進国にも途上国にも、人口問題議員グループを結成させるべく、各国立法府議員に呼びかけた。
 
ロペス大統領(メキシコ)を表敬訪問
     
12月5日〜11日 人口と開発先進国会議
1977年9月の中南米視察に引続き各国立法府議員への呼びかけ
国際議員会議の開催について討議
開催地
ロンドン、ボン、ベルリン
参加国
日、米、英、加、西独(5ヵ国、16名)
日本からの参加者:
   
佐藤隆(衆・自)、和田耕作(衆・民社)、土井たか子(衆・社)







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