大宇
1. 背景
大宇造船工業(旧大宇重工業)は世界第2位の造船会社である。
大宇重工は1963年に創業され、1976年に大宇グループに加わるとともに、株式を上場した。大宇重工には造船と重機械の主要2部門があった。造船部門は1994年に大宇造船工業は大宇重工業に合併された。同社は世界第2位の造船会社である。大宇重工は韓国の玉浦とルーマニアのマンガリアで造船所を運営しており、造船は大宇重工の事業の4分の1を占める。玉浦造船所は造船、修理・改造・及び海上石油掘削施設、石油掘削リグ及び工業プラントの生産を行っている。69
大宇グループは主に自動車、船舶、重機械及び電子機器の生産に携わっていた。同グループは韓国第2位の財閥であり、その年間総売上高は62兆ウォンであった。
2. 企業再編による便益
資本構造改善計画
1997年の経済危機以降、同グループの資金調達はますます難しくなった。さらに、同グループはGMと交渉を行ったが、1998年末には決裂した。その結果、同グループは以下のような「自主再建計画」を1998年12月19日に発表せざるを得なくなった。
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4部門への事業集約 |
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子会社の削減 |
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負債比率を1999年までに198%へ、2000年までに181%へ引き下げることを目的にした投資有価証券、債券、及び海外資本投資の処分 |
但し、この最初の案は市場を満足させず、新規貸出の延長や既存貸出の延長の借換は行われなかった。そのような状況の下で、大宇は1999年4月19日に以下のような「強化再編計画」を発表した。
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自動車と商社事業への集約と主要な収益事業の処分 |
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大宇重工の造船部門の処分を含む自主再建計画を通じた総額9兆1410億ウォンの資本回収 |
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会長が所有する株式の寄贈(3000億ウォン) |
第2再建計画も市場と債権者を満足させず、大宇は新規貸出の調達や借入れを行うことができなかった。
最終的に大宇は1999年7月19日に「最終再建計画」を発表することにした。これには1999年8月16日の債権団との新改定資本構造改善協定が含まれていた。しかし、大宇はまたもや市場の信頼を取り戻すことができず、最後の手段として1999年8月25日にワークアウト・プログラムの提出を決断した。この計画は同グループのメインバンクであった韓国第一銀行に提出された。
ワークアウト・プログラム
概略
1999年8月26日の大宇グループの債権団(大宇重工を含む大宇グループ12社の債権金融機関会議)第1回会議において、大宇重工のメインバンクである韓国産業銀行は、メインバンクとして大宇重工のワークアウト・プログラムを承認し、同社の存続可能性評価のため、監査法人を指名した。
当然のこととして、ワークアウト・プログラムが適用されるのは存続可能であると思われる会社、即ち、解散価値を上回る価値がある会社にのみ適用される。指名された監査法人は大宇重工が存続可能であると結論下し、債権金融機関に、(1)大宇重工を造船会社、機械会社、及び存続会社(新大宇重工)の3つに分離し、(2)出資転換と債務のリスケジュールによって債務の再編を行うことを決定した。
分離=スピンオフ
ワークアウト・プログラムに基づき、2000年10月23日、大宇重工の造船部門は大宇造船工業へ、重機械部門は大宇総合機械に分離された。
この分離の目的は大宇重工の事業活動を投資活動から分離することであった。分離後、新設された事業会社2社(大宇造船と大宇総合機械)が製造事業に専念する一方、存続会社(新大宇重工)は造船会社と機械会社に譲渡されなかった資産を保有することとなった。従って、存続会社は大宇グループの関連会社などから回収可能な投資もしくは勘定のみを管理している。
分離の特性として、新設された事業会社の資産、負債及び資本の額は以下のように決定された。第一に新事業会社に帰属すべき事業資産と資本が決定された。第二に新会社が引き受けるべき事業資産に関係する負債が決定された。さらに、債務返済能力に基づき、新会社が追加の負債を負うこととなった。存続会社は造船会社と機械会社に引き渡されなかった全ての資産を保有することとなった。但し、その資産には主として大宇自動車と大宇商事の売掛金(大宇商事が支払い義務を負う売掛金を差し引いたもの)が含まれている。これもワークアウト・プログラムに基づいたものであり、従って、将来に経済的な利益をもたらすものであるかどうかはかなり疑わしい。その結果、存続会社は債務超過である。
このような状況下で、2事業会社が不良資産をその勘定から除外したことで利益を受けることは明白である。分離をしなければ、2社は存続会社の債務超過の支払義務を負わなければならなかった。つまり、分離後の大宇造船が享受している便益の全額を把握するためには、各新会社の前記の債務超過額の一部を割り当てるのが適切である。
出資転換
分離後に新会社に対する出資転換が、2000年12月14日に行われた。出資転換比率は負債の種類(担保付あるいは無担保)によって変化した。
大宇造船の負債から株式に転換した総額は1兆1714億160万ウォンである。70出資転換は全て基本的に債務を同社が返済した場合に利益となるものとみなされている。債権者が出資転換を行わなかった場合、同社は事業の継続を諦めざるを得なかった事態に陥ったはずである。
さらに、大宇造船の株式が2001年2月1日に取引された際、株価は債権者が事業存続のために支払った7850ウォン71の半額未満の3500ウォンに過ぎなかった。この差は債権者が事業価値を認識して行動しなかったことを反映していると思われる。
上記の出資転換を受けて、大宇重工と大宇造船の株式保有は以下のとおりとなっている。
1999年12月31日時点(スワップ以前)での大宇重工の株主リストは以下のとおりであった。
株主名 |
1999年12月31日現在 |
(株)大宇 |
24.0% |
韓国産業銀行 |
10.9% |
金宇中 |
6.9% |
大宇電子 |
5.1% |
大宇重工 |
2.6% |
その他 |
50.5% |
合計 |
100% |
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2000年12月14日の分離及び出資転換後の大宇造船の株主は以下のようになった。
株主名 |
2000年12月14日 |
(株)大宇 |
2.2% |
韓国産業銀行 |
40.8% |
金宇中 |
− |
大宇電子 |
− |
韓国外換銀行 |
1.6% |
ソウル保証保険 |
1.7% |
韓国資産管理公社 |
26.0% |
その他 |
27.7% |
合計 |
100% |
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従って、スワップ後、大宇造船は事実上国有化された。つまり、株式の66.8%が韓国産業銀行と韓国資産管理公社、即ち、韓国政府に所有されたのである。
スワップ前の主要株主が国営機関あるいは韓国政府が株主であった機関であったという事実は韓国政府が大宇造船の再編を通じて強い影響力を及ぼしたということを示している。
負債再編
ワークアウト・プログラム(企業ワークアウトに関する総合的合意(了解覚書))に従い、CFICは分離後の会社の事業回復を促進させるため債務免除することに同意した。債務再編の種類は以下のとおりである。
― 元本支払の延期
― 金利の減免
― 中長期の貸付の短期貸付への転換
ワークアウト・プログラムには金利免除あるいは債権放棄は含まれていなかった。
3. 税金面の恩恵
大宇造船は現物出資に関する租税猶予と資産分離による租税インセンティブを享受した。便益の総額は実効税額と租税インセンティブの差である。但し、租税免除及び租税猶予による便益は支払うべき租税の支払が将来の結果次第であるので正確には推定できない。
4. 便益全体の概要
調査期間中に大宇造船に与えられた便益の総額は3兆114億8400万ウォン(22億9900万米ドル)に達し、以下のものが含まれる。
― 金利減免
― 金利支払猶予期間
― 出資転換
― 存続会社の債務超過
― 分離資産に対する租税インセンティブ
加えて、大宇造船は調査期間中の租税猶予からも恩恵を受けた。
69 マンガリア造船所は修理と改造がメインであるが、近年は新造船を増やしている(1999年の引渡隻数は9隻)。
70 大宇造船2000年度財務報告書による。
71 大宇造船2000年度財務報告書による。
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