【事例紹介:滋賀県長浜市のまちづくり 黒壁ガラススクエアー】
既存の歴史・文化資源(歴史的建造物の街並み)に、新たな要素として「ガラス」を加えることで、観光資源としての魅力を向上させ、大企業がまねのできない商店街を生み出した。
◆経緯
i)黒壁以前
長浜市は425年前に豊臣秀吉が初めて城持大名になった場所で、ここを楽市楽座にした。北陸、中部、近畿の接点であったこともあり、大変に栄えた。
昭和になっても長浜の中心商店街を除いて周辺には商店街らしきものはなく、長浜は周辺の町から「浜行き」といって着飾って買い物にくるところだった。しかし、昭和40年代後半から郊外店の進出などにより、中心市街地の衰退が進み、昭和50年代には約400年間、町衆たちの財力で伝承継続してきた曳山祭の存続も危ぶまれるようになっていた。
ii)株式会社黒壁の誕生
昭和62年冬、それまでカトリック教会として使われていた旧第百三十銀行長浜支店(明治33年築)が、教会の移転により、不動産会社の手に渡り、解体話が持ち上がったところに、地元から保存の声があがった。またこの建物を核にまちづくりをはじめようとの気運が高まった。
昭和63年4月に、長浜市や青年会議所OBらが出資する第三セクターとして株式会社黒壁が生まれ、この土地を買い取り、内外装を改修した。特に、モルタル塗りにされていた外壁を、建築当初の黒漆喰に塗り直した。
一方、ここで行う事業については、「長浜のこと、地元のことは忘れて世界中から」「歴史」「文化芸術」「国際性豊かなもの」を候補として考えられた。このほかに、「事業化できること」「既存産業の経営に悪影響を及ぼさないもの」も条件であった。なお、ここで言う事業化とは、システム化をすること、利益を出してそのガラス文化をどんどん醸成させることで、その利益が継続の力となることと捉えられていた。
最終的に黒壁で行う事業は「ガラス」に決まり、平成元年7月に「黒壁ガラス館」としてオープンした。
iii)株式会社黒壁の事業
ガラスを売ることだけでなく、作ること、見せることをあわせた3点を事業の核とした。そのために、スタッフへの教育投資を行い、ヨーロッパへの留学などもさせた。また、見せる店舗づくりに力を入れ、ディスプレイを芸術として高め、ガラスを中心としたシーンづくりを徹底した。こうした環境の中で、客にガラスの良さを学び知ってもらう一方、スタッフはその客の先を行くように研究に励んだ。
また、施設数が少なくては客に飽きられてしまうので、次々に出店していった。これは、お土産屋対策でもあったと思われる。すなわちコンセプトも哲学もなく安易な仕入れで全国どこにでもある物に長浜や黒壁の判を押して、一過性の観光客に売るような土産物屋が入ることでまちとしての質が落ちることを恐れたのである。
こうした努力により、まちを訪れる人の3人に1人がリピーターとなり、大企業がまねのできない商店街の形成につながった。
iv)まちづくりの発展
株式会社黒壁は、かつて賑わった北国街道沿いを中心に歴史的な建物を、次々と修復・保存し、また商業施設などとして活用することで、新しい姿でまちを蘇らせた。
周辺でも、黒壁同様、オリジナル性があり、文化度もあり、おみやげ物を置かない店から売れはじめたため、皆のモデルとなり、まちづくりの好循環を生んだ。現在、株式会社黒壁およびその考えに共鳴するグループによる店舗だけでも30号館以上になっている。
しかしその一方で、黒壁でまちをいっぱいにするのではなく、さまざまな店をつくってこそ活気を呼ぶとの考えで、黒壁はまちの再編に助力している。
なお、黒壁ができる前の長浜市民は、遠方から知人が来ると隣町の彦根の城を案内し、彦根プリンスホテルで食事をしていたが、黒壁ができてからは、黒壁界隈や商店街をつれて歩き、既存の観光施設に案内するように変わってきたという。
図表4−2 黒壁ガラススクエアー案内図
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資料:株式会社黒壁のホームページより
図表4−3 長浜市の観光客推移
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注1) |
各施設利用者の総計である |
注2) |
1996年4月から11月にかけて「北近江秀吉博覧会」開催 |
資料: |
「滋賀県観光地観光者数統計調査書」より作成 |
◆黒壁の事例からの示唆
○新たな要素の選び方
「長浜のこと、地元のことは忘れて世界中から」「歴史」「文化芸術」「国際性豊かなもの」を、候補として考えた。
○ひとづくりにも力を入れたこと
ガラスを売ること、作ること、見せることの3点を核として、ホンモノを作るために、スタッフへの教育投資を行い、ヨーロッパへの留学などもさせた。
○まちづくりをマネジメントしたこと
コンセプトも哲学もなく安易な仕入れで全国どこにでもある物に長浜や黒壁の判を押して、一過性の観光客に売るような土産物屋が1軒でも入ると、長浜や黒壁の哲学は崩れる。リピーターを呼ぶために、生活雑感や商店街の野性味や文化を残し、お土産は一切入れないということに黒壁は執着した。
また、見せる店舗づくりに力を入れ、ディスプレイを芸術として高め、ガラスを中心としたシーンづくりを徹底した。
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