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ふるさとの中にある知恵を全国に発信
大林
 現在がいつもむずかしいのは、昨日の価値観と明日の価値観は常に違うからです。僕たちは、切磋琢磨して、間違いを犯しながらも、少しずつ賢くなっていくわけです。未来に希望を持つということは、少しずつでも僕たちが賢く、幸せな方向に進んでいくということです。そのために、このむずかしい現在を考える、いいヒントを僕たちはいっぱい持っているんです。それは昨日が教えてくれるんですね。
 最後に私の母親の話をしましょう。例えば、コップの水を私が全部飲んで水がなくなります。尾道の方言ではこれを「水がみてた」と言うんです。私は子供のころ漢字の勉強をしていて、「みてた」というのはおもしろい言葉だから、どういう漢字を書くのかなと母親に聞きました。母親も「これは方言だから漢字はないかもしれないけれど、でも昔から使ってきた日本語だから漢字があるのかもしれない、考えてみよう」って一緒に考えてくれました。
 瀬戸内海の水というのは満ち引きの差が大きくて、そのおかげで塩の文化が生まれたり、あるいは昔の船は上げ潮に乗ってやってきて、引き潮に乗って京に向かうとか、尾道や瀬戸内海が重要な日本の交通路であったのも、この満ち引きのおかげです。私たちは時計の振り子のように潮の満ち引きと暮らしてきたから、日常の言葉のなかにもそれが忍び込んで、だからこの水がなくなったら「みてた」というんでしょうね、と教えてくれたんです。
 でも、子供というものはなかなか大人の言うことに納得しないものです。なくなったんだから、「みてた」じゃなくて「ひいた」じゃないのという疑問は当然ですね。すると母親は、こう言いました。
 「じゃあ一緒に考えてみましょう。おしょうゆのビンから、おしょうゆの最後の一滴をおかずにかけて、おしょうゆがみてましたね。なるほど、おしょうゆがなくなったということで言えば、これはおしょうゆがひいたかもしれない。でもそれは、あなたが今目の前にあるおしょうゆに魂を奪われすぎているのではないか。私たちが、『おしょうゆさん、ありがとう』と言って毎日使ってきた、その『ありがとう』という気持ちが、このビンいっぱいに満ちているのよ。だからこのビンは単なる空ビン、ゴミじゃありません。『ありがとう』がいっぱいに満ちたビンです。だからこのビンをよく洗って、またおしょうゆをいっぱいに満たして大切に使いましょうね」
 私たちが直面しているエネルギー問題、資源問題、ゴミ問題、リサイクル問題、全部がこの「みてた」という言葉、「ありがとう」という言葉のなかにありますね。こういう知恵を私たちがなぜなくしたかと考えてみれば、そこには私たちが持っている問題が見えます。つまり、どんどんみてたら、なくなったら捨ててゴミにすれば、また新しいものをつくって、より便利で快適で効率のいい文明社会ができる。さらにどんどんゴミにしていくことによって、経済が高度経済成長になる。
 つまり、お金とモノとを豊かにするために、私たちは「みてた」という言葉を捨てて、「なくなった」という共通語にしていったんです。共通語は誰も誤解しません。すぐ理解できますね。高速道路のような言葉です。そこをいくと「みてた」という方言は、これは田舎の地道を走るようなものです。私たちはどんどん高速道路化していってしまったわけですね。そして、確かに経済性も利便性も富んだ社会をつくりましたが、「ありがとう」という文化を忘れたんです。
 「みてた」は、同じ瀬戸内海でも尾道では使いますが、こちらでは使われません。文化というのはさまざまです。つまり、そこにしかない、そこにだけあるもの、したがって不便で我慢が多いものなのです。でも、人は皆そこで幸せになろうと一所懸命努力をしますから、そこにしかない、そこにだけある、幸せづくりの知恵がその土地にあるわけですね。
 先ほどから観光という話もありましたが、この橋を使って旅人たちを迎える観光とは何か。観光の「光」というのは、あれは風景のことじゃないんです。実は知恵のことなんです。その土地にしかない、その土地だけにある知恵を、その土地の人々と出会って学んで、それをわが人生やわがふるさとにおみやげとして持ち帰って活かす。
 だから古来、かわいい子には旅をさせろ、あるいは諸国漫遊、諸国武者修業。日本人は旅によって賢くなったんです。その旅が、高度経済成長期は旅人をみんな顧客にして、便利で快適で何のご不自由もおかけしません、というものになってしまいました。山に行っても海の幸、海に行っても山の幸。カラオケバーにゲームセンター。これによって日本の高度経済成長はいや増すわけですが、私たち日本人が本当の美しさや賢さを失っていったということが学べます。
 文化とは、平たく言えばふるさと自慢のことなんです。それを皆さんが大事にされれば、モノではなかなか誇れませんが、文化では誇れます、知恵で誇ることができます。私たちはこういう知恵者なんだと。おそらくこれからの観光客は、モノではなく、心を求めて来るんですね。この10年間でそれは立証されております。
 例えば、小泉さんが「痛みを伴う」と言って、私たちは支持しました。1980年代には、「痛みを伴う」という言葉は政治家にあるまじき言葉だったんです。あるいは、長野県の田中さんが、100年、200年先の子孫のために緑を守ろうと言った。絵空事ですよ。今はどうやって食うんだ、どうやって経済を考えるんだという問題は残っています。しかし、この豊かな10年を過ぎた後、私たちがこの人たちを支持したということは、私たちの求める幸福が、もうモノやお金じゃない、豊かな心だということです。
 私たち市民、国民がそれを求めた以上、行政もそれに寄り添っていってくれるでしょう。そうすることによって、私たちは消費社会ではない、蓄積社会に向かう。そして、蓄積経済の役に立つものは、まさに文化なんです。
 日本国も文化芸術振興基本法というものを立ち上げたということは、そういう知恵をこれからの国づくりに生かそうと、ようやく動き始めているのです。でも、その方向がまだ見えません。方向を見せることができるのは、実は私たちふるさと人なんですね。
 皆さん、ふるさとのなかにある、そういう知恵を全国に発信して、私たちはこうして欲しいんだよ、これはこういうふうになるんだよということを、どんどん各地方から発信してくだされば、たぶん日本はまた明るく楽しい、知恵と工夫に富んだ、人間の汗と、手と足を動かして知恵と工夫で不便やがまんを乗り越えて、賢く、そして美しいご褒美をもらえる楽しい国になると私は信じております。その資源は皆さんお一人お一人の知恵なんですね。ですから、どうかその資源を大事にして、大いに誇って生かしていただきたいと、私は思います。
 
自分たちの故郷をもう一度見つめなおす時代
明石
 ありがとうございました。4人の方々、まだまだお話を聞きたいところですが、もう時間がまいりました。ふるさとの価値の再発見、新しい幸福をつくる、そういう道筋について、皆さんがそれぞれのお考えを述べていただけたように思えます。
 瀬戸大橋は確かに、あのままほうっておけば大きな負の遺産ですが、そうではない使い方がきっとあるだろうという予感も私は持ちました。これを機会に皆さんのさらなる知恵を集めて、大きな転換の道を探せれば、と心から願っています。
 ふるさとの知恵、ふるさと再発見、簡単に言えば量ではなく質、モノではなく心。言うのは簡単ですが、今までのところ、残念ながら私たちは、近代西洋が持ってきた物質文明を批判するような哲学を持ち合わせていないように思います。
 日本人は、古来のそういう知恵を忘れてしまったような気がします。それはまさに大林監督が先ほどおっしゃったように、節約をする心です。節約をしないほうが、古いものを使わないで捨てたほうが、金銭面ではずっと豊かになるという近代合理主義を、私たちはここ100年体験してきたわけですが、実はそのなかで自分たちの心もどこかいびつにさせてきたような気が私にはします。
 簡単に言えば、お年寄りが年を取って力が弱くなることを、皆で寂しく思い、悲しく思う。力の弱い者や劣っていくことが不幸である、というような価値観。そういったものを私たちは今平気で受け入れていますが、古来の日本人は決してそんなことはなかったのだろうと思います。
 ものを節約するということは同じことだと思います。洗って使うのは、手間ひまかかるかもしれない。しかし、そのほうがより良く人類のためになるという大きな知恵が私たち日本人の祖先のなかには生きていたような気がします。そういったお話をたくさんお聞かせいただいたような気がします。
 瀬戸内海、自分たちの故郷をもう一度見直す。簡単に量の計算だけで価値観を決めずに、本当にそれがどんな意味があるのかをもう少し深く考える、そういう時代が来たのだと思います。
 きょうはどうも4人の方々、本当に長い間ありがとうございました。これでシンポジウムを終わらせていただきたいと思います。







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