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子供の気持ちを大事にするために考えること
片山
瀬戸大橋の責任まで、私一人ではなかなか取れません(笑)。あれをつくったときには1日通行量2万5000台を予想して、それだけいくと予定どおり償還できる計画だったんですが、ふたを開けてみると1万5000台しか通らないんですよね。ですから、もう採算は全然あいません。
丸亀の姉妹都市でスペインのサンセバスティアンという町へ2〜3回行きましたけれども、スペインの高速道路や橋の料金はただに近いですね。ヨーロッパはどこに行っても、だいたいそのようだと聞きました。国民から税金をいただいて、国民が動く機関や道具として、どのような道路や橋梁を整備することが必要かをきちんと考えています。それからその上を走るための車のガソリン代もものすごく安いし、家庭で使う電力代などの公共料金も非常に安い。
日本はとにかくそういうものが世界一高い。経済成長のなかでそれを払えるだけ国民が稼いできましたので、何とか今までやってきたのです。ここ10年ぐらい前から、幸福を求めるようになった、文化的にはそういう視点に変わってよかったという、大林監督のお話がございましたが、一方で経済はストップしたままです。ですから、もう払えるものがないのに、各地域からあれもやってほしい、これもやってほしいという、地方自治体からの要望は止まらないんですね。そして、少子高齢社会で、お年寄りの医療費、介護福祉費はどんどん増えてくるので、全体のバランスは崩れてしまっているのです。
そして、極めて無責任な公社、公団がやるからこうなっているんですよ。国交省であれば、これは国家財政のなかでつくっていくのですから、借金を起債してでも、瀬戸大橋やしまなみ海道が大事だということになればやればいいんですが、そういう審議はなくて勝手に公団がやっている。それで借金も、先で子か孫か誰か払うだろう、という無責任なことになると、きょうのシンポジウムに出てきました子供たちが気の毒ですよね。
これはたぶん、日本全体が極めて無責任な体質になっているのだろうと思います。瀬戸内海子供宣言の「こんな瀬戸内海が大好きです」という子供の気持ちを大事にしてあげようと思ったら、具体的な橋の使い方など、今しっかりと考えなければいけないことですね。このフォーラムもそのためにしているので、何か未来に向かって手立てが見つけられたらなと思っています。
そのやり方を大人の社会が示してやらないと、この子たちが大きくなったとき、「何だ、大人はきれい事を言うばかりで、おかしな事をして」といわれてしまいます。そのときに世の中のことについて子供たちが不信感を持ったら、この国の未来が曇ってしまうのです。
讃岐では今、観光といったら讃岐からよそへ出て行ってお金を使ってくることを意味します。でも、よそから来ていただかないと、讃岐や四国全体あるいは今回のテーマになっている島の生活は成り立たないと思います。日本から外国へ行っている人の数は千数百万人。外国から日本へ観光に来てくださる方は400万人。ですから、入りと出のバランスがとれていないんですよ。日本は稼いだものをどんどん外へ持って行って遊んでくるので、国家全体になりますとずいぶんマイナスになる。そこがうまく埋め合わせされると、瀬戸大橋ぐらいの金は国家財政で賄えるのではないかと思っています。
香川県は、讃岐うどんが有名ですが、讃岐うどんは安いんですよ。丸亀のうちわも観光品ですが、これも安いですね。何かもう少しお金になるものを売ったほうがいいかなと、行政の長としてそのようなことも考えながらやらせていただきたいと思っています。
明石
さて、残り少なくなってきましたが、藍川さん、どうしても発表したい計画があるとおっしゃっていましたね。
盆踊りから広がる文化
藍川
瀬戸大橋ができたときに坂出でも何かしなければいけないということで、私が「瀬戸大橋讃歌」をつくらせていただいて、それが田舎ではとてもヒットして、その後何年間もお母さんコーラスなどいろいろな方が歌ってくださっているので、私自身は瀬戸大橋に対してものすごく思い入れがあります。
最近は無駄遣いの象徴として話題にのぼることが多いようですが、橋が開通して初めて与島パーキングエリアから瀬戸大橋を見上げたとき、「人間てすごいなあ」と感じました。経済的側面も大事でしょうけれど、人間には心がありますから、私たちが橋を見て勇気づけられたり、橋のために命を捧げた方のことなどを通して、仕事というものの重さを感じることは無意味ではないし、経済以上の何かがあるのではないでしょうか。
そういった橋をもっとたくさんの人に見てもらいたい、というのが願いですね。それで私なりに考えてみました。
宇多津には不細工なゴールドタワーという、周りとは不釣り合いな建物が何の意味もなくあって、ちょっと驚いてしまうのですが、ああいったものは1回登ったら、2度3度と登る人はあまりいないと思うんですよ。だから、そういったものではなくて、1回外へ出ていった人間が町に帰って来ようと思うものが必要だと思うのです。
何かあったときに友達を連れて帰ってくる、口コミで香川県はいい所だよと宣伝をする、これが一番だと思うのです。
そこで、宇多津には空いているホテルがたくさんありますから、そういった所に泊まってでも帰りたい催しをつくればいいのではないかと考えました。
私が子供のときに宇多津で踊られていた盆踊りがあって、その盆踊り唄の名人のおじいさんがいました。そのころ、父が「お前は音楽をやっているんだから、盆踊り唄を楽譜に残しておいたらどうか」と言ったのですが、私はそのときは無視していたんですね。そのうちにそのおじいさんも倒れて、私が大学1年生の夏休みに帰省したら、宇多津の盆踊り大会なのにドンパン節を踊っているんですよ。ドンパン節といえば秋田県の民謡ですから、どうして香川県の人が秋田県の民謡を踊る必要があるのか悩みました。
そういった必然性がないことをやっているので、そのまま盆踊り大会はなくなったらしいのです。でも、いろいろな人と話していたら、「また宇多津の盆踊り大会があればいいわね。あれがあったら、ちょっと無理をしてでも帰りたいよね」と言う人がいるんです。それで、もしかすると私はものすごく罪なことをしたのかもしれない、と思いました。あのときに私が盆踊り唄をとっておけば、今それを私が歌うことができるんですね。このままではいけないと思って、今年のお盆明けに亡き名人のお宅に行きましたら、「テープがある」というんですよ。しかし、そのテープはとても古いタイプだったので、再生できませんでした。
その後、叔母がいろいろな方に聞いてくれて、普通のカセットに唄の断片を録音したものが見つかったんですよ。これを聴きまして、私はほぼ歌えるようになりました。それだけじゃありません。
この間、五色台の瀬戸内海歴史民族資料館で、8つの地域の盆踊りなどをやるので見に行きました。その演目の中に岡田踊りというのが出てきまして、これが島踊りといって、宇多津の盆踊りと全く同じ踊りをしているのです。振り付けも囃子言葉も同じなんですよ。ただ、節がちょっと違うんですね。それで、突然新聞記者のようになって、「岡田は島がないのに、どうして島踊りなんですか」などと矢継ぎ早に聞いたら、先生と呼ばれるおばあさんが、「島踊りは300年以上も前に土器川沿いに岡田に伝わったもので、昔は土器川沿いの人たちはみんな踊っていたと聞いています。ただ、節は地域ごとに少しずつ違っていたようですが」というんです。
それなら宇多津から土器川に沿って伝わって行ったことは十分考えられますよね。歌の内容はそれぞれの地域で違っている。それはもちろん歌い手によって違いますよね。宇多津の場合はものすごくむずかしい節回しですから、これが歌える人はほとんどいないと思うんです。それがどんどん簡略化されていくことも当然、考えられます。
そうすると、宇多津の盆踊りはもしかしたらオリジナルなものかもしれない。それで私はそのことを産経新聞でエッセイに書いたんですね。そうしたら河内音頭をやっている河内屋菊水丸という人が、「自分も河内音頭を後に残そうと思って一生懸命音頭取りをしている。だからあなたがもし宇多津の盆踊りが復活できるときがきたら、ぜひ応援したい」と言ってくれているんですが、宇多津町は全くやる気がないんです。
教育委員会に電話しました。「宇多津町は何か保存していますか」と聞いたら、「何も保存していません」と言うんですね。「保存をこれからなさる気もないですか」「ありません」「盆踊り大会を復活させる気はありますか」「ありません」「それはあなた個人の意見ですか、それとも宇多津町の意見ですか」と言ったら、「宇多津町はわかりませんが、教育委員会としてはやりません」という答えなんですよ。これが宇多津の窓口としたら恐ろしいことですね。
岡田では保存されているんです。通称は島踊りですが、元は鹿島踊りといいます。だから岡田で島踊りといっても不思議ではないですよね。鹿島踊りというのは特殊な地域でやられているものです。鹿島というぐらいですから、鹿島神宮から始まっているんです。茨城県の鹿島から千葉に渡って、神奈川のほうに行き、現在残っているのは箱根とか小田原とか伊豆で、そこから静岡にかけて東海地方に残っています。石を運び出す港のある所に鹿島踊りが残っているんです。では、なぜ宇多津に鹿島踊りがあるのかが謎なわけですが。それで、私はこれから宇多津から土器川沿いに岡田まで遡って、各地域の盆踊り唄を調査したいと思っているのです。
例えば、青森のねぶたというのは、実は京都の祇園祭からきたんだそうです。祇園まつりの山鉾に提灯のスタイルが、珠洲の「キリコ」、魚津の「たてもん」、秋田の「竿燈」、青森の「ねぶた」に影響を与えたらしいんですね。これは北前船よりも前のことです。
こうやって見ると、日本の文化は、ずっと海を中心に伝播していたわけです。沖縄にサンシンがありますが、沖縄ではニシキヘビは獲れませんので、南洋から輸入していたんですね。それが大阪まで渡って、猫の皮を張る三味線になったわけです。
こういうふうに文化というのはつながっているものなんですよね。瀬戸内海にはたくさん島がありますね。この島の人たちもきっと、うんと遠い所まで行っていたと思います。この島々の民謡を録って回るのが私の願いなんですが、全部聴いて回ると、どこか全然関係ない所とつながっている可能性があるんですね。そうして、自分たちがどういうルーツであるかということを考えていったら、初めて自分たちの地域に誇りが持てる。ただ単に「郷土に誇りを持て」とお題目のように言われても、何に対して誇りを持てばよいのか分かりませんよね。
それだけではありません。富山県の越中八尾という所に「おわら風の盆」というのがあります。私も何年か前から行きたいと思っているんですが、これがなかなか行けません。なぜかというと、ここは人口3500人ぐらいの小さい町ですが、3日間で30万人の人が来るのです。運良く旅館がとれても、道も狭いしほとんど見えない状態らしいです。しかも、そこは観光的要素が全くないんだそうです。それでも人が集まってくるのは、そこでしか聴けない三味線と胡弓と太鼓で盆踊りが行われるのを見るためなんですよ。
そこで、もしオリジナルな踊りを、宇多津を中心にして土器川沿いで復活させられたら、人が集まってくるのではないかと考えたわけなんです。それは本当に夢のような話なんですが、それには私一人の力ではできない部分も多くございますから、皆様にもいろいろと教えていただきたいと思います。うちの島にもそういうものがあるんだ、ということがあるかもしれないし、そういう共通点、それからヒントがありましたら、ぜひお知らせいただきたいと思います。
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