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V.メコン住血吸虫症における肝超音波検査と血清アンモニア値の測定
大前 比呂思
 
 侵襲が少なく簡単に施行できるうえ、検査コストが安い超音波診断は、途上国における適正技術として近年注目を集めている。特に、最近の技術的進歩によりポータブルタイプであっても鮮明な画像を得られるようになったので、単なる病院医療を越える範囲で応用されるようになった。寄生虫疾患においても、超音波検査は、当初は補助診断の役割しかなかったが、現在では、疾患のスクリーニングやmorbidity studyなど様々な目的で利用がはかられている。
 途上国の寄生虫症診療の現場で、初めて超音波検査が広く利用されたのは、住血吸虫症に対してである。1980年代には、南米やアフリカの浸淫地における研究で、マンソン住血吸虫症やビルハルツ住血吸虫症における肝臓や膀胱の病理学的変化が、超音波検査により特徴的な画像として捉えられることが確認された。日本住血吸虫症の場合、進行した肝臓の繊維化が網目状パターンとして超音波検査で捉えられることは、以前より我が国の旧有病地での研究でよく知られていたが、感染初期の例も含めた総合的な研究はなかなか進まなかった。笹川記念保健協力財団の援助のもと、1989年からフィリピン、レイテ島の住血吸虫症浸淫地で、日本住血吸虫症の病態変化に即した超音波検査所見の解析が急速に進み、マンソン住血吸虫症と同じような超音波画像の変化を示す例もあることがわかってきた。また、メコン住血吸虫症についても、1999年から、やはり笹川記念保健協力財団の援助のもと、カンボジアの住血吸虫症浸淫地で、超音波検査が行われた。
 
今年度の目的
 メコン住血吸虫症の超音波画像については、当初私達は、病態や臨床症状が似る日本住血吸虫症の超音波診断基準をそのまま利用できると考えた。しかし、1999年と2000年の2回のカンボジアにおける調査では、メコン住血吸虫症浸淫地において、日本住血吸虫症でみられるような典型的な網目状パターンを見いだすことはできなかった。一方、マンソン住血吸虫症については、1996年のWHO国際会議(ニアメ)によって、広くフィールドでのmorbidity studyに利用すべく、超音波診断基準の標準化がはかられた。そこで、今回は、メコン住血吸虫症の肝超音波像について、もう一度マンソン・日本住血吸虫症においてみられる超音波像と比較して整理しなおすことを考えた。
 また、門脈圧亢進症を反映すると思われる脾病変については、メコン住血吸虫症の場合、巨大脾腫と側副血行を示す例が多いことが、やはり過去の調査でわかっている。しかしながら、日本の住血吸虫症有病地でみられたような、側副血行形成によって生じる肝性脳症といった神経症状は、カンボジアやラオスのメコン住血吸虫症浸淫地では全く報告がない。そこで、今回は、脾臓の超音波検査を行う一方、血中のアンモニア値を計測し、臨床症状との関連についても検討した。
 
対象・方法
 Stung Treng省(Sdau, Koh-Sneng)、Kratie省(Ache, Sambor, Kanh-Chor, Chhlong, Kampong Krabei)の住血吸虫症浸淫地で、各々96人、325人の居住者を対象として、超音波検査を行った(表2)。対象者は、学童を中心としたが、ほぼ全年齢層にわたり、男女の性比は、ほぼ2:1であった。ポータブル型超音波検査診断装置(フクダ電子UF-4000)を用いて、肝臓・脾臓を中心に腹部の検査を行い、プリンター(Sony UP-890D)にて記録した。また、Kratie省のAchen, Sambor, Kampong Krabei村では、ポータブル型アンモニア計測装置(F-キット アンモニア)を用いて、236人を対象として血中アンモニア値の測定を行った。
 
表2 カンボジアにおけるメコン住血吸虫症浸淫地における超音波検査の対象
 
結果
1 メコン住血吸虫症超音波像の特徴
 今年度の調査でも、日本住血吸虫症の場合よくみられるような網目状パターン;Network patternを示したような例はみられなかった。一方、マンソン住血吸虫症やビルハルツ住血吸虫症の場合よくみられるとされるパターンが、多くの例でみつかった(表3、写真1-4)。マンソン住血吸虫症の場合、図に示すようなパターンが、超音波検査でみられるというが、このうち、“starry sky”,“rings pipe-stems”,“ruff around portal bifurcation”,“patches”,“bird claw”などのパターンは、今回の調査で認められた(写真1-4)。メコン住血吸虫症の場合、従来、そのよく似た臨床症状から、日本住血吸虫症に似た病態が考えられていたが、今回の調査で、超音波検査所見はむしろマンソン住血吸虫症に類似していることがわかった。しかしながら、典型的ではないものの粗い網目状の超音波像やまだら状脂肪肝を思わせるような像を示すような例もわずかながら見つかった(写真5)。手術の際に採取された病理組織標本やメコン住血吸虫感染マウスの肝病理組織標本では、肝細胞が空胞変性し泡沫状変化を呈している例も観察されるので、これらの肝の超音波像の変化が、どのような病態変化を反映しているかについては、大変興味深い。
 
表3 カンボジアにおけるメコン住血吸虫症浸淫地における超音波検査所見の特徴
 
2 メコン住血吸虫症における超音波検査によるMorbidityの評価
 2000年調査において、Stung Treng省(Sdau, Koh-Sneng)とKratie省(Sambok, Sambor)の超音波検査の結果を比較すると、Kratie省の浸淫地では進行した超音波所見を示した例が多くなった(2000年度カンボジア王国協力計画実施報告書)。本年度の調査においても、Kratie省の浸淫地では、Stung Treng省の浸淫地に比して、脾腫や進行した肝繊維化を示した例が多かった(表4)。
 Stung Treng省のSdau地区は、免疫血清検査では、80%以上が陽性を示すような高度浸淫地と思われるが、超音波検査から推定される現在のmorbidityは低いことになる。
 メコン住血吸虫症の場合、巨大脾腫を呈する例が多いことは、やはり2000年の調査でも報告されているが、今回の調査で巨大脾腫を示した例の多くは15才以上であり、同時に側副血管の形成も認められる例が殆どであった(表4)。
 Kratie省がマラリアの浸淫地でもあることから、今まで、この脾腫の原因疾患としてマラリアも疑われてきた。しかし、マラリアによる脾腫は、2−9才の若年者においてみられ、マラリア感染単独では側副血管を示すこともないことから、Kratie省の住血吸虫症浸淫地でみられる脾腫は、専ら住血吸虫感染によるものと思われた。
 
表4 カンボジアにおけるメコン住血吸虫症浸淫地における脾腫と肝繊維化
 
3 血清アンモニア値の測定
 メコン住血吸虫症にみられる脾腫は、門脈圧亢進症の結果生じるわけであるが、今年度の調査で脾腫を示した例の多くは、側副血行の形成;門脈−大循環シャント(主に脾腎シャント)も合併していた。門脈−大循環シャントは、高アンモニア血症を生じ肝性昏睡の原因となることが多いが、従来、カンボジアやラオスのメコン住血吸虫症浸淫地で、肝性昏睡などの神経症状が多くみられるという報告もない。そこで、今回は側副血行の有無によって血中アンモニア値に違いがあるか、Kratie省で236人について検討した(表5)。その結果、カンボジアのメコン住血吸虫症浸淫地では、門脈−大循環シャントの有無によって、血清アンモニア値は違わないことがわかった。巨大脾腫の治療方法としては、脾摘が選択されることもあるが、不用意な脾摘は、かえって肝性昏睡を誘発することがあることも知られている。しかしながら、巨大脾腫や門脈−大循環シャントを合併しながらも、血清アンモニア値が殆ど正常域にとどまっていたカンボジアのメコン住血吸虫症浸淫地においては、脾摘による肝性昏睡の誘発や神経症状の悪化は、殆ど心配する必要がないと思われた。
 
表5 カンボジアにおけるメコン住血吸虫症浸淫地における血清アンモニア値
 
今後の展望
 今回の調査で、メコン住血吸虫症の超音波所見は、日本住血吸虫症よりも、むしろマンソン住血吸虫症に似ていることがわかった。また、従来の住血吸虫症の肝病変としては報告がみられないまだら状脂肪肝を思わせるような病変がみられたが、この病変は、病理組織学的な検索で認められる肝細胞の空砲変性・泡沫状変化を反映している可能性もある。今後は、マウスに対する感染実験による病理組織学的検討を並行して行ったり、手術例に対する組織学的な検索を共同して行うなどして、超音波像のもととなる病態の変化についても見識を深める必要があろう。
 また、超音波検査による肝病変は、ある程度メコン住血吸虫によるmorbidity変化を反映していることがわかったが、1995年の集団治療の導入以来、カンボジアのメコン住血吸虫症浸淫地のmorbidityは、劇的に改善していると考えられる。今後は、プラジカンテルの治療と超音波検査所見によるmorbidity変化の関係について、更に詳細に検討する必要がある。さらに、超音波検査と併せて免疫血清学的検査も行われたが、一部の地域では、血清疫学によるendemicityと超音波検査によるmorbidityが一致しないところもあった。プラジカンテルによる集団治療の結果、カンボジアでもmorbidityが改善すると共にKato-katz法による虫卵陽性率も減少している。今後は、超音波検査と血清検査を組み合わせてメコン住血吸虫症対策の効果を継続的に評価していくことも考えられよう。







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