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III.小学校児童の血清疫学調査
松本 淳、松田 肇
 
 我々は、カンボジア国内のメコン川流域に分布するメコン住血吸虫症の流行状況を把握するために、1996年度の調査開始以来、小学校児童を対象とした血清疫学調査を継続しておこなってきた。メコン住血吸虫症の診断では、糞便検査のみでは検出感度が低く、見落とされる例も少なくない。これに対して、被検血清中の特異抗体価を検出する血清診断法は、感度の点で優れており、流行の程度が低い地域でも感染者を鋭敏に検出することができる。しかし血清診断法では、血清の分離や反応の過程において、遠心機や吸光度測定器など大がかりな電気機器が不可欠である。従ってこれまでの調査では、実際の測定は帰国後におこない、後日現地スタッフを通して被険者に検査結果を通知するという方法を取らざるを得なかった。このため、採血から検査結果が判明するまでに時間差が生じてしまうという難点があった。そこで本年度調査の新たな試みとして、微量の全血を検体として用いる迅速ELISA法による検査を実施した。
 本検査法は、血液中のメコン住血吸虫に対する特異抗体を検出する点では従来の血清診断法と同様であるが、いくつかの際立った長所を備えるものである。まずはじめに、採血した血液をそのまま検体として使うので、血清分離の労力と時間を省くことができる。次に、ランセットによる穿刺のみで採取できる程度の極めて微量の血液で検査が可能なので、被険者への精神的・身体的負担がきわめて小さい。このため、被険者から検査に対する同意を得やすい。注射器具を用いて採血をおこなっていたこれまでの調査では、被険者本人や保護者らが採血を拒否し、調査の進展に支障をきたす場合があったが、迅速ELISA法を採用することで、こうした事態を避けることができる。さらに、検査反応の全過程が1時間ほどの短時間内で終了するので、検査反応を調査現地でおこない、その結果を被険者本人や現地スタッフにその場で示すことが可能である。
 調査に先立ち、迅速ELISA法では一連の検査手技が短時間内に終了可能であることを実験室内条件下で確かめるとともに、反応時間や試薬濃度などについて至適な条件をあらかじめ決定した。そして今回の調査では、現地における検査反応の施行には支障がないことを確認するとともに、迅速ELISA法の有効性を確認することを主要な目的とした。
 なお、今回の調査では、メコン住血吸虫の虫卵から作製した抗原を使った検査が初めて可能となった。これは、昨年度の調査時にメコン川で中間宿主貝を多数採取し、メコン住血吸虫の実験室内継代維持に成功したことによるものである。昨年度までの調査では、メコン住血吸虫の虫卵抗原が入手できず、近縁種である日本住血吸虫の虫卵抗原を代用せざるを得なかった。このため、検査の特異性に若干の不安が残されていた。本年度の調査では、メコン住血吸虫の虫卵抗原を使用出来るようになったことで、この懸念はほぼ払拭されることになった。
 迅速ELISA法による検査では、各調査地における抗メコン住血吸虫抗体陽性率は、以下に示す通りであった(表1)。Sdau: 79.5% (31/39); Koh Sneng: 34.8% (24/69)(以上2地区はスタントレン省);Achen: 47.7% (42/88); Sambo: 85.2% (75/88);Kanh Chor: 22.7% (20/88);Chhlong: 21.6% (19/88)(以上4地区クラチェ省);Kok Kokh: 25.0% (22/88);Kok Prah: 30.7% (27/88)(以上2地区はカンポンチャム省)。これら各地区における小学校児童の特異抗体陽性率は、日本住血吸虫の抗原を使っておこなってきた昨年度までの調査結果の傾向と既ね一致した。すなわち、メコン川上流域にあるスタントレン省およびその下流に位置するクラチェ省の支流沿岸では、高い陽性率を示した。これに対して、メコン川下流域にあたるカンポンチャム省では、陽性率は比較的低い値にとどまった。注目すべき新知見は、これまでメコン住血吸虫症の分布が確認されていないカンポンチャム省においても、陽性を疑う例が少なからず検出され、未確認のメコン住血吸虫症流行地の存在が示唆されたことである。なお、我々の調査後に、WHOスタッフを中心とする調査団がカンポンチャム省において血清検査をおこない、やはりメコン住血吸虫症の存在を示唆する結果を得た。カンポンチャム省におけるメコン住血吸虫症の存在を確定するためには、糞便検査による虫卵の検出を待たねばならない。今後入念な調査を進める必要がある。
 迅速ELISA法による検査では、いずれの調査地域においても、採血終了後60分間程度で検査結果を得ることができた。各被険者の検査結果は、数値(吸光度)として表されるほかに、ELISAプレート上にみられる反応液の発色程度によって児童にも容易に判別することができる。そこで、調査現地におけるメコン住血吸虫症の流行状況を、反応があらわれたELISAプレートを使って被険者および現地スタッフにその場で説明することで、彼等の強い関心を集めることができ、衛生思想の普及に大きく寄与した。
 検査結果が調査現地で判明することの利点は、これにとどまらない。例えば、検査結果に基づいて特異抗体陽性者を選出することで、腹部超音波検査などさらに詳細な検査を効率良く施行することができる。また、これまでほぼ無差別におこなってきた集団駆虫を、患者に的を絞って選択的に実施することが可能となる。各地区におけるメコン住血吸虫症の罹患率が低下してきた現状では、対費用効果の面からも、無差別な集団駆虫よりも選択的な駆虫の方がはるかに望ましい。メコン住血吸虫症コントロール対策において最も重要な活動である集団駆虫の効率化を図るうえでも、迅速ELISA法による検査はたいへん大きな意味を持つ。本法が、カンボジア国内におけるメコン住血吸虫症疫学調査の今後の進展に大きく寄与することが期待される。
 
表1. カンボジア・メコン川流域におけるメコン住血吸虫症学調査結果
  ―迅速ELISA法による検査および糞便検査の陽性率―
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