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◆まとめ
 以上見てきたように、横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである。安明進の証言の進化のあとを、一九九四年、一九九五年、一九九七年、一九九八年と系統的に点検すれば、信頼度が低いものと結論せざるをえない。となれば、石高氏が伝える韓国情報部高官の話しかのこらないのだが、石高氏の説明にも多くの疑問点が存在する。石高情報だけでは、一九九七年二月の時点で、日本政府自体が拉致疑惑を認定できないとしたのである。以上の検討からして、横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである。そういう情報が韓国情報機関から流されているのなら、拉致されたかもしれないという疑惑が生じうるという以上の主張は導き出せないと思われる。横田さんのご両親にはまことにお気の毒だが、それ以上の確たる材料は与えられていないのである。
 七件一〇人といわれる「拉致疑惑」事件のうち、横田めぐみさんの事件以外は、どのように考えられるであろうか。久米裕さんの事件は、海岸まで久米さんを連れて行った在日朝鮮人の供述があり、疑惑は濃厚だが、日本の警察が国外移送拐取罪で立件しなかった以上、行方不明者として交渉するほかないであろう。李恩恵事件は、李恩恵と田口八重子さんが同一人物であるとの特定に疑問が出されているのであれば、その点の解明を先行させるべきであろう。アベックの三組の失踪事件については、安明進の証言の信頼度がゆらぐと、直接的な根拠がなくなってしまう。事件当時、現場近くの海上でスパイ連絡用とみられる怪電波が傍受されていることが挙げられるが、内容の解読から関連が出てこなければ意味がない。この人々についても行方不明者として交渉するほかないだろう。というわけで、直接的な根拠、当事者の供述、証拠品からして拉致事件として問題にしうるのは、辛光沫事件一件のみだということになるのである。
 このことを基礎に外交交渉にどのように乗せうるかについては、他の要素も考慮に入れて考えなければならない。
著者プロフィール
和田春樹(わだ はるき)
1938年生まれ。
東京大学文学部卒業。
同大社会科学研究所長を経て、東京大学名誉教授。
専攻はロシア・ソ連史・現代朝鮮研究。
著書に『金日成と満州抗日戦争』『朝鮮戦争』『北朝鮮―遊撃隊国家の現在』ほか。
 
 
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