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めぐみさん拉致については、韓国情報部の謀略だと公然と非難してくる専門家もいた。その非難に反論を加えた、佐藤勝巳(救う会全国協議会会長)の小論を引用しておく。
◆コリア・レポートの少女拉致報道を糺す
佐藤勝巳
 『コリア・レポート』三二八号(一九九七年二月(上))は、横田めぐみ拉致事件に対する日本のメディアの報道あり方を次のように論評している。
 二十年前に新潟海岸で消えた少女の存在を「韓国に亡命した北朝鮮工作員が証言した」と言っているが、ネタもとの朝日放送の記者も「マスコミの誰一人、証言者に会った人はおりません」。韓国で記者会見もしていない。正体不明のままで「誰が言ったか分からない伝聞を『証言』と報道することには問題があります」。これは「未確認情報」と呼ぶべきではないか、と批判した。
 今回の拉致事件をマスメディアが大きく取り上げたのは、『コリア・レポート』が言うように「韓国に亡命した工作員」の証言だけで報道したのだろうか。私の知る限りそんな報道機関は全く無かった。この「正体不明」の証言が、二十年前新潟県地元紙が報道している「行方不明」になった少女の状況と重要な部分は全て一致していたからだ。だからマスメディアが取り上げたのだ。
 『コリア・レポート』は「亡命者の証言」と当時の地元紙のファクトが二つあるうち、後者を意図的に落とし他を批判している。こんなのを通常デマゴギーと呼ぶのではないだろうか。
 別のぺージで「関係者によると、今回のスクープは北朝鮮に批判的な人々や北朝鮮の人権問題を追求している関係者によってセットされ、国会の場に持ち込まれた」と言う。
 なお、「奇遇にも同じ日に記事化した産経と『AERA』長谷川煕記者、それに、前出の石高健治氏や仕掛け人とされる『現代コリア』の佐藤勝巳氏らは北朝鮮当局や朝鮮総聯からこれまで名指しで攻撃され、非難されたことで知られている」と書いている。
 「今回のスクープは北朝鮮に批判的な『現代コリア』によってであった」。これが正解である。その根拠は、当研究所のインターネットにこの事件を掲載したのが九七年一月八日だ。『AERA』も『産経新聞』もこのインターネットを見て取材に動いたのだ。
 西村議員にこの話を持ち込んだのは、当研究所の荒木研究部長である。西村、荒木両氏は、旧民社党の仲間で「北朝鮮の人権問題を追求している関係者」の力など借りる必要は全くないし、事実何の関係もない。これはデマだ。
 また、「奇遇にも同じ日に記事化した産経と『AERA』」と思わせぶりに書いているが、二人は当研究所のスタッフに、別々に取材している。断言してよい。『産経』と『AERA』の記者は何の面識もない。
 次に、西村議員の二月三日の質問日と『AERA』の発売日と『産経』の記事が重なったのは、全くの偶然である。
 西村議員の予算委員会での質問は、当初全く予定されていなかった。党内事情から、西村議員に突然質問が回ってきたのは質問日の一週間前だ。その日がたまたま二月三日だったのである。この三者の間には、何の結びつきもない。
 この三者に個別に関係があったのは現代コリア研究所だ。しかし、一定の情報は提供したが『AERA』に何時めぐみさんの記事が載るのか、四、五日前まで知らなかった。『産経』に至っては、当日まで誰も知らなかった。
 「仕掛け人とされる『現代コリア』の佐藤勝巳氏ら」というが、私は『現代コリア』の発行人であり、同誌記者の一人だ。その人間が、韓国にいる亡命者からの情報と当時の地元紙の記事が一致していたことを知って、二十年まえ行方不明の少女が、北朝鮮にいることが確実視されてきた。月刊では遅いので研究所のインターネットに掲載した。それを読んだ一部メディアが記事にし、社会問題となっていった。これがどうして「仕掛け人」と言えるのか。雑誌の発行人として当たり前のことを書いたまでのことだ。
 『コリア・レポート』の編集発行人は在日朝鮮人だ。我国は、相手が三文字名前の韓国・朝鮮人だと、彼らが、どんなにデタラメなことを言っても(北朝鮮の記念日が近づくと辺氏は、金正日のトップ就任間違いなしとテレビで発言してきた。しかし、全部はずれた)書いても誰も何も言わない。すると調子に乗って、今回のようなデマを堂々と書くことになる。七〇年代に鄭敬模という人がいた。調子に乗って日本の一部メディアでいろいろ発言していたが、中身がないから誰にも相手にされなくなった。日本を甘くみてはならない。
 しかし、『コリア・レポート』の記事の中で私が最も強い興味を持ったのは、佐藤らが「北朝鮮当局や朝鮮総聯からこれまで名指しで攻撃され、非難されたことで知られる」という件だ。だからどうしたと言うのだ。北朝鮮は、日本人を暴力で拉致し、朝鮮戦争を初め、韓国に数々のテロを行ってきた。そんな国家に「批判」されない言論は、言論ではない。私は、批判されることを誇りに思っている。
 辺氏が北朝鮮や総聯の顔色をうかがうのは自由だ。日本国籍ではないから、日本人の拉致問題を軽視するのも仕方がないことだ。しかし、取材もせずにデタラメを書くのは、世論誤導に連らなるので黙視できない。
 二月八日のテレビ朝日「ザ・スクープ」は、前記亡命者と全く違う亡命者のインタビューを放映した。以下の記述は、亡命者をインタビューした人たちを私が取材して書いたものである。
 この亡命者が初めて二十五、六歳の日本女性を目撃したのは一九八九年、場所は、北朝鮮の平壌北方約四十キロにある工作員養成機関金正日政治軍事大学の大講堂の中であった。学生、教師、職員全員千八百名が招集され、大会の開催をまっていた。そのとき、日本人八名がやや遅れて会場に入ってきた。前列に教官たちが着席し、亡命者は、二列目の席に座っていた。まん前にいた教官が、八人の日本人の中の一人二十五、六歳の女性を指さして「あの子は、一九七〇年代十三歳のとき、自分が新潟海岸から連れてきた子だ」と隣の教官に説明していた。
 連行したときの状況は、工作員三人のうち一人が波打ち際にいて、二人が上の方の道路にいた。この二人が女の子に目撃されてしまったので連行したというものだ。その教官は「後で泣き叫ばれ可哀想なことをしたと胸が痛んだ」と語っていたという。
 取材者たちは、日本での出版物に掲載された横田めぐみさんの写真何枚かを見せ確認をした。そのうちの二枚が非常によく似ていると言ったという。なおこの工作員は、その集会後、大学の中で、めぐみさんの顔を合計八回見ていると証言している。日本人八人は、工作員たちに日本語と日本事情を教えているという。
 この取材グループは、全く別の目的で、安全企画部を通じ亡命者に取材していたものである。取材中いきなりぶっ付け本番で「少女」のことを質問してみた。すると上記の答えが返ってきたのだ。取材陣も驚いたし、立ち会っていた安全企画部の人間もびっくりしたという。取材グループのジャーナリスト精神がこの重大な証言を引き出したのである。
 『コリア・レポート』は、これでも佐藤勝巳が仕掛けたと言うのか。次号で答える義務がある。
(『現代コリア』一九九七年三月号)
著者プロフィール
西岡 力(にしおか つとむ)
1956年、東京生まれ。
国際基督教大学卒業。韓国延世大学留学。筑波大学大学院地域研究科修了。
82〜84年、在ソウル日本大使館専門調査員。現代コリア研究所主任研究員を経て、現在、『現代コリア』編集長。東京基督教大学教授。
「救う会」副会長。
 
 
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