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1994年9月号 『中央公論』
金正日の北朝鮮50の質問
重村智計、小此木政夫
◆金正日とはだれか
Q1 金日成の死因に問題はないか
 金日成主席(以下、肩書敬称略)死去後に、死因に問題があるとの報道が広がった。これは共同通信の、ワシントン発の作文原稿のためである。次のような原稿を、共同通信は、金日成の死去発表直後に配信した。
 「【ワシントン8日=共同】米情報筋は八日、金日成主席が死去したとの報道について、米朝高官協議の開催など『不思議に時期が一致しすぎている。自然死とは、考えにくい』と述べ、何らかの内部抗争による死亡の可能性がある、との見方を明らかにした」
 この記事を送った記者は、金日成が心臓疾患に悩み、かなり危ないといわれてきた事実を知らないからこうした記事を送ったのだろう。
 この原稿は、一般の人にはもっともらしい話のように思える。しかし、専門家からすれば、まったく荒唐無稽な情報なのだ。「○○筋」を主語に原稿を書くのは、言論統制が厳しく、取材先に迷惑がかからないように配慮する場合である。ワシントンのように、そうした心配のない場所では「筋」の用語は使わない。
 この記事の問題は「自然死とは考えにくい」としながら、その根拠や情報は示さず、「……との見方を明らかにした」と書いたことだ。情報関係者なら、「情報」を明らかにするのが当然で、「見方」は語らない。見方なら、大学の教授か研究者にでも聞けばいい話程度のものである。新聞では、「識者の談話」として扱われる程度のものだ。
 共同通信は、この記事を重大記事の扱いで、「番外」として各社に連絡した。いささか問題であろう。
 ワシントンからの原稿の場合は、「ホワイトハウス高官」「国務省高官」か、せいぜい「米政府高官」の引用のある原稿以外は信用しないのが、鉄則である。自信のない記事や、作文原稿は「情報筋」「米政府筋」などの引用をする、と考えてまず間違いない。
Q2 なぜ国民は金日成の葬儀であれほど泣いたのか
 一昔前の日本の状況と同じである。昭和天皇の敗戦の放送に、日本人はみんな泣いたではないか。皇居前で、ひれふして泣く姿が、写真に収められているではないか。圧政が終わったといっても、万歳を叫ぶ姿はマスコミの記録にはない。
 北朝鮮では、長い間金日成主席への個人崇拝を徹底して教育してきた。事実上「金日成教」ともいうべき宗教であった。金日成を「お父さま」と呼んだ。宗教の集会や食事の前にお祈りを捧げる際に、「天の父なる神様」と呼びかけるような行為が、日常化していた。きわめて巧みに、政治統治に宗教的信仰と熱狂を取り入れた。
 さらに、朝鮮労働党員は約三五〇万人いる。この人数からすれば、数百万の人々が金日成の弔問につめかけ、国葬で沿道に多くの人々がつめかけたのも、不思議ではない。
Q3 金日成の「最後の賭け」とは
 米朝高級会談の再開に成功しただけでなく、南北首脳会談を受諾したことによって、金日成時代の最後の瞬間に、北朝鮮が一転して対話攻勢に転ずる可能性が高まっていた。もちろん、南北首脳会談には、米朝高官会談が失敗した場合の「保険」の意味が込められていた。南北間に高いレベルの対話が維持されている限り、経済制裁は不可能だからである。しかし、それが真に意図したものは、米朝「一括妥結」のための環境づくりであり、二つの会談の間の「相乗効果」だったのだろう。また、二つの会談が進展すれば、日朝国交正常化交渉も再開されたに違いない。
Q4 親子対立説は本当か
 二人の間の濃密な信頼関係は、金正日書記(肩書敬称は七月三十日現在、以下略)の幼年時代にまでさかのぼる。抗日パルチザン隊長であった金日成は、その同志である金正淑とシベリアで結婚し、二人の間に二男一女をもうけた。しかし、不幸なことに、この一家は一九四九年九月までに母親と一人の息子を失っている。いいかえれば、妻を失った金日成は七歳の金正日と幼い金敬姫とともに「父子家庭」を構成したのである。母親と弟を失い、妹の面倒をみた金正日には、父親の愛情以外に頼るものはなかった。それは金日成が金聖愛を後妻に迎えた後も変わらなかっただろう。他方、金日成にとっても、金正日は何度となく死線を越えた「青春の証し」にほかならなかった。
 金日成と金正日の信頼関係は一貫しており、金正日も金日成の期待に十分に応えていた。
Q5 なぜ金正日が後継者になるのか
 朝鮮半島の政治行動の最大の価値観は次の三つである。
一 大義名分
二 正統性
三 体面
 後継者は、少なくとも後継の大義名分と正統性を持つ人物でないと、認められない。大義名分は、まず実績である。金正日は金日成と共に、二〇年間にわたり内政を取り仕切ってきた。金日成は遺言で、金正日を後継者にすることを確認したという。
 また正統性は、金日成の意思を継いでいることで、満足させられる。金日成が生前から、金正日を後継者に決定した事実が、正統性を確実にしていた。
Q6 金正日の最初の課題は何か
 金正日政権が直面する最初の課題は、父親が着手していた米朝高官会談と南北首脳会談をそのまま実行に移すか、それとも撤回するかの決断である。もし前者を選んでそれに成功すれば、経済制裁を回避できるだけでなく、米朝関係を正常化し、南北関係を改善できるかもしれない。そうなれば、日朝国交正常化も可能になり、多額の「償い」資金を導入し、経済再建も可能になるだろう。外交的な成果によって新政権の威信が確立されれば、少なくとも二、三年の時間的余裕を獲得できる。しかし、そのためには、核兵器開発の断念、すなわちNPTへの完全復帰、全面査察の許容、南北「非核化」共同宣言の履行などが不可欠になる。国交正常化となれば、北朝鮮製ミサイルの輸出問題も解決されなければならない。
 金日成・金正日の濃密な父子関係からみて、金正日はほぼ確実に米朝会談の早期妥結の道を選ぶだろう。金正日にとって、金日成・カーター会談は「亡父の遺言」になっているはずである。ただし、南北首脳会談には属人的な要素が濃厚である。しかも、開催されれば失敗は許されない。したがって、米朝交渉がある程度前進するまで一時的に棚上げされるが、比較的早い時期に副首相レペルで再協議され、新しい形式で実現されるだろう。
Q7 金正日はどんなタイプの後継者か
 金正日は、企業でいったら創業二世である。創業二世には二つのタイプがある。第一のタイプは父親の生前からその経営方針に批判的であり、社長に就任した後、父親とは異なる革新的な経営方針を採用するタイプである。極端な場合には、父親を批判し、新しい権威を創造しようとする。それなしには、大胆な革命が不可能だからである。第二のタイプは、父親の権力だけでなく、権威まで継承しようとするタイプである。父親の死後もその権威を利用し、その経営方針を家訓として踏襲しようとする。前者が反抗型だとすれば、後者は孝子型であるが、金正日は明らかに後者のタイプである。いずれのタイプにも、成功者もいれば、失敗者もいる。
 金正日に不足するカリスマ性は伝統的ないし儒教的な社会意識によって補われようとしている。革命的首領論、社会政治的生命体論など、金正日体制を支える朝鮮式社会主義理論は、マルクス・レーニン主義とは無縁であり、むしろ北朝鮮社会に温存された旧い社会意識を動員しようとするものだろう。事実、現在北朝鮮で強調されているのは、忠誠、孝誠、義理などの儒教的徳目であり、金日成は金正日を「孝行心がきわめて強い忠臣、孝子の手本である」と讃えた。
Q8 金正日体制の長期展望は
 新たに発足した金正日政権の安定化は、短期的には、核兵器開発を断念し、対外関係を打開できるかどうかにかかっている。しかし、長期的にみた場合はどうだろうか。
 対外関係の打開は必ずしも金正日政権の安定化を保障するものではない。なぜならば、南北朝鮮間の経済協力や日朝国交正常化に伴う日本からの資本や技術の導入が進展すれば、それが北朝鮮に別の種類の矛盾、すなわち金正日が継承しようとしているスターリン主義的な旧い政治体制と新たに導入される経済開放政策の間の矛盾を表面化させるからである。
 いずれにせよ、金正日体制の内部矛盾は時間の経過とともに深刻化し、権力闘争の激化はやがて指導者=体制=国家の三位一体の崩壊を招来するだろう。
Q9 金正日の健康状態は
 金正日の健康状態については、ロシアの情報では心臓疾患がある、といわれてきた。金正日を診断した、ロシアの医師の診断という。このため、ロシアでは昨年秋頃から、金日成より金正日のほうが先に倒れるのではないか、との憂慮を強めるほどだった。
 中国では、ことし三月に北京在住の医師が平壌を訪れ、金正日を診断したといわれる。中国の情報機関によると、この医師は糖尿の治療に当たった事実を認めたという。
 さらにロシアでは以前から、金正日の躁鬱質についての情報を流してきた。
 しかし、こうした情報は公式には確認されてはいない。いずれにしろ、情報は多く流されるが、ほとんど確認できない状況にある。
Q10 金正日の家庭はどうなっているか
 これまで、金正日の家に招かれたのが明らかにされているのは、韓国から拉致された女優の崔銀姫さんだけ。崔さんによると、控え目で表には出てこない奥さんがいたという。夫人の名前は、金恵淑さんで、金正日の二番目の夫人という。前夫人とは離婚したといわれている。
 前夫人との間には長男がおり、二十六歳で軍隊に入っているといわれる。金恵淑夫人との間には、娘が生まれた。
 金正日の家は、平壌市内にあり、家の中には一二〇平方メートルほどの映写室があり、応接室を兼ねていたという。金正日の使う建物は、家であれ別荘であれ、また事務所であれ、必ず映写室が備えられており、きわめつきの映画好きという。
 金恵淑夫人は料理が上手で、金正日が好む海老フライに、魚やイカの刺身、テンプラなどを作っていたという。
 金正日は、金日成の葬儀に妹の金敬姫さんを伴って現われるなど、実に妹思いの兄という。
Q11 異母弟は金平日かそれとも金平一か
 金日成は、前妻金正淑女史の死後、金聖愛女史と再婚した。この金聖愛女史との聞に生まれたのが金平日氏で、一九五四年生まれといわれる。現在フィンランド大使の職にある。
 金平日大使の名前の表記については「金平一」との表記も見られたが「平日」が正しい。金大使が、名前のサインを求められた際に、自ら漢字で「金平日」と書いたという。また朝鮮半島の名前の付け方から考えても、金平日の表記が正しいだろう。
 一九八八年にハンガリー大使に就任した後、ブルガリア大使を経てフィンランド大使に転出した。韓国では、金正日が金平日大使をライバルとして警戒している、との見方が有力で、継母と異母弟との権力闘争が続いているとの観測が根強い。
 金平日大使は、四月に平壌に帰国して以来フィンランドに帰任していないことから、追放説や内部闘争説など、多くの憶測を生んでいた。
Q12 継母と異母弟との権力闘争はあるか
 この権力闘争説は、韓国社会のものの考え方を、そのまま北朝鮮にあてはめようとして生まれた見方である。まず韓国の母親は、実の子供に対する所有欲がきわめて強い。このため、継母の場合には先妻の子供をいじめ、実の子供の利益になることばかり画策しようとしがちだ。もちろん立派な継母もいるから、全部そうだとはいえない。
 しかし、通常の女性ならこうした傾向が強い。この結果、継母と金正日不和説が一般化した。早く母親を失ったうえ、父親との父子家庭を継母に壊されたとの感情は、金正日にも一般的にはあるだろう。また、金正日が若い頃にはそうした衝突もあったであろう。
 だが、北朝鮮の場合は長男が家督を継げば、母親や弟は長男に従うのが伝統だ。その代わり、長男は家族皆のめんどうを見なければならない。長男が権力をとれば、一応事態は治まる。
 金正日を巡るお家騒動も、すでに金日成が断を下しており、問題はないと考えるべきであろう。もし将来、金平日大使が権力を握るようなことになれば、報復人事が始まり政権内部は大混乱に陥るだろう。
Q13 金正日はなぜ外国人に会わなかったか
 金正日は、金日成存命中に、これまで何度となく「国家主席の職を継ぐ」と言われ、そう報道されたこともあった。しかし、朝鮮半島の政治文化では、院政はありえない。肩書を失うと、政治的影響力をたちまち失う。名実ともに肩書社会である。
 この朝鮮半島の政治伝統を知らないと、「金正日書記、国家主席を継承」のニセ情報に引っかかってしまう。日本では、総理をやめても「闇将軍」や「キング・メーカーでいられるが、韓国でも北朝鮮でも、こうした政治伝統はない。だから、「主席」は死ぬまで「主席」でいなければならない。
 また、金日成が生存し元気でいるのに、それを押し退け金正日が主席を継げば、「親不孝」の批判が起きる。儒教の伝統は、「忠孝」をなお美風にしている。親に対する「孝」を行なえない指導者は、権力者としての正統性を欠くことになる。
 金日成は、国内政治をすべて金正日にまかせながら、外交は自身が担当してきた。親が主席として権限を握っているのに、それを差し置いてしゃしゃり出るのは、親孝行に反する。
Q14 金正日は外国に行ったことがあるか
 韓国が入手した記録では、高校在学中に東独の航空学校に留学したといわれている。また中国を訪問したことはある。しかし、それ以外は外国を訪問した記録はない。日本も秘かに訪問した、とも言われているが、確認されていない。
 外国の文献は、よく目を通しており、『中央公論』も読んでいるという。
 金正日のひとつの不安は、外の世界での経験が少ないことである。外の世界を自分の頭で、観念的にしか理解できないわけだ。
Q15 首領制とは何か
 北朝詳の最高指導者は「首領」と呼ばれる。通常、「領袖」と訳されるが、この訳では自民党の派閥の領袖のようになってしまう。「首領は党の最高領導者であり、党の領導はすなわち首領の領導である」のだから、首領は派閥の領袖のように何人もいるわけではないし、相対的存在でもない。それどころか、首領は唯一的かつ絶対的な存在である。北朝鮮の「社会政治的生命体」論によれば、首領は人民大衆の運命を開拓する決定的な役割、すなわち「脳髄」の役割を演じなければならない。他方、労働党は「中枢神経」として、「細胞」である人民とともに、首領を奉じて社会政治的生命体を構成するのである。「一人は全体のために、全体は一人のために」とのスローガンにみられるように、これはある種の全体主義的な社会有機体説である。
 しかも、首領は金日成一代で終わるものではない。朝鮮革命が未完の革命である以上、金日成の革命伝統も唯一思想も「代を継いで」受け継がれなければならないからである。党員や人民にとっては、首領を「代を継いで永遠に奉じる」ことが「最高の革命的義理」にほかならない。
Q16 北朝鮮は社会主義国家か儒教国家か
 七月二十日に金日成追悼大会が挙行されたが、その形式は社会主義国家、とりわけ中国でとられた方法と朝鮮の儒教的な伝統の折衷であった。
 社会主義国で最高指導者が死去した場合には、次の最高指導者(後継者)が誰であるのかが、一目瞭然でなければならない。そのため、通常、次の指導者が葬儀委員長に就任するのである。しかし、朝鮮の儒教的な伝統のもとでは、喪主は親の死に責任を感じて、ひたすら恐縮していなければならない。葬儀委員長に就任することも、追悼演説を行なうことも許されていない。
 それどころか、北朝鮮では、「国父」である金日成の死に対して、一般の党員や人民も責任を感じなければならなかった。金永南労働党中央委員会政治局員・副首相の追悼文のなかには、「全党員と人民は自身の忠誠と孝心が足りないために、父・首領をもっと永く奉じることができなかった」という表現が存在する。
Q17 本当に南北統一を願っているのか
 晩年の金日成はたびたび「解放五十周年の一九九五年を朝鮮統一の年にする」と言明していた。このような主張は非現実的な響きをもって聞こえるだろうが、七月二十五日に予定されていた金泳三大統領との南北首脳会談が実現していれば、来年の八月十五日までに金日成がソウルを訪問し、統一国家の形態に関する画期的な合意に到達したかもしれない。すでに南北の統一提案のいずれもが早急な制度統一を要求しなくなっているのだから、金日成が暫定的に韓国の主張する国家連合方式を受け入れても不思議ではなかった。率直にいえば、冷戦終結後の困難な状況のもとで、北朝鮮は「制度統一」を棚上げし、むしろ「制度共存」という名の「分断状態」を必要としているのである。
 韓国の統一提案(「南北連合」)との間の最大の対立点は、南北朝鮮国家の二つの主権を認定して、朝鮮統一を緩やかな主権国家連合としてスタートさせる(韓国案)か、当初から双方の主権を制限して、それを連邦統一政府に委ねる(北朝鮮案)かにあったのである。
 しかし、韓ソ国交樹立後の一九九〇年十月に平壌を訪問した韓国の姜英勲首相に対して、金日成は初めて「一つの国家、一つの民族、二つの制度、二つの政府に基づく」連邦制方式を提示した。
 さらに、金日成は「北と南の互いに異なる制度を一つの制度に換える問題は、今後ゆっくりと穏やかに解決するように次の世代に委ねてもよい」とも言明していた。
Q18 反体制運動は存在するか
 これまで、金日成への軍部のクーデター未遂事件などが、情報として報じられてきた。また日本の貨物船の船長が、「朝鮮救国戦線」結成の声明紙を日本政府に手渡すよう頼まれたことがあった。しかし、組織だった反体制グループの存在は、確認されていない。
 北朝鮮の政治、軍事体制からすると、反体制組織が簡単に作られるとは考えられない。日本に逃亡してきた元北朝鮮兵士が、日本政府の取り調べに対し、北朝鮮軍内部に反体制組織が存在すると証言したことがある。軍の無線機を盗み、連絡しあっていることを明らかにしていた。
 しかし、こうした組織が存在するにしろ、表立った行動や反体制運動はきわめて困難である。日本や西側社会で考えるような、反体制組織は事実上存在しない、と考えていいだろう。また、一般国民は外国の放送が入るラジオの所有を禁止されている。取締りや監視体制が徹底しており、反体制グループの結成は不可能な状態だ。
 米国や日本との正常化後に、日米からの民主化・人権問題支援を期待するグループが、反政府運動を始めることになろう。
Q19 金正日の北朝鮮を知るためには何を読めばいいか
 金正日を礼賛したり、北朝鮮の特異な面を強調し、非難に終始する本には、意図があると思うべきだ。北朝鮮からの逃亡者の本は、書いている人の体験より伝聞の多いものは避けるべきだ。
 おもしろおかしく揶揄しているものも、正確な理解には役立たない。北朝鮮に対するさげすみも、また過大評価も避けるべきだ。金正日は、酒が好きでかつ女遊びをするというような矮小化された視点からは、現実の北朝鮮は見えてこないだろう。東京でもソウルでも、夜になると酒と女性の好きな男性が、街にあふれている。別に特異な情景ではない。
 多くの本の中で、金正日に直接接触したものは、北朝鮮に拉致された映画監督の申相玉氏と崔銀姫夫人の『闇からのこだま』である。申監督は、必ずしも正直にすべてを告白していないと思われるが、金正日と金日成に関する記述は、遠慮しながらも誰も書けなかった事実を明らかにしている。
 韓国人が、北朝鮮をきわめて公平に見つめようと努力したのが、『北朝鮮その衝撃の記録』である。『月刊朝鮮』がまとめた記事は、北朝鮮への同じ民族としての愛情を示しながら、厳しい取材を重ねている。
 『金日成調書』も、それなりに読みごたえがあるが、金正日の北朝鮮を理解するには、物足りないかもしれない。
 亡命外交官の高泳煥氏の『平壌二十五時』は、金正日についての記述などにあまりに伝聞が多すぎる。高氏の亡命理由が、いまひとつはっきりつかめない。
 金賢姫の書いたものは、自分の経験だけに限定しており、伝聞の少ない書物として評価できる。北朝鮮からの亡命者の報告は、北朝鮮の社会から阻害された人々の闘争の記録ではある、しかし、北朝鮮の体制の中で適応している人々の考えと生活は、伝わってこない。また、北朝鮮中枢部の人間関係や政策にまつわる告白は、なお公開されていない。
 
 
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