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人体解剖を体験して
 小林 賢司
 解剖学実習の前日、明日から始まる人体解剖について、想いを廻らした記憶がある。何故か物凄く不安であった。
 御香の香りが微かに混じった解剖学実習室の臭いは、正に私のイメージにマッチするものであった。とても荘厳で、全く他とは違った雰囲気だった。頭の中ではとるべき行動が分ってはいても、実際にご遺体を目の前にすると何も出来なくなっていた。
 最初、何よりも最も神経質になっていたのは、ご遺体の顔を拝見することであった。従って、最初すぐにはご遺体の顔を拝見出来なかった。「顔」が、その人の全てを象徴しているものの様に思えたからだ。顔は勿論のこと、体格や体色までも一人一人みんな違うと気付いたのは、もっと後になってからだ。ご遺体の方々一人一人に「個性」があった。私達は、ご遺体の方にこの場で出会い、解剖をさせて戴くことになったというご縁を大切にしなければならないのだ。
 このご遺体の方々が生前は私達と何ら変わりのない一人の人間であったという至極当然の事をふと考えると、時々何ともいえない死に対する恐怖感や罪悪感にも似た気持ちを感じることがある。余りにも今生きている自分達とはギャップがあり過ぎるのだ。ご遺体の方々一人一人がみんな自分なりの人格、性格、価値観、癖、習慣、趣味、特徴を持って生きていたし、もちろん恋愛だってしていただろう。今の私達と何ら変わりはなかったのだ。
 解剖学実習を体験することによって、自分のものの考え方や価値観が大きく変わったとは思わない。ただ、普通の人では体験出来ないものを知り、見た様な気がする。つまり、この世の「命」という究極的で曖昧なものを目の当たりにした様な気がするのだ。そして、「一体、命とは何なのか?」と考えさせられることもあった。命の大切さ、素晴らしさも改めて実感する。勿論、医学教育上人体解剖学は医学生にとって必須であると強く感じたし、実際ご遺体から様々な事を学ぶことが出来た。人体構造の理解ばかりでなく、将来、患者さんに向かい合う私達にとって「命」を考えるのにも、とても良い機会になったと思う。この様な倫理的な面も含めて、人体解剖実習は私にとって、とてつもなく大きな影響を与えるものとなった。
 御世話になったご遺体の方には、本当に感謝の気持ちで一杯である。








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