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1. カナダ造船の歴史
 カナダ造船は1840年から1880年代初期にかけて、イギリス向け木造船の建造で全盛期を迎えた。1870年代のピーク時には、カナダは年間500隻から600隻を建造、世界4位の造船国であった。しかし、1870年代末に始まった鋼船への移行の波に乗り遅れ、カナダ造船業は急激に衰退した。
 第一次世界大戦中に、ドイツのU−ボートにより撃沈された商船補充のための建造ブームで、イギリスの造船所が手いっぱいとなり、新造工事の一部がカナダに流れた。カナダ造船所はこの機に乗じて、41隻の鋼船を建造したが、1918年の終戦と共に、この需要は消滅した。
 カナダ政府は、新たに設立した国有船社(CGMM: Canadian Government Merchant Marine)向けの新造を自国造船所に発注することにより、カナダ造船業を支援した。1919年から1921年の間にカナダ政府は6つの標準型で63隻の貨物船を建造し、これに既存のハドソン湾航路からの3隻を加えた66隻、391,212トンをCGMM船腹とした。しかし、1921年には急激に変化する世界の海運環境に適応できなかったCGMMが競争力を失ったことから、カナダ造船業は再び低迷することになる。
 第二次世界大戦の戦時需要により、カナダ造船業は著しい復活を遂げる。1939年に航洋船の建造実績ゼロであったカナダ造船所は、その後6年間に、艦艇約400隻、貨物船、タンカー約400隻を建造し、世界第4位の造船国に返り咲いたのである。当時カナダには25の大型造船所と65の小型造船所が存在した。
 第二次世界大戦後、ヨーロッパの産業再建のための大西洋横断海運需要をヨーロッパ造船所が満たすことができず、カナダ造船所の商船受注は続いた。しかし、ヨーロッパの造船業が再建し、技術的進歩を取り入れるに従い、カナダ造船所は競争力を失った。それでも、1950年代及び1960年代の国際貿易成長期には、大量の新造需要があり、カナダ造船所もいくらかの商船契約の受注を続けることができた。
 1960年代から1970年代を通して、助成、支援プログラム、及び官有船の発注により政府がカナダ造船業の近代化を助けた。この時期に、カナダ造船業の政府契約依存が高まった。
 1990年代初めに、一連の艦艇建造プロジェクトが完了したことにより、カナダ造船業は苦境に陥り、それ以降衰退の一途をたどっている。1986年から1994年の間には、連邦政府の後押しによる業界の合理化が行われた。
 カナダは大型海軍船隊、パトロール船隊、砕氷船隊を有しており、政府船需要で合理化後の造船業界を支えることができるとされていた。しかし、官有船発注が安定していないことから、カナダ造船産業は「豊作と飢饉」のサイクルの繰り返しに祟られている。








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