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調査団員のおもい
 2000年の夏、長崎県奈留町で開催された建築修復学会五島大会の際、私の恩師である宮澤智士先生から島原の調査のお誘いを受けた。私は長崎と同じ肥前の国、佐賀の出身である。島原には幼いとき、雲仙温泉に行ったついでに立ち寄ったことがあるが、ほとんど記憶がない。宮澤先生には、再び島原へ行く機会を与えてくださったことを感謝している。
 島原はいわずと知れた城下町であり、城や武家屋敷は島原市内外に知られる観光名所になっている。しかし、今回われわれが調査をおこなった町家にスポットがあてられることはほとんどない。実際に調査をおこなってみると、住んでいる所有者の方々は自分の家に誇りを持っているという印象を受けた。また、古い状態をよく保っている建物が多かった。これは、所有者の何代にも渡る手入れが行き届いている証拠であろう。町家にはその家や地域の歴史・文化が刻み込まれている。この調査で、島原の町家ではそれが建築様式としてあらわれていることがわかった。町家も立派な文化財である。その町家が集まった町なみもまた文化財である。
 この歴史と文化のしみ込んだ町なみを残すためには、地域の総意が必要となる。さいわい島原には、調査地区内等で町なみを生かしたイベントをおこなったりしている意欲的な団体があった。心強いことである。現時点では、そういう関心のある人は島原市民の中でも一握りしかいないかもしれない。しかしこうやって調査報告書を発刊することで、島原には城や武家屋敷意外に歴史・文化遺産があるということを認識する人が増え、保存の輪が広がっていくことを願う。 調査は、2000年10月から2001年8月にかけて3回、延べ40日おこなった。その間調査のお願いに各家をまわったり、多方面でご協力いただいた島原市役所の関係者の方々をはじめ、調査をさせていただいた所有者の方々、さらには地元の方々にも大変お世話になった。この場を借りて感謝の意を表したい。
 今度島原に訪れるのはいつになるかわからないが、調査した建物と一軒でも多く再会できることを楽しみにしている。
(江島 祐輔)
 
 島原の調査は本当に楽しくできた。
 キリシタン弾圧という島原特有の時代背景を切口に町家を視る試みは、研究としてとても魅力的な観点であった。まずは、基礎的な編年研究をおこない時間軸に沿って町家の変遷を読みとることから始めた。さらに、町家の変遷に歴史背景を重ね合わせると、一見関係のないような「キリスト教禁制」と「民家」がここで結びついたのである。
 研究は「0」が「1」になることを目標に取り組んできた。つまり今回の調査成果が「1」なのである。私たちはこの「1」を積み重ねるために、建物を注意深く観察し、比較検討を重ね、仮説をたて、時にはこの仮説を疑い、悩み、再び建物と向き合うという作業を繰り返した。すると、建物に耳をかたむけようとした私たちに、島原の町家が少しずつではあるがぽつりぽつりと語り始めてくれたのだ。古い建物が長い時をかけて目にしてきた島原の歴史の移り変わりを。
 これに答えるため、建物からできるだけ多くの言葉を読みとることに努めた。そしてここに一冊の報告書としてまとめ上げることができたのだ。この報告書に記される成果は島原の町家が教えてくれた土地の記憶なのである。
 調査は、たくさんの方々の協力のもとに成り立っている。この報告書はお世話してくださった方々の好意があったからこその成果である。島原市教育委員会の土橋啓介さん、島原市建設課の野沢正雄さん、長崎県島原振興局の矢部文俊さん、げんごろう倶楽部の北村正保さん、島原ボランティア協議会の徳永英雄さん、そして調査を理解してくださった各町家のみなさん、この場をおかりして感謝申し上げたい。
 いくつかまちなみの調査を経験して気づくのは、文化的視点でまちづくりをおこなう人々は、みんな活き活きといい顔をしていることである。観光客のためのまちづくりではなく、自分たちのためのまちを考える顔である。そんな、地元の文化に誇りをもって活躍している人にまた会いたいと思った。また島原へ訪れたいと思った。人が文化をつくり、文化が人を育てるのである。また会いたいと思える人を育てることこそまちづくりなのである。
 島原の町家からたくさんのことを学んだ。21世紀の始まりに島原の方々と島原の建物に出会えたことが私たちにとっての財産である。
(元井 文)








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