輸送センター
シュガー (シャトルバス専属接遇)
「“ルーズさが国際標準?!”うなずける」
ボランティアズ!頑張ったね〜!!と大きな声で言いたい。私ごと…シャトルバス添乗…参加選手等いっぱいの大型バスに、まさか一人で乗り込みアテンドするとは思わなかった…のが本音でした。
それにしても、イレギュラーの多かった事に驚く。
新聞によれば“ルーズさが国際標準?!”とあるのも、うなずける。
そんな中で、「ボランティア」の域を超えた?状況判断と決断が求められた。質問・苦情・要望そして彼等の表情・態度にお国柄まで見え隠れ…。
その全てが、私の生涯において貴重な忘れられない1ページとなった。
こんなにわくわく・ドキドキする事はもうないかもしれないと思うと、ちょっぴり寂しくもある。
[心に残るエピソード]
☆イングランド出身者の紳士振りに感激。
☆雨の夕方、シャトルバスの進路変更によりバスから降りたものの傘がなかった。
その場に居合わせたホテルのボランティアが駅まで送ってくれた…
感謝・感謝。まさにボランティアがボランティアをサポート…ですね!
そんな秋田県人の旺盛なボランティア精神に乾杯したい!
佐川 日奈子 (シャトルバス専属接遇)
「つれづれなるままにつづってみました、私的WG」
【お互いの幸せのため】
某国チームにナンパされた日本女性。ハグなんかしていい気分。「バッグにつめて一緒に連れて行ったら?」ときいたら「いらない」。「なんていったの?」ってきかれたけど、いえませんでした。
【国籍不詳】
台湾チームに一生懸命英語(?)で説明していたら、会長とおぼしき年配紳士「あなた日本語わかりますか?」。
【地域振興】
「キモノガホシイ」という英国女性を「WGのわりに客の入りはイマイチ」という呉服屋に連れて行き、既製品のゆかたと帯のセットを格安で購入。
着方も教えてもらい記念写真パチリ。ちなみに彼女は身長182cm。既製品をおはしょりしなくてもちようどよい丈でした。袖はもちろん短め。
呉服屋さん、緊張したのか左前に着せてしまいました。
【鶴のお返し】
ドイツ人から、折鶴をもらいました。「ドモアリガト」だって。「ダンケ」
いろんなことがありましたが、どれもこれも楽しい思い出。「もうこんな経験は二度とないだろうな」と思いつつ、心から楽しめたボランティアでした。
残ったのは、大切な思い出と「人の輪」。
できるなら、もういちど、あの感動を、秋田で。ね、そう思いませんか、みなさん?
佐藤 有紀子 (シャトルバス専属接遇)
「大会が終わっても続く、ボランティアの和を大事にしたい!」
開会式の5日くらい前になって突然配置を変わるよう言われた時は、正直うろたえてしまいました。
ボランティアはお客さんではないのだし、運営側の状況を考えて協力することも必要だとは思いましたが…
結果的には、当日の状況によってその日の配置場所が変わったので、一つだけではなく色々な仕事をさせていただき、かえって得をしたような気がします。
ただ、私は日中しか勤務できなかったので、想像していたよりずっと暇な時間が多く、夕方から夜(時には日付が変わるまで)にかけて、「修羅場だったよー」という話を聞くと、その場にいなくて良かった思う一方、そういう場だからこそやりがいがあっただろうなーと羨ましく思ったりしました。
選手や役員の人たちを案内して、自分なりに役に立てたかなと思ったときは、本当に充実感がありました。秋田駅では、今まさに出ようとしている「こまち」に乗らなければ行けない選手が、切符のことでトラブっている時、お手伝いして無事間に合ったり。
逆に自分の知識不足や機転のきかなさで、あまりうまく対応できなかった時は、とても残念でした。選手のIDで全てのではないけれどほとんどの競技会場に入れる、ということを知らず、秋田駅から出るシャトルバスに乗り込むある選手に「チケットを買わないと入場できないんですよ」と言い張ってしまったり。すべてひっくるめて素晴らしい思い出になりました。
始まってみるまで良く分からなかったというのが正直なところですが、普段外国の人と接することの少ない私たちにとって、特に若い人たちや子供たちにとって本当に良い機会であり、刺激であったと思います。
ボランティアとしての体験も素晴らしい収穫ですが、もう一つ私にとっての収穫は、大会が終わっても続いているボランティア同士のつながりです。素晴らしい方々と知り合うことが出来、刺激を受けました。
これからもそのつながりを大事にしていきたいと思っています。
石原 幸恵 (シャトルバス専属接遇)
「自分にもできるボランティアを発見!」
私は、WGが生まれて初めてのボランティア活動でした。それまでは、正直、無報酬の「ボランティア」なんて自分には無理だと思っていました。けれどWGでの活動は、お金には代えられない、むしろそれより貴重なものを私に与えてくれました。
私は空港からホテルまでのシャトルバスのアテンドをしていました。といっても分かる人は少なくて、言ってみれば観光案内なしのバスガイドのような任務でした。
この仕事、選手達には長旅で疲れていたり、IDカードがなくて機嫌が悪かったりするので意外に気を使うのです。ロシア人に囲まれて一斉に苦情を言われた時が一番大変でした。
その内容を説明すると長くなるので省略しますが、とにかく、その苦情の対応に時間をとられている間に、他のロシア人でない選手が待たされてしまって、結局2ヶ国語で苦情を言われてしまいました。すばやい対応ができなくて落ち込んだ時に「そのやり方でよかったんだよ」と有坂さん(空港業務を率先して指揮していた頼れる女性)に言われて感激したのを覚えています。
ボランティア仲間は本当に最高で、お互いのハプニングを話したり励まし合ったりするのが毎日とても楽しかったです。また、ナミー、ハギーの着ぐるみを着れるように担当者に頼んでくれた事務局Sさんに感謝します。思ったよリ楽勝でした。ぜひまた機会があったら着たいです。
英語を使う業務だったので、話して伝えるおもしろさを実感しました。また、人との「出会い」が純粋にいいものだと思いました。世界的なイベントに関わることができ、自分にもできるボランティアを発見できて本当に良い経験でした。
木津川 やよい (シャトルバス専属接遇)
「予想外、予定外が当たり前の空港シャトルアテンド」
私にとってシャトルバス業務に従事した7日間は生涯かけがえのない思い出となりました。一言でいえば、空港から各ホテルに選手や役員をお送りするという業務でしたが、沢山のドラマがありました。
私の“Good luck”の言葉に笑顔で“Thank you!”を返してくれる選手たちの心温まる光景もあれば、自分の要望が通らない選手たちに不満をぶつけられるということも多々ありました。
予想外、予定外が当たり前の空港シャトルアテンドを7日間楽しくやりとげることができたのは、毎日英語を使って各国の選手とコミュニケーションができたからでもありますが、何よりも、フレンドリーなシャトルアテンドの仲間がいたからだと思います。
ボランティアが始まる前、友達に「単位も出ないのに/お金ももらえないのに/せっかくの夏休みなのに、どうしてボランティアなんてやるの」とよく言われましたが、その答えを、私はこの大会期間中に見つけることができました。
やりがいのある仕事をして、充実した夏休みを送れただけでなく、お金や単位以上に素晴らしい、ボランティア同士の強い絆を手に入れることができ、本当に、このボランティアをやって良かったと思っています。
この経験に誇りをもって、今後の活動につなげていきたいと思います。
最後に…「しゃとるズ」最高!!
渡邊 洋子 (シャトルバス専属接遇)
「役立てたかったロシア語」
初めてボランティアに参加させて頂きました。参加日は4日間でしたが、とても楽しく、思い出多い経験と友情を得る事ができました。感謝しております。
私は最初、IDカード作りでその説明も受け準備していましたが、開催日一週間前にシャトルバスの方が人数が足りないとの事でそちらの方へ回されました。
ボランティア参加日が来ても何の連絡もなく3日間過ごしました。
しかし、その間一番シャトルバスの送迎で忙しかった様です。その時協力できなかったのが残念です。
私は英語が話せません。一応ロシア語通訳としてのボランティアでしたが、バスの中では話す機会がありませんでした。何か話しかけられても答える事ができず、それがくやしく残念に思います。
もっと別の所でロシア語が必要なところがあった様に思います。たとえば市立体育館ではそちらの方の選手が多く、英語が通じずとまどった話も聞きました。あまりロシア語は上手ではありませんが、役立てたらもっと楽しかったかなと今思っています。
渡辺 修宏 (シャトルバス専属接遇)
「秋田との接点って・・・?」
このボランティアに参加する前、正直、秋田には行った事はないし、親族・田舎があった訳でもない。それどころか、失礼な話“秋田ってどこにあるの!?”といったレベルで何一つ知りませんでした。唯一、一人大切な友人がいるといったぐらいで…。
にもかかわらず、WG開幕前には夏休みを会社から取り、かつ自費で東京から秋田に向かっている自分がいました。
その結果、秋田ではたくさんの素晴らしい経験、体験をする事が出来ました。美しい景色、美味しい食事、素晴らしい人々に出会い、そしてボランティアを行った満足感があい重なり、非常に満喫した生活を過ごす事が出来たのです。
私はシャトルアテンドの業務でしたが、WG AKl TAの玄関口である空港は想像していたより騒然としてて、降り立ってきた選手団の人波に、かなりもまれてたように思えます。
しかし、ボランティアとはいえども、責任あるスタッフの一員として、例えトラブルや指示の度重なる変更があっても、国外内からのお客様を気持ち良く笑顔で迎え、自分自身で出来る事を精一杯やり遂げたと思ってます。
今から思えば、あーしておけば良かった、こーしておけばもっとスムーズだったかもと思いますが、少なくても働いていた時点では最善を尽くしたものと思ってます。
それが出来たのもボランティア仲間達との連携、そして朝、気持ち良く送り出してくれた友人家族の励まし等があったからこそでしょう!今回はボランティアとして出来得る事、出来ない事の難しさも同時に知り、非常にいい経験となりました。
今、東京にいて、私は事あることに秋田のことを思い出します。
たくさんの秋田を教えて頂いたので、その良さをぜひとも東京の友達にも伝えたくて…そして、同じ時間を過ごせたことに喜びを感じて…
山田 (秋田駅アテンド)
「たくさんの楽しい思い出」
ボランティア初日から、外国人の方と出会いました。相手の方の言っていることがわかっても、私はどう応えたらいいのかわかりませんでした。
しかし、責任者の高橋さんがうまく対応してくれました。私はその時、「もっと英語が話せたらなあ」と思いました。
その後も、外国人の方と何回か出会ったけれど、あいさつ程度の会話しかできませんでした。なかなか積極的になれなかったことが残念です。もっと英語を話せたら、積極的になれただろうなと思います。
しかし、私が出会った外国人の方たちは皆さんいい方たちでした。うまく対応できなかった私たちにお礼を言ってくれたことや、話しかけてくれたことや、写真を一緒に楽しくとってくれたことなど、嬉しいことばかりでした。
そして私は何よりも、皆が笑顔を見せてくれたことが嬉しかったです。とても友好的だなと思いました。
責任者の高橋さんや佐藤さん、一緒にボランティアを行った皆さんもとても親切でした。皆さんとボランティアをできてとても良かったと思います。楽しい思い出を作ることができて、本当によかったと思います。
皆さん、おつかれさまでした。
上柿 和香子 (秋田駅アテンド)
「WGは、オリンピックに飲み込まれないでほしい!」
「これって究極の物好き達のお祭りなのね。」
15日の午後から駅で出迎えのお仕事をしながら様々な選手・役員・応援団をながめ、16日の開会式をテレビで見て、そして18日、子どものスポ少の動員でファウストボールを見に行って、私はそのことを確信(?)しました。
好きだからやっている。とことん取り組んでいる。で、生活の一部として楽しんでいる。
4年に度のお祭りのために、お金を貯めてアジアの東の果てまでやってきた愛すべき人達。その自由で力強い姿は、見ていてとても気持ちのいいものでした。
そうとわかったら祭り見物も楽しまなくては!(お仕事の隙間をぬって…)こどものリクエストで出かけて行ったローラーホッケー会場では、ポルトガルの選手がまいていたミニタッグのようなものを拾ってラッキー。
子どもは、会場で買ったWGのボールペンと競技プログラムを持って、「サイン・プリーズ」で4人の選手のサインをゲット。若い頃、父とダンスパーティーに出かけていた母を誘って見に行ったダンス・スポーツでは、地元の(全国の?)ダンス愛好家達の踊りっぷりにもビックリ。病床の父の介護でくたびれて、しょぼしょぼしていた母の瞳も輝いて。
ボランティアの人達も、やっぱり好奇心旺盛な、素敵な物好きさん達で秋田の人も、遠くからやってきた人もみんな刺激的でした。
このお祭りが、国ごとのメダル数とか、国歌だ、国旗だ、とかいう方向に向かってしまえば、それぞれの競技自体の存在意義が薄くなってしまうのではないかと思います。
女子の綱引きチームでメダルを剥奪された人達にとっては、本当に理不尽なことだったと考えます。
WGは、オリンピックに飲み込まれないでほしい。
オリンピックがなくしてしまったスポーツの原点とか、心の余裕というようなものが、そこにあると思うので。
杉山 美紀 (秋田駅アテンド)
「印象に残ったこと」
秋田駅でウエルカムボードを持って、選手や役員を迎えるというのが私の仕事でした。
約1年前からWGのドイツ語の語学研修を受けていたのでドイツ語圏の選手と話せる機会があればいいなと想いながら活動していました。
次の新幹線の到着を待っているときにある選手に英語で話しかけられました。切手をほしいがどこに売っているのか教えてほしいということでした。話をしているうちにスイス出身ということがわかり、ドイツ語を話しますかと尋ねましたところ「Ja!(はい)」ととてもうれしそうに答えてくれました。絵はがきをおくるための切手がほしいということでしたが、料金がわかりませんでした。それでボランティアの業務外だったのですが近くの郵便局まで案内することにしました。郵便局では、切手の料金や枚数を聞いて買うという簡単な通訳をすることができ、その選手にはとても感謝され私自身も語学研修で学んだことが役に立ちよかったと思いました。
残念だったことは、もっといろいろなことを話したかったのですが思うように言葉が出てこなくてあまり話ができなかったことです。
もっと語学を学び自由に会話できるようになりたいと思いました。
次回開催地のドイツ・デュイスブルグ市でもボランティア活動ができればいいなと思っています。
武田 佳恵 (秋田駅アテンド)
「もっと語学力をつけておけばよかった」
WGのボランティアは、とてもよい思い出になりました。
外国人と交流したいと思っていた私にとって、期間中にあんなにたくさんの外国人と会うことができて、うれしかったです。会う人みんな、カッコヨカッタです。
でも、残念だったとこが一つ。もっと、もっと語学力をつけておけばよかったと後悔しています。英語は大好きなので学校の勉強でも自信があるのですが、英会話となるとうまく話せなかったのがくやしいです。
このことをきっかけにもっと英語を勉強しようと思いました。私の夢は、英語で外国人と日本語での会話みたいにペラペラ話せるようになることです。頑張りたいと思います。
大会中で思い出に残っていることが2つあります。
1つは、中国の方2人に出会ったこと。彼らはポットを探していました。私と、友人2人は、彼らとイトーヨーカドーに行って、探したりしました。帰る時には、名前の中国語読みを教えてもらったり、一緒に写真撮ったりしました。
もう1つは駅で選手を迎えていたら、もうすでに秋田に来ていた黒人の方と白人の方が改札を出てきました。声をかけると彼らはホテルハワイに行くと言って、手を振って笑顔で歩いて行きました。
私はおもわずかっこいい〜っと言って彼(黒人のほう)をうっとり見ていたら、なんと!私にウインクしてくれました。とてもうれしかったです。
その後もう1度彼に会いたかったので探したのですが、結局会えませんでした。
とっても、かっこよかったよ〜。
匿名希望
「打ち合わせはナシ。でも必要!」
様々な国の人たちと触れあう機会を得られ、楽しかったです。
ほとんど言葉を交わすことはありませんでしたが、相手の笑顔やお礼の一言が嬉しかったです。
ただ、打ち合わせをするということだったはずが、全く打ち合わせも、情報もなく、どの人が何の業務にあたっているのか分からず大変困りました。自主的活動とはいえ、その日の同じ業務の人たちとの顔合わせや打ち合わせは、最低限必要ではないでしょうか。
尾塚 由利子 (羽田空港アテンド)
「秋田ワールドゲームズにボランティア参加して」
一般のボランティア2人とスポーツボランティアグループBIND-AIDメンバ9人は羽田空港を担当しました。
7/7(土)と7/28(土)に自主的に見学会を行ない、事前に「羽田空港用ボランティアガイドブック」を作成し、自己紹介の頁があり、始まる前から仲間意識はできていたと思います。
ボラは、大会前の8/14(火)から8/22(水)迄の9日間で、初日にJTB担当者とAOC(秋田銀行、北都銀行)と顔合わせがありました。
当初は定点ボラと言う事でしたが、私の経験上、全く動かないのは非常に疲れるので、初日にそれはできないと意見を言い、話し合いして「出迎えた選手と一緒に動く」と決めました。これが功を奏したと思います。
活動内容は、リムジンバスから下車する選手をミート→挨拶しチケットの確認→チケットならば、チェックインカウンターにお連れする(引換証ならば、JTBデスクにお連れする)→手荷物預所にお連れする→ゲートを説明して、ゲート前でさようなら。簡単に言うとそれだけなのですが、それだけでは済みません。
一番困ったのが、バスが予定通りに着かない事。JTB宛に成田から、何時発の何番のバスにどこの国の何の種目の選手が何人かの連絡が入るけど、成田からは50分から1時間40分位かかり、時間帯によって所要時間は全くの未定。また、飛行に乗り遅れたら、乗る便の変更。
私の失敗は、ブラジルのボディビルの選手達。とっても明るく挨拶(さすがラテン系)して、チェックインカウンターにお連れしたら、バスの中の荷物を持たないで、一緒に来ちゃった。おいおい。
台風が来て飛行機が飛ばないかも…なんて事も有ったけど、選手を無事に飛行機に乗せて、ボランティアも怪我なくできて、楽しいボランティアができました。
この様な機会を下さったAOC始め皆様に感謝したいと思います。ありがとうございました。
写頁提供:秋田魁新報社
サミットボランティア (羽田空港アテンド)
「ボランティアの新しい歴史を感じ…」
秋田WGの語学ボランティアとして活動させて頂き、大変光栄に感じます。
昨年の2月は沖縄サミットの研修で日帰りで沖縄へ行き、桜の花も見ましたが、その丁度一年後の2月10日、秋田WGの研修会で主人と共に体験談を語らせて頂くとは夢にも思いませんでした。
生まれて初めて訪れた秋田県は、沖縄とは正反対の大雪で「WG開催までに本当にとけてくれるのかな」と思った程でした。
研修では主人がボランティアの認識と国際儀礼的な事柄について40分位話し、私はWGの経験を是非とも今後の国際化の為に有意義に活かして頂きたいという気持ちを込めて少しの時間、語らせて頂きました。
8月26日にWGプラザで行われたボランティアパーティーでは、首都圏や県外のボランティアのためにも感謝の気持ちを示して頂き、心からの感動を覚え、更には国際化への大前提とボランティアの新しい歴史を感じ、私の方が力づけられました。
私の担当は羽田空港(国内線と国際線)で、閉会式翌日は秋田空港もお手伝いさせて頂きました。担当語学は英語と初級程度の韓国語と中国語で、韓国語は殆ど使いませんでしたが、WGの為に学んだ事は決して無駄にならず、早速、今後の大会に応用させて頂いています。羽田空港では「乗り継ぎアテンド業務」は全く初めての経験であり、秋田空港は「ぶっつけ本番」で戸惑い等もありましたが、皆で支えあって活動できた事は正に貴重な経験です。
ボランティアマニュアルの中で「プライバシーの尊重」の事がありましたが、お互いを認め合う雰囲気の中に「あなた自身が大切なんです」と自分自身が温かく受け入れられている安心を感じました。
ボランティアパーティの翌週、主人の忘れ物を取りに行く目的で再度秋田を訪れた時、既に更なる国際化への前進が始まっているという空気を感じました。
最後に、お世話になりました組織委員会の皆様、そしてボランティアの友人に、心より感謝申し上げます。
スノーレッツの中身 (羽田空港アテンド)
「ワールドゲームズ一周年是非やりましょう!!」
普段、いつも人にアドバイスを受けたり、机とイスの前で話を聞く立場なのですが、長野オリンピックや沖縄サミットの経験から、2月10日の研修会で、多くの方々の前で講師としてしゃべらせていただく機会を得ました。
初めての経験、貴重な経験をさせていただき、テーマとしてしゃべった自国の国旗、国歌を含めて参加国の国旗国歌に対して敬意をもつ事、各国・民族による宗教・習慣の違い、一つの宗教にも宗派の違いによって呼び名や名称の違いがある等の事を、ボランティアガイドブックに載せていただきました。
実際、大会期間中は輸送任務として羽田空港担当となり、成田空港からの選手・役員の秋田行きの案内等の業務をさせていただきました。
また、8月26日の閉会式の日にボランティア打ち上げパーティに参加させていただき楽しくすごせた事、最後にマスコットのナミーの着ぐるみを着させていただいた事が大変うれしく満足でした。
今迄いろいろなボランティアをさせていただきましたが、秋田ワールドゲームズのボランティア仲間の雰囲気、チームワーク、秋田の人々、最高です。
来年の8月、ワールドゲームズ一周年是非やりましょう。