第1部 うつの理解
I はじめに
1.現代社会とうつ
“うつ”の問題は広く話題とされ,新しい抗うつ剤の紹介も新聞やテレビなどマスコミで報じられたりすることもあって,一般の人々の関心が高くなっています。現代は,「うつの時代」といっても過言ではないのではないでしょうか。リストラや部署の統廃合,早期退職勧告,賃金カットの中で,サラリーマンやOLのストレス,また家庭でやりくりを強いられる主婦の苦悩,高齢化で老後をどう生きがいをもって生きるかが問われている中高齢者の不安,少子化で対人関係のスキルのない子どもたちの孤立感等は,うつ病を誘発する大きな要因となっています。
しかし,カウンセリング臨床の現場で気づくことのひとつは,これらの方々が必ずしも精神疾患としてのうつ病を患うかというと,別の病になることがあるということです。現代社会ではその傾向が強いように感じます。もちろん,うつの症状は見られるのですが,それ以上に重い他の症状が現れているのです。つまり,精神疾患としてのうつ病ではなくて,何らかの問題の結果としてうつ症状が出ている場合です。
例えば,摂食障害で苦しんでいる人々が増えていますが,摂食障害の症状のひとつにうつ状態があります。このうつ状態を改善できないと摂食障害の治療を進めていくのは困難です。また,人格障害の場合にもうつ状態になりますし,アルコール依存,ワーカホリック,過重債務,衝動買い,ギャンブル,虐待の加害者等の依存症的な問題にはうつはつきものです。このように典型的なうつ病ではなくても,うつ状態になることがありますし,うつの症状をコントロールしない限りこれらの問題を解決するのは困難です。
2.依存的な性格とうつ
どの程度のうつ病の患者がいるかについては統計はないかもしれませんが,実際に治療を受けていないうつ病の人は結構多いのではないかと思います。特に日本人の国民性はうつ反応を起こしやすいと考えられます。「MMPI」という性格テストがありますが,その各国の比較を見ますと,2番目のうつの項目(Dスケール)が,他の国民と比べると日本人は明らかに高いのです。この対象となったのは一般の人々ですから,「MMPI」の性格テストからいえることは,日本人の性格はうつ的な傾向であるということです。あまりありがたいものではありませんが,実際に私がアメリカでの生活から日本に戻って感じていることは,日本人は依存的で,コミュニケーションも自分の意見や考えを率直に発言するより,人に合わせるような仕方が特徴で,依存的な性格に加えてこのようなコミュニケーションをしているのであれば,ストレスや危機に直面したときにはうつ的な反応をしてしまうでしょう。アメリカの臨床の現場ではうつ病という診断を下す場合,カルテの「人格障害」を記載する欄には“依存性人格障害”か,そこまで至らなければ“依存性人格障害的傾向”というように書くことが多くありました。
日本人の依存的な性格は,うつ状態から回復するためには見逃してはならない要因です。うつ状態に陥った場合,依存的な性格との関連も考慮しながら治療をするか否かは,予後に大きな差が生じてくるでしょう。うつの治療をしながら症状コントロールをし,あわせて依存的な性格も扱っていくようにしていけば再発のリスクを大きく軽減することができます。
薬物療法によってうつ状態が改善したとします。多くのうつの患者は症状が改善しますと治療を継続しなくなってしまいます。治ったと思ったり,薬はなるべく飲まないほうがいいと思ったりするからでしょう。
薬によってうつ状態がよくなったとしても,それでうつ病が治っているわけではないことが多いので,薬は飲みつづけたほうがいいのです。薬を飲みつつ,そして症状がコントロールされていると,カウンセリングも受けやすくなります。カウンセリングで依存的な性格を少しずつ修正していくようにするのです。自分の心の中で思っていることや考えていることがなかなか口に出せなかったのを,少しずつ言えるように学習するのです。正しい意味での自己主張,自己表現ができるようにしていくなら,自分の考えや気持ちを胸の中に溜め込んだまま極端に抑圧しなくなりますので,予後は良好になります。
しかし,うつの症状がよくなっても,以前と同じような性格やコミュニケーションの仕方であれば,またしばらくすると元に戻ってしまう可能性が高くなります。薬を飲んでしばらくしてよくなると,薬を止める。しばらくするとまたうつ状態が戻ってきて再び薬をもらう。そういうことを繰り返していますと,慢性化してしまうおそれがあります。
うつ病については,豊富な情報が得られるようになりましたが,生育歴との関係,性格の形成や人生の危機に直面したときの対応の仕方,あるいは,コミュニケーションを含めた対人関係等の要因がうつの病理とどのように関わっているかについては,まだまだ知られていないように思います。しかし,カウンセリングの現場でうつの問題で悩んでいる方々と向き合っていると,上記のような要因はうつの回復の過程では不可欠で,薬物療法を適切に受けられるようになるための助けになるように思われます。それがこの本を書いた主な動機です。