PROFILES
オリヴァー・ナッセン Oliver Knussen
スザンナ・マルッキ Susanna Malkki
フィンランド出身。最初チェロを学び、フィンランド・チェロ・コンクールで優勝。1995年から98年までエーテボリ管弦楽団の首席チェリストをつとめた。95年よりシベリウス音楽院にてエリ・クラス、レイフ・セーゲルスタムらに指揮を学び始める。99年3月、ヘルシンキ・ムジカ・ノヴァ音楽祭にて、トーマス・アデスの《Powder Her Face》を指揮、その手腕を作曲家からも高く評価された。今シーズンは、エーテボリ交響楽団、バーミンガム現代音楽グループ、アヴァンティ・アンサンブル、BBCフィル、東京交響楽団などを指揮。若い世代のホープの一人として注目を集めている。今回が初来日。
東京フィルハーモニー交響楽団Tokyo Philharmonic Orchestra
オリヴァー・ナッセン「武満徹作曲賞」を語る
ききて:猿谷紀郎
2000年11月29日 ヒルトン東京にて
猿谷◎「武満徹作曲賞」は世界でも類を見ない特別な作曲賞だと思いますが、実際に審査されて、この賞の特徴についてどのように感じられていますか。
ナッセン◎第一に、ファイナリストの作品が、すべて充分なリハーサルを経て演奏されるシステムになっているということ。単に譜読みのセッションではないわけで、それだけでも特別だと言えるでしょう。若い作曲家にとってはリハーサルしてもらえるだけでもありがたいのに、さらに賞金をいただけるかもしれないという、すばらしい機会になると思います。
第二に、審査員が一人だということ。作品の審査というのは、ある種、選ぶ人の情熱、入れ込みで行なわれる部分があるものだと思うし、複数の人間による審査は、妥協によるつまらない結果になりがちですよね。たしかに一人の審査の方が難しい部分もあり、責任は重いけれど、自分が深く関わっているという実感を持つことができるのがいいと思います。
僕の選択の基準はとても素朴で、まず「自分が聴きたいと思う作品かどうか」です。今回も聴衆の一人として惹かれるものを選びました。「イマジネーションやアイディアが魅力的であること」も重要です。これらの条件を満たした上で、演奏者のことを配慮しているかどうかも大切なポイントですね。
実は、ファイナリストに選んだ5作品のほかに、あと6つほど気になった作品があって譜面審査最終日の午後、もう一度見直して、ようやく決断しました。自分の選択に少しも妥協はなかったと、自信を持って言うことができます。
猿谷◎応募作品全体に、なにか傾向を感じましたか。
ナッセン◎全体的には、とてもピュアという印象です。様式の変化に乏しい、色彩も少ない作品があったのは残念ですが。困ったのは、大言壮語的な作品が目立ったこと。ポスト・ショスタコーヴィチ風だったり、ポスト・ヒンデミット風だったり……。実のところ私はこういうのは苦手なんです。
猿谷◎この作曲賞も5年目を迎えました。ヨーロッパやアメリカの雑誌にも広告を出していますが、海外での評判はどうなのでしょうか。
ナッセン◎ええ、よく知られていますよ。デュティユーやベリオが審査員だったということもあって若い作曲家はちょっと恐れているようですが(笑)。審査の方法も公正だし、運営もすばらしいと思います。
猿谷◎「今回のコンポージアムに期待することは?
ナッセン◎やはり他人の作品を指揮するほうが楽しいですから、オーケストラ・ファンタジー」では、武満の《グリーン》、それにブリテンの作品を演奏できるのが嬉しいです。
この2作品は、イギリスでもよく演奏しています。
でも一番楽しみなのは、作曲賞のファイナリストの作品を聴くことですね。
本選会では作品が審査される5名のファイナリストは、昨年11月のナッセンによる譜面審査で選ばれました。今回の作曲賞について、ナッセンにお話しいただきました。
FINALIST'S PROFILE
窪田隆二(日本) Ryuji Kubota, Japan
1965年10月13日生まれ。18歳より独学で作曲を学ぶ。1990年より神奈川県内の私立高校の現代文教諭。
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オーケストラのための「石/星」 Stein/Stern for orchestra
光を奪われ、廃墟の無機物にも等しくなった者たちが、彼方から即自的な光を放つ「星」としての「石」(鉱質打楽器)たちに、どのような息遣いや声で近づけるのか、それがこの曲の出発点でした。遍在し沈黙する音たちの破片は、それだけでは名も意味も持ち得ない、ただの「物」です。しかし彼らに固有の振動があるならば、光に響き合い、光の痕跡(余韻)を追うことによって形作る一瞬の音の「星座」は、一つの可能態としての輝きを放てないだろうか。そして、その不可視の光は、末だ沈黙している「石」たちを救い出す、導きの星となる事が出来ないだろうか。
だからこの曲は、「石の眼差たちを追う旅」(パウル・ツェラン)、いつも途上にある旅です。
FINALIST'S PROFILE
レネ・メンゼ(ドイツ) Rene Mense, Germany
1969年2月2日ハンブルクに生まれる。12歳でクラシック・ギターとピアノを習い始め、作曲も始める。1988年から95年にかけて、ハンブルク音楽大学と劇場にてウルリッヒ・レイエンデッカー氏に師事し、作曲と理論を学ぶ。その後、フリーの作曲家として活動する一方、1989年よりPeer Music Germany(出版社)のポピュラー音楽のアレンジャーを務める。2000年には第1回ゲッティンゲン・ギターセミナーにおいてギターソロ曲で第3位入賞。
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形象―鏡像 Gebilde-Gegenbild
《形象―鏡像》(1999)は、ここ5年の間に書かれた一連の作品(これとは異なりすべて室内楽曲だが)のしめくくりとなる曲である。これらの作品は、すべて、様々な軋轢と矛盾を扱うという共通の要素をもっており、それが時間―速度や空間―間隔の比率といった音楽的パラメータに変形され、独自に差別化された音楽の永続する対立として表現される。
この標題で私が明らかにしたかったのは、スコアのなかで主に垂直方向に見える重要な構造上の特徴である――すべての表象は、各部分が時間経過の相と垂直面のなかに分解してゆくように結び合わされている。このようにして、それぞれの部分は常にその鏡像(Gegenbild)をつくり出す。すべての部分が集まって「形象」すなわち(音楽的)対象物、それぞれの構造、そして「作品」、をかたちづくる。
楽譜の末尾に、パーシー・B・シェリーの詩「解き放たれたプロメテウス」の一節が引用されている。
…そして、一つの音、上に、まわりに一つの音が下に、まわりに、上に動いていた、それは愛の根源だった...
このドラマは、ジュピターの憎しみの君臨からの世界の解放を寓意的に衣現している。解き放たれたプロメテウスは、愛(エロス)の表象となる、あらゆるものを抱擁する空想と想像の力が自由の世界を開くものとして。
FINALIST'S PROFILE
アーリン・エリザベス・シエラ(アメリカ) Arlene Elizabeth Siera,USA
1970年6月1日生まれ。オバーリン大学、イエール大学大学院を経て、1999年ミシガン大学博士課程修了。これまで数々の賞や奨学金を獲得。作品は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツをはじめ、アスペン音楽祭、ダーティントン音楽祭でも演奏される。
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オーケストラのためのアクィロ AQUILO for orchestra
「アクィロ」は北東の風の古典的な名称で、古代ローマの建築家ヴィトルヴィウスがその「建築10巻」のなかで示している。ヴィトルヴィウスは、彼の書いた熱と水蒸気からはじまる風についての理論は、「好空気」――ちいさな開口部から水を満たした青銅の球体――による実験で証明されていると述べている。この「好空気」を熱すると急激に蒸気が漏れるので、それが当時の人々に風も同じようにして起こるに違いないと思わせた。ヴィトルヴィウスはこの理論をさらに進めて、広大な円盤上の地球の上に吹く風には8種類があると考える。
曲は、まず聴覚的「好空気」、気体の噴出を生みだす火と水の混合の音楽的表現とともにはじまる。この気体の噴出が風「アクィロ」で、大きな聴覚空間のなかで発展するひとつの旋律として聴こえる。その後、これに別の三つの旋律が加わり、この四つが、強力な方向転換に達して新たな四つの旋律線が導入されるまで推進力を増進してゆき、すべてが空間の中を動きながらエネルギーと複雑性を蓄積してゆく。
八つの旋律的な〈風〉が、それぞれ個の〈感触〉をもたらした後、最初の旋律が戻ってくる。「アクィロ」は、曲がその構成元素に分解される状況になるまで進行し、そして創作の最初のひらめきへと戻ってゆく。
FINALIST'S PROFILE
ルーク・ベットフォード(イギリス) Luke Bedford, UK
1978年4月25日生まれ。ロンドン王立音楽カレッジにてエドウィン・ロクスバーガとサイモン・ベインブリッジに師事し、現在、RVW基金と2000年度メンデルスゾーン奨学金を受けて王立音楽アカデミーに在学中。1998年マンチェスターで行われたISCMフェスティバルで作品が演奏され、BBCラジオ3で放送された。2000年にはロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティ作曲賞を受賞。4月に自作《Five Abstracts》がロンドン・シンフォニエッタにより初演された。
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オーケストラのための5つの小品 5 Pieces for orchestra
オーケストラ曲について考えはじめた時、私は当初30分の作品を計画した。幸いそれは現実のものとはならず、代わりに、5楽章からなる曲が出来上がった。各楽章の長さについて、そして、それらをどのような順番に並べるかについて、かなりの時間を使った。
第1楽章:曲は、オーケストラ全体にわたるモノディではじまり、次第に速度と強度を増してゆく。頂点に達すると、モノディは破裂し、それまでのモノディの断片でつくられる六つの部分を合わせた一つのテクスチュアとなる。
第2楽章:より静かな楽章。様々なリズムの積み重ねで構成され、穏やかなうねりのような効果を生み出す。このテクスチュアの上にいくつかのメロディがあらわれ、終わりに向かって2部に分かれた低音楽器が最低音域で現れ、オーボエが曲をしめくくる。
第3楽章:1曲目を終わらせた爆発が3曲目のスタートとなる。曲は、全体が、最初に出てきたモノディの写しで、絶えず移り戻る対位法を生み出す。徐々に曲が形作られ、最後にオーケストラ全体による一つだけのコードで緊張が解かれる。
第4楽章:5曲のなかで最もシンプルな曲。一連のコードが異なったオーケストレーションによって繰り返し奏される。音はほとんど最小限まで抑えられ、終曲で解放される。
第5楽章:終曲は、クレッシェンドの一つの流れというアイデアに基づいている。これは、音量と音色が絶えず変化する一つのテクスチュアを生み出す。音楽は、いくつかの中断をはさみながら、徐々につくられ、7オクターヴに広がる怪物的コラールに達した後、ゆっくりと冒顕の音楽の内側への破裂となって終わる。
FINALIST'S PROFILE
木下正道(日本) Masamichi Kinoshita, Japan
1969年2月4日生まれ。ハードロックバンドなどで活動。その後、東京学芸大学にてピアノや作曲を学ぶ。97年と99年に個展を開く。
programme note
サラ-ユーケルIII Sarah-Yukel III
Sarahは女の名、Yukelは男の名。ジャベスの「問いの書を参照しつつここでは二人の、または複数の(不可能な)愛の敷衍と、その終焉(死ではない)を追う。
7群に分割されたオーケストラが、幾つもの入れ子になった対話の関係の中で、しかしそれらが幾分も空間の多様性を円満に顕揚すること無く、むしろその非連続性、断絶性を露骨なまでに"立ち現せ、次第に不条理な沈黙に食い破られていく様を、刻々と記述していく。
そして空無に根こそぎにされた時間/空間は、音楽作品、という名の明白かつ残酷な持続の中で、ただひたすらな無言、不実を選ぶ/聴くことしか出来ないのである。