「HANGAR FLYING」
レーシングフォト・クラブ 永井 幸雄
毎年恒例のと言っては失礼なんだが、とっくに喉から手が出て待っていたパイナップルが届いた。八重山諸島、石垣島産の大きくて、たっぷりと熟れたのが8個もお待ちど〜とでも言いながら、届いた。
送ってくれたのは、今はその石垣島の傍らに寄り添うようにしてある小さな島、竹富島に住む岸田三郎さん、元零戦パイロット。
僕は岸田さんと縁あって今日までお付き合いさせていただいている。そうそれは、今からおよそ20年前、岸田さんが輸入されたウルトラライト機「サドラー・バンパイア」の発表会があるというので、取材に伺ったときが初めてだった。
当時ウルトラライト機の主流は、クイック・シルバー機などの「凧に毛が生えた」ような、アルミ・パイプに羽布張り構造の機体が主流だったが、この「サドラー・バンパイア」は、あの英国のバンパイア・ジェット機のミニチュアのようなデザインで、ほぼ金属性と僅かに複合材で、太い金属のツイン・チューブとその間にプッシャー式に配置されたプロペラが印象的な機体だ。
エンジンこそロータックス製の規格に合致したものだったが、全体として本当に(当時の)ウルトラライトのカテゴリーに合致していたのかな?。ま、それはともかくとして、岸田さんは故小林喜作理事長とも旧知の間柄とかで、その冬の寒い日に開かれた発表会の場所は調布のフライング・サービスのハンガーだったから、なおさらに寒かったのを記憶している。
それから一年ほどしてから、パラシュートの日本選手権大会が那須高原で開催された。これを取材に行ったとき、現地で岸田さんに再会した。
当時まで岸田さんは東京の新宿にお住まいになっていた。その帰り道、東京へ向かう車中で「東京の寒さが身に堪えるから、フィリピン辺りの暖かい所にすみたいな。」と独言のように岸田さんは言っていた…。それからおよそ3ヵ月もたっただろうか、岸田さんから電話が掛かった。「竹富島に引っ越したよ。」…、オヨヨー絶句であった。
あの日の車の中での会話、半分冗談としか聞いていなかった僕は、あまりの行動、決断の速さと凄さに、まさに声の出せない驚き状態に陥ってしまった。
岸田さんとのお付き合いは、もうそうとうになるのだけれども、僕のちゃらんぽらんな性格によるのだろうけれど、岸田さんに付いて詳しくは知らない。元零戦パイロットだったというが、フェリーパイロットだったらしいから、実戦には出ないで済んだらしい。
戦後はコンピューター(と言っても初期の紙テープとパンチ穴のシステム)関係で成功し、連日銀座を飲み歩いたらしい。この銀座に関してはや今はきっぱりと飲むのを止めた岸田さんだが、たまに上京されると、足は銀座に向くようで、だいぶ前に僕も「銀座のクラブ」へ同行させていただいた。そのクラブは銀座5丁目ソニービルのすぐそばにある。歴史に彩られたその名も「クラブまり」は、いまや伏魔殿のごとき構えで、岸田さんがいらっしゃらなくても、僕が通っている。なにしろ片手一枚で、空いているときはゆっくりと好きなだけ飲んでいられるのだから。
赤十字飛行隊ジャンパー
7月号でお知らせした飛行隊オリジナルジャンパーは注文数を確定してからの発注となりますので、ご希望の方は8月10日までにお申し込み下さい。
期日を過ぎますと追加オーダーは受け付けられませんので御注意下さい。