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【調査日程】
2001年12月13日(木)   辻は12時50分のAF275便で成田発。
17時00分パリ・シャルルドゴール空港着。
19時30分パリ発。20時45分ジュネーブ着。
ジュネーブは−6℃で風が強く寒かったが、徒歩で21時30分ホテル着。
14日(金)   10時00分WHO着。予め日本より連絡をしてあったPVC/CPEの住血吸虫担当のDr.ChitsuloおよびDr.Engelsと中央アフリカの住血吸虫対策について討議の後、PVC/CPE/CDSのCoodinatorのDr.Savioliと世界の住血吸虫対策問題および土壌媒介線虫対策について討議、PCSのScientistであるDr.Zaimも参加、丁度中国からジュネーブに来ていた前WHO職員のDr.Yu Sen-Haiとも意見交換をした。このDr.Yu Sen-Haiは2002年1月末で私が2期6年間勤めて満期となるWHO,TDRのAdvisary Comittee Member on Parasitic Diseases(Schistosomiasis)の後任に決まっている人である。Dr.Chitsuloに停留所まで送って戴いて13時33分WHO発、13時55分ジュネーブ空港着。16時30分ジュネーブ発、17時30分パリ空港着。
下田は12時50分のAF275便で成田発。17時10分パリ着。パリの空港で辻と落ち合い2人で18時00分パリ空港からホテルヘ。19時00分ホテル着。仕事の打ち合わせと予定の確認。
15日(土)   11時50分ホテル発空港へ。空港内のシェラトンホテルに12時40分に着いて、セネガルの調査からの帰途に半日休養していたJICSの職員で杏林大学の大学院国際協力研究科で私が指導を行っている学生でもある渡辺氏と同行の林氏と会い、セネガル他のアフリカ諸国にODAが行っている援助についての説明などを受けながら討議を行う。渡辺氏達が17時発で日本に出発するので、16時00分にホテルを出て、16時30分にバンギー行きのフライトのチェックインを済ます。空港の待合室で休息をしている時に在中央アフリカ大使館の青山医務官と会い、中央アフリカの情勢について話し合い。
16日(日)   夜中の00時10分発のAF884便で青山医務官とともにバンギーへ。08時40分バンギー着。空港には高倍大使、大島派遣員および今回も私どものカウンタートであるバンギー大学医学部眼科学教室主任兼バンギー中央病院眼科部長のDr.Yayaの出迎えを受ける。またパリに出張の菊地書記官とも会って荷物を受け取るまで待合室で話し合い。空港には例年のごとく大使館の車と保健省より提供された車が迎えに来ていた。10時00分にまず大使公邸に伺って先に別送していた荷物を受け取り、荷解き。11時30分にホテル・サンバ着。直ちに日曜日であったが出勤してくれていた衛生省第一地方医務局を訪問してDr.Yasipoと局長室で、Ordre de Mission作成のための準備および現地行動についての打ち合わせを行った。15時00分に昨年保管を依頼してあったDr.Yaya宅に出かけ、検診に必要な荷物を受け取り。17時00分にDr. Yayaとともに再び衛生省の第一地方医務局にDr.Yasipoを訪ねてOrdre de Missionを受け取り、続いて明日からブアールに出かけるために軽油を購入。
17日(月)   朝ホテルの夜警が道路に落ちていた薬夾を持って来て、昨夜裏のディスコで殺人事件があったと云う。8月のクーデター以降一部の民間人が銃やピストルを持っているとのことであるが、通常は使用されることもなく、特別なトラブルがなければ安全であるとのことであった。昨夜の殺人事件も女性問題のトラブルが原因であったとのことである。
08時30分バンギー発、途中13時30分ヤロケの手前20kmにある現地事務所に寄り、日本人の事務所員を訪問し、我々の自動車の故障を直して戴く。16時30分ブアール着。ホテル・マイガロに寄って宿の予約を済ませ直ちにブアール病院を訪問し、院長と検診についての打ち合わせ。17時30分にケラ村を訪ねて明日の検診について通報する。19時00分にケラ村発。19時30分ホテル着。この日は電気がなく、石油ランプと懐中電灯で夕食の準備。夜21時20分に夕食を終える。
18日(火)   06時50分ホテル発。07時20分ケラ村着。経過観察の受診者65名、新患92名の計157名の検診を行う。12時30分検診終了。13時00分ホテル着。14時00分より19時00分迄、136検体の処理を済ませる。19時30分ホテル着。今夜は電気があり、21時00分の電気が消えるまでに食事を済ませ、片付けをする。
19日(水)   08時00分ブアール発。10時10分道路工事中の鹿島建設関係者に会い、ずっと現地に滞在している有馬さんと道路工事現場で立ち話をする。16時30分バンギーのホテル着。18時00分にDr.Yayaがホテルを訪ねて来て、国際的な基準で審査をしたいとの医学部長の希望で、バンギー大学の学位申請20題のうち2題の審査をして欲しいと頼まれる。外国からは象牙海岸、ベナン、カメルーン、コンゴ民主共和国から各1名の教授が来ているが、例年なら少なくとも2-3名のアフリカ以外の国からの審査委員が今年は不在なので、是非にと頼まれ、短期間の滞在であったが、ウワンゴ地区が民衆が騒いで危険とのことで検診を中止にしたので、この審査を引き受けることにする。20時15分に学位申請論文をホテルに届けに来る。1題の眼科論文は主査、もう1題の外科論文は第一副査を頼まれた。夜23時まで論文の査読をして質問事項を整理する。
20日(木)   07時20分ホテル発。07時30分医学部会議室着。08時15分まで医学部教授会に出席。10時10分より11時30分までJuly(学位審査)、辻が担当した審査は第2席で10時40分より11時10分までの主査を無事に済ませる。直ちに薬局に出かけて衛生省に供与する薬品を購入する。下田はホテルで標本整理をしていたが、10時30分より医学部の審査を見学。12時30分ホテル帰着。再び13時30分ホテル発。14時10分より16時00分まで午後の学位審査。16時10分医学部発。衛生省に寄ってDr.Yasipoに供与する薬品の一部を供与。17時30分より高倍大使に青山医務官、神田領事およびDr. Yayaとともに夕食の招待を受け、大使公邸に伺う。食事をご馳走になった後に大使と中央アフリカの医療事情や政情についてお話しをして、21時00分に公邸を辞し21時30分ホテル着。
21日(金)   06時45分ホテル発。07時00分ビラ・東京に青山先生を迎えに行き、次いで07時15分にDr.Yayaをピックアップ。07時30分バンギー発。09時20分バンザ村着。経過観察の受診者27名、新患104名の計131名の検診を実施し、13時30分検診終了。14時00分より17時00分迄、123検体の処理を済ませ、17時20分バンザ発。19時10分バンギー着。19時30分ホテル着。
22日(土)   10時00分よりパタセ大統領が出席されて学位授与式があるとのことで、09時00分に大学に集合するも大統領の都合で、12時30分に延期、大学で待機する。13時になって再び15時00分からに延期となる。15時15分より国立会議場でパタセ大統領出席のもと、各国大使も臨席して学位授与式が開始される。日本の高倍大使は翌日の天皇誕生日を一日早めて日本人会が大使公邸で開催されるため、欠席された。学位授与式では外国人の審査委員を一人一人紹介されたが、式典の最後にされた大統領の挨拶の中で、「日本は笹川記念保健協力財団を始めとする医療援助があり、また日本政府からも多くの援助をして貰っているが、今回の学位審査に日本の教授が参加してくれているごとく、日本は物質的な援助のみならず技術援助もしてくれていることに感謝する」と出席者約500名の前で特別に名指しで挨拶してくれたことは感激であった。大統領が退席される時にも各人と挨拶されたが、その折りにも「毎年わが国のために来てくれて有り難う」と固い握手をしてくれた。大統領が頭の中にはいつも長年継続してくれる笹川記念保健協力財団に対する感謝の気持ちがありますと云われたことは有り難かった。
16時40分に式典終了。直ちに衛生省に出かけてDr.Yasipoに顕微鏡他供与器材を贈呈する。
下田は17時30分に大使公邸の日本人会の集まりに出席。辻は18時30分に大使公邸に伺い、日本人会に合流。20時00分より行われる医学部主催のレセプションに出席するために19時30分に公邸を辞し、ソフィテルホテルに出かける。レセプション開催の前に中央アフリカ政府より今回学位審査に携わった外国人教授達に叙勲があり、辻にも他の教授よりグレードの高いPalme Academie(学術功労勲章)のOfficieが授与された。その際にも国務大臣より笹川記念保健協力財団のこれまでの援助に対する感謝が述べられた。フランス大使館の科学参事官からも辻に直接お祝いの言葉が述べられた。その後大学関係者、中央アフリカ政府関係者および学位授与受領者などとのレセプションが開かれた。
23時00分終了し、23時10分にホテル着。
23日(日)   08時00分ホテル発。08時30分空港着。大島派遣員が出国手続きをして下さる。空港には高倍大使、青山医務官、Dr. Yayaが見送りに来て下さる。空港でパリから帰国された菊地参事官ともお会いし、また外国出張から帰国されたKalite衛生大臣ともお会いして約30分間、今回の検診についての報告を行った。AF884便にて10時50分バンギー発。17時30分パリ着。
24日(月)   午前中にAFの事務所に出かけて帰りのフライトの再確認。16時30分より21時00分まで前フランス科学技術省国際課長、日本担当であり、現在日仏医学会フランス事務局長のMme.Nagelと会合。21時30分ホテル帰着。
25日(火)   13時15分発のAF276便でパリ発。
26日(水)   09時10分成田着。空港より笹川記念保健協力財団に無事帰国した旨、電話連絡。下田は岡山に無事に帰る。








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