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やくしやま花壇
 

病気が進行し身体が痩せ細りウトウト眠っての日々を送っておられるTさんが、銀婚式を迎えると聞き、私達は思い出作りの計画を立てました。まず、妻へのプレゼントは何がいいかと尋ねると「そりゃ、赤い”バラ”やね」と即答されました。それにカードを付けようと思い一週間前からT氏に言葉を考えるようにと毎日声をかけるのですが出てきません。やはり今の状態で考えるのは無理なのだろうかと諦め「ありがとうと書いて下さい。」というと「いいねぇ〜それ」とカードに書き出されました。出来あがったカードには<いつまでも、かわらぬ君に、ありがとう Tより>と…。当日T氏は朝からパッチリ目が覚め妻はまだかと心待ちにされていました。妻は今まで一度もプレゼントを貰った事がないと涙を流されました。その時の写真とカード、そしてドライフラワーとなった”愛情”という花言葉をもつ25本の赤い”バラ”は今も家に飾られています。
 
看護婦 山本 佳乃
 

Yさんはとても”おしゃれ”な方で、朝からきちんと薄化粧をしてパジャマから洋服に着替え一日の始まりを喜んで迎えておられました。小さい身体であれこれ片付け「欲を言ったらきりがない。身の回りを片付けたらもういつ迎えが来てもいい。荷物を減らしていくと楽やなぁ。」とおっしゃる謙虚な方でもありました。お部屋へ行くとベッドの隣をポンポンとたたいて「坐りや」と場所を空けてくださり、とりとめのない話で楽しい時間を過ごしたものです。9ヶ月もの長い間、自分らしく正直に明るく精いっぱい生きたYさん…そして最後の瞬間さえも、自分で用意した”おしゃれ”な洋服で旅立たれました。「あっちに行ったら両親に会えるかな…よう頑張ったって言ってくれるかな…」一Yさん今ごろ、お母さんと楽しく暮らしていますか?初めて煎れた時からYさんのお気に入りとなったハーブティー。これからもハーブティーを飲むたびいつもも”おしゃれ”なYさんを思い出すことでしょう。
 
看護婦 坂下 百合子
 

「ちょっと薬剤師さん!」病室で、サロンで、廊下で、時には薬局で、幾度となくN氏からかけられた言葉です。患者さんの方からの薬剤師さんという呼びかけ、薬局への訪問、いずれもやくしやまでは初めての経験であり、はじめはとまどいを感じていました。N氏は薬や、それにまつわることに実に様々な自分の”思いを告げて”こられました。時にはそれらが何の関連性もないものに感じられたり、圧倒されそうになったのも事実です。私にできたのはその”告げられた思い”にひとつひとつ答えることだけでした。とまどいながらも向き合っていけたのは、きっとご自身が医療にたずさわっていたが故の”思い”にこだわり続け、今度は患者としての立場からそれを発信して下さったからでは…と感じています。今も耳に残るN氏のあの声に悟され、励まされながら、昨日より少しは前進すべく今日も歩み続けています。
 
薬剤師 齋藤 俊子
 

Hさんはとてもユーモアのある方でした。「お飲み物はいかがいたしますか?」とたずねると、いつも「American!!」と英語の先生もびっくりするくらい流暢な英語で答えてくださいました。そんなHさんとの関わりで一番印象的で”大切な思い出”は、ある7月の夕方、僕が七夕の竹に短冊を結び付けていた時のことです。僕は短冊に「(薬師山病院が)いつも笑いの絶えないあたたかい家でありますように☆」と書きましたが、車椅子で出てこられたHさんがその短冊を見て「そうよ、笑いは”大切”。絶対忘れたらあかん]と今でも印象的なすばらしい笑顔でおっしゃってくださいました。ホスピスという場所はどこか厳かなイメージがありましたが、笑いというものは生きていく上で”大切”なもので、ホスピスという場所においても当然求められていることなんだとHさんに教えられた気がしました。それからは、笑顔やあたたかい心を届けるのがボランティアである僕の仕事だと思うようになり、日々楽しく活動しています。
 
ボランティア 植田 寛章
 

入院当初から嘔気や嘔吐があり食事もあまり口にされなかったSさん。身体の調子の良い時に料理番組をみておられ「ステーキが食べたい…。入院した時からもう好きな物は食べられないとあきらめているけどね…。」とつぶやかれました。その言葉を聞いたスタッフは何とかSさんの”希望”を叶えることはできないかと話し合いました。お肉を買いに行く人、炭を用意する人、七輪を用意する人…と役割分担を決め、病室で炭をおこしステーキを焼きました。ジュウジュウと音がする中でSさんは一切れ口に運び「おいしい…」と今までに見た事のない笑顔を見せられました。”希望”が叶うという喜びをSさんと共に感じる事ができた感動を今でも覚えています。患者さんひとりひとりの”希望”に添うという事は難しいことかもしれませんが、いつもその姿勢を忘れず看護を行なうということを大切にしています。
 
看護婦 川瀬 由佳
 

薬師山病院では、昼食、夕食が選択メニューになっています。週に1回メニューを選んでもらうためにお部屋を訪ねるときが、私が患者さんの声を聞ける数少ないチャンスです。栄養士になって約半年が経過しましたが、初めの頃はなにか目新しいメニューはないかと”料理”の本を片っ端から読み漁っていたように思います。そんな時、Nさんを訪問し「別に変わったものはせんでええ。普通の”料理”が食べたいんや。」と言われ、珍しい”料理”ばかりを求めていた自分に気づきました。確かに、昔から食べ慣れた”料理”のほうが患者さんが選択される率も多いですし、残り少ない日々だからこそ食べたいのはそういう料理だと思います。最近、患者さんのご家族から「ここは家で食べるような”料理”を出してくれるのね。」と言われ、とてもうれしく思いました。病院食は様々な制限がありますが、これからもできる限り患者さんのご希望に添っていけるような”料理”を提供していけたら…と思います。
 
管理栄養士 中川 千明
 

薬師山病院に辿り着けたのは、不運だった主人に唯一神様が与えてくれた魔法の杖だったような気がします。今までに受けた心の傷は十分に癒され、それ以上に平安を取り戻せました。入院中は”家族”全員がスタッフの皆に寄り掛かって、それまで背負っていた荷物をゆっくりほどいてくつろぐことさえ出来ました。薬師山にいた1ヵ月半は本当に”家族”が寄り添えて至福の時でした。楽しかったことばかり思い出されて、デジカメのパソコン画面を見ながら思わず笑っています。主人の死は残念ですが、皆様とお会いできお力を頂いた事は私達”家族”の宝物です。まだまだ雑事に忙殺されていますが、本当に私達のことを知って下さる方々のもとでしみじみと泣きたいような気がします。お言葉に甘えて必ずお伺いしたいと思っています。本当に心より感謝申し上げます。
 
家族 千藤 節子
 

母が発病して一年、まだ元気だった母も私もホスピスに逡巡があり片道切符に思われるホスピスを選択できないでいました。冷静に考えれば、一般病院でもホスピスでも寿命は同じであるものを、がんに向きあっている私達には悲しい選択に思えて…。しかし年末からの休みを考えた時不安と焦燥で門をたたき在宅ケアがスタート。ゆとりを無くしていた私達が、四ヶ月間先生や看護の方たちに”支えられて”なんとか在宅で看取ることができ、母にとり良かったのではと思っています。的確なアドバイスや見守ってくださっているという安心感があればこそできたことだと。私達にとっては「こういう状態がおきますよ」とか「こういった方法がありますよ」など、段階的に教えていただいたことが大きな指針になり、死を語らなくても徐々に心の準備ができ、症状の変化にも比較的平静でいられたのではないかと思います。母が逝きつつある悲しみや日々衰えていくことに心は痛みましたが、穏やかに旅立ったことを感謝しております。私達を心支えて”くださりほんとうにありがとうございました。
 
家族 欅田 レイ子








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