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3年間を振り返って
院長 川村 治雄
 
 平成10年10月にオープンして早や3年余りが経過したが、経ってしまえばあっという間であった様な気がする。しかし目を閉じると色々な事が思い出される。楽しかった事も多いがやはり印象に残っているのは苦労した事の方が多い。ここでは個々の方の事より全体的な事を考えてみたい。
 現在はチーム医療の時代であるとよく言われるその中でも緩和医療は特に全人的アプローチが必要とされている。初期の頃は医師、看護婦、薬剤師、栄養士、看護助手、ボランティア…全て対等という事を意識して動いていたように思う。しかしいつの間にか症状コントロールという名目のもとに医師が主導権をとっているのではないかと思う。患者さんや家族を支えるという視点からみれば必ずしも医師が主導権をとる必要もないし、一方的に主導権をとれば良いケアは難しいのではないか。患者さんや家族は医師に対しては遠慮があって言いたい事もなかなか言えないものである。看護婦さんには全てが言えるかといえばそういうものではないが医師よりは言い易い。痛みの評価という点では24時間交代で患者さんと接している看護婦さんの方が正しい場合が多い。また苦痛は肉体的なもののみでなく精神的なものもあり、社会的、経済的な心配もある。その様な多面的な情報を得、それを共有し、解決するためにはチームワークが不可欠である。そのためにチームミーティングを行っているが、チームが全体として円滑に行動するにはコーディネイトする者が必要である。各人が必要な場合は自分がコーディネイターになるという自覚を持ってほしい。初期の頃は不慣れであったがまた新鮮さもあり患者さんや家族の言葉、行動に対してどの様に解釈するか今よりもっと討論した様な気がする。(あの当時は患者さんの数も少なく時間的余裕があった点が大きいが)今から思えば無駄な事もあったが、共通認識という面では有益であった事も多かった。3年間の進歩を無視してあの時代に戻った方が良いとは思わないが、やはり初心に返り自分を見つめ直す事も必要ではないか。
 
副院長 泰井 俊造
 
 当ホスピスも設立後3年半となるが、此の度、日本財団の御支援を得て、国内有数のすばらしい新病棟の竣工を迎えたことは、誠に喜ばしい。内部的には反省することの多い日々ではあるが、一方で3年有余の地道な努力と実績が、一定以上の評価を得たことも事実であろう。素直に感謝し喜ぶと共に、今後の励みとしたい。
 ホスピスには、癌末期で心身両面の様々な苦痛に、深く傷ついた患者さんやその御家族が、救いを求めて来られる。それらの苦痛をできる限り軽減し、少しでも救いにならんとする全ての行為や手段が、緩和ケアである。従って緩和ケアはホスピスの代名詞であり、ホスピスそのものでもある。
 緩和ケアは、病棟の玄関から始まっている。恵まれた自然環境の中にある、静かで落ち着いた雰囲気の建物に入られただけで、全んどの患者さんと御家族は、ホッとされ気持ちが和むようである。「玄関を入った時、ここでは時間が止まっていると感じました。」と言われたある御家族の言葉が象徴的である。
 身体面での苦痛症状は様々であり、心や人柄まで歪める程に患者さんを苦しめる。幸いにも緩和医療の進歩により、殆どの症状−特に痛み−は大幅に軽減され、しばしば「まるで嘘のように」消失する。苦痛のため硬く険しい患者さんの表情が一変し、笑顔と共に穏やかな表情に戻られるのは、ホスピスならではの光景であり、それは同時に御家族の喜びとなる。
 しばしば「心のケア」とも呼ばれるが、患者さん自身や御家族の心や気持ちの面での、深刻な苦痛や辛さを全力でサポートすることこそ、緩和ケアの最終的な目標である。上述した身体面での苦痛の緩和、親切で行き届いた看護、心こもる食事、様々な職種のスタッフやボランティア達が一体となっての温かい心遣い、そして何よりも自然環境や色とりどりの花や植物等による安らぎ、その他ホスピスの持つ全てのものが「心のケア」に向けられている。ホスピスでこういった暖かいケアが可能なのは、ホスピスにはいろんな点で「ゆとり・余裕」が公的に基準化され、かつ保障されているからである。
 開設以来、当ホスピスでは350名に及ぶ患者さん達のお世話をし、ほぼ全ての御家族から心こもる感謝の言葉を頂いてきた。それらの言葉を常に支えとし、また新病棟の完成を契機として、今後ともより良き緩和ケアの実現につとめたい。
 
ホスピス部長 久保 速三
 
 料埋番組を見ていた。右の耳から左の耳へと流れるうちに、ある言葉が耳にさわった。細かいところはともかく、以下のような内容だった。「カステラがポルトガルから伝わった当時は、今とは違ったものだった。江戸時代の人たちが工夫を重ねて、現在のようなカステラの味になった。それがなぜわかるかというと、当時の配合帳いわゆるレシピが残っているからだ」
 配合帳よりレシピの方が理解しやすいんだ、絶句するしかなかった。
 ホスピスに来て四ヶ月、まだ耳に残る初日の申し送り。レスキューという言葉を耳にした。レスキュー→(英語の)rescue→その訳語として救助という意味を思い出して、これはどうやら、患者さんが困っているときに何らかの薬を緊急使用することかしら、漠然と理解した。レシピにしても、レスキューにしても、言葉は、具体的なものや具体的な行為を指し示している。つまり目に見える実証可能な存在や行動と対応している。しかし形を持たない対象を表現する言葉だと、少々厄介になる。
 例えば、spirit(スピリット)。個人的な話だが、その昔、三位一体という言葉に出会った。神と子と聖霊をもって三位一体とするキリスト教の基本的教義だそうだが、この三位一体、今もさっぱり訳が分からない。分からないながら、聖霊はHoly Spiritの訳語であり、どうもキリスト教とspiritは深い関係にあるらしい。ましてや、ヨハネの福音書にGod is a spiritとあったりすると、spiritという言葉は、欧米人にとって、キリスト教にまつわる歴史的、情緒的、文化的連想を豊富にもっているに違いない。漢字と異なり、かたかなは意味を持たない表音文字であるから、かたかな表記は一切の連想や具体性をかなぐり捨てるのにもってこいである。けれども、言葉の表わすはずの実体に形がなく、むしろ歴史・情緒・文化をその本質としているならば、spiritからそれらを捨て去ったスピリットとは何であろうか。ホスピスで、スピリチュアル(ペイン、ケア)という言葉に出会った。ホスピス、レスキュー、スピリチュアル、このかたかなの海を泳いで行けるだろうか。spirits(強いアルコール飲料類)なら、溺れ酩酊することもできようが。
 目の前に現実がある以上、言葉のことなんぞをかまう間もなく行動しているものだが、言葉は観念であって、現実から離れて独り歩きする性格を本来的に持っている。そうして言葉は、われわれが直面し行動している現実の場に、いつのまにか歪みを招き入れ始める。言葉が意味不明であるほど、現場への攪乱作用は強いと感じる。
 
婦長 矢田 ユウ子
 
 薬師山での3年間の生活の中では、多くの患者様とご家族との出会いがあり、そして、同じ数位のお別れがありました。
 患者様一人ひとりに、その方の人生があり、さまざまなドラマの展開があります。薬師山の玄関を入っていただいた時に、患者様やご家族は、どんな思いを持っておられるのでしょうか。今までの病院とは違う雰囲気を感じていただいているのではないでしょうか。ホテルのロビーのような玄関、暖い陽射しが降りそそぐサロン、落ちついた静かな病室、医療機器をできるだけ除いて、自宅での生活に近い環境に、まず、ほっと一息ついていただけたらと思っています。
 薬師山での生活には、あらかじめ決りきったものはありません。まず、苦痛症状について積極的に緩和するところから始まりますが、その方の生活リズムに合わせて相談しながら、日常の生活を援助していきます。患者様本人だけでなく、大切な方を失うご家族へもサポートをしていきます。私達は、いつも自分たちが何をして差し上げることができるのかをチームで考え話し合ってケアを実施していきます。時には、自己の無力さに悩み、迫りくる現実の厳しさに落ち込んでしまうこともありました。
 人生の中で、最後の生活の場となるホスピスというところは、患者様と、ご家族にとっては、計り知れない嘆きや無念の思いが交錯するところなのかもしれません。残されていく者たちに対する思いや、遣り残していくことに対する気持ちは、当事者でなければ理解することができないのかもしれません、」しかし、この世の命あるものは、すべて、どんなものでも限りがあるということを認識していくことも必要なのではと考えています。
 一つの命から又、次世代の命が芽ばえ育っていくことをしっかりと受けとめ、日々を大切にすごしていきたいと思います.薬師山で出会えた方々にいただいた感動を胸に、自身をふり省り親兄弟の有難さや、友人達の暖さを感じながら、今日も坂を登って薬師山へ向っています。
 
在宅ホスピスケアセンター長 足立 千恵子
 
 やくしやまの開設から関わらせて頂き、ひとつの区切りとして、私が大切にしてきたことを振り返ってみました。
 病棟では”ホッと一息つける空間、時間”を大切にしてきました。
 写真が趣味のAさん。症状が緩和したとき、車イスに乗り、いつもそばに居る奥様とご一緒に院内を見学されていました。「あの場所にならこっちがいいかしら」とたくさんの写真の中から、お2人で選んで廊下に飾って下さいました。頂いたお写真は今も私たちの宝物です。
 相談室では”声にだしてもらうこと”を大切にしてきました。
 電話の向こうからきこえる、父を思う娘さんの声。
 面談では、ご家族がはじめて各々の思いを語り合い、改めて向き合うことが出来たこともありました。
 「辛いんです。でも泣くことができないんです、何故でしょう」と病気の夫を見守り続けている奥様の一言が心に残っています。
 そして、今、在宅センターでは、”家での生活が少しでも快適であるように、又、ご家族が出来ることはしてやれたと達成感をもつことが出来るように”訪問という形でお手伝いさせて頂いています。
 「私は器械なんか分からへんよ」と言っていた奥様が、吸引器で痰を取り、チューブから食事を入れて介護を続けました。
 「なぁお父さん。半年間も家にいることが出来たんや、よう頑張ったなあ、心残りないものね」と別れの近くなった夫に頬ずりし、涙ながらに語りかけておられました。その場面に立ち合い、私も一緒に涙を流していました。
 主役は患者さん、そして見守り続けるご家族です。
 改めて、生きること、生きていくこと、生活していくことがすばらしいということを実感しています。
 この感動を与えて下さった皆様に感謝致します。








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