II. 米国内の状況
九月一一日の同時テロ攻撃によって、ブッシュ、クリントン両政権の初期にみられた最大の類似点の一つ、つまり政権運営に当たっての厳しい政治的、経済的制約が、突然終わりを告げた。大統領選をめぐるフロリダ州での論争のため、あらゆる政治的性向の米国人はジョージ・W・ブッシュ氏の政治的権限がいかに限定されたものであるかをひしひしと感じていた。それが今では、反テロキャンペーンによって彼はついに、国内の政界、マスコミ界を自由に操れるようになった。
クリントン大統領はこれと対照的に、大差で再選を勝ち得ただけでなく、高い支持率を維持しながら退任した。それでもクリントン政権はスタートに手間取った。少数与党の大統領であり、その上かなり経験不足のようだったほか、初期には医療保険問題や軍隊の同性愛者問題の取り扱いでつまずいた。また、何年も連邦財政の黒字が続いたために、クリントンが初めは厳しい予算制約下で政権を運営しなければならなかったことが忘れられやすい状況となっている。
ジョージ・W・ブッシュ氏は、米景気の減速やクリントン政権時代にはあった財政黒字の縮小がもたらした厳しい制約から、一時的に解放された。だが、経済的制約が永久に無視されることはあり得ない。特に、停滞気味の国内成長が意味するものは、景気拡大策が米国の既に巨額に上っている対外債務を激増させ、ドル相場を大きな下方圧力にさらすということである。テロとの戦いには十分な資金が充てられるだろうが、より一層の経済成長がなく、あるいは増税が行われないならば、非常事態が終結ないし沈静化した時、テロとの戦いは国家安全保障を弱体化した経済基盤にゆだねてしまうだろう。そして軍事政策の立案者たちは、欧州とアジアの米同盟国の防衛という重要な役割を果たす通常戦力を選ぶのか、ミサイル防衛のための研究・開発を選ぶのか、それとも対テロの新たな戦力を選ぶのかという厳しい選択に再び直面するだろう。
クリントン政権が前述のように数多くの小規模軍事作戦を実施したとはいえ、八年間の平和は米外交の前途にも大いに影響を与えた。冷戦終結後、さらに八年が経過したことも、同様に影響を与えた。特に、そもそも世界情勢の細かな部分には決して格別の関心を持たない米国民は、ますますそうしたことに関心を持たなくなった。このため、テロとの戦いを除いて、米国指導者たちは本当に重要な安全保障上の利益が危うくならない限り、外交政策に資源を投ずることや、米軍を重大な危険にさらすことに国民の支持がなかなか得られず、ひどく苦労し続けるだろう。また、(地球温暖化防止のための)京都議定書や包括的核実験禁止条約(CTBT)への議会の反対が示すように、米政府はおおざっぱで議論の余地がある実現不可能な国際的目標、あるいは扱いにくい協カメカニズムの代償として、特定の国家利益の犠牲や国家主権の侵害を受け入れるよう国民を説得するのが極めて困難なことに気付くだろう。
九月のテロ攻撃は、世界の出来事にぜい弱であるという米国人の感覚を確実に高めるだろう。だが米国人は、最善の対応策が世界の紛争地に対する新たな外交的関与であるとか、グローバルな問題解決のための多国間努カヘの新たな積極的参加であるといった結論を下す可能性は小さく、国際問題における他の長期的手段・戦略を支持することもしないだろう。米国人は、テロのような脅威と戦うには、より効果的な先制軍事手段や軍事的対応が必要だと考える可能性の方が大きい。米国人は恐らくテロを、多数の死者を生むが非常に特殊で、目標を絞ったものとみなすだろう。