第1章 目的及び海難調査国際協力化の国際的基盤等について
I 目的
国家が自国船舶及び自国水域内の船舶に関わる海難を調査するのは、その国にとって当然の責務であり、国際条約上の義務である。しかし、いうまでもなく、海事を取り巻く情勢は、古くから一国の措置だけでは十分でなかった。海難調査もその範疇にあるが、特に近年は、(航空事故の調査と同様に)国際的な協力を必要とする状況が強くなっている。
財団法人海難審判協会(以下「海難審判協会」という。)は、近年のわが国を含む世界の海事産業がグローバル化を強めていることに伴い、わが国の海難においても関係者が多国籍的になっていること及び国際海事機関(International Maritime Organization; IMO。以下「IMO」という。)の海難調査に関する審議動向が国際協力の強化に向いていること、特に第20回IMO総会が1997年11月27日にA.849(20)決議「海難及び海上インシデントの調査のためのコード(Code for the Investigation of Marine Casualties and Incidents)」(以下「A. 849(20)決議」という。)を採択して海難調査の国際協力化に向けてその手法を示したことに注目し、海難調査の国際協力を実施するうえでの問題を研究する必要があることを認め、平成11年度の事業計画において、「海難調査の国際協力化」に関する調査研究を行なうことにし、財団法人日本船舶振興会(日本財団)に対し、助成金交付の申請をしたところ、これが認められたので、平成11(1999)年度からの3か年計画で「海難調査の国際協力化に関する研究会」(以下「研究会」という。)を組織して調査研究を行なった。
本報告書は、研究会の最終報告書であるが、意図するところは、海難調査の国際協力の理念・法理等の研究調査ではなく、海難調査の国際的協力に関するこれまでの経過、現状及び研究対象である実施上の問題点を伝えようとするものである。したがって、本報告書は、「国際協力に関する」ではなくて「国際協力化に関する」報告書である。
海難審判協会は、海難調査の国際協力化に関する研究には主要海事先進国の訪問調査が必要であると判断して事業計画を立てており、研究会は、2年に渉って研究会委員2人及び事務局(海難審判協会)職員2人を1グループとする調査団を5か国6機関、すなわち、イギリスの海難調査局(MAIB)、アメリカの沿岸警備隊(USCG)及び国家運輸安全委員会(NTSB)、フィンランドの事故調査局(AIB)、スウェーデンの国家災害委員会(SHK)及びオランダの運輸安全委員会(DTSB)に派遣し、各海難調査制度及びその国際協力の現状を調査した。その結果は、本報告書の第2章から第6章までに示す通りである。又、訪問にあたっての選定基準、旅行日程等は本章の末尾に簡単に記載する。
II 海難調査国際協力化の国際的基盤等
このタイトルには2つのキーワードがある。「関係IMO決議」及び「MAIIF」である。海難調査の国際的な協力のための国際的な基盤に関するこれまでの経過及び現状は、この2つのキーワードによって理解することができると考える。
関係IMO決議とは、海難調査の国際協力に関する国際的な取り決めとしてIMOが総会で採択し、現在その効力を保っている前記のA.849(20)決議及びその一部改正で1998年11月25日に採択したA.884(21)決議「海難及び海上インシデントの調査のためのコード(決議A.840(20)の改正(Amendments to the Code for the Investigation of Marine Casualties and Incidents (Resolution A.849(20))(以下「A.884(21)決議」という。)が中心になる。
MAIIFは、国際海難調査官会議(Marine Accident Investigators Forum)の略称であって、海難調査官の国際組織である(以下「MAIIF」という。)。1992年に第1回会議が開かれ、以後毎年1回開催されており、1999年の第8回会議は、海難審判庁が運営して東京で開催された。
海難審判庁は、平成10(1998)年及び同12(2000)年にアジア地域海難調査機関会議を主催した。同会議はMAIIFのアジア版ということができよう。MAIIFに補足して述べることにする。
1 関係IMO決議
はじめにIMOにおける海難の取扱について簡単に述べ、そのうえで海難調査の国際協力に関してこれまでにIMO総会が採択した決議の変遷及び現在有効となっている決議について略述する。
(1) IMOにおける海難の取扱
A.849(20)決議には、次の5種類の多数国間条約が言及されている。
[1] 国際海事機関条約(第15条)
[2] 海洋法に関する国際連合条約(第2条、第94条)
[3] 1974年の海上における人命の安全のための国際条約(第21規則)
[4] 1966年の満載喫水線に関する国際条約(第23条)
[5] 1973年の船舶による汚染の防止のための国際条約(第12条)
これらは、海難調査について同旨の規定をしており、例えば「1966年の満載喫水線に関する国際条約」第23条a項では「各主管庁は、・・・海難について調査を行なう・・・」と規定している。
IMOは、加盟の各国が自国船舶に関わる海難について、責任を以て調査することを当然のこととし、多数国間条約でその旨を規定しているのである。
(2) IMO総会が採択した決議の変遷
IMO総会は、海難調査の国際的な協力の問題に関し、次のような決議採択の変遷経過をたどった。
[1] 1968年11月28日 A.173(ES.IV)決議「海難の公的調査への参加(Participation in Official Inquiries into Maritime Casualties)」を採択
[2] 1979年11月15日 A.440(XI)決議「海難の調査のための情報交換(Exchange of Information for Investigations into Marine Casualties)」を採択
[3] 1989年10月19日 A.637(16)決議「海難調査への協力(Co-operation in Maritime Casualty Investigations)」を採択
[4] 1997年11月27日 A.849(20)決議を採択
[5] 1998年11月25日 A.884(21)決議を採択
この経過からいえることは、海難調査についての考え方の変化である。
(1)で述べたことを前提にしてその国際協力の在り方の変遷を論じると次のようにいえよう。
当初は、一国の調査に対して他国が調査協力をする、又は調査に関する情報交換をするという形をとるが、国際関係の度合いが強化されるにつれて、自然の流れとして、関係各国の持つ責任の競合を調整する国際協力体制の確立が望まれるようになる、又はなってきている。
現在のIMOの海難への対応は、関係各国の持つ責任の競合を調整して国際協力体制を確立することが望まれる段階にあるといえよう。
(3)A.849(20)決議採択に至る経緯
A.849(20)決議が採択されるまでには次のような経緯があった。
[1] オーストラリア政府が1995年2月開催のIMO第3回FSI(旗国小委員会)において「海難の公的調査の共通原則」を提案した。
[2] 翌(1996)年3月の第4回FSIにその修正案「海難調査における国際標準及び勧告方式のコード案」を提案した。
[3] 翌々(1997)年1月の第5回FSIには再修正案として「海難及び海上インシデントの調査のためのコード案」を提案した。
[4] 1997年5月開催の第68回MSC(海上安全委員会)は、再修正案を特段の意見もなく承認。同年の第20回総会において総会決議として採択した。
[5] わが国は、コレスポンデンス・グループに加わって検討を続け、第5回FSIにおいて、「国内法の許す限りにおいて適用する」旨の規定を加えることを提案し、これが受け入れられたことから、総体的には支持する方針を打ち出した。
なお、海難審判協会の機関誌「海難と審判」第123号(平成9年6月発行)の高等海難審判庁審判官伊藤實「海難調査の国際化について」を参照されたい。
両決議の実務的な部分の骨子を述べる。
[1] 「旗国(flag State)」は「重大海難(serious casualty)」及び「非常に重大な海難(very serious casualty)」の総てを調査する。又、「海難(marine casualty)」及び「海上インシデント(marine incident)」の調査のためには各政府間の協力が必要である。
そのため、海難及び海上インシデントの調査のための標準的手法のコードを定める。
[2] 「実質的に利害関係を有する国(substantially interested States)」間の協力によってのみ、海難の十分な解析をすることができる。
実質的な利害関係を有する国は、合意によって「調査主導国(lead investigating State)」を定め、調査主導国は、実質的な利害関係を有する国と連絡をとって調査の共通方策を展開し、調査実施国の法律を尊重する調査の確保をする。
[3] 調査実施国は、調査手続に同意した実質的な利害関係を有する国の代表を調査に参加させ、同代表に証人への質問、証拠の閲覧及び検討並びに文書類の謄写等を許す。
[4] 調査主導国は、調査報告書を公表し、IMOに報告する。
[5] 付録として「コード実施のための調査官の補佐に関する指針(Guidelines to assist investigators in the implementation of the Code)」及び「海難及び海上インシデントにおけるヒューマンファクターの調査のための指針(Guidelines for the investigation of human factors in marine casualties and incidents)」を添付する。
両決議の全文(英和対訳)については、海難審判協会平成11年3月刊行の「海難審判法研究報告書」及び平成13年3月刊行の「IMO決議A.884(21)」を参照されたい。
2 MAIIF(付:アジア地域海難調査機関会議)
(1)MAIIFの設立及びわが国の参加
MAIIFは、カナダ・運輸安全委員会(Transportation Safety Board of Canada)の調査(海事)部長が、国際民間航空機関(International Civil Aviation Organization; ICAO)に関連して設置されている国際民間航空における国際航空安全調査官協会(International Society of Air Safety Investigators; ISASI)を参考にして提唱し、イギリス、アメリカ、スウェーデン及びリベリアの各海難調査機関の幹部調査官の賛同を得て設置され、1992年から毎年開催されているものである。
わが国がMAIIFの存在を知ったのは、主唱者のカナダから平成4年10月10日付でMAIIF参加勧誘の書簡が横浜地方海難審判庁及び海難審判協会に送られてきたことによる。初めて参加したのは香港で開催された第3回であり、それ以来継続して参加している。
(2)MAIIF憲章
MAIIFには、1994年5月の第3回会議において決定した「憲章(Charter)」がある。その規定の一部を紹介し、目的、構成等の説明に替えることにする。
「前文(Preamble):本フォーラムは、国際的な非営利組織であり、海難調査から得た知識、経験及び情報の交換を通して、海上安全の向上及び海洋汚染の防止に努めることを目的とする。
1.1 名称(Name):本組織の名称は、「国際海難調査官会議」と定める。 公式な略称はMAIIFとし、以下、MAIIFと記述する。
1.2 海難の定義(Definition of Marine Accident):その調査をすることがMAIIFの目標に向かった前進になり、又は前進を可能にするような、あらゆる海難・海上事象、若しくは海上インシデントをいう。
2.1 目的(Purpose):MAIIFは、海難調査の促進及び向上並びに海難調査官相互の協力及びコミュニケーションの育成のための会議の場を提供する組織である。
2.2 目標(Objectives):
.1 国際会議の場において知識の向上及び交換をするため、各国海難調査官相互の協力関係を育成し、発展させ、及び支援する。
.2 調査の過程において得られた情報の普及を通じて、海上安全及び汚染の防止を向上させる。
.3 必要ならば、関連する国際規則の発展、承認、履行及び改善を協力関係を通じて促進する。
2.3 国際海事機関(IMO):MAIIFは、IMOを助けて海上安全及び海洋汚染防止の促進に努める。
3.1.1 会員(Member):海難の安全調査に関係する政府機関又は政府機関の代理人に雇用され、又は任命された者は全て会員になることができる。
3.4.3 年次総会(Annual Meeting):年次総会は、前回の年次総会において決定された日時及び場所において開催されるものとする。財政負担の公平性及び出席の平等性を促進するため、開催地は可能なかぎり諸大陸で持ち回ることとする。
4.1 費用(Fees):MAIIF発展の現段階においては、費用を徴収するつもりはなく、議長国が通常のMAIIF関係書類を限られた範囲に配布するための費用を負担する。」
(3)年次総会のこれまでの開催状況
年次総会のこれまでの開催状況については、本章末尾の
(略史)を参照されたい。
(4)年次総会の状況について
MAIIFの年次総会においては、新参加国の海難調査の制度紹介、海難調査の実例紹介、IMOにおける海難に関する各種検討事項の現状説明等が行なわれている。
各年次総会の会議の様子は、前記「海難と審判」に次の通り紹介されている。
第115号(平成6年10月発行)「第三回国際海難調査官会議について」
第121号(平成8年10月発行)「第五回国際海難調査官会議(MAIIF5)について」
第131号(平成12年2月発行)「第八回国際海難調査官会議」
第134号(平成13年2月発行)「第9回国際海難調査官会議」
(5)MAIIFの効果
複数の国及び国民が関わって船舶運航が行なわれていることの多い現状に徴し、各国の海難調査官が一堂に会することのできるフォーラムがあるのは、いうまでもなく各国の行なう海難調査にとって極めて有益である。
IMOの動向との相関性は、A.849(20)決議の端緒が第2回MAIIFにおいてオーストラリアから「海難の公的調査の共通原則」を第3回FSIに提案する旨の表明があり、全参加国(8か国)が賛同したという事実からも理解される。
(6)アジア地域海難調査機関会議について
平成10年版「海難審判の現況」(海難審判庁、平成10年9月発行)は、その開催目的を次のように説明した。
「海難調査の国際協力に関しては、・・・各国がそれぞれに異なった調査制度を有していること及び相互の理解が十分でないことから、満足できる協力ができていないのが現状である。そこで当庁は、手始めにアジア地域の海運関係国との間において相互の制度について理解を深めるため、・・・アジア地域海難調査機関会議を東京において開催することとした。」
会議の様子は、前記「海難と審判」に次の通り紹介されている。
第128号(平成11年2月発行)「アジア地域海難調査機関会議」
第131号(平成12年2月発行)「第二回アジア地域海難調査機関会議」
第134号(平成13年2月発行)「第3回アジア地域海難調査機関会議」
以上が海難調査の国際協力について、わが国に関わる国際機関及びその他の国際組織の最近に至る活動の状況である。なお、本章末尾の
(略史)を参照されたい。