日本財団 図書館




2000年(平成12年)

平成11年横審第96号
    件名
漁船第二成漁丸転覆事件

    事件区分
転覆事件
    言渡年月日
平成12年1月24日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、長浜義昭
    理事官
関隆彰

    受審人
    指定海難関係人

    損害
転覆、大破、のち廃船、船長が行方不明、後日遺体で発見、乗組員が、漂流、海岸に漂着、救助

    原因
気象・海象(高波)に対する配慮不十分

    主文
本件転覆は、高波に対する配慮が十分でなかったことによって発生したものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年2月2日07時05分
静岡県小笠郡大東町千浜海岸沖合
2 船舶の要目
船種船名 漁船第二成漁丸
総トン数 1.5トン
登録長 7.40メートル
幅 2.09メートル
深さ 0.84メートル
機関の種類 電気点火機関
漁船法馬力数 60
3 事実の経過
第二成漁丸は、平成8年3月に進水した、固定式刺網漁業に従事する船外機2機を備えた和船型のFRP製漁船で、船長B及びA指定海難関係人が乗り組み、操業の目的で、船首0.10メートル船尾0.70メートルの喫水をもって、平成11年2月2日06時30分静岡県小笠郡大東町菊川左岸河口のマリーナを発し、同町所在の成行村三角点(御前埼灯台から真方位293.5度8.2海里)から200度(真方位、以下同じ。)900メートル付近にあたる、同川左岸河口から東南東方に広がる千浜海岸沖合の漁場に向かった。

これより先、B船長は、前日の夕刻に1人で出漁して同漁場に到着し、千浜海岸の沖合約200メートルの水深5ないし6メートルのところに、長さ100メートル高さ2メートルの、両端に錨と旗竿(さお)付きの浮体、上端に浮き子をそれぞれ取り付けた刺網の一端を投入し、ここから同海岸に向かって直角に網を入れ、砂地に刺網1枚を施網してマリーナに帰投した。そして、翌早朝、B船長は、発航に先立ってA指定海難関係人とともに陸路で菊川左岸河口に赴き、漁場付近の波浪の状況を確認したところ、千浜海岸には、南南西方からの波浪が打ち寄せ、同海岸付近では白波が発生していたものの、沖合の漁場付近は、波高もそれほど高くはなく、揚網に支障のないことを知った。
ところで、B船長は、自営業のかたわら固定式刺網漁業の許可を受け、30年来、趣味として同漁業を営み、自己所有船舶に1人で乗り組んで、1週間に1ないし2回千浜海岸沖合の漁場に出漁していたが、高齢のため、ここ数年、揚網の際にA指定海難関係人らを交替で第二成漁丸に乗り組ませ、揚網作業の手助けを受けるようになった。また、B船長は、遠州灘に面した同海岸では、波浪が同海岸付近に打ち寄せて、水深が浅いところ(以下「浅水域」という。)に達すると、波高が高くなることなど、同海岸沖合海域の状況をよく知っており、このため、いつもは比較的海面が静穏な沖側から揚網を始め、波浪を船尾から受けながら海岸に向かって揚網することにしていた。

B船長は、自ら操船にあたり、菊川河口から遠州灘に出たところで左転し、06時38分前日施網した刺網の沖側の標識のところに到着したが、同標識が見当たらず、しばらく付近を捜したところ、同網が東方に流されており、同時43分成行村三角点から187度850メートル付近において、同標識を発見して揚収にとりかかった。
06時45分B船長は、A指定海難関係人を船首部に就けて、船首左舷側から網を手繰らせて揚網を始め、自らは網の方向や張り具合を確認しながら操船にあたり、いつものように船首を海岸に向け、船尾から波浪を受けながら揚網していたところ、海岸側の網端が海岸から約100メートル沖合にマストを海面上に露出した沈没船に引っ掛かっていることに気づき、同網が西北西方に張っていたことから、船首を海岸に向けたまま揚網することが困難となり、いつもとは逆に船首を南南西方に向け、波浪に立てながら揚網を続けた。

B船長は、船首を南南西方に向けたことにより、網が船首左舷側から船底に入って右舷側に替わった状態となり、機関を種々操作して船首を波浪に立てながら揚網を続けるうち、06時50分約30メートル揚網したところで2機の船外機の推進器翼に網が絡んだことから、A指定海難関係人に絡網の除去作業にあたらせ、間もなく左舷機の絡網を除去して使用可能となったものの、右舷機の絡網が除去できず、左舷機だけを使用して揚網すると、波浪に対する船体姿勢の制御が困難となり、横方向から高波を受けて転覆するなどのおそれがあったが、高波に対する配慮を十分に行わず、揚網を中止して帰投する措置をとることなく、同時53分左舷機だけを使用して船首を波浪に立てて揚網を再開した。
B船長は、海岸付近に近づくにつれて次第に西北西風が強まり、波高も高くなって、船首部が約2メートル上下動するようになったが、依然として揚網を中止して帰投する措置をとらないまま左舷機だけで操船しながら揚網を続けるうち、やがて西北西風の影響を受けて船尾が風下に落とされ、船首が西南西方を向くようになって波浪に対する船体姿勢の制御が困難となり、波浪を左舷前方から受けるようになった。

こうした状況のもと、A指定海難関係人は、船首部の上下動が大きくなったことに不安を感じたものの、長年刺網漁業を営んできたB船長に任せておけば大丈夫と思い、そのまま揚網を続けた。
こうして、B船長は、波浪を左舷前方から受けながら揚網中、07時05分成行村三角点から192度800メートルの地点にあたる、千浜海岸沖合約100メートルの浅水域に達し、網も残り約30メートルとなったとき、突然左舷側から高波を受けて大きく右舷側に傾斜し、復原力を喪失してそのまま転覆した。
当時、天候は晴で風力4の西北西風が吹き、潮候は大潮の高潮時にあたり、千浜海岸には南南西方向から波浪が打ち寄せ、同海岸付近の浅水域では波高が約2メートルの高波が発生していた。
その結果、B船長(昭和4年1月18日生)及びA指定海難関係人は、海中に投げ出され、転覆した第二成漁丸の船外機に掴(つか)まっていたところに再び高波を受け、B船長の手が離れて行方不明となり、同指定海難関係人は、そのまま船外機に掴まって漂流し、千浜海岸に漂着して救助されたが、同船長は後日遺体で発見され、第二成漁丸は大破し、のち廃船となった。


(原因)
本件転覆は、静岡県小笠郡大東町千浜海岸沖合において、同海岸に波浪が打ち寄せている状況のもと、刺網の揚網作業に従事中、船外機2機のうち1機が使用不能となり、波浪に対する船体姿勢の制御が困難となった際、高波に対する配慮が不十分で、揚網を中止して帰航する措置をとらず、同海岸付近の浅水域に至って高波を受け、船体が大傾斜して復原力を喪失したことによって発生したものである。


(指定海難関係人の所為)
指定海難関係人Aの所為は、本件発生の原因とならない。


よって主文のとおり裁決する。






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION