|
(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年5月9日13時20分 北海道津軽海峡東部 2 船舶の要目 船種船名
引船日光丸 起重機船三久11号 総トン数 19トン 858トン 全長 18.00メートル 45.00メートル 登録長
15.50メートル 幅 4.70メートル 18.00メートル 深さ 1.95メートル 3.00メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力
1,103キロワット 3 事実の経過 (1) 受審人、指定海難関係人及び日光丸船長 ア 受審人A A受審人は、株式会社Rの専務取締役であるが、以前、引船の船長をしていたこともあって、平成10年1月9日、日光丸専任船長が乗船できなかったので、代船長として運航に従事し、北海道室蘭港から北海道有珠漁港まで独航し、同漁港から北海道白老港まで台船を曳航し、同港から室蘭港まで独航で戻ったが、操舵装置に異常を認めなかった。 イ 指定海難関係人B B指定海難関係人は、昭和61年4月S株式会社所有の非自航式起重機船三久11号(以下「三久11号」という。)のクレーン士として乗船し、平成2年12月甲板員として、同5年1月船長として雇入れされ、港湾建設業務に従事していた。 ウ 日光丸船長C C船長は、平成3年有限会社Rに入社し、主に日光丸より出力の小さい引船や作業船に船長として乗り組み、日光丸の前任船長が乗船できないときは、同船の代船長として乗り組んでいたが、同9年12月前任船長が退職したあと同船の船長に任命された。 (2) 日光丸 ア 日光丸の来歴 日光丸は、昭和62年5月に進水した一層甲板型の鋼製引船で、平成元年3月有限会社Rに買船され、北海道各港間の台船及び起重機船の曳航作業などに使用されていた。 有限会社Rは、同7年5月株式会社R(以下「R社」という。)に社名を変更した。 イ 船体構造 日光丸は、上甲板上が、船首から順に、長さ約4.2メートルの船首甲板、操舵室、これに接して機関室囲壁、長さ約5.1メートルの船尾甲板となっており、上甲板下は、船首から順に、甲板長倉庫、船員室、1番燃料油タンク、機関室、2番燃料油タンク、倉庫、舵機室及び船尾燃料油タンクとなっていた。 操舵室は、長さ1.85メートル、幅2.10メートル、高さ1.75メートルで、両舷側に高さ1.40メートル、幅0.47メートルの出入口を設け、前面に窓が3箇所あった。 ウ 操舵室の機器の配置 操舵室の機器の配置は、同室左舷側前面天井付近に舵角指示器を取り付け、前面中央にジャイロコンパスを組み込んだ操舵スタンドを設置し、同スタンド上面の左寄りにレピーターコンパスを組み込み、同スタンド上面の中央に針路設定用ダイヤルを取り付け、同スタンド上面前方の左端に、自動操舵、手動操舵及びレバー操舵の各作動切替スイッチがあり、同スタンド後面に舵輪を設け、同スタンド上面にあった舵輪の舵角指示器は、操舵装置のパワーユニットを新替した際、取り外した。 操舵スタンドの右横に主機遠隔操縦装置を設置し、同装置上面に主機遠隔操縦レバー、同装置後面に操舵室・機関室操縦位置切替用スイッチをそれぞれ取り付けていた。 (3) 主機の来歴 主機は、建造時の出力が433キロワットのディーゼル機関であったが、R社が買船したときは、買船前の船舶所有者が現在の1,103キロワットのディーゼル機関に換装しており、推進器は、固定ピッチプロペラで、その直径が2,000ミリメートル(以下「ミリ」という。)で、ピッチが1,300ミリであった。 (4) 舵板 舵板は、縦1,815ミリ、横1,060ミリ、前面及び後面の厚さがそれぞれ150ミリ、100ミリの中空の鋼板箱で、舵板下面の回頭中心線上に取り付けたピンが、シューピースの底部ツボ金で支持されるようになっていた。舵板前面の中央付近には、プロペラ船尾軸ナットのキャップが接触しないように、幅23センチメートル(以下「センチ」という。)、深さ9センチのV字型の切欠き部を設け、その切欠き部とプロペラ船尾軸ナットのキャップ先端との間隙が舵中央の状態で12ないし17センチとなっていたが、この切欠き部は、R社が日光丸買船時既に設けられていたもので、買船前の船舶所有者が出力の大きい現在の主機に換装したとき、推進器も大きいものに交換したのに伴い、舵板前面とプロペラ船尾軸ナットのキャップが接触しないように設けたものであった。 (5) 操舵装置 操舵装置は、電動油圧式で、パワーユニットで発生した油圧が、油圧切替用の電磁弁を通り、左右の油圧シリンダーを介してラダーチラーに回転力を与え、同チラーにキー止めしたラダーストックが回転するようになっており、舵角0度及び18.6度のときの回転力はそれぞれ1.76トン・メートル、1.66トン・メートルであった。また、ラダーストック下端と舵板上縁とは、互いのフランジを6本のボルトで取り付け、最大舵角が片舷42度ずつで、ラダーチラーに舵角の発信器を設けていた。ラダーストックは、円柱状の機械構造用炭素鋼品を長さ1,787ミリ、直径110ミリに研削したもので、船尾燃料油タンク内を貫通するラダーストックトランクの上部及び下部の軸受けに対応する部分には、青銅製のスリーブを巻いていた。 (6) 曳航索及び曳航設備 日光丸の曳航索は、直径70ミリのダンラインで、比重が約0.9で海面に浮き、弾力性の強い材質で、曳航索フック用アイスプライスの先端から台付け索用アイスプライスの先端までの長さが約315メートルあり、台付け索用アイスプライスの先端からそれぞれ約20メートル、約105メートル、約215メートルのところに同径のダンラインにより曳航索短縮用のアイスプライスを入れていた。 曳航フックは、機関室囲壁上部煙突の後方に取り付け、船尾甲板後部にトーイングビームを設置していた。 (7) 三久11号 三久11号は、非自航式起重機船で、船首部に最大荷重150トン、長さ約30メートルのクレーンを設置し、船体中央部に長さ22.8メートル、幅15.0メートル、深さ2.0メートルのカーゴハッチを設け、載荷重量が約1,000トンで、船尾部に長さ約11メートル、幅約5メートル、高さ約5メートルの居住区を設置し、その内部は二層になっていた。 台付け索は、両端にアイスプライスを入れた直径32ミリ、長さ18メートルのワイヤーロープ2本で、それぞれ船首両舷側のボラードに1端のアイスプライスをかけて、ボラード前部のフェアリーダーに通して先端のアイスプライス2本をシャックルで連結していた。 (8) 本件発生に至る経緯 こうして、日光丸は、C船長ほか2人が乗り組み、船首1.40メートル船尾2.80メートルの喫水をもって、また、三久11号にB指定海難関係人及び臨時作業員Dほか作業員4人が乗り組み、作業船1隻、交通船1隻、乗用車5台など合計約45トンを積載し、船首2.26メートル船尾1.47メートルの喫水をもって、両船が引船列を構成し、平成10年5月9日04時00分室蘭港を発し、北海道瀬棚港に向かった。 04時45分C船長は、室蘭港の防波堤入口を通過したところで、全長約315メートルの曳航索を延出し、日光丸の船尾から三久11号の船尾端までの長さを約370メートルの引船列とし、機関を約10ノットの全速力前進にかけて6ノットばかりの曳航速力で、恵山岬の東方約1海里のところに向け自動操舵により南下した。 10時15分C船長は、恵山岬灯台から068度(真方位、以下同じ。)1.0海里の地点に達したとき、自動操舵のまま恵山岬を約1海里離して徐々に右転を始め、同時40分同灯台から155度2.0海里の地点に達したとき、針路を日浦岬灯台の南方1海里ばかりのところに向く235度に定めたところ、津軽海峡の強い南西風と同方向からの高い波をほぼ真向かいに受けるようになり、船体のピッチングが激しくなって曳航速力が3.1ノットに減じられて進行した。 B指定海難関係人は、恵山岬をかわって風波を船首方から受けるようになってから日光丸のピッチングが急に大きくなり、船首が立ち上がる回数が多くなってきたので心配になり、同船が13時00分日浦岬灯台から130度1.0海里の地点に達したとき、同船に船舶電話をかけ、C船長に対し、あまり無理をしないようにと伝え、同人からそうだなあという応答があったのち、電話を切った。 その後C船長は、ピッチングが更に激しくなってきたので、減速することとした。しかし、同人は、低速力で曳航しているから減速しても曳航索のたるみが少なく、推進器に絡むことはあるまいと思い、たるんだ曳航索を船尾甲板に引き揚げる要員を船尾に配置することなく、13時08分4.0ノットの極微速力に減速したところ、ほぼ真向かいの風波により日光丸の対地速力が2.0ノットとなり、三久11号の前進惰力と日光丸の対地速力が減じたことにより、曳航索が1ノットばかりの速力差でたるみを生じてきた。 日光丸は、13時09分半、曳航索が50メートルばかりたるみ、これが船尾付近海面に寄せられ、その一部が推進器流に吸い込まれ、舵板前面のV字型切欠き部とプロペラ船尾軸ナットのキャップの先端との間隙に2メートルばかりの曳航索が二重になって右舷方から左舷方へ入り込み、この曳航索とプロペラ船尾軸ナットのキャップとが摩擦しながら推進器が回転を続ける状態となった。 13時10分少し前、C船長は、風波により船首が右回頭を始めたので、機関を5.5ノットの微速力前進に増速し、左舵一杯の42度をとったところ、同時10分235度に向首した三久11号の右舷船首5度260メートルのところでラダーストックが18.6度右回転したとき、同キャップと同切欠き部との間隙が狭められ、入り込んでいた曳航索が同キャップに圧着されてラダーストックの右回転が止められたが、操舵機の油圧シリンダーの強力な右回転力によりラダーストックが右回りに左舵一杯の42度まで回転させられて、ラダーストックに右回りに23.4度のねじれを生じ、なおも、プロペラ軸は同キャップと曳航索が摩擦しながら回転を続ける状態になった。 C船長は、13時10分少し過ぎ、左回頭惰力がついたので、舵角指示器により舵中央としたところ、ラダーストックのねじれにより舵板が右舵23.4度を取っており、同指示器で右舵一杯を取ると舵板は65.4度の右舵を取り、左舵一杯で18.6度の左舵を取るようになっていたが、船尾に異音や振動が感じられず、舵輪の舵角指示器がなかったので、このことに気付かなかった。 C船長は、13時10分半、235度に向首した三久11号の右舷船首20度230メートルのところで舵角指示器が0度のまま日光丸が右回頭するので、左舵一杯及び舵中央を繰り返して左回頭を試みたが、意に反して、日光丸は、徐々に右転を続け、三久11号と右舷を対して反航する態勢となり、同時11分対地速力が5.5ノットとなって進行した。 ちょうどこのころ、D臨時作業員は、三久11号の居住区の屋上で風景写真を撮っていたが、日光丸の速力が落ちて曳航索がたるんできたのに、船尾にたるみを取る要員が配置されておらず、次第に右転して反航してくるので、不審に思い、居住区に戻ってB指定海難関係人にその旨を伝えた。 13時11分半、B指定海難関係人は、これを聞いて窓越しに外を見ると、日光丸が235度に向首した三久11号の右舷船首62度70メートルのところに曳航索をたるませたまま反航中であることを認め、異常を感じて同時12分少し前、同船が235度に向首した三久11号の右舷側50メートルに並航したとき、船舶電話をかけてどうしたのかと呼び掛けると、C船長から舵効きが悪い旨の応答があっただけで通話が途切れ、室蘭港に引き返す旨助言したが、依然、応答がないので、同時12分半、238度に向首した三久11号の右舷船尾23度120メートルのところに日光丸が達したとき、電話を切った。 その後C船長は、手動操舵で舵角指示器により左舵30度と舵中央との間で保針に努めたが、日光丸は蛇行を続けながら三久11号の船尾左舷方に向け進行し、13時14分少し前、247度に向首した三久11号の正船尾270メートルのところをその右舷方から左舷方に通過したとき、三久11号は風波によりわずかな後進惰力がつき始めていた。 その後日光丸は、徐々に右転しながら南下したのち風上に向かい、三久11号から離れて曳航索のたるみが少しずつ取れ、風波を前方から受けるようになり、13時15分255度に向首した三久11号の左舷船尾36度280メートルのところから日光丸の対地速力が3.5ノットに減速した。 日光丸は、13時15分半、255度に向首した三久11号の左舷船尾50度260メートルのところで、曳航索が三久11号の船尾端に固縛されていた右舷錨の爪に引っ掛かり、同時16分255度に向首した三久11号の左舷船尾68度280メートルのところで曳航索が張ったとき、舵板の切欠き部とプロペラ船尾軸ナットのキャップとの間隙に入り込んでいた同索が外れ、その衝撃で同時に同索が右舷錨の爪から外れたが、ラダーストックのねじれはそのまま残り、舵角指示器と舵板との舵角の差は前示のままであった。 日光丸は、13時17分少し前、255度に向首した三久11号の左舷船首86度260メートルのところで曳航索が三久11号の左舷錨の爪に引っ掛かり、同時17分255度に向首した三久11号の左舷船首77度270メートルのところで左舷錨の爪から外れ、続いて曳航索が三久11号の船底を潜って船首側に抜け、少しゆるみを生じた曳航索を徐々に張りながら、次第に右転して進行中、同時18分242度に向首した三久11号の左舷船首から44度330メートルのところにおいて、ほぼ北西に向首したとき曳航索のたるみが取れた。 その後C船長は、曳航索が三久11号の左舷船首方に張ってきたので曳航状態に復そうとして三久11号の船首方に向け北方に進行していたところ、13時19分少し前、風波に圧流されて2ノットばかりの後進惰力がつき、原針路の235度に復した三久11号の左舷船首24度330メートルのところで曳航索を右舷正横に引く325度に向首したとき、曳航索が一杯に張って、日光丸が横引き状態となり、ブルワーク上縁が海面に達するまで右舷側に大傾斜したため、舵角指示器により右舵30度を取ったところ、同時19分わずか前、舵が効き始め、曳航索がたるんで同時19分255度に向首した三久11号の左舷船首17度のところで復原し始めたので、舵角指示器により舵中央とし、続いて同時19分少し過ぎ、舵角指示器により左舵一杯を取ったところ、同時19分半わずか前、再び右舷側に大傾斜したため、急ぎ舵角指示器により右舵30度を取ったところ、同時19分半、255度に向首した三久11号の左舷船首8度のところで舵が効き始め、同時19分半わずか過ぎ、再び復原し始めたので、舵角指示器により舵中央とし、同時20分少し前、舵角指示器により左舵一杯を取ったところ、またも右舷側に大傾斜したため、舵角指示器により右舵30度を取ったが、同時20分わずか前、325度に向首して三久11号のほぼ正船首方向に達したとき、三久11号により右舷方に直角に横引きされて右舷側に更に大傾斜したので、舵角指示器により右舵30度を取ったが復原せず、13時20分日浦岬灯台から165度1.0海里の地点において、日光丸は、右舷側に転覆した。 当時、天候は曇で風力6の南西風が吹き、海上風警報が発表されており、風波が高かった。 (9) 日光丸の沈没及び乗組員の救助模様 転覆後日光丸は、船内各部に浸水し、13時25分浮力を喪失して転覆地点付近において船尾から沈没した。 このころ、戸井漁港付近の自宅から本件発生を見ていた東戸井漁業協同組合の組合員の1人が、息子1人を伴って同漁港に係留していた戸井西部漁業協同組合所属で総トン数9.7トンの漁船ふじ丸の船長に本件発生を知らせた。 ふじ丸の船長は、乗り組んでいた息子1人と本件発生を知らせた2人を乗せて日光丸乗組員の救助に向かい、14時ごろ沈没地点付近に至り、漂流していた膨張式救命筏に向かったが無人のままであったので、三久11号に接近し、同船の作業員から日光丸の乗組員が3人であることを聞き、付近海上を捜索したところ、14時15分C船長(昭和7年6月19日生)を、同時25分甲板員E(昭和6年3月27日生)を発見して収容したが、機関長Fは、発見できず、戸井漁港に帰航して救急車により収容した2人を戸井町立診療所に搬送したが、溺死による死亡と診断された。 三久11号は、のちサルベージ会社の引船により、函館港に引き付けられ、F機関長(昭和5年10月19日生)は、日光丸に閉じ込められ、同月23日船体が引き揚げられたとき遺体で収容され、のち同船は、廃船処分された。
(原因) 本件転覆は、津軽海峡東口において、起重機船三久11号を曳航中、荒天により減速する際、曳航索のたるみを取る措置が不十分で、たるんだ曳航索が推進器流によりプロペラ船尾軸ナットのキャップと舵板の切欠き部との間隙に入り込んだまま、左舵一杯が取られて同キャップと同切欠き部との間隙が狭められたとき、入り込んだ曳航索が圧着されて舵板の右回転が止められ、操舵機の回転力によりラダーストックが右回りにねじれ、舵角指示器の舵角と舵板の舵角に大角度の差を生じ、同起重機船の周囲を右転しながら進行中、風下に圧流された同起重機船により横引きされたことによって発生したものである。
(受審人等の所為) A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。 B指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。 |