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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成11年4月7日11時00分 京浜港横浜第2区 2 船舶の要目 船種船名
作業船新洋丸 引船宝丸 総トン数 116.97トン 登録長 8.57メートル 25.01メートル 機関の種類 ディーゼル機関
ディーゼル機関 出力 30キロワット 809キロワット 船種船名 起重機船アジア7号 長さ
45.01メートル 3 事実の経過 新洋丸は、引船宝丸及び起重機船アジア7号(以下「7号」という。)の3隻で船団(以下「宝丸船団」という。)を構成し、専ら7号の離着岸時における係留用ワイヤーロープの運搬作業などに従事する鋼製作業船で、同船団は、平成11年4月7日07時00分定係地の京浜港横浜第2区本牧ふ頭B突堤5号物揚場を発し、同第3区大黒ふ頭1号物揚場に向かい、08時00分7号が同岸壁に船首係留してはしけへの積荷役を行い、10時00分同荷役を終えて離岸作業に取りかかった。 ところで、新洋丸は、船体中央部にエンジンケーシングを備え、その前後に船首及び船尾甲板があり、同ケーシングは、長さ2メートル、幅1メートル及び甲板上の高さ0.5メートルで、同ケーシング後部の天板を開閉することができ、その内部は機関室となっているほか、操舵輪及びクラッチなどを備えた操縦席となっていた。また、船首甲板には、船首端から約0.5メートル後方に船首ビットが2基設置され、その後方に7号の係留用ワイヤーロープを積込むための型枠があり、船尾甲板には、同ケーシング後端から約1メートル後方の船体中心線上に、直径10センチメートル(以下「センチ」という。)及び甲板上の高さ70センチの鋼製円柱型の船尾ビットが1基設置されており、同ビットの上端から10センチ下方には、長さ15センチのえい航用フックが取り付けられていた。 一方、7号は、長さ45.0メートル、幅16.0メートル及び深さ3.0メートルの、船首部に130トン吊りクレーンを備えた非自航式起重機船で、両舷側に、船首端から後方4.2メートルのところに第1ボラード、その後方7.3メートルのところに第2ボラードが、更に12.5メートル間隔で第3及び第4ボラードが設置されており、新洋丸が右舷側に係船する際の係船索として、第2ボラードには長さ13メートルの、第3及び第4ボラードにはそれぞれ長さ4メートルの、いずれも索端に直径約20センチのアイが入った直径18ミリメートルのナイロンロープが常備されていた。 A受審人は、ヘルメット、救命胴衣などの保護具を着用し、新洋丸に1人で乗り組み、作業員1人を乗せ、船首0.5メートル船尾1.2メートルの喫水をもって、7号の離岸に伴う係留用ワイヤーロープの運搬作業にあたり、同作業を終えたところで、7号の右舷側第2及び第3ボラードから新洋丸の船首ビットに船首係船索(以下「船首索」という。)を、第4ボラードから船尾ビットに船尾係船索(以下「船尾索」という。)をそれぞれ取り、7号の右舷後部に左舷着けで係船した。 10時30分A受審人は、宝丸が7号の船首部両端からえい航索をY字型にとり、同船の船尾から7号の後端までの距離を約120メートルのえい航状態とし、大黒ふ頭を発して定係地に向け帰途に就いたところで、えい航中における新洋丸の動きを自由にするため船尾索を解らんし、7号に移乗して甲板作業に従事した。 10時34分宝丸船団は、大黒ふ頭船だまりの北方を通過したころ、えい航速力を4.0ノットとし、適宜の針路で横浜航路に向かい、同時41分少し過ぎ、横浜外防波堤南灯台(以下「南灯台」という。)から326度(真方位、以下同じ。)820メートルの地点において、同航路に入り、大きく左転して同航路中央部をこれに沿って東行し、同時47分横浜ベイブリッジ橋梁灯(C1灯)の直下を通過して、本牧ふ頭A突堤北東端に並航したところで右転を始め、同時51分南灯台から109度340メートルの地点に達して、針路を207度に定めて本牧ふ頭A、B両突堤間の水路中央部に向け、このころA受審人は、着岸作業に備えて新洋丸の船首索を手繰り寄せて同船に戻り、第4ボラードの係船索を引き寄せ、索端のアイを船尾ビット上端に掛けた後、7号に移って着岸準備作業に当たった。 10時56分半A受審人は、南灯台から179度720メートルの地点において、7号がB突堤北端に並航したとき、再度新洋丸に戻り、エンジンケーシングの天板を開けて機関室に入り、主機を起動して毎分600回転の中立運転とし、そのまま同ケーシング内の操縦席に立って宝丸船団がえい航索を縮めるために減速するのを待った。 10時59分半A受審人は、7号が着岸態勢に入って減速したのを確認し、新洋丸を7号から離して着岸作業に当たるため、操縦席に立って右後方を向き、同人の胸の高さまであるエンジンケーシング越しに、右手で船尾ビット上端に掛けていた船尾索のアイを後方に跳ね上げて外したものの、続いて船首索を解らんしようとして船首方を向き、船尾索の解らん状況を確認しなかったので、船尾ビットから外れた同索のアイがえい航用フックに引っ掛かったことに気付かず、クラッチを少し前進に入れて船首索を弛(たる)ませたうえ、操縦席の右舷側から出て船首に赴き、同索を2本とも解らんした。 こうして、A受審人は、右舷側から操縦席に戻ったが、依然として船尾索がえい航用フックに引っ掛かっていることに気付かず、7号が約3ノットで前進していたことにより、新洋丸の船首が7号の舷側から約5メートル開いた状態となり、11時00分わずか前、急いで7号から離そうとして右舵一杯をとってクラッチを前進に入れ、機関を毎分800回転に上げたとき、船尾が左に大きく振れて船尾索が右舷船尾方に替わり、7号が前進していたことと相俟(ま)って同索が急激に緊張し、11時00分南灯台から190度980メートルの地点において、新洋丸は、船首がほぼ000度を向いたとき、船体が右舷側に大傾斜し、復原力を喪失して一瞬のうちに転覆した。 当時、天候は晴で風力3の東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。 その結果、A受審人は、海中に投げ出されたが、自力で新洋丸の船底に這(は)い上がったところを救助され、新洋丸は、付近の作業船に定係地までえい航されたが、機関などに濡れ損を生じ、のち廃船となり、流出した燃料油は全量処理された。
(原因) 本件転覆は、京浜港横浜第2区において、新洋丸が宝丸にえい航されたアジア7号に接舷した状態で定係地に帰航するにあたり、アジア7号から離船するため係船索を解らんする際、船尾索の解らん状況の確認が不十分で、船尾ビットから外した船尾索のアイがえい航用フックに引っ掛かったまま、右舵一杯をとって機関を前進にかけたことにより、同索が急激に緊張して船体が大傾斜し、復原力を喪失したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、京浜港横浜第2区において、新洋丸が宝丸にえい航されたアジア7号に接舷した状態で定係地に帰航するにあたり、アジア7号から離船するため係船索を解らんする場合、船尾ビット上端にはえい航用フックが取り付けられていたのであるから、船尾索のアイが同フックに引っ掛からないよう、同索の解らん状況を十分に確認すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、船尾ビット上端に掛けていた船尾索のアイを手で後方に跳ね上げて外したものの、同索の解らん状況を十分に確認しなかった職務上の過失により、同索のアイがえい航用フックに引っ掛かったことに気付かず、右舵一杯をとって機関を前進にかけたことにより、同索が急激に緊張して船体が大傾斜し、復原力を喪失して転覆を招き、新洋丸の機関などに濡れ損を生じて廃船とするに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |