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2000年(平成12年)

平成10年函審第70号
    件名
漁船第七十五神漁丸転覆事件

    事件区分
転覆事件
    言渡年月日
平成12年6月7日

    審判庁区分
地方海難審判庁
函館地方海難審判庁

酒井直樹、大石義朗、古川隆一 参審員:瀧澤武正、烏野慶一
    理事官
東晴二、千手末年、熊谷孝徳

    受審人
    指定海難関係人

    損害
転覆、のち沈没、漁労長、機関長、甲板長、甲板員2人が死亡、船長、司厨員が行方不明

    原因
トロールウインチ甲板後部の開放場所が、魚体処理室と一体となった閉囲場所に改造されたまま運航、揚網作業中の浸水防止措置不十分

    主文
本件転覆は、トロールウインチ甲板後部の開放場所が、その後部の魚体処理室に一体となった閉囲場所に改造されたまま運航されたことと、冬期、荒天模様の北太平洋択捉島南方沖合において、船体着氷によりやや頭部過重の状態でオッタートロール式沖合底びき網の揚網作業中、浸水防止措置が不十分で、開放場所前部の鋼製風雨密扉が閉鎖されていなかったこととによって発生したものである。
運航者が、神漁丸のトロールウインチ甲板後部の開放場所を、その後部の魚体処理室に接続する閉囲場所に改造し、冬期、船体着氷により頭部過重となる択捉島南方沖合において、オッタートロール式沖合底びき網漁業に従事させる際、開放場所前部左舷側の鋼製風雨密扉を常時閉鎖するなどの浸水防止措置についての指導監督が不十分であったことは本件発生の原因となる。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年1月10日11時20分
北太平洋択捉島南方沖合
2 船舶の要目
船種船名 第七十五神漁丸
総トン数 125トン
全長 36.62メートル
幅 7.00メートル
深さ 2.80メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 956キロワット
3 事実の経過
(1) 指定海難関係人
ア 指定海難関係人有限会社T(以下「T社」という。)は、平成3年12月5日株式会社V(以下「V社 」という。)が所有する第七十五神漁丸(以下「神漁丸」という。)の用船者Cの死去により設立され、その運航業務を引き継いだ法人で、Cの甥であるDは、平成元年3月6日V社の取締役に就任し、平成4年12月5日 からT社の取締役を兼任し、主として神漁丸の運航補助者の職務に就いていたところ、平成9年9月3日神漁丸がV社から買船されてT社の所有となるに伴い同船の船籍港が宮城県塩釜市から青森県八戸市に移され、同年12月D代表者がT社の代表取締役に就任し、叔父Cの業務を引き継ぎ、D代表者1人で神漁丸の運航業務のほか船体の保守整備、乗組員雇用及び配乗などの所有者業務に当たっていた。

イ 指定海難関係人Bは、昭和63年U株式会社(以下「U社」という。)の新造船の基本設計課長として在職中、同社がV社から受注した神漁丸の基本設計に当たり、これまで多数の建造実績がある総トン数125トン型沖合底びき網漁船の船型を採用して船首尾楼付一層甲板型とし、重量物のトロールウインチを船首楼後部と長船尾楼前部との間の隆起甲板上に配置し、その他の漁労設備のほとんどを長船尾楼甲板上に配置し、平板竜骨下部に大型のフォールスキールを取付けて船体重心の安定を計り、冬期オホーツク海などの着氷海域で操業することを考慮し、規定の乾舷及び復原力を確保することに努力した。
また、同船の建造工事中はV社の常務取締役C,乗り出し乗組員と打ち合わせをしながら艤装などに改良工事を施した。
ウ 指定海難関係人Aは、平成9年9月3日神漁丸に乗り組んで、冷凍長の職務に就き、漁獲物の選別、箱詰め及び保管、魚体処理室の整備及びそのビルジの排出作業の責任者であった。
(2) 神漁丸
ア 建造の経緯
宮城県塩釜市北浜4丁目5番12号に所在するV社は、 昭和63年3月、同社常務取締役Cが所有する125トン型のオッタートロール式沖合底びき網漁船第八十五神漁丸の代替船を建造することとし、U社に同トン数のオッタートロール式沖合底びき網漁船神漁丸を発注した。
神漁丸を受注したU社は、その基本設計をB指定海難関係人に行わせて同年4月に起工し、同年5月に進水、同年7月に竣工し、海上公試運転を行ったのち神漁丸をV社に引き渡した。
その後V社は、神漁丸をオッタートロール式沖合底びき網漁業に従事させていたところ平成3年12月T社を設立して同社に用船させ平成9年9月3日用船者のT社に売船した。
イ 計画主要目

主要目は前示のほか次のとおりであった。
登録長 30.10メートル
垂線間長さ 30.00メートル
計画満載喫水 2.50メートル
規定の乾舷 0.307メートル
イニシャルトリム 1.00メートル
従業制限 第2種漁船
漁業種類 沖合底びき網漁業
主機関 赤阪K28SFD
推進器 かもめCPP4翼
直径 2.80メートル 1個
最大搭載人員 16人
ウ 船体の構造
神漁丸は、船首楼及び長船尾楼を備えた船首尾楼付一層甲板型の鋼製漁船で、船首楼甲板の後部に船橋を、その後方の長船尾楼前部との間の長さ約5メートルの上甲板をトロールウインチ甲板とし、トロールウインチを船横に2基設け、その後部の長船尾楼上部は漁労甲板となっており、その前部にトロールウインチのえい網索のワイヤーシフターを設け、その後部から約6メートル後方までが木甲板の網寄せ場になっており、その中央部に2.0メートル正方形の荷役ハッチを設け、網寄せ場後部の両舷側に門型マスト及び漁ろうブームを立て、マスト基部前面に漁労ウインチを配置し、マストの後部両舷側にコンパニオンを設け、両ウインチの前部と内側を囲んで船尾方のスリップウエー前部ガイドローラーに延びる高さ50センチメートル(以下「センチ」という。)のインナーブルワークを立て、その内側の幅2.6メートルの漁労甲板に木甲板を張って網の通路とし、同通路内の門型マスト横に長さ1.0メートル幅1.3メートルの下開きの油圧開閉式フイッシュハッチ1個を設けて下部の魚溜りに袋網の漁獲物を落とし込むようになっており、スリップウエー後部の両舷側甲板に門型のギャロースを立てていた。
船首楼甲板下は船首から甲板長倉庫、居住区となっており、長船尾楼甲板下は、前部から順に、開放場所、魚体処理室、その後部に機関室囲壁を設け、同囲壁右舷側に機械室、左舷側に通路を設け、その左舷側を浴室及び食料庫などとし、通路及び機関室囲壁の後部に居住区を設け船尾部は中央が舵機室、両舷側が漁具庫となっており、上甲板下は、船首から順に、船首燃料油倉、1番燃料油倉、第1魚倉、第2魚倉、機関室、その後部に清水倉、船尾両舷側が5番燃料油倉、中央部が空所となっていた。

船底部は船首燃料油倉の後端から第2魚倉の中央部付近までと、その後方の機関室後部までの両舷側が二重底タンクとなっており、前部から2番両舷側燃料油倉、3番両舷側及び中央燃料油倉、主機台座の右舷側が4番燃料油倉、左舷側が潤滑油及び油圧作動油倉となっていた。
エ トロールウインチ甲板の構造
船首楼後端のフレーム番号44から同39の船尾楼前端までの長さ約5メートルの間の前部上甲板をトロールウインチ甲板(以下「ウインチ甲板」という。)とし、その両舷側に前後が船首楼甲板ブルワーク上縁と船尾楼甲板ブルワーク上縁に接続する高さ2.75メートルのブルワークを設け、その上縁から95センチ下方に高さ0.85メートル長さ1.45メートルの開口部を10センチ間隔に並べて3箇所に設け、ブルワーク基部に高さ40センチ長さ70センチの放水口3個を設け、ウインチ甲板の中央部を30センチ隆起させてその上部にトロールウインチの台座を設けて船横に2基のトロールウインチを取り付け、隆起甲板の両舷側とブルワークの内側との間の幅85センチの上甲板を船首楼と船尾楼前部との間の通路とし、船尾楼前部隔壁左舷側の12センチ内側に高さ1.00メートル幅57センチ、コーミングの高さ45センチの開口部を設けて鋼製風雨密扉を取り付け、船首楼居住区から船尾楼最前部の開放場所及び魚体処理室に通じる出入口としていた。
オ 開放場所の構造
船尾楼前端のフレーム番号39から同35までの長さ2.0メートルの区画を総トン数に算入されない開放場所とし、その両舷側ブルワークの上縁から95センチ下方に、ウインチ甲板ブルワーク開口部に続いて高さ85センチ長さ1.00メートルの開口部を10センチ間隔に並べて2箇所に設け、両舷側ブルワークの後部上甲板付近に放水口各1個を設け、開放場所の上部は船尾楼甲板と同一の高さで甲板が張られ、その前部にトロールウインチのえい網索のワイヤーシフターを取り付けていた。
開放場所と魚体処理室との間はコルゲート鋼板の隔壁で仕切られ同隔壁の船体中心の少し左舷側寄りのところと、左舷側から60センチ内側のところにそれぞれコーミングの高さ46.5センチ幅70センチ高さ1.15メートルとコーミングの高さ61.5センチ幅57センチ高さ1.00メートルの開口部を設けて、これに鋼製風雨密扉を取り付けて魚体処理室と開放場所との間の出入口とし、開放場所を漁具庫として使用していた。

カ 魚体処理室の構造
開放場所の後部隔壁フレーム番号35から同22までの長さ6.63メートルの区画を魚体処理室(以下「処理室」という。)とし、開放場所との間の隔壁から1.02メートル後方の中央部に長さ2.50メートル幅2.00メートル、コーミングの高さ50センチの第2魚倉ハッチを設け、その左舷側に船縦に漁獲物選別用のベルトコンベアを、前部に雑魚廃棄用ベルトコンベアを船横に取り付け、右舷側に凍結室を設け、第2魚倉ハッチの後端から後部上方に延びる魚溜りを設け、その上方の漁労甲板に下開きの油圧開閉式フイッシュハッチを設け、漁労甲板から落とし込まれた漁獲物の選別、箱詰めなどの魚体処理作業を行っていた。
キ 処理室内のビルジ排出装置
処理室内の上甲板両舷側後部に長さ51センチ幅60センチ深さ45センチのビルジウエルが設けられ、その底部に出力2.2キロワット吐出量毎分1トンの回転カッター付きの渦巻式水中ビルジポンプが取り付けられ、直径10センチの排水管がその上方の外板に配管され、その中間にバタフライバルブ1個が取り付けられ、同室内のスイッチにより漁獲物処理作業中に使用した雑用海水と同室甲板上に散乱した雑魚を砕いて船外に排出させるようになっていた。

(3) 完成時の復原性能
神漁丸は、U社が計画し、建造許可を得ていた仕様書のとおり建造され、昭和63年6月29日重心試験が、翌30日及び7月1日に海上公試運転が実施された。
U社は、傾斜試験及び動揺試験を行った結果をもとに、船長のための復原性資料として、重心試験成績表、軽荷状態、満載出港状態、漁場着状態、夏期漁場発航状態、冬期漁場発航状態及び入港状態の各航海状態における重量重心トリム計算書並びに復原性能計算書を作成し、乗り出しの船長に手渡した。
冬期漁場発航状態の復原性能では、オッタートロール式沖合底びき網漁具の重量22.60トン燃料油13.72トン漁獲物40.00トン着氷21.07トンとして排水量348.67トン、平均喫水2.35メートル、乾舷0.457メートル、GM0.94メートル、最大復原梃子(てこ)0.548メートル、復原力滅失角55.00度と算出しており、125トン型の漁船の復原性の規定値を充足していた。

(4) U社作成の船長のための復原性資料
U社は冬期の択捉島付近海域における船体着氷などの気象、海象の特殊性を考慮して船長のための復原性資料の中に航行中は処理室及びその前部の開放場所開口部の鋼製風雨密扉を常時閉鎖すること、漁労中の急転舵による旋回運動を行わないこと及び漁労甲板上の漁獲物は速やかに下部魚倉内に格納して船体重心の上昇を避けることなどの注意事項を記載していた。
B指定海難関係人は、神漁丸の開放場所前壁左舷側、開放場所後壁の2枚の鋼製風雨密扉が船首楼居住区と処理室及び船尾楼居住区との船内通路として使用されることに配慮し、引渡し前に、乗り出しの船長以下乗組員に対する説明会を開き、これらの鋼製風雨密扉を航行中に開放しておくと左舷側に傾斜した際、ウインチ甲板に滞留した海水が開放場所前壁左舷側の鋼製風雨密扉の開口部から開放場所及び処理室に流入し、転覆のおそれを生じることを周知させていた。

(5) 船舶所有者の改造工事
神漁丸は、U社からV社に引き渡されたのち次の改造工事が行われた。
ア V社は、乗り出しの乗組員の要望により、ウインチ甲板の両舷側ブルワーク上縁開口部3箇所及び開放場所両舷側ブルワーク上縁の2箇所の開口部に外側から当てて内側から蝶ねじで締め付けるようになっている止め金とゴムパッキン付きの軽合金製めくら板を10枚作成して開口部に取り付けた。
そして開放場所両舷側ブルワーク下部の放水口及びウインチ甲板最後部両舷側の放水口にそれぞれ鋼板を溶接して閉鎖し、開放場所を漁具庫として使用し、その後、第1魚倉左舷側及び処理室右舷側に設置されていた凍結室を撤去した。
イ 平成5年5月開放場所上甲板左舷側前部の中心線寄りのところに長さ90センチ幅75センチ、コーミングの高さ45センチのハッチを設け、魚体処理作業中に漁獲物を下部の第2魚倉に積み込めるようにした。

ウ T社は、当時の乗組員から、青森県尻屋埼沖合のいかのかけ回し漁業に従事する際は大量の漁獲物が処理室内に落とし込まれて処理作業が困難になるから拡張してもらいたいとの要望により、平成8年6月塩釜市のW株式会社(以下「W社」という。)船渠に入渠中、神漁丸の定期検査受検後に開放場所とその後部の処理室との間の隔壁を、その左舷側端から60センチのところから右舷側方に幅3.76メートル、上甲板接合部から高さ1.70メートルの範囲でその中央に幅25センチの支柱部分を残して2枚の鋼製風雨密扉とともに撤去する改造工事を行った。
改造により開放場所がその後部の魚体処理室と一体となった閉囲場所となり魚体処理作業は容易になったが、同室との間の隔壁と2枚の鋼製風雨密扉及び下部コーミングがなくなったため、航行中に開放場所前部左舷側の鋼製風雨密扉を開放しておくと、ウインチ甲板に海水が滞留した際、これが開放場所に浸入し、そのまま処理室の床に滞留し、機関室囲壁左舷側通路を通じて船尾楼居住区に流入するおそれを生じた。

(6) 指定海難関係人T社の乗組員に対する浸水防止措置についての指導監督
D代表者は、W社の取締役を兼務しており、神漁丸の前示隔壁の大部分が撤去されたことW社の工事担当者から報告を受けたが、乗組員の要望によるものとして黙認し、航行中開放場所前部左舷側鋼製風雨密扉が閉鎖されないことを知っていたものの、同扉を開放しておくと、ウインチ甲板に滞留した海水が同扉の開口部から開放場所に浸入し、同時に処理室の甲板上に滞留し、その海水が船尾楼居住区に流入して転覆のおそれを生ずることに気付かず,神漁丸の買船後に臨時検査の受検及び積量測度の改測を行わず、神漁丸の乗組員に対し、航行中、同扉を常時閉鎖する旨の指導を行わないまま同船の運航管理に当たっていた。
(7) オッタートロール底びき網漁業の漁具の構成

漁具は、漁網、網手綱、えい網索、トップローラー、オッターボードとその付属チェーン及びワイヤーロープなどで構成されていた。
ア 漁網は、6枚型で袖網、身網、袋網の3部分から成り、全長が47.5メートル合計重量約7.58トンで、袖網はグランドロープ、ベリーロープ、浮子などの付属物により重量約2.3トンとなり、身網は重量約3.8トンであった。
袋網は長さ9.8メートル幅2.8メートル高さ2.0メートル重量約1.48トンで、その胴部の周囲に約2メートル間隔で4本のバンドロープが取り付けられていた。
袋網の後端は上下2枚の網地がチャックロープで縫い合わされ、入網した漁獲物を取り出す際はチャックロープを解き放して袋網の後端を全開できるようになっており、袋網の中央部にも長さ2メートルばかりの横チャックが設けられていた。
イ オッターボードは、縦約3メートル横約2メートル空中重量約2.5トンの翼型の鋼製開口板で、前面中央部にはブライドル及びトーイングチェーンが取り付けられ、オッターボードの後縁の上端及び下端にオッターペンダントワイヤーロープが取り付けられ、ギャロースのトップローラーに引き上げて漁労甲板からストッパーをとって、えい網索の後端との連結取外しが行われていた。
ウ えい網索は直径24ミリメートル長さ1,250メートルのワイヤーロープで、トロールウインチの両舷側ドラムにそれぞれ巻き込まれており、その合計重量は12.45トンであった。
(8) 揚網作業手順
揚網作業は、トロールウインチのえい網索で底びき網を船尾付近まで引き寄せ、えい網索に連結しているオッターボードをギャロースのトップローラー一杯に引き揚げ、漁労甲板からストッパーをとって、係止したのち、トーイングチェーンからえい網索を外して、えい網索の末端に連結されている網手綱を巻き込み、網手綱に通されている8型リングがスリップウエーから上がってきたら、オッターペンダントを取り外し、更に網手綱を巻いて底びき網を漁労甲板に引き上げ、袖網がトロールウインチのワイヤーシフターのところまできたらトロールウインチを停止し、操舵室後部両舷側の漁網引き付けマスト上部のブロックに通した引き付けロープのフックを身網の前部、中央部及び後部にかけたストロップワイヤーにかけて身網全体をトロールウインチのワイヤーシフター後部に引き寄せたのち袋網前部のバンドロープに右舷漁網引き付けロープのフックをかけて袋網を前方に引き寄せ、次に左舷漁労ブームのカーゴーフックを袋網の中央部のバンドロープにかけて袋網の後端チャック部をフイッシュハッチの上に乗せ、左舷漁労ブームのカーゴーフックで袋網の中央部を巻き上げたのちフイッシュハッチを開き、袋網後端のチャックロープを解き放して袋網の中の漁獲物を魚溜りに落とし込むもので、袋網に大量の漁獲物が入っているときは袋網を巻き上げると船体の動揺により袋網全体が片舷に移動して船体が大傾斜するおそれがあるから袋網の中央部をフイッシュハッチに乗せたまま袋網の中央部のチャックロープを解いて漁獲物を魚溜りに落とし込んでいた。
(9) 発航時の積込品と神漁丸の満載発航状態

ア 前示底びき網は漁労甲板後部インナーブルワークの内側に積み重ねて固縛していた。
イ 補修用漁網及び予備の付属漁具は船尾両舷側漁具庫に格納していた。
ウ 食料、燃料及び清水
燃料はA重油で全ての燃料油倉に、清水は清水倉に満載し、食料、精米、肉、魚、野菜及び調味料などは食料庫に貯蔵していた。
エ 魚箱及び砕氷
縦60センチ横36センチ高さ13センチ、重量約1.7キログラムの木製魚箱を700個、縦60センチ横33センチ高さ25センチ、重量約0.25キログラムの発泡スチロール製大型魚箱を402個、縦55センチ横35センチ高さ13センチ、重量約0.15キログラムの発泡スチロール製小型魚箱を400個、合計1,502個、重量1.53トンを第2魚倉前部及び両舷側に切り積みしていた。
砕氷7トンを第2魚倉中央部にばら積みしていた。

前示の積込品を載せた神漁丸の満載発航状態における乾舷は、別表1のとおり0.33メートルとなり、規定の乾舷を充足していた。
(10) 発航及び択捉島南方沖合漁場における操業模様
ア 神漁丸は、オッタートロール式底びき網漁業の目的で、前示の漁具、燃料、清水及び食料などを載せ、船長E、漁労長F及びA指定海難関係人ほか12人が乗り組み、船首1.90メートル船尾3.06メートルの喫水で、平成10年1月5日09時00分青森県八戸港を発し、翌6日10時30分択捉島南方沖合漁場に至り、操業を開始した。
同日午後、冬型の気圧配置による寒冷な季節風が強まり、神漁丸は、荒天により操業困難となり、投揚網を1回行っただけで15時ごろ操業を中止して択捉島の南岸に寄せて荒天支え航行し、翌7日は05時ごろ操業を再開したものの、投揚網を2回行っただけで14時ごろ荒天により操業を中止し、色丹島東方沖合まで荒天支え航行し、同日夜半から反転して漁場に向かい、翌8日08時ごろ同島南方沖合漁場に達したが、当日は荒天のため操業ができずに荒天支え航行を続け、翌9日05時ごろ操業を再開し、投揚網を3回行ったのち15時ごろ操業を中止し、16時ごろ同島の南岸寄りのところで荒天支え航行していた。

イ 操業中及び荒天支え航行中を通じて寒冷な気候と波しぶきによる船体着氷が激しく漁場到着の翌日から毎日1回乗組員全員で掛け矢、ハンマーなどにより着氷除去作業を行っていたが、高所の着氷除去作業は危険であるため、取り残されたままになっていた。
ウ 1月9日荒天によりウインチ甲板左舷側通路後部の放水口の鋼製めくら板が脱落し、同放水口からウインチ甲板左舷側通路に海水が時折流入する状況となり、E船長及びF漁労長は乗組員の報告により、このことを知っていた。
(11) 本件発生に至る経緯
神漁丸は、平成10年1月9日16時ごろから択捉島ウエンシリ岬の東北東方34海里ばかりの地点で荒天支え航行していたところ、翌10日早朝やや風波が弱まったので、E船長及びF漁労長が昇橋して船橋当直に就き、海上強風警報及び海上着氷警報が発令されていたが、操業を再開することとし、04時半ごろ前示地点を発し、ウエンシリ岬灯台から073度(真方位、以下同じ。)37.5海里の投網地点に向かった。

E船長は、05時00分F漁労長を操舵室後部窓際のトロールウインチ遠隔操作台に配置し、他の乗組員を漁労甲板の投網作業配置に就かせ同時05分前示投網地点に達したとき、機関を回転数毎分360にかけ、プロペラ翼角を微速力前進とし、5.0ノットの対地速力で南西方に向け投網作業を開始し、同時15分えい網索を900メートル延出して投網作業を終え、同速力で南西方に向けえい網を開始した。
E船長は、えい網開始後間もなく操船をF漁労長に任せて降橋し、乗組員9人とともに06時ごろまで船体の着氷除去作業に当たったが、門型マスト、ギャロースなどの高所の着氷は除去できず約10トンの着氷が取り残されて神漁丸はやや頭部過重の状態になっていた。
F漁労長は、1人でえい網の操船に当たり、07時40分ウエンシリ岬灯台から085度26.8海里の地点に達したとき、トロールウインチで、えい網索の巻き上げを開始し、プロペラ翼角を加減して3.0ノットの対地速力で南西方向に進行し、同時45分乗組員を揚網配置に就かせて操業指揮に当たり、同時55分約5トンのすけとうだらなどの漁獲物が入った袋網が漁労甲板に引き上げられるのを認めた。

E船長は、袋網が漁労甲板に引き上げられたとき、漁労甲板から処理室に降りて機関長G、通信長H及び司厨員Iの3人とともに漁獲物の受入れ作業配置に就き、漁獲物がフイッシュハッチから同室後部の魚溜りに落とし込まれるのを待った。
F漁労長は、漁労作業の現場指揮に当たっている甲板長Jに指示して操舵室後部両舷側の漁網引き付けマストのロープで、袖網及び身網をトロールウインチ後部の網寄せ場前部に引き寄せさせたのち、袋網前部のバンドロープにかけた右舷側の漁網引き付けロープで袋網をトロールウインチ後部に引き付けさせ、左舷側漁労ブームのカーゴーフックを袋網中央部のバンドロープにかけさせ、袋網後端のチャック部をフイッシュハッチの上に乗せ、フイッシュハッチを開いたのち左舷漁労ブームのカーゴーフックで袋網中央部を1.5メートルばかり巻き上げさせたところ、08時00分ウエンシリ灯台から087度26.0海里の地点に達したとき、北西の風波による船体の横揺れで袋網が網寄せ場左舷側ブルワーク側に移動し、船体が左舷側に傾斜するとともに閉鎖されていない開放場所前部左舷側の鋼製風雨密扉の開口部から処理室内に大量の海水が浸入して20度ばかり左舷側に傾斜した。
船体が傾斜したときF漁労長は、プロペラ翼角を全速力前進とし、右舵一杯をとって反転したところ転舵による内方傾斜により傾斜が戻るとともに処理室内の海水は同室両舷側後部ビルジポンプで船外に排出されて08時05分船体が復原したので、袋網の漁獲物をフイッシュハッチに入れさせながら、北東方の投網地点に向かった。
ところでE船長は、08時00分船体が左舷側に傾斜したとき、開放場所前部左舷側の鋼製風雨密扉開口部から処理室内に大量の海水が浸入して更に傾斜が強まったので、急ぎ同室両舷側後部のビルジポンプを作動して排出バルブを全開としたところ、5分ばかりで浸入海水の大部分が排出されて船体が復原したので、次の揚網時に大量の海水が処理室内が浸入しても強力な2基のビルジポンプで短時間に排出されるから大丈夫と思い、同室内で漁獲物の受入れ待機していた3人の乗組員とともに速やかに同扉を閉鎖することなく、揚網作業を終えた他の乗組員とともに漁獲物の選別作業に従事し、約1トンの漁獲物を砕氷とともに100個ばかりの魚箱に詰めて第2魚倉内に積み込んだ。

A指定海難関係人は、E船長ら3人が処理室に降りるのを認め、引き続き漁労甲板の配置に就いていたので、大量の海水が処理室内に浸入したことを知らなかった。
F漁労長は、08時25分乗組員を投網配置に就かせ、同時30分ウエンシリ岬灯台から080度29.5海里の投網地点に達したとき反転して針路を225度に定め、プロペラ翼角を微速力前進とし、5.0ノットの対地速力で2回目の投網を開始し、同時40分えい網索を約900メートル延出して投網作業を終え、その後同針路、同速力でえい網操船に当たった。
F漁労長は、10時55分ウエンシリ岬灯台から099度21.0海里の地点に達したとき、えい網索の巻き上げを開始し、プロペラ翼角を加減して3.0ノットの対地速力で進行し、11時00分乗組員を揚網配置に就かせ、同時05分オッターボードがギャロースに係止され同時10分スリップウエーから袋網が漁労甲板に引き上げられたとき、約10トンのすけとうだらなどの漁獲物が入網しているのを認めた。

E船長は、袋網が漁労甲板に引き上げられたとき、漁労甲板から処理室に降りてG機関長、H通信長及びI司厨員の3人とともに漁獲物の受入れ配置に就き、漁獲物が魚溜りに落し込まれるのを待った。
ところでF漁労長は、袋網に大量の漁獲物が入ったときは、袋網を漁労ブームで巻き上げずに袋網中央部をフイッシュハッチ上に乗せたまま袋網中央部のチャックを開いて漁獲物を同ハッチに落とし込む作業方法をとらないと袋網が左舷側に移動して船体が大傾斜し、閉鎖されていない開放場所前部左舷側の鋼製風雨密扉の開口部から処理室内に大量の海水が浸入し、転覆のおそれを生ずることを知っていた。しかし、同人は、袋網中央部のチャックは短くて漁獲物を同ハッチに落とし込むのに手間がかかることから、漁労作業の現場指揮に当たっているJ甲板長に対し、同作業方法を指示せず、前回と同様に袋網後端のチャックから一気に漁獲物をフイッシュハッチに落し込むことにした。

こうしてF漁労長は、袋網がスリップウエーから漁労甲板に引き上げられたとき、J甲板長を作業指揮に、甲板員K、甲板員L及び甲板員Mの3人を袋網のチャック開放配置に、甲板員Nを右舷側漁労ブームのウインチの操作に、甲板員Oを左舷側漁労ブームのウインチの操作に就かせ、甲板員P及び同Qを網寄せ場前部左舷側の漁網引き付けロープ取り替え作業に、A指定海難関係人及び操機長Rを右舷側の同作業に当たらせて袋網の引き寄せ作業を開始した。
F漁労長は、J甲板長に指示して操舵室後部両舷側の漁網引き付けマストのロープで袖網及び身網を網寄せ場前部に引き寄せさせたのち袋網前部のバンドロープにかけた右舷側の漁網引き付けロープで袋網後端のチャックをフイッシュハッチの上に乗せ、左舷側漁労ブームのカーゴーフックを袋網中央部のバンドロープにかけてフイッシュハッチを開いたのち11時15分少し前、右舷側漁労ブームのカーゴーフックで袋網中央部を1.5メートルばかり巻き上げさせたところ、漁獲物入り袋網全体が船体の動揺で左舷側ブルーワクまで移動し、チャック部が網寄せ場左舷側後部のインナーブルワークに押しつけられて漁獲物が出ないようになり、船体が左舷側に7度ばかり傾斜するとともにウインチ甲板左舷側ブルワーク後部の破損した放水口から大量の海水が浸入して同甲板左舷側通路に滞留し、これが閉鎖されていない開放場所前部左舷側の鋼製風雨密扉の開口部から開放場所及び処理室内に浸入し、この海水が開放されたままの処理室左舷側後部鋼製風雨密扉の開口部から機関室囲壁左舷側通路及び船尾楼居住区に流入し、11時15分ウエンシリ岬灯台から102度20.2海里の地点において、左舷側に大傾斜したまま復原しなくなった。
F漁労長は、急ぎプロペラ翼角を全速力前進とし、左舵一杯をとり、旋回による外方傾斜で船体の引き起こしを試みたが効なく、網置場前部の袖網及び身網が左舷側に移動し、魚倉内の漁獲物入り魚箱及び砕氷も左舷側に移動し、更に傾斜が強まっていくので、危険を感じ、舵中央、プロペラ翼角を0度とし、無線電話で付近の同業船に救助を求め、作業用救命衣を着用しないまま操舵室右舷側通路に出て甲板員に膨張式救命筏の投下を命じたが着氷により投下できなかった。

E船長は、処理室内に大量の海水が浸入して船体が左舷側に大傾斜したとき、急ぎ同室両舷側後部のビルジポンプを作動して排出バルブを全開としたが、傾斜により右舷側ビルジポンプが空転し、左舷側ビルジポンプ1基だけで排水する状況となり、浸水が増加して更に傾斜が強まっていくので、危険を感じて3人の乗組員とともに処理室左舷側後部出入口から漁労甲板に逃れ出たものの、すでに大傾斜により昇橋できない状況になっていた。
漁労甲板の配置に就いていたA指定海難関係人は他の乗組員9人とともに操舵室右舷側通路に集合し、付近海域の同業船の来援を待ったが、神漁丸は、開放場所前部鋼製風雨密扉の開口部から処理室、機関室囲壁左舷側通路及び船尾楼居住区に浸水が続いて船体の傾斜が強まり左舷側コンパニオン及びフイッシュハッチからも浸水するようになり、11時20分ウエンシリ岬灯台から102度20.5海里の地点において、南方に向首しているとき、復原力を失って左舷側に転覆し、乗組員全員が海中に投げ出された。

当時、天候は曇で風力7の北西風が吹き、気温は氷点下15度、水温2.5度で海上強風警報及び海上着氷警報が発表されており、北西の風波が高かった。
(12) 乗組員の救助模様及び神漁丸の沈没
付近漁場で操業中の第六十五甚宝丸の漁労長Sは、無線電話でF漁労長の救助要請を聴いて急ぎ揚網作業を終えて神漁丸に向け急行し、11時40分転覆した神漁丸とその付近海面に漂流中の同船乗組員を認め、7人を収容し、続いて来着した同業船により6人が救助されたが、F漁労長(昭和27年12月15日生)、G機関長(昭和17年12月21日生)、J甲板長(昭和26年3月13日生)、O甲板員(昭和28年7月14日生)及びN甲板員(昭和25年2月23日生)の5人が死亡し、神漁丸は、12時00分転覆地点付近で沈没した。
その後、E船長(昭和33年3月21日生)及びI司厨員(昭和12年5月23日生)の両人が救助されないので、数日間にわたって海上保安庁の巡視船、同業船、ロシア連邦漁船などにより付近海域の捜索が続けられたが、発見されず、行方不明となった。

(13) 原因に対する考察
ア 漁獲物入り魚箱の積み付け状況
本件発生当日第1回目投揚網作業終了時までにたら、すけとうだら、かれいなどの漁獲物8.15キログラムと砕氷0.70キログラムを詰めた小型発泡スチロール魚箱150個合計重量1.35トンを第1魚倉に、漁獲物12.75キログラムと砕氷0.25キログラムを詰めた大型発泡スチロール魚箱150個、合計重量2.10トンを第2魚倉の前部から後方3メートルの両舷側に分けて積み付けていた。
漁獲物の重量は合計3,135.0キログラムとなる。
イ 燃料消費量
燃料消費量は船長のための復原性資料中の計算式により、航海中1時間当たり0.180289トン、操業中1時間当たり0.194830トンで、発航時から22.49トンを消費していた。
燃料油倉の使用順序は5番右舷燃料油倉、3番右舷燃料油倉、3番中央燃料油倉、4番燃料油倉で、4番燃料油倉に残油0.57トンがあった。

ウ 漁網の状況
袖網及び身網は網寄せ場甲板の前部付近に、袋網は中央部に引き寄せていた。
エ 船体着氷の状況
1月6日午前の操業開始以後択捉島南方沖合漁場では、気温氷点下15度、水温1.5度前後の寒冷な状態が続いており、船上高く打ち上がる波しぶきにより、船体着氷が増加し、漁場到着の翌日から毎日1回乗組員の手により着氷除去作業が行われており、本件当日第1回目の投網作業を終えてえい網航行中にも同作業を行ったが、船橋上部マスト、操舵室屋根、中央部門型マスト、両舷側コンパニオン屋根及びギャロースなどの高所は作業ができず、船首楼甲板、漁労甲板インナーブルワーク外側の漁労甲板に数センチの厚さで着氷し、本件発生当時、船体各部に合計10トンの船体着氷があり、やや頭部過重の状態になっていた。

オ 船体着氷による重心の上昇

カ 本件発生直前の船体傾斜模様
袋網移動時の神漁丸の状態は別表2のとおりである。

袋網の移動による左舷側傾斜角度は、風圧による傾斜角度を加えてもウインチ甲板の舷端没水角を少し越えるだけで、開放場所前部の開口部が閉鎖されておれば、大量の漁獲物が入網した袋網が移動しても十分な復原力が得られ転覆には至らなかったものと考えられる。


(原因)
本件転覆は、トロールウインチ甲板後部の開放場所の両舷側ブルワークの放水口及び上部開口部が閉鎖され、開放場所とその後部の魚体処理室との間の隔壁の大部分が鋼製風雨密扉とともに撤去されて開放場所がその後部の魚体処理室と一体となった閉囲場所に改造されたまま運航されたことと、冬期、荒天模様の択捉島南方沖合において、船体着氷によりやや頭部過重の状態でオッタートロール式沖合底びき網の揚網作業中、浸水防止措置が不十分で、開放場所前部の鋼製風雨密扉が閉鎖されていなかったこととにより、フイッシュハッチ上部に巻き上げられた大量の漁獲物入りの袋網が船体の動揺で左舷側に移動して大傾斜した際、トロールウインチ甲板に滞留した海水が開放されたままの開放場所前部の鋼製風雨密扉の開口部から開放場所、魚体処理室及び船尾楼居住区内に流入して大傾斜し、復原力を喪失したことによって発生したものである。


(指定海難関係人の所為)
T社が、トロールウインチ甲板後部の開放場所の両舷側ブルワークの放水口及び上部開口部を閉鎖し、開放場所とその後部の魚体処理室との間の隔壁の大部分を鋼製風雨密扉とともに撤去して開放場所をその後部の魚体処理室と一体となった閉囲場所に改造し、魚体処理室に浸水のおそれのある神漁丸を、冬期、択捉島南方沖合において、オッタートロール式沖合底びき網漁業に従事させる際、開放場所前部左舷側の鋼製風雨密扉を常時閉鎖するなどの浸水防止措置についての指導監督が不十分であったことは、本件発生の原因となる。
T社に対しては、本件後、社船乗組員に対し、開口部の閉鎖について指導を徹底している点に徴し、勧告しない。
A指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。
B指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。


よって主文のとおり裁決する。

別表1 満載発航状態




別表2 袋網移動時の状態







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