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2000年(平成12年)

平成11年神審第23号
    件名
引船第三十一千代丸沈没事件

    事件区分
沈没事件
    言渡年月日
平成12年5月31日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

須貝壽榮、佐和明、工藤民雄 参審員:中江啓一郎、定兼廣行
    理事官
平野浩三

    受審人
    指定海難関係人

    損害
船体沈没、全損、船長及び機関長が、行方不明、のち死亡認定

    原因
荒天避難の措置がとられなかった

    主文
本件沈没は、荒天避難の措置がとられなかったことによって発生したものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年1月15日08時10分
和歌山県潮岬西方沖合
2 船舶の要目
船種船名 引船第三十一千代丸 台船MD−1603
総トン数 50.36トン 953トン
全長 22.60メートル 50.00メートル
幅 5.50メートル 18.00メートル
深さ 2.50メートル 3.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 316キロワット
3 事実の経過
(1) 第三十一千代丸の構造及び曳航設備
第三十一千代丸(以下「千代丸」という。)は、航行区域を沿海区域とし、本邦沿岸において台船MD-1603(以下「台船M」という。)など台船の曳航に従事する、昭和57年4月に進水した鋼製引船で、上甲板には、船体中央に後部が1段低くなった長さ5.3メートル幅3.0メートル高さ1.9メートルの機関室囲壁を、これに接した前方に同じ幅で長さ5.1メートル高さ3.0メートルの船橋楼を、また、船尾部に船幅一杯で長さ2.4メートル高さ1.0メートルの操舵機室をそれぞれ配置していた。

船橋楼は、上甲板に通路を挟んで前部に休憩室、後部の左舷側に調理室、同じく右舷側に浴室とその後方に便所があり、通路及び休憩室上の船橋甲板に操舵室を設けていた。
上甲板下は、船首から順に甲板長倉庫、錨鎖庫、両庫の下が船首水槽、乗組員室、コファダム、左右に区画された1番燃料タンク、機関室、船尾倉庫、その両側が2番燃料タンク、船尾水槽及び空所となっていた。
曳航フックは、上甲板上高さ1.8メートル、船尾端から7.9メートルの位置で、機関室囲壁後壁段差部の船体中心線上に設けられており、曳航索を放つ際は、まず、同索を緩めたうえ、曳航フック付きの離脱防止用の鋼製ピンを取り外し、同索のアイ部分を手で持ち上げて行う必要があり、遠隔操作により解放することができる装置はなかった。
トーイングビームは、船尾端から2.1メートル前方で操舵機室前壁上の両舷にまたがり、上甲板上1.5メートルの高さに設置されていた。

(2) 同船のブルワーク及び開口部
上甲板のブルワークは、高さが船首部で1.2メートル、同部から操舵機室前壁までが78センチメートル(以下「センチ」という。)で、両舷とも長さ90センチ高さ20センチの排水口が6個ずつ設けられていた。
上甲板には、甲板長倉庫及び錨鎖庫に各辺が54センチの、船尾倉庫に78センチの、船尾部の空所に96センチの正方形のハッチを各1個設けているが、平素、これらは鋼製蓋によって閉鎖されていた。
船内に通じる出入口は、操舵室後壁の右舷側にあるほか、上甲板から39センチの敷居高さをもつ縦130センチ幅60センチの開口寸法で、甲板室左舷側の通路、同右舷側の通路及び便所並びに機関室囲壁の両舷にそれぞれ各1個があり、いずれも鋼製風雨密扉付きであった。
機関室囲壁上部には、左舷側に通風筒が、また、船体中心線近くの両舷で上甲板上2.2メートルの高さのところに、長さ78センチ幅42センチの開閉式天窓が各1個設けられていた。

(3) 台船MD
台船MDは、長方形の平坦な甲板を有する非自航式の鋼製台船で、船首尾の船底がいずれも約30度の傾斜角がついた、いわゆるカットアップ型の形状をなしており、船尾のカットアップ部には1対のスケグが取り付けられていた。
(4) 本件発生に至る経緯
千代丸は、五級海技士(航海)の免状を受有する船長B、A指定海難関係人及び機関長の3人が乗り組み、船首0.70メートル船尾2.50メートルの喫水をもって、貨物船に搭載するためブクレーン(長さ31.5メートル幅3.65メートル高さ8.9メートル)4基及び付属部品合計192トンを載せ、船首尾が0.70メートルの等喫水となった無人の台船MDを船尾に引き、平成10年1月14日12時00分愛知県名古屋港を発し、長崎県西彼杵郡大島町所在の造船所に向かった。
ところで、B船長は、台船MDの積荷が十分に固縛されているのを確認したほか、千代丸には、錨鎖庫に海水が入りにくくするため、チェーンパイプ上部を錨鎖とともにキャンバスで覆ったり、上甲板から船内に通じる出入口扉を閉鎖するなどの荒天準備を行い、また、テレビ及びラジオの気象情報により、四国から紀伊半島南部にかけては何ら警報、注意報が発表されていないことを確かめ、鳴門海峡及び瀬戸内海を通航する予定で発航したものであった。

B船長は、名古屋港から広い海域に出たところで、曳航フックに掛けた直径75ミリメートルの合成繊維製の曳航索を250メートルの長さに整え、これと台船MDの船首部両舷のビットにとったそれぞれが直径28ミリメートル長さ20メートルの両ワイヤロープの端部とを1個のシャックルで結合し、千代丸の船尾端から同台船の船尾端までの距離を310メートルとしたうえ、船橋当直をA指定海難関係人と2直6時間交替で行いながら、時折ラジオで気象情報を入手して航行した。
翌15日00時00分A指定海難関係人は、三重県尾鷲港沖合の熊野灘において、B船長から引き継いで単独の船橋当直に就き、海上が平穏な状況の下で紀伊半島南東岸沿いに西行し、04時00分宇久井駒埼灯台から078度(真方位、以下同じ。)4.2海里の地点に達したとき、針路を218度に定め、機関を回転数毎分700の全速力前進にかけ、6.5ノットの対地速力で自動操舵により進行した。

当時、九州南方の北緯30度東経130度付近には996ヘクトパスカルの低気圧があり、これが東方へ延びる温暖前線と南西に延びる寒冷前線とを伴い、発達しながら30ノットの速さで東北東に進行中で、そのため紀伊半島南岸沖合の海上は北東風が次第に強まっており、和歌山県全域には前日夕刻から強風、波浪注意報が発表されていた。
A指定海難関係人は、定針したころから北東風が徐々に強まったのを認め、追い風を受けて続航するうち、やがて風向が変わらず風力が5くらいとなり、波浪も次第に高まり、船体が動揺するとともに、曳航索が頻繁に緊張と弛緩を繰り返し、その都度曳航フックにきしみ音を発するようになったことから、06時00分少し前機関を回転数毎分600に下げた。
そのころA指定海難関係人は、当直交替のために昇橋していたB船長から、潮岬を過ぎれば陸岸の陰となり風が弱まると告げられ、避難しない意向であることが分かったので、最寄りの港湾で避難するよう強く進言せず、06時00分樫野埼灯台から062度2.4海里の地点で同人と交替して船橋を退いた。

B船長は、A指定海難関係人から引き継いで単独の船橋当直に就き、針路218度で機関を回転数毎分600のまま、5.0ノットの対地速力で自動操舵により進行し、06時27分樫野埼灯台を右舷側1.0海里隔てて通過したとき、大島南岸に接航するよう、針路を248度に転じた。
07時10分B船長は、大島の島陰になり、やや風波が弱まっていたものの、潮岬半島は最高部が80メートルしかなく、同半島の北方も低い地峡であることから、このまま西行を続けて潮岬通過後に紀伊半島南西岸沿いに向くよう北西方に転針すれば、北東風を十分遮ることにはならないため、台船MDが強い横風を受けて左方に圧流され、千代丸が横引きとなり、また、潮岬の西方海域は東南東に流れる海流と強吹する北東風とによって波浪が高起しやすく、難航が予想される状況であったが、速やかに最寄りの大島西側の湾内に入って荒天避難の措置をとることなく続航した。

こうしてB船長は、07時31分潮岬灯台から115度1.4海里の地点に至り、針路を270度に転じ、同時46分半同灯台を右舷側0.6海里隔てて並航したとき、針路を301度に転じたところ、1.5ノットの東南東流を船首少し左から受けるようになり、3.5ノットの対地速力で自動操舵により進行した。
その後、千代丸は、次第に潮岬半島から遠ざかるに従い、北東風が強くなって風力7に達するとともに波浪が一層高まるなか、台船MDが左舷船尾30度ばかりに圧流され、更にその角度が増大することから、08時03分機関を全速力前進の回転数毎分700に上げ、右転を続けるうち、上甲板左舷側に高さ4ないし5メートルの波浪の打込みを受けて船体が大きく左舷に傾斜すると同時に、曳航索が左舷船尾方に強く張って横引き状態となった。
そのころA指定海難関係人は、機関長と休憩室の床面に横になり、テレビを見ていたところ、機関音の変化で回転数が上昇したことを知り、間もなく船体に連続した波浪の衝撃2回に次いで、3回目の一層大きな衝撃を受けたとき、左舷に大傾斜したため、危険を感じて立ち上がった。そして、上甲板左舷側出入口の閉鎖している鋼製風雨密扉の隙間から海水が船内に流入するなか、08時05分急いで機関長とともに、操舵室に駆け上がったとき、船体が左舷に30度ばかり傾斜し、上甲板の左舷側及び後部に海水が打ち込み、機関の操縦ハンドルが中立となっているほか、船首がほぼ360度を向き、曳航索が左舷船尾方向約30度に強く張っており、B船長が同室床に倒れているのを認めた。

千代丸は、行き脚がなくなり、台船MDが北東風によって風下に圧流されることから、曳航索が強く張って横引き状態が継続し、船体が左舷に傾斜したところへ、海水が前示扉の隙間から船内に急激に入り、次いで機関室囲壁上部の通風筒、天窓及びチェーンパイプなどからも流入し、船体は更に傾斜を増大しながら急速に沈下した。
A指定海難関係人は、機関長と救命胴衣を着用する余裕がないまま、しばらく船橋甲板右舷側のハンドレールにつかまっていたが、その後船体から離れて漂流を始めた。その直後、08時10分潮岬灯台から270度1,700メートルの地点において、千代丸は、台船MDからの曳航索を装着したまま、左舷に横倒しになった状態で浮力を喪失し、水深80メートルの海底に沈没した。
当時、天候は曇で風力7の北東風が吹き、付近海域には高さ4ないし5メートルの波浪があった。

(5) 千代丸及び乗組員の状況
その結果、千代丸は全損となったが、台船MDはサルベージ船によって串本港に引き付けられた。また、A指定海難関係人は、機関室囲壁上部左舷側に置かれていた膨張式救命筏の浮上を認めないまま、救命浮環につかまって漂流中、通り掛かった西行中の内航貨物船によって救助されたものの、B船長(昭和13年7月2日生)及び機関長C(昭和9年1月26日生)の両人は、行方不明となり、のち死亡と認定された。


(原因に対する考察)
本件は、北東風が強吹している荒天下、千代丸が台船MDを曳航中、左舷側に大傾斜して沈没したもので、その原因について考察する。
1 千代丸の性能
機関の出力は、316キロワットしかなく、総トン数が千代丸とほぼ同じ他の引船と比較すれば、やや弱小である。また、A指定海難関係人に対する質問調書中、「出力が小さいので、強い潮流を船首から受けると難航する。」旨の供述記載がある。
しかしながら、竣工後15年間本邦沿岸において、台船MD及びこれとほぼ同じ大きさの台船の曳航に従事している実績があること、また、本件時、名古屋港から樫野埼近くまでは平均6.5ノットの対地速力で航行していることを考えれば、機関の出力が十分でなかったとするのは相当でない。
一方、当時、千代丸は、乾舷が0.9メートル、舷端没水角が18度であり、この状態では、2メートル程度の波高があれば、波浪が上甲板に容易に打ち込むと考えられる。

千代丸としては、自船のみならず台船MDを含めて安全運航を図らなければならないことは当然のことであり、上甲板の出入口などの扉の水密が十分ではないこと、海水が同甲板に打ち上がると、錨鎖庫への浸水を完全に防止できないことなどを考えても、荒天時を避けて運航する必要がある。
したがって、海上が平穏なときに運航する限り、千代丸の性能が十分でなかったとは認め難い。
2 気象情報の入手模様
名古屋港発航の時点では、和歌山県全域には何ら警報、注意報は発表されておらず、また、天気図上も特に荒天が予想される気圧配置ではなかった。
同港発航当日のほぼ6時間後の16時50分に同県全域に強風、波浪注意報が発表されたが、同注意報をB船長が入手していたか否か証拠上明らかでない。しかし、翌15日07時00分ごろ紀伊半島南岸の大島付近までは北東風を船尾に受けながら、無難に航行していたことから、同注意報を把握していなかったとしても、気象情報の入手が不十分であったとするまでもない。

3 発航前の荒天準備
A指定海難関係人は、当廷において、「いつものとおり、発航前、諸開口部を閉鎖した。チェーンパイプもキャンバスを使用して海水が錨鎖庫に一気に入らないようにした。」旨の供述をしている。
したがって、発航時の荒天準備が不十分であったとは認め難い。
4 荒天避難の措置
千代丸が、西行を続け、潮岬を通過後に針路を紀伊半島南岸沿いに向けるため、針路を301度に転じるとすれば、潮岬半島はあまり高くなく、北東風を十分遮ることにはならず、台船MDは同風を右舷横から受けて風下に圧流されるので、横引きとなり、船体に左舷傾斜を生じせしめることになる。また、潮岬西方の海域は、東南東に流れる海流があり、強い北東風が吹けば、高い波浪が発生しやすい海域であることは、五級海技士(航海)の免状を有する海技従事者にとって予測できたはずである。

よって、当時の気象、海象の状態では、千代丸としては、自船の性能及び台船MDを曳航していることを考えれば、潮岬以西の海域に入る前に荒天避難の措置をとるべきであったとするのが相当であり、同措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
5 A指定海難関係人の所為
同人は、単独の船橋当直に従事していたものの、有資格者ではない。運航の最高責任者は、B船長であり、荒天避難の時期及び場所は同船長の判断によって決定されるべきもので、また、A指定海難関係人は、同船長から航行継続の可否について判断を求められていないことから、最寄りの港湾において避難するよう強く進言しなかったとしても、これが本件発生の原因をなしたとは認めない。


(原因)
本件沈没は、北東風が強吹する状況下、台船MDを曳航して紀伊半島南岸を西行中、荒天避難の措置がとられず、潮岬西方沖合において、高起した波浪の打込みを受けるとともに、風下へ圧流された同台船により横引き状態となり、大傾斜を生じて船内に浸水し、浮力を喪失したことによって発生したものである。


(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。


よって主文のとおり裁決する。






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