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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成11年1月24日12時30分 和歌山県潮岬沖合 2 船舶の要目 船種船名
漁船第十八有導丸 総トン数 11.60トン 登録長 11.78メートル 幅 3.11メートル 深さ
1.17メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
235キロワット 3 事実の経過 (1)船体の構造 第十八有導丸は、昭和54年8月に建造された1層甲板型のFRP製漁船で、船首部に船首甲板、その後方に前部甲板、船体中央部に操舵室、船員室及び機関室、船尾部に船尾甲板をそれぞれ配していた。 ア 船首及び前部甲板 船首甲板は、船首端から1.9メートルの間で、同甲板下には燃料油貯蔵タンクが設置され、その他の空所は物入れとなっており、前部甲板は、船首甲板後端から2.5メートル後方にある機関室囲壁前端との間で、同甲板下は魚倉区画となっていた。 イ 操舵室、船員室及び機関室 操舵室は、上下2層に分かれてどちらの操舵室でも操船することができ、下部操舵室後部は、船員室となっていた。 機関室は、長さ2.9メートル幅2.0メートルで、同室中央部に主機として三菱重工株式会社が製造したS6M2−MTK−2型と称するディーゼル機関が据え付けられ、同室前部には、発電機や冷凍機が、後部両舷には燃料油サービスタンクがそれぞれ設置され、同タンクには船首・船尾両甲板下の各燃料油貯蔵タンクから燃料油が移送されるようになっており、同室船底外板には、真鍮製の船底弁が主機の左舷側に2箇所及び同右舷前部に2箇所、船側外板には、吐出口が左舷側水線上の2箇所にそれぞれ設けられ、冷凍装置の冷媒配管は、同室前部隔壁を貫通させずに同室から一旦甲板上に配管され、そこから各魚倉内に配管されていた。また、推進器軸は、機関室後部隔壁の開口部を通って船尾管に至り、船員室の下部にあたる、竜骨の後端付近の船底部にビルジ溜まりがあって、24ボルトのバッテリー電源を使用した自動発停のビルジポンプと手動発停の水中ポンプの各サクションが同ビルジ溜まり内に常設され、機関室や船尾管などから流入するビルジを船外に排出していた。 ウ 船尾甲板 船尾甲板下には、中央部に舵取機、両舷にそれぞれ燃料油貯蔵タンクが設置され、その他の空所は物入れとなって予備水中ポンプや漁具などが格納されていた。 (2) 船殻及び構造部材 ア 船殻の成形 第十八有導丸の船殻は、初めに船殻成形型に外観を保って積層部を保護するゲルコート用の液状不飽和ポリエステル樹脂(以下「樹脂液」という。)を塗布してゲルコート層を造り、その内側に、積層を良好にする目的で積層用樹脂液の含浸性がよいガラス繊維基材であるガラスチョップドストランドマット(以下「マット」又は「M」という。)と強度を増す目的で強化材としてのガラスロービングクロス(以下「ロービングクロス」又は「R」という。)とを、ハンドレイアップ法(手積み法)により交互に積層して一体成形しており、成形に使用したマットは、重量が1平方メートル当たり450グラムのものを、ロービングクロスは、同570グラムのものをそれぞれ使用していた。 船底外板は、ゲルコート+(M+M)+(M+R+M)×4層+(M+M)の順に積層して厚さ13ミリメートル(以下「ミリ」という。)とし、船側外板は、同じくゲルコート+(M+M)+(M+R+M+M)+(M+R+M)の順に積層して厚さ7.5ミリとしていた。また、竜骨は、船首部から船室後部まで連続したボックス型竜骨構造を採用しており、心材を使用せずに、船底外板と同様の積層方法を採って同外板の2倍の厚さにあたる26ミリに積層して縦方向の剛性を与え、その内部は空所としていた。 イ 隔壁 隔壁は、外板の撓(たわ)みに対する横方向の剛性を与えるため、船首部、魚倉区画前部及び同中央部、機関室前後部並びに下部操舵室後部の6箇所に設けられていた。 各隔壁は、竜骨部を含めた船底及び船側の形状に合わせた厚さ12ミリの合板を心材として、その両面に(M+R+M)×1層を密着させたFRPサンドイッチ構造を採用して防水加工し、外板との間の接合部に緩衝材を入れずに直接これに置き、T字接着継手として(M+R+M)×2層で2次接着して接合しており、機関室後部隔壁には推進器軸を通す関係から同隔壁下部に開口部が設けられていたが、その他はいずれも水密隔壁となっていた。 ウ 縦通材及び肋材 船底及び船側外板には、各隔壁を縦通する縦通材を設けず、前示のとおりボックス型竜骨を設け、同竜骨は、船体中央部で幅60センチメートル(以下「センチ」という。)及び深さ25センチで、船首材に連った竜骨前端は幅が狭くなって深さも10センチ程度であり、同後端では深さが60センチとなっていた。また、隔壁によって仕切られた各区画は、それぞれ縦通部材を両隔壁間に通して端部を隔壁に当て、これに標準心距を50センチとして、防熱材を心材とした肋材を交差させ、船底及び船側外板にそれぞれ取り付け、2次接着して外板に接合していた。 エ 魚倉区画 魚倉区画の船底及び船側部(以下「船底部等」という。)には、縦通部材及び肋材(以下「縦通部材等」という。)の間の空所並びに隔壁に、それぞれ厚さ50ミリの防熱材を張り、この内側に(M+M+R+M)×1層を積層して防水加工し、この内穀を魚倉としていた。 魚倉区画の長さは2.5メートルで、同区画前部隔壁の1.1メートル後方に隔壁があって前後に2分割され、前部魚倉区画は、横長の船首魚倉となっており、後部魚倉区画は、中央隔壁の1.4メートル後方にある機関室前部隔壁の間を縦方向に3倉に仕切り、中央魚倉が長さ1.3メートル幅1.1メートルで、右舷・左舷両魚倉がいずれも長さ1.3メートル幅0.9メートルとなっていた。 また、各魚倉の倉口は、FRP製の蓋(ふた)で覆われて水密となっており、船首魚倉は、冷凍餌や本まぐろを漁獲した際の保冷用の氷を格納するため、天板及び周囲の各側面にフロンガスを使用する冷媒配管を取り付けて氷点下10度に保冷するようにしており、右舷・中央・左舷の各魚倉は、海水6に対し清水4の割合で混合冷海水を作ってこれに漲り、氷点下0.5度に水温調整してびんながまぐろやめじまぐろなどを保冷するため、中央魚倉には同配管を周囲の各側面に6段及び右舷・左舷両魚倉には同4段にそれぞれ取り付けており、甲板上に備え付けた220ボルトの交流電源を使用するポンプによって各魚倉の注排水を行っていた。 オ 機関室 最も荷重のかかる主機の機関台は、ラワン材を心材として使用するなど堅固な構造となっていて、船首側船底部には床板が敷かれていた。 (3) 修繕工事等の来歴 第十八有導丸は、建造当時、主機として定格出力175キロワットのディーゼル機関を装備していたが、平成5年に主機を換装して同235キロワットに出力を上げ、その際海水管系を全てステンレス製の配管に新替えした。また、平成9年10月、岸壁係留中に他船が右舷船首部に衝突し、右舷船首ブルワークや船首甲板下の補強材などに損傷を生じて補修工事が施工されたが、船底部には異常なく同工事を完了した。 (4) 事故発生の経緯 第十八有導丸は、九州・沖縄近海において、まぐろはえ縄漁船として使用されていたところ、平成元年にA受審人が中古の同船を購入し、和歌山県勝浦漁港を基地として、A受審人が1人で乗り組み、小型第2種まぐろはえ縄漁業に従事していたもので、紀伊半島潮岬南方から八丈島にかけての距岸100海里未満の漁場において周年操業し、11月から4月にかけては潮岬南方の黒潮海域の漁場で、1航海約1週間の予定で操業していた。そして、当時、同船が営んでいたまぐろはえなわ漁は、1篭(かご)に2枚のはえ縄漁具を収納する籠方式を用い、総漁具数32枚を備え、1枚の長さが765メートルの幹縄に、45メートル間隔で釣り針を付けた長さ15メートルの枝縄を16本取り付け、幹縄の両端に長さ15メートルの浮縄にびん玉を取り付けた漁具を使用し、冷凍餌のむろあじやさんまをかけて、黒潮を横断するように約4時間を要して投縄し、全長を約10海里としてその南北端と中間の3箇所に標識灯を取り付け、揚縄まで北端付近で約4時間待機し、その後、北端から南端に向けて揚縄を始め、約10時間を要して揚縄を終え、潮のぼりして元の投縄地点に戻るまでの調整時間を含めると1回の操業に約24時間を要していた。 また、第十八有導丸の操業海域における平成11年1月下旬の黒潮の流況は、四国室戸岬沖合から潮岬南方約30海里沖合にかけてほぼ東に流れたのち、東経136度00分付近に至って南東流となり、潮岬南方沖合では北緯33度00分付近がほぼ黒潮の北端となって約40海里の幅で流れ、流速は2ないし4ノットに達し、海水温度は約21度であった。 A受審人は、5回操業分の冷凍餌約400キログラムと氷約900キログラムを船首魚倉に積込み、平成11年1月13日勝浦漁港を発し、潮岬南方の黒潮海域の漁場に向かい、同漁場において3回操業したところで低気圧の通過に伴う荒天に遭遇したため、機関を極微速力前進にかけて船首を波浪に立て、荒天の中を4昼夜にわたって支え続けたのち、操業を打ち切って同月21日同漁港に帰港し、漁獲物を水揚げした。 ところで、第十八有導丸は、船齢が20年に達し、長年荒天の中で操業してきたことなどにより、船底部の縦通部材等の二次接着に剥離(はくり)や亀裂(きれつ)又は同接合部に座屈を生じ、強度的に弱くなって外板の撓みが大きくなったことにより、機関室前部隔壁の左舷船首側二次接着の一部が剥離したため、同剥離部の船底外板に応力が集中しやすい箇所(以下「ハードスポット」という。)ができ、同船底外板に同隔壁に沿って繊細な亀裂が発生していた。そして、同亀裂から外板積層の剥離部などへ海水が浸透し、次いで左舷魚倉の船底部等の間隙(かんげき)に浸透するようになり、防熱材の経年劣化と相俟(ま)って同魚倉の防熱効果が低下し、左舷魚倉が右舷魚倉と比較して冷えにくくなっていた。さらに、前回の操業において、船首方向から波浪の衝撃 を受け続けたことによって繊細な亀裂が次第に深くなり、後部魚倉区画船底部等の間隙全般に浸水して、各魚倉とも防熱効果が低下したが、水密隔壁により他の区画への浸水はなかった。 A受審人は、荒天に遭遇したことで船底外板に異常が生じたのではないかと不安を感じたものの、ビルジの量はいつもと変わらず、各魚倉の水温が上昇するなどの変化もなく、浸水の兆候が認められなかったことから、上架して船底外板を調査するまでもないと思い、2回分の冷凍餌と氷が残っていたこともあって、再度出漁することとし、2回分の冷凍餌約150キログラムと氷をそのまま載せ、混合冷海水を右舷・中央・左舷各魚倉に漲水して満水状態とし、操業の目的で、船首0.7メートル船尾1.1メートルの喫水をもって、同月22日10時00分勝浦漁港を発し、再び潮岬南方の漁場に向かった。 A受審人は、勝浦漁港を出たところで針路を180度(真方位、以下同じ。)に定め、機関回転数毎分1,600の7.5ノットの速力で漁場に向けて南下し、同日21時ごろ潮岬灯台から170度67海里にあたる、北緯32度20分東経135度59分の地点に到着して時間調整し、翌23日05時ごろ同地点から僚船と一斉にはえ縄の投縄を始め、黒潮を横断するように北上しながら投縄し、09時ごろ投縄を終えて同縄の北端付近で待機した。 23日13時ごろA受審人は、はえ縄の北端から揚縄を始め、びんながまぐろ及びめじまぐろ約300キログラムを漁獲して21時20分揚縄を終え、漁獲物全量を右舷魚倉に格納したが、これまで最もよく冷えていた右舷魚倉の右舷外板側の冷媒配管に付着した氷が、いつもは直径が約5センチあるところ、これより幾分細くなっており、溶けている可能性があったものの、水温は上昇しておらず、あと1回分の冷凍餌が残っていたので、そのまま操業を続けることとし、1回目の投縄開始地点に向かった。 翌24日05時ごろA受審人は、1回目の投縄開始地点付近に到着し、2回目の投縄にかかる前に、右舷魚倉の水温が気にかかり、同魚倉に手を入れて冷媒配管の氷と水温を確認したところ、やはり右舷外板側の冷媒配管の氷だけがいつもより細くなって溶けており、中央魚倉は異常がなかったものの、左舷魚倉は右舷魚倉と同様に左舷外板側の冷媒配管に付着した氷だけが細くなって溶けていたことから、冷凍装置の不調が原因ではないかと考え、直ちに冷凍機の膨張弁や配管などを点検したが、冷凍装置に異常を認めなかった。 そのころ、前線を伴った低気圧が四国の南海上にあって、24日05時には北緯31度00分東経134度20分付近に達し、第十八有導丸の南東方約120海里の海上を発達しながら東進しており、A受審人は、付近で操業中の僚船が荒天避難のため操業を打ち切って帰途に就いたことを知り、風はそれほど強く吹いていなかったものの、魚倉の氷が溶けたことで船底に異常が生じているおそれがあり、右舷魚倉の水温の上昇が懸念されたので、自船も操業を打ち切ることにした。 05時30分A受審人は、潮岬灯台から170度67海里にあたる、北緯32度20分東経135度59分の地点を発進し、針路を勝浦漁港に直航する000度に定め、機関回転数毎分1,600の7.5ノットの速力で同漁港に向けて帰途に就き、船あしを軽くするため中央魚倉から全量排水し、黒潮の2ないし4ノットの南東流に圧流されて約015度の実航針路で北上するうち、北東風が次第に強くなって波浪も高くなり、船体の上下動が大きくなったのを感じた。 08時ごろA受審人は、潮岬灯台から160度49海里あたる、北緯32度40分東経136度05分の地点において、ビルジポンプを駆動してビルジを排水したとき、いつもよりはビルジの流入量が多いことに気付き、機関室の床下部分を除く船底弁及び海水管系、船尾部の舵取機室及び物入れ並びに船尾管など浸水や漏水の可能性の高い箇所をはじめ、各魚倉や空所を調査したが、いずれも異常は認められず、ビルジポンプと水中ポンプとで排水できる量であったので、ビルジの流入量に注意しながら北上を続けた。 11時ごろA受審人は、潮岬灯台から139度34海里にあたる、北緯33度00分東経136度12分の地点に達したころ、低気圧の中心が自船の南方約100海里を通過したことにより、北東風が一段と強まって風速が毎秒約17メートルにも達し、波高が約5メートルにも達する中で、風浪を右舷船首方向から受けて船体が激しく動揺するようになり、このころ機関室の床下からビルジが流入しているのを認め、その量が次第に増え始めたが、床板を取り外すことができないため浸水箇所を特定することができず、防水措置を講じることができないまま、排水に全力を上げることにし、船尾物入れに格納していた予備の水中ポンプを投入して3台のポンプで排水を始めた。 こうして、A受審人は、排水を続けながら北上するうち、やがて浸水量が排水量を上回るようになって徐々に機関室船底部の水位が上昇し、12時ごろには機関室の床上にまで達するようになり、12時30分潮岬灯台から120度28海里にあたる、北緯33度12分東経136度14分の地点に至って、発電機が冠水して停止したのに続いて主機もセルモータが冠水して停止し、航行不能となって漂流を始めた。 当時、天候は雨で風力7の北東風が吹き、波高が約5メートルに達する波浪があった。 A受審人は、発電機が停止したのちもバッテリー電源により排水を続行したが、13時30分浸水が更に激しくなって危険を感じ、漁業無線で帰航中の僚船を呼び出したが応答がなく、同時55分潮岬灯台から127度30海里にあたる、北緯33度08分東経136度14分の地点において、緊急通信を発信して救助を要請した。 救助要請を受けた海上保安庁では、直ちに巡視船艇及びヘリコプターを出動させ、第十八有導丸の捜索救助に当たった。 遭難の結果、第十八有導丸は、低気圧が通過したことに伴って北寄りに変化した強風に圧流されてほぼ南方に漂流を続け、24日16時ごろ潮岬灯台から130度32海里にあたる、北緯33度06分東経136度14分の地点において、ヘリコプターが同船を発見し、巡視艇を同船のところに誘導して会合させ、18時38分潮岬灯台から137度33海里にあたる、北緯33度02分東経136度12分の地点において、巡視艇がA受審人を救助した。 第十八有導丸は、そのまま漂流を続け、23時30分潮岬灯台から142度38海里にあたる、北緯32度56分東経136度13分の地点において、浸水により復原力が減少したところに波浪を受けて転覆し、更に開口部から船内に浸水して、翌25日00時15分潮岬灯台から144度40海里にあたる、北緯32度55分東経136度13分の地点において、浮力を喪失して沈没した。
(浸水原因についての考察) 本件遭難は、紀伊半島潮岬沖合において、荒天に遭遇して機関室などに浸水し、沈没に至ったものであるが、海水の打ち込みによる開口部からの浸水、船首尾船底部からの浸水並びに船尾管、船底弁及び各配管からの漏水は認められないので、魚倉区画及び機関室両船底部からの浸水の可能性とその原因について考察する。 1 FRP漁船の建造 FRP漁船の建造は、昭和40年代前半に実用段階に入り、木造漁船を建造していた造船所などが、その建造実績を基に在来の木造漁船の形状及び構造等を踏襲して基本的設計を行い、原材料メーカー等の指導を受けながら成形していたが、やがて二重底構造を有する漁船も建造されるようになって年々大型化し、昭和55年ごろ大型漁船建造のピークを迎えた。 一方、海洋レジャーが年々盛んになり、FRP製プレジャーボートの建造が急増し、昭和48年には日本小型船舶検査機構が設立され、プレジャーボート等の小型船舶に対する検査体制が確立するとともに、FRP船建造の暫定的な基準が定められた。また、昭和52年には強化プラスチック船特殊基準が制定され、更に同特殊基準は昭和57年に全部改正されて、材料、成形、構造及び強度などについての一応の製造上の基準が確立された。 こうした状況のもと、昭和54年に建造された第十八有導丸は、長さ12メートル未満の漁船とすることで、船舶検査の適用除外船となり、漁船登録するだけで漁船として使用でき、船舶検査はもとより材質検査や製造検査なども行われず、40年代後半から50年代前半にかけて建造され、船舶検査等の対象とならなかった漁船の中には、魚倉の容積を徒に大きくしたり、大出力の機関を搭載して高速力で航行するなどした結果、波浪による応力の影響などにより、外板の剥離や二重底内部の肋板の破壊などの事例や縦通材等の連続性が不十分なため不連続部分が折損する事例が見受けられるようなり、更に50年代になって外板が剥離するなどの事例が多発するようになった。また、初期に建造された船齢が17ないし18年を経過した漁船の中には、船体疲労による破損が生じる事例も見受けられるようになった。 2 FRP漁船の建造上の問題 構造上の問題点として挙げられることは、隔壁や縦通部材等の防撓材などで外板の変形を抑制したりすることによって、外板に応力が集中するハードスポットが発生することで、FRPのような剛性の低い材料では、ハードスポットはFRP積層板の損傷を引き起こす原因となりやすく、このため、FRP積層板にかかる力を平均に逃がし、広い面積に緩やかに伝えるようにする必要があり、特に、荒天航海が避けられない小型漁船では、ホギングやサギングなどにより外板が変形しようとしても、隔壁や縦通部材等によって変形が妨げられ、その部分に変形の撓みの急変が起きて、隔壁の接合部や縦通部材等の交差部などに、非常に高い局部の応力が発生することになる。 一方、積層上の問題点としては、マットの重ねしろを十分にとらずに板厚を急変させたり、縦通部材等の接合部の二次接着を不連続なものにすることによってハードスポットが発生することになる。 このような応力の集中は、FRP積層板の樹脂とガラス繊維基材との界面の剥離や樹脂部の亀裂である白化を引き起こすだけでなく、縦通部材等の亀裂や折損又は座屈の原因ともなり、更には隔壁接合部の二次接着の剥離や外板に亀裂が発生する原因ともなることから、ハードスポットを生じさせないために、縦通材を船首から船尾まで縦通させて連続性をもたせたり、肋材等の端末を他の補強材まで延ばして接合させるなど強度的に連続させることや、隔壁などの接合部を広くして応力が伝わりやすくするとともに、マットの重ねしろを十分にとって緩やかな変化とし、応力を継手によって伝えるようにする必要がある。 このため、強化プラスチック船特殊基準においては、構造・積層の両面において採るべき各種方策が盛り込まれており、特に、外板と隔壁とをT字接着継手とする場合については、隔壁を直接外板に置かないで、その下端にプラスチックフォーム材などの緩衝材を入れたり、マットで増厚するなどして外板から離すなり、同フォーム材を心材とした肋材を先に外板に接着し、その上に隔壁を置いて外板と接合する方法を採ることや二次接着部の重ねしろを十分にとることなどが詳細に示され、現在のFRP船は、同基準に基づいた建造方法が採られている。 そこで、第十八有導丸についてみると、隔壁を貫通する縦通材は設けずに、ボックス型竜骨を採用して板厚を船底外板の2倍にすることで縦方向の剛性を与え、防撓材として隔壁及び縦通部材等を設けていたが、同船の船齢及び操業形態などからして、縦通部材等が既に破損し、強度的に弱くなっていた可能性が高く、それによって波浪の衝撃による外板の撓みが一層大きくなり、隔壁接合部の二次接着の剥離が始まっていた考えられ、しかも各隔壁をいずれも直接外板上に置いていたことから、これではハードスポットを作ったことになり、特に機関室前部隔壁の船首側船底外板に極度の応力が集中していたことは明らかである。 3 浸水原因 第十八有導丸は、前示のとおり、船齢が20年に達し、長年荒天の中で操業してきたことなどにより、縦通部材等の二次接着に剥離や亀裂又は接合部に座屈が生じていた可能性が高く、同部材等が壊れることで接続部に間隙が生じて強度的に弱くなり、外板の撓みが大きくなっていた。そして、機関室前部隔壁接合部の船首側は、船体構造上からもハードスポットが発生しやすいところであり、外板の撓みが大きくなったことによって、同接合部船首側の二次接着部に応力が集中し、二次接着の一部に剥離が始まった。このことにより、同隔壁の基部に緩衝材を入れずに直接外板上に置いていたことから、同基部の船首側にハードスポットが発生し、荒天航海による外板の撓みにより極度の応力が集中した結果、同隔壁に沿って繊細な亀裂が発生するに至り、同亀 裂からのわずかな浸水が外板積層の剥離部などに浸透し、やがて左舷魚倉船底部等の間隙に浸透するようになり、防熱材の経年劣化と相俟って左舷魚倉の防熱効果が低下し、右舷魚倉に比べて左舷魚倉の冷え具合の低下を招いたもので、さらに、前回の操業において荒天に遭遇し、4昼夜にわたって船首方向から波浪の衝撃を受け続けたことにより、機関室前部隔壁接合部の船首側に極度の応力が集中して、繊細な亀裂がより深くなってFRP積層板の厚さ全部を貫通するようになり、同亀裂からの浸水量が増加して後部魚倉区画の船底部等の間隙全体に浸水し、同区画全体の防熱効果が低下したものと推認する。 こうして、第十八有導丸は、再度出漁した際、海水温度が約21度の黒潮海域で操業するうち、後部魚倉区画の船底部等に浸水した海水が昇温し、これに接した各魚倉の側面及び底面が昇温して冷媒配管に付着した氷を溶かし、更に同船が帰航中に荒天に遭遇したことにより、機関室前部隔壁の二次接着の剥離が拡大して機関室側の二次接着までもが剥離し、同隔壁と船底外板との間に間隙を生じて機関室への浸水が始まり、二次接着の更なる剥離とともに間隙が広がって機関室への浸水量が増加したものと認定した。
(原因) 本件遭難は、和歌山県潮岬沖合において、前回の操業で荒天に遭遇したことにより、機関室前部隔壁と船底外板との接合部の船首側に亀裂が生じて後部魚倉区画の船底部等に浸水が始まった状態で、再度出漁して荒天に遭遇した際、船首方向から波浪の衝撃を受けながら航行するうち、同接合部に極度の応力が集中し、同亀裂が一層深くなって浸水量が増加する状況となり、更に同接合部の二次接着の剥離が機関室側にまで拡大したことにより、隔壁と外板との間に間隙を生じ、同間隙から機関室などに浸水したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、前回の操業で荒天に遭遇したのち、上架して船底外板の調査を行えば、同外板に生じた亀裂を発見できた可能性があったことは否定できない。しかしながら、冬季の黒潮海域での操業において荒天に遭遇することは少なくなく、たとえ荒天に遭遇したことにより船底外板に異常を生じたのではないかと不安を感じていたとしても、ビルジの量が増加するなり、魚倉の水温が上昇するなどの変化がなく、具体的な浸水の兆候を認めていなかったのであるから、同外板に亀裂などの異常が生じたおそれがあることを具体的に予見することは困難であり、同人が上架して同外板の調査を行わなかったことは、本件発生の原因と認めない。
よって主文のとおり裁決する。 |