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2000年(平成12年)

平成11年仙審第69号
    件名
漁船第二十七共栄丸遭難事件

    事件区分
遭難事件
    言渡年月日
平成12年7月18日

    審判庁区分
地方海難審判庁
仙台地方海難審判庁

長谷川峯清、根岸秀幸、上野延之
    理事官
大本直宏

    受審人
A 職名:第二十七共栄丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
大破、のち全損、同乗者1人が行方不明、のち溺死体で発見

    原因
沿岸域の波浪に対する配慮不十分

    二審請求者
理事官大本直宏

    主文
本件遭難は、沿岸域の波浪に対する配慮が十分でなかったことによって発生したものである。
なお、同乗者が死亡したのは、救命胴衣を着用しないまま、高起した波浪のある沿岸域を泳いだことによるものである。
受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年11月8日22時55分
青森県大間港
2 船舶の要目
船種船名 漁船第二十七共栄丸
総トン数 8.5トン
全長 17.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 364キロワット
3 事実の経過
第二十七共栄丸(以下「共栄丸」という。)は、一本釣り漁業に従事する中央操舵室型のFRP製漁船で、A受審人ほか1人が乗り組み、Bほか1人を同乗させ、ぶり漁の目的で、船首0.5メートル船尾1.6メートルの喫水をもって、平成10年11月8日16時00分基地である青森県大間港南方約2海里にある同県奥戸漁港を発し、同県大間埼北方約600メートルにある弁天島の北方沖合約2海里の漁場に向かった。
A受審人は、これより先、同日12時のテレビ放送の天気予報と天気図により、南西の風が強吹して海上が時化模様となるが、出漁を見合わせるほどの天候にはならないと予想して出漁しようとしていたところ、義兄であるB同乗者から漁を見物させて欲しいと頼まれ、時化が予想されるので素人を乗せては行けないと断ったが、更に頼まれ、断りきれずに同乗させて発航に至った。

ところで、大間港は、青森県下北半島西岸の南北に連なる海岸線の北部にあり、南から順に、根田内、西、北及び東各防波堤をほぼ南北方向に設けて日本海沖合からの波浪を遮っていたが、同各防波堤の西方約800メートル以内の沿岸域には水深が不規則な岩礁が散在していたので、西方沖合から岸に打ち寄せる波浪が磯波となり、これら防波堤に当たって反射あるいは屈折したひき波とぶつかり、複雑かつ不規則に変化する三角波を形成して波浪が高起することがあった。
また、A受審人は、波高が2.5メートルを超えるようなときには、出漁を見合わせたり、操業中であれば最寄りの港に避難することにしていたほか、大間港については、漁場への往復航時に同港沖合を通航する機会が多く、同港各防波堤外側が遠浅になっていることや、時化時には同防波堤付近で三角波が立って波浪が高起することを知っていた。

21時30分A受審人は、陸奥弁天島灯台(以下「弁天島灯台」という。)から003度(真方位、以下同じ。)2海里の地点で、前示漁場に到着してから2時間ばかりぶり漁を続けたが釣果もなく、同乗者1人の船酔いがひどくなったことから、同漁を切り上げることとして魚倉の蓋など開口部を密閉し、南西方からの風波の陰になる弁天島の東方を迂回して同島と大間埼との間の水道を通航することとして発進し、基地に向けて帰途に就いた。
A受審人は、船酔いの同乗者が舷側に出て嘔吐していたが、操舵室に格納していた救命胴衣の着用を指示しないまま、弁天島北東方沖合を南下中、風波によって飛ばされたサンマが船内に飛び込む状況になり、作業灯を点灯して甲板上に飛び込んできたサンマをかごに拾い入れているうち、同乗者の船酔いが前よりひどい状況となったことから帰航を急ぐこととし、22時20分弁天島灯台から071度550メートルの地点で、最寄りの港として同地点の南方1,000メートルに西寄りの風の風下側に当たる下手浜漁港があったが、折から弁天島の陰に入っていたので風波が弱く、荒天避難の必要を感じなかったことや、大間港が基地に近くて便利であることなどから同港に入航することとし、作業灯を消して弁天島、大間埼間の水道に向かった。

22時36分A受審人は、弁天島灯台から218度900メートルの地点で、航行に支障のある沿岸の岩礁域を避けるため、針路を海岸線から550メートル離した200度に定め、船酔いの同乗者を気遣って船体動揺が大きくならないように、機関を半速力前進にかけ、風波を右舷船首方に受けながら、3.8ノットの対地速力で手動操舵によって進行した。
22時50分A受審人は、弁天島灯台から206度1.4海里の地点に達したとき、針路を大間港の北及び西両防波堤間の港口(以下「港口」という。)に向く117度に転じ、波高約1.5メートルの波浪と南西風とを右舷船尾約60度に受けながら続航した。
22時51分A受審人は、大間埼で風速毎秒15メートルの南西風が吹いていることをラジオ放送で聞き、西方からの波浪が大間港の沿岸域に打ち寄せると磯波となり、防波堤近くで三角波が形成されて波浪が高起することがあるから、このまま進行すると、港口付近で高起した波浪に遭遇してブローチングや波が船内に打ち込むおそれがあったが、船酔いの同乗者を一刻も早く上陸させようと思い、港口に接近する際に波浪の高起状況を確認するなど沿岸域の波浪に対する配慮を十分に行うことなく、このことに思い及ばず、波浪の高起状況を確認しないまま続航した。

22時55分少し前A受審人は、西防波堤先端に至ったので、大間港内に向けて右舵を取り始めたところ、右舷側から打ち寄せた磯波と北防波堤からのひき波とにより高起した三角波の頂部に乗り上がって船体が持ち上げられ、その直後に左舷側に大きく傾斜して甲板上に海水が打ち込み、22時55分弁天島灯台から195度1.4海里の地点において、左舷側に傾斜したまま打ち込んだ海水が排水されなかった。
当時、天候は曇で風力7の南西風が吹き、潮候は下げ潮の末期であった。
A受審人は、左舵一杯として機関を全速力前進にかけたところ、傾斜がわずかに戻ったものの、依然海水が左舷甲板上に打ち込んだまま排水されなかったので、転覆の危険を感じて至近の海岸に任意座礁することとし、間もなく弁天島灯台から194度1.38海里の地点において、共栄丸は、左舷側に傾斜したまま、船首が080度を向いて北防波堤西側の岩礁に任意座礁したが、その直後に横転し、右舷外板を残して水没した。

この結果、共栄丸は、波浪によって大破し、のち全損とされた。
A受審人ほか乗船者は、高起した波浪の下、全員右舷外板にしがみついていたが、その後水没した操舵室から救命胴衣を取り出すことができず、同胴衣を着用しないまま、それぞれ陸岸に向かって泳ぎ始め、声をかけ合いながら泳いでいるうち、B同乗者(昭和31年11月18日生)が行方不明になり、同月16日港口付近で溺死体となって発見された。


(原因)
本件遭難は、夜間、南西の強風下、青森県大間港に入航する際、沿岸域の波浪に対する配慮が不十分で、港口に打ち寄せた磯波と防波堤に反射したひき波とにより高起した波浪に遭遇して大傾斜したことによって発生したものである。
なお、同乗者が死亡したのは、救命胴衣を着用しないまま、高起した波浪のある沿岸域を泳いだことによるものである。


(受審人の所為)
A受審人は、夜間、南西の強風下、青森県大間港に入航する場合、同港沿岸域が、西方からの波浪が打ち寄せると磯波となり、防波堤に当たって反射あるいは屈折したひき波とぶつかり、複雑で不規則な三角波が形成されて波浪が高起することがある水域であったから、高起した波浪に遭遇してブローチングや波の船内への打ち込みを起こさないよう、港口に接近する際に波浪の高起状況を確認するなど沿岸域の波浪に対する配慮を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、船酔いの同乗者を一刻も早く上陸させようと思い、沿岸域の波浪に対する配慮を十分に行わなかった職務上の過失により、港口に接近する際に波浪の高起状況を確認しないまま進行するうち、港口で高起した波浪に遭遇して船体の大傾斜を招き、傾斜が元に戻らなかったことから最寄りの海岸に任意座礁させ、共栄丸の船体を大破全損させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。


よって主文のとおり裁決する。






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