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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年5月22日02時00分 熊本県天草下島南端西方平瀬 2 船舶の要目 船種船名
漁船第一まるしよ丸 総トン数 19トン 登録長 17.49メートル 幅 4.99メートル 深さ
1.83メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
588キロワット 3 事実の経過 第一まるしよ丸(以下「まるしよ丸」という。)は、専ら熊本県天草諸島の周辺20海里以内の海域において中型旋網漁業に従事する船団の鋼製網船で、A受審人及びB、C両指定海難関係人のほか12人が乗り組み、操業の目的で、船首1.40メートル船尾2.40メートルの喫水をもって、平成10年5月21日18時熊本県牛深港長手岸壁を、灯船2隻、運搬船2隻とともに発し、天草下島南端西方5海里ばかりの漁場に向かった。 ところで、A受審人は、昭和30年漁船の甲板員となり、同38年船員をいったん辞め、同50年水道工事関係の業務に従事中に海技免状を取得し、同63年まるしよ丸の甲板員として乗船するようになり、平成4年船舶所有者から船長職を執るよう要請され、以後船長として乗船していたが、漁労長のB指定海難関係人が労務管理などの一切の業務を取り仕切り、古参甲板員のC指定海難関係人が航行中も出入航時も操船を行い、船長のように振る舞っていたことから、投網、揚網、操業後の漁網の整理整頓など甲板員としての作業を行うのみで、ほかに何もすることはあるまいと思い、運航の指揮を執ることなく、B、C両指定海難関係人の食事交代のために時折操舵室に赴く程度であった。 一方、B指定海難関係人は、昭和59年からまるしよ丸の漁労長として船内を統括するようになり、操業中は操舵室で指揮を執り、乗組員全員を甲板作業に就かせ、操業が終わると水揚げ地に向かい、C指定海難関係人が操業の後片付けが一段落した時点で、同人に操船を委ねることにしており、本来、出入港操船などの運航については、A受審人に任せなければならないことを承知していたものの、古参のC指定海難関係人が傷ついたりはしないかと船内の融和に気遣い、慣行としてA受審人が甲板員の仕事のみを行うがままとしていた。 また、C指定海難関係人は、昭和26年漁船員となり、同50年から船団の機関長として乗り組んでいたところ、同57年からまるしよ丸の甲板員となり、航海の海技免状や小型船舶操縦士の免状を受有しなかったものの、いつしか操船などの運航実務を執るようになっていた。 平成10年5月21日18時30分ごろB指定海難関係人は、漁場に至り、その後、魚群探索や集魚を行い、翌22日01時30分第1回目の投網を行い、揚網したところ、水深が30メートルないし50メートルと浅く、底質が岩礁であったことから漁網が絡んで破れ、操業を続けることができなくなったので、発航地に戻って漁網の修繕をしたのち再び出漁することとし、6海里レンジとしたレーダーで牛深大島や片島との相対位置関係から船位を確認し、同時59分牛深大島灯台から241度(真方位、以下同じ。)の地点を船団の先頭をきって発進した。 発進したとき、B指定海難関係人は、洗網したり、漁網の整頓に油圧機械を使用したりするために機関を半速力前進の7.0ノットの対地速力とし、前路に存在する平瀬を左舷側50メートルないし60メートル隔てて航過するつもりで、同瀬をレーダーの船首輝線の左舷側に見るよう、針路を083度に定めて自動操舵とし、甲板上の作業灯を点灯したまま、操舵室内右舷側に置いたいすに腰掛けて進行し、01時55分油圧機械を使用するなどの作業が終わったので、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力として同一の針路で続航した。 01時57分少し前B指定海難関係人は、折からの潮流で左方に1度ばかり圧流されていたところから、平瀬に向首するようになり、同瀬に1,000メートルまで接近する状況となったが、漁場発進時に平瀬南方に向首したことから、依然平瀬の南方を航過できるものと思い、レーダーの監視を続けるなどして船位の確認を十分に行わず、3日前に破網したばかりでこれを繰り返したことに落胆し、腰掛けて事後措置に考えを巡らしながら進行した。 その後、B指定海難関係人は、平瀬に向首するようになったことに気付かないまま続航中、01時59分C指定海難関係人が操業後の後片付けを一段落させて後部甲板上から操舵室に入ってきたので、破網の程度を尋ねたものの、引継ぎなどを行わずに操舵室内後部板敷きに上がり、壁に寄り掛かって座り込んで考え事に耽(ふけ)っていた。 こうして、まるしよ丸は、他の乗組員が未だ作業を行っていたので甲板上の作業灯を点灯したまま平瀬にほぼ向首した態勢で進行中、C指定海難関係人が、レーダーを見る間もなく船橋前面に立ってたばこを吸おうとしていたところ、02時少し前B指定海難関係人が、後続する灯船や運搬船からのそのままでは平瀬に乗り揚げる旨の無線による警告に気付き、急ぎ手動操舵に切り替えたものの、気が動転して無意識のうちに左舵一杯としてしまい、左転を始めたところ、右舵一杯をとれとの警告が再びあったので右舵一杯をとりなおしたが、及ばず、02時00分牛深大島灯台から204度1,750メートルの地点で、原針路に戻った時、ほぼ原速力のまま平瀬の南西方に拡延する干出岩に乗り揚げた。 当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期で、付近には微弱な北流があった。 A受審人は、後部甲板上で漁網の固縛作業に従事していたところ、乗揚の衝撃を感じ、B指定海難関係人の指示により、C指定海難関係人などとともに灯船に移乗した。 B指定海難関係人は、乗組員全員を灯船に移乗させたのち、自らは他の灯船に移乗して事後の指示を出し、運搬船2隻からまるしよ丸に曳索をとって離礁を試みたが、曳索が切断して同船は左舷側に横転し、浸水して水没した。 この結果、船体はのちに引き揚げられたが、船底から左舷側にかけての外板全体に凹損や曲損などを、主機及び航海計器などにぬれ損をそれぞれ生じ、のち売船された。
(原因) 本件乗揚は、夜間、熊本県天草下島南端西方沖合の漁場から同県牛深港に向けて帰航の途、船位の確認が不十分で、途上に存在する平瀬に向首進行したことによって発生したものである。 運航が適切でなかったのは、船長が、運航の指揮を全く執っていなかったことと、漁労長が、船位の確認を十分に行わなかったこととによるものである。
(受審人等の所為) A受審人は、船舶所有者から船長職を執るよう要請されて乗船した場合、航行の安全を図れるよう、運航の指揮を執るべき注意義務があった。しかし、同人は、B指定海難関係人及びC指定海難関係人が運航などを取り仕切っていたことから、自らは甲板員としての作業のほか何もしなくてよいものと思い、運航の指揮を執らなかった職務上の過失により、乗揚を招き、船底外板凹損や主機ぬれ損などを生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B指定海難関係人が、夜間、平瀬などの険礁が存在する海域を単独で通航する際、レーダー監視などによる船位の確認を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。 B指定海難関係人に対しては、勧告しないが、険礁が付近に存在するような海域を単独で航行するようなときは、険礁などに著しく接近しないよう、船位の確認を十分に行うよう努めなければならない。 C指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。 |