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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成11年2月8日19時25分 和歌山県和歌山下津港沖合 2 船舶の要目 船種船名
油送船第七興洋丸 総トン数 2,898トン 全長 99.94メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
2,059キロワット 3 事実の経過 第七興洋丸(以下「興洋丸」という。)は、専ら灯油やガソリンなどの石油製品の輸送に従事する船尾船橋型油送船で、A受審人ほか10人が乗り組み、和歌山県和歌山下津港下津区の東亜燃料桟橋で揚荷したのち、空倉のまま、船首2.20メートル船尾4.50メートルの喫水をもって、平成11年2月8日19時10分同港を発し、京浜港川崎区に向かった。 ところで、紀伊水道に面する和歌山下津港下津区は、港口を西方に開き、港口沖合には地ノ島と沖ノ島とが陸岸からそれぞれおよそ800メートル及び2,600メートル隔てて東西に並んで位置し、沖ノ島の西部に下津沖ノ島灯台(以下「沖ノ島灯台」という。)が設置されていた。 A受審人は、興洋丸及び同船とほぼ同じ大きさの油送船に船長として乗り組み、これまでしばしば和歌山下津港下津区に入港した経験を有していたので、沖ノ島の位置など付近の状況を十分に承知しており、同港を出航して京浜港に向かう際には、通常、地ノ島及び沖ノ島を左舷方に見て西行し、沖ノ島を航過したのち針路を南方に転じていた。 発航のときA受審人は、船首及び船尾に乗組員を配置するとともに、船橋には操舵装置とその右舷側に隣接する主機コンソールに操舵手及び機関長をそれぞれ就かせて自ら操船の指揮をとり、左舷付け出船係留の状態から右舷錨を揚錨したのち徐々に増速しながら港口に向かい、19時17分沖ノ島灯台から067度(真方位、以下同じ。)1.7海里の地点で、地ノ島東方の有田第2号灯浮標を左舷700メートルに通過したとき、針路を275度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて11.5ノットの対地速力で進行した。 定針したあとA受審人は、甲板部の乗組員全員にガスフリー作業を行わせるため各出航配置を解き、船橋の操舵手にもその作業に当たるよう指示して降橋させ、自身は操舵装置の左舷前方に立ち、右舷後方を振り返った姿勢で、船橋に残った機関長と雑談をしながら地ノ島北方700メートルのところを西行した。 19時18分少し過ぎA受審人は、地ノ島北端を替わったころ、左舷前方の沖ノ島にもう少し寄せる針路にしようと思い、操舵装置の後方に移動して舵を自動から手動に切り替えてわずかばかり左舵をとり、予定の針路になるまで徐々に回頭させたあと舵を中央に戻すつもりで、いったん操舵装置左舷前方の元の位置に返り、再び後方を向いて機関長と雑談に興じ、手動操舵に切り替えて左舵をとっていることを忘れたまま当直を続けた。 A受審人は、19時23分沖ノ島灯台から050度1,180メートルの地点に差し掛かったとき、沖ノ島北岸まで770メートルに接近し、船首が同島の西部に向く態勢となっていたが、依然右舷後方を向いて機関長との雑談に気を奪われ、コンパスで沖ノ島灯台の方位を測定するなど船位を確認しなかったので、このことに気付かなかった。そして、同時25分少し前右舷船首近くに見える同灯台の灯火に気付いた機関長の声で船首方を振り返ったとき、至近に迫った同島の陸岸を認めたものの何をする間もなく、19時25分沖ノ島灯台から063度500メートルの地点において、興洋丸は、沖ノ島東部の海岸から北方80メートル沖合の浅所に、原速力のまま、195度に向首した状態で乗り揚げた。 当時、天候は晴で風力2の北風が吹き、潮候は上げ潮の初期であった。 乗揚の結果、船首部船底外板及び球状船首に亀裂を伴う凹損を生じたが、自力で離礁し、のち修理された。
(原因) 本件乗揚は、夜間、和歌山下津港沖合の沖ノ島北方を西行する際、船位の確認が不十分で、同島に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、和歌山下津港沖合の沖ノ島北方を西行する場合、針路を徐々に左方に転じるため自動操舵から手動操舵に切り替えていたのであるから、同島に著しく接近することがないよう、コンパスで沖ノ島灯台の方位を測定するなど、船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、在橋していた機関長と雑談に夢中になり、コンパスで同灯台の方位を測定するなど、船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、針路が次第に左に転じて沖ノ島に著しく接近していることに気付かず、そのまま進行して同島沖合の浅所に乗り揚げ、船首部船底外板及び球状船首に亀裂を伴う凹損を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。 |