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2000年(平成12年)

平成11年横審第101号
    件名
貨物船第十二東陽丸乗揚事件

    事件区分
乗揚事件
    言渡年月日
平成12年1月19日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、長浜義昭、吉川進
    理事官
葉山忠雄

    受審人
A 職名:第十二東陽丸一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)(履歴限定)
    指定海難関係人

    損害
船底部に凹損、推進器翼に曲損

    原因
船位確認不十分

    主文
本件乗揚は、船位の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年5月21日03時47分
布施田水道東口
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十二東陽丸
総トン数 199トン
登録長 50.81メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 404キロワット
3 事実の経過
第十二東陽丸は、鋼材の運送に従事する船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長B及びA受審人ほか2人が乗り組み、銑鉄660トンを積載し、船首2.75メートル船尾3.95メートルの喫水をもって、平成10年5月20日21時40分名古屋港を発し、大阪港に向かった。
B船長は、船橋当直を自らとA受審人とによる6時間交替の単独2直制とし、発航操船に続いて船橋当直に就き、法定の灯火を表示し、機関回転数毎分280の全速力前進にかけ、9.5ノットの速力で、手動操舵により知多半島西岸に沿って南下し、翌21日00時00分野間埼西方約1海里の地点において、A受審人と船橋当直を交替するにあたり、同受審人は、夜間に布施田水道を航行した経験はなかったものの、これまで昼間に数回航行した経験があり、海上は平穏で視界も良かったことから、同水道を航行しても、沖合を航行してもよいと伝え、海図に記載した針路線を航行するよう指示して降橋した。

船橋当直に就いたA受審人は、手動操舵に就き、伊良湖水道に向けて南下し、01時13分伊良湖水道航路南口を出航し、同時29分瀬木寄瀬東方灯標から090(真方位、以下同じ。)度0.7海里の地点に達して、針路を200度に定め、自動操舵に切り換えて志摩半島東岸に沿って南下し、03時08分大王埼灯台を経て、同時11分同灯台から126度1.5海里の地点において、針路を麦埼の南東沖合に設置された定置網の東方に向く232度に転じ、麦埼の東方沖合に差しかかったところ、同網の外端に設置された標識灯が視認できたので、布施田水道を航行することにして再び手動操舵に就き、同時31分麦埼灯台から134度1.6海里の地点において、定置網を替わし終えて針路を280度に転じ、大長磯灯標を左舷船首方に見て、布施田水道東口に向けて進行した。
ところで、布施田水道は、麦埼から同埼西方の和具漁港にかけての沖合に広く散在する険礁群の間を、東西に通じる延長約2.5海里の水道で、同水道の北側には、東方から順に、最小水深3.7メートルの大王出シ、同3.5メートルのフカ瀬及びイチ島並びに同2.3メートルの渡リ黒ミの各険礁が、同南側には、同じく最小水深3.5メートルのボテ島及び大長磯灯標が設置された大長磯の各険礁があり、ここから同水道西口の布施田灯標が設置された観音寺山ノ瀬までの間は、高さ14メートルの小島を挟んで干出岩が連なった浅水域となっており、このため、同水道北側には、右舷標識としてイチ島灯浮標及び渡リ黒ミ灯浮標が、同南側には、左舷標識として大長磯灯標、四丈北東方灯浮標及び布施田灯標がそれぞれ設置され、これらの各側面標識間の水路の幅員は約350メートルとなっていた。
A受審人は、灯浮標が設置されていないフカ瀬に接近しないよう、大長磯灯標の北方を約100メートル隔てて航過するつもりで同灯標の緑光を左舷船首方に見て続航し、右舷船首方に四丈北東方灯浮標の緑光並びにイチ島及び渡リ黒ミ両灯浮標の赤光がそれぞれ視認できたので、大長磯灯標を航過したのち、フカ瀬が右舷正横付近となったところで、一旦右転してイチ島灯浮標付近に向け、その後四丈北東方、渡リ黒ミ両灯浮標の中間に向けることにした。
03時38分半A受審人は、麦埼灯台から180度1,650メートルの地点を航過し、布施田水道東口に達したころから、120度方向に流れる下げ潮流を右舷船首方向から受けるようになり、同時41分半、大長磯灯標を左舷船首8度550メートルに認め、潮流により左方に2度圧流されて278度の実航針路となって同水道南側の浅所に接近しつつあったが、レーダーを作動していたものの、各側面標識が視認できたことから、これらを目視確認しながら進行すれば大丈夫と思い、レーダーを有効に活用するなどして船位を十分に確認しなかったので、左方に圧流されていることに気づかなかった。

03時43分半A受審人は、大長磯灯標から010度60メートルの地点を航過したとき、右舷船首65度600メートル付近にフカ瀬が存在し、その後同瀬が右舷正横付近となったところで、右転してイチ島灯浮標付近に向けるつもりでいたことから、手動操舵に就いたまま同灯標との位置関係を目視確認することに気をとられ、依然として、レーダーを有効に活用するなどして船位を十分に確認しなかったので、潮流により左方に圧流され、布施田水道南側の浅所に向かっていることに気づかないまま続航した。
こうして、A受審人は、左方に圧流されながら布施田水道南側の浅所に向かって進行し、03時45分少し前、右転しようとして大長磯灯標を確認したところ、同灯標を左舷船尾7度360メートルに見るようになって、初めて同水道南側の浅所に近寄っていることに気づいたものの、同時45分同灯標から283度450メートルの浅所に船底が接触し、これを擦過した。

当時、天候は晴で風力1の北風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、布施田水道東口付近では120度方向に流れる潮流があった。
A受審人は、底触したことによって船首が左に振れ、更に底触時の衝撃で左舵をとった状態となり、気持が動転したこともあって、それまで航進目標としていたイチ島、渡リ黒ミ及び四丈北東方各灯浮標との位置関係が分からなくなり、間もなく機関回転数毎分250の半速力前進としたものの、左舵をとったまま左回頭を続け、各灯浮標との位置関係を再確認しようとするうち、やがて大長磯灯標の西方約700メートル付近から布施田水道南側の浅水域に進入して船底を擦過しながら進行し、このころ衝撃により目覚めたB船長が昇橋したが、どうすることもできず、03時47分大長磯灯標から268度850メートルの浅所に、船首を294度に向け、約4ノットの速力で乗り揚げた。

乗揚の結果、第十二東陽丸は、船底部に凹損及び推進器翼に曲損などを生じ、サルベージ船により引き降ろされ、のち修理された。

(原因)
本件乗揚は、夜間、布施田水道東口に接近するにあたり、大長磯灯標寄りを西行する際、船位の確認が不十分で、潮流により左方に圧流され、同水道南側の浅所に向けて進行したことによって発生したものである。


(受審人の所為)
A受審人は、夜間、布施田水道東口に接近するにあたり、同水道の北側に存在するフカ瀬との距離を隔てるため、大長磯灯標寄りを西行する場合、同水道南側に存在する浅所に接近しないよう、レーダーを有効に活用するなどして船位を十分に確認すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、大長磯灯標との位置関係を目視確認してフカ瀬を替わすことに気をとられ、レーダーを有効に活用するなどして船位を十分に確認しなかった職務上の過失により、右舷船首方向からの潮流を受けて徐々に左方に圧流され、同水道南側の浅所に向かっていることに気づかないまま進行し、同浅所に乗り揚げて擦過し、更に付近の浅水域に進入して乗り揚げ、船底部及び推進器翼などを損傷させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。






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