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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年11月16日07時40分 広島県福山港外 2 船舶の要目 船種船名
貨物船コーキサン 総トン数 75,905トン 全長 273.00メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
12,062キロワット 3 事実の経過 コーキサン(以下「コ号」という。)は、可変ピッチプロペラを装備した船尾船橋型の貨物船で、インド国籍の船長Bほか24人が乗り組み、士官候補生など同乗者2人を乗せ、A受審人きょう導のもと、空倉のまま、船首7.24メートル船尾10.62メートルの喫水をもって、平成10年11月16日07時00分霧模様の広島県福山港の日本鋼管原料岸壁Lバースを発し、オーストラリアのポートヘッドランド港に向かった。 ところで、A受審人は、平成7年2月に内海水先区の水先免状を取得して水先業務に就き、これまで福山港では約20回の出入港の経験を有し、同港周辺海域の水路事情に精通していたものであるが、離岸後、離岸地点の東側から約330メートル幅で、南方に約4.8海里延びて、その両側端に福山港第1号灯浮標(以下、灯浮標名については「福山港」を省略する。)から第12号までの各灯浮標が設置された掘り下げ水路を南下したのち、同水路の南端付近で右転し、南西方2,000メートル付近に存在する鴻石の浅瀬に設置された鴻石灯標の北方に向けて航行することにした。 こうしてA受審人は、B船長とともに船橋に立って操船指揮に当たり、三等航海士を補佐に、操舵手を手動操舵にそれぞれ就け、また船首に一等航海士と甲板員を配置し、タグボート3隻を使用して離岸作業を始めて間もなく、霧が濃くなって視程が約1,000メートルに狭められる状況となったので、トランシーバーで第9号灯浮標付近に待機していた進路警戒船のはやかぜに視界の状況を問い合わせたところ、視程は約2,000メートルである旨の報告を受け、この程度なら出港に差し支えないものと判断して出港作業を続け、タグボートと機関を使用して離岸を終え、同岸壁沖で掘り下げ水路に入った。 07時12分半少し過ぎA受審人は、日本鋼管福山港導灯(前灯)から181度(真方位、以下同じ。)2.2海里の地点で、針路を181度に定め、はやかぜを先航させて掘り下げ水路に沿って進行するうち、同時17分半ごろ視程が約2,000メートルに回復したことから、機関を翼角18.2度の港内全速力前進に上げ、12.2ノットの対地速力で、時折3海里レンジとしたレーダーを使用して見張りに当たって続航した。 その後、A受審人は、水先作業予定表で知った、掘り下げ水路南端付近の錨地に錨泊している大型船4隻の映像を右舷前方に認めるようになり、07時26分第3号灯浮標を右舷側近距離に見て航過し、同時27分鴻石灯標から029度3,780メートルの地点に差し掛かったとき、前示錨泊船4隻のうちのW―6錨地に錨泊している、右舷船首9度方向のポートヘッドランドとその西北西方1,100メートルのW―5の錨地に錨泊している、右舷船首34度方向のケープ
ロサの間を抜け鴻石灯標の北方に向かうこととし、右舵10度をとっては舵中央に戻すことを繰り返して令し、ゆっくりと右転しながら第1号灯浮標に近づく態勢で進行した。 07時30分少し前A受審人は、船首が199度に向いていたとき、第1号灯浮標を右舷側130メートルに航過し、このころ鴻石灯標の映像を右舷船首17度2,880メートルに、また同灯標の南方500メートル付近に漁船のような映像をそれぞれ探知し、レーダーを1.5海里レンジに切り替えたあと、レーダーを見たり肉眼で周囲を見張ったりしていたところ、間もなく西方から濃い霧に包まれ始め、右方の視程が500メートルばかりに狭められ、自船の前方を先航するはやかぜの探照灯の明かりが見えなくなり、やがて大型錨泊船も視認できない状況となった。 そこでA受審人は、トランシーバーで、はやかぜに鴻石灯標と錨泊船ケープ
ロサとの中間に位置するよう指示し、07時32分半機関を翼角13.6度の半速力前進に減じ、10.0ノットの対地速力で、舵を中央として続航した。 07時33分A受審人は、鴻石灯標から043度1,620メートルの地点に達し、船首が212度に向首して同灯標の映像を右舷船首11度1,620メートルに認める状況となったとき、レーダーを一見しただけで同映像を自船に先航する進路警戒船のはやかぜのものと取り違え、右舷前方に近づいたケープ
ロサを早期に肉眼で視認することに気を遣い、レーダーを連続監視して船位の確認を十分に行うことなく、はやかぜの後方を追尾するつもりで、右舵10度を令してゆっくりと右転するうち、次第に鴻石の浅所に接近するようになった。 A受審人は、07時35分更に機関を翼角9.0度の微速力前進に減じ、同時36分半鴻石灯標が右舷船首8度680メートルに近づき、レーダーを覗いていたとき、西方の鴻石灯標と思っていた映像が急に南南西方に動き始めたことを認めて、同灯標と進路警戒船のはやかぜとを取り違えたことに気付くとともに、このころ船首配置の一等航海士とB船長とのやりとりで鴻石灯標に接近していることを知り、急いで左舵一杯を令したものの、右舵をとっていたことから右転を続けたほうがよいと判断し、右舵一杯に指示し直し、次いで舵効を得るため機関を半速力前進に上げたが及ばず、07時40分鴻石灯標から000度50メートルの地点において、コ号は、268度を向いて、6.0ノットの対地速力で浅所に乗り揚げた。 当時、天候は霧で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期にあたり、視程は約300メートルであった。 乗揚の結果、コ号は、船首部船底に多数の凹損を生じ、のちタグボートの来援を得て引き下ろされた。
(原因) 本件乗揚は、霧のため視界が狭められた福山港港界付近において、掘り下げ水路から鴻石灯標の北方に向け南下する際、船位の確認が不十分で、同灯標近くの鴻石の浅所に向かって進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、霧のため視界が狭められた福山港港界付近において、コ号のきょう導に当たり、進路警戒船を先航させて掘り下げ水路から鴻石灯標の北方に向け南下する場合、同船と同灯標とを取り違えて同灯標に接近することのないよう、作動中のレーダーを連続監視して船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、右舷前方に近づいた大型錨泊船を早期に肉眼で視認することに気を遣い、レーダーを連続監視して船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、鴻石灯標を進路警戒船と取り違えたまま、同船を追尾するつもりで鴻石灯標に向かって進行して鴻石の浅所に乗り揚げ、コ号の船首部船底に多数の凹損を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |