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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成11年4月30日16時50分 大分県関埼北東方沖合 権現碆 2 船舶の要目 船種船名
ケミカルタンカー第一丸岡丸 総トン数 199トン 登録長 43.23メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
588キロワット 3 事実の経過 第一丸岡丸(以下「丸岡丸」という。)は、液体化学薬品をばら積みする船尾船橋型のケミカルタンカーで、A受審人ほか2人が乗り組み、苛性ソーダ約300立方メートルを積載し、船首2.60メートル船尾3.55メートルの喫水をもって、平成11年4月30日10時30分宮崎県土々呂港を発し、山口県三田尻中関港に向かった。 A受審人は、船橋当直を自らと一等航海士による単独4時間交替とし、16時20分大分県関埼の南東方沖合5海里の地点で一等航海士と交替して船橋当直に就き、平素は速吸瀬戸の高島と佐田岬間を航行していたところ、関埼と豊後平瀬灯標(以下「平瀬」という。)との間の海域(以下「平瀬西方海域」という。)を通航するほうが航程を短縮できることから、この海域を経由して目的地に向かうことにした。 ところで、関埼と高島との間の海域は、最狭部の幅が約1.7海里で、平瀬がその中間から関埼寄りに存在し、平瀬西方海域は、可航幅が約1,300メートルであったものの、険礁などが存在しないことから、小型内航船の通航路となっており、平瀬と高島との間の海域(以下「平瀬東方海域」という。)は、最狭部の幅が約1.4海里であったが、権現碆と称する干出岩(以下「権現碆」という。)や牛島周辺の険礁があること、また、強潮流の影響を受けることなどから、十分に注意して航行する必要があった。
こうして、A受審人は、16時27分少し前関埼灯台から131度(真方位、以下同じ。)3.8海里の地点で、針路を325度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、折からの潮流に乗じて10.5ノットの対地速力で、平瀬東方海域に向けて進行した。 16時46分少し過ぎA受審人は、関埼灯台から073度1.0海里の地点に達したとき、針路を平瀬と牛島とのほぼ中間に向く356度に転じたところ、権現碆に向首する状況となったものの、水路調査が不十分で、このことに気付かずに続航中、同時49分半わずか過ぎ船首方に砕波と渦潮を視認し、驚いて手動操舵に切り替えて左舵一杯をとり、機関を半速力前進にしたが及ばず、丸岡丸は、16時50分関埼灯台から043度1.32海里の地点において、ほぼ原速力のまま、船首が286度を向いて権現碆に乗り揚げた。 当時、天候は晴で風力2の東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期に当たり、付近海域には北方に流れる1ノットばかりの潮流があった。 乗揚の結果、右舷側前部から後部にかけての船底外板及び左舷側中央部船底外板に凹損を含む擦過傷を生じたが、サルベージによって引き下ろされ、のち修理された。
(原因) 本件乗揚は、大分県関埼と高島との間の海域を航行するにあたり、平瀬東方海域についての水路調査が不十分で、同海域の権現碆に向かって進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、大分県関埼南東方沖合を北上中、航程を短縮するため予定を変更し、険礁等が存在する関埼と高島との間の狭い海域を初めて航行する場合、海図上の記載事項を精査するなど、平瀬東方海域についての水路調査を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、周辺の水深だけを見て通航できるものと思い、水路調査を十分に行わなかった職務上の過失により、海図上に記載されていた干出岩等の記号を見落とし、権現碆に向首進行してこれに乗り揚げ、右舷側前部から後部にかけての船底外板及び左舷側中央部船底外板に凹損を含む擦過傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |