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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年11月7日05時30分 長崎県平戸瀬戸 2 船舶の要目 船種船名
貨物船第二大興丸 総トン数 476トン 全長 64.50メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
1,029キロワット 3 事実の経過 第二大興丸(以下「大興丸」という。)は、船首に旋回式ジブクレーン1基を装備した船尾船橋型の石材砂利運搬船で、九州北部一円において石材の輸送に従事していたところ、A受審人及びB受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首2.40メートル船尾3.45メートルの喫水をもって、平成8年11月6日21時30分関門港を発し、長崎県大村湾南部の時津港に向かった。 ところで、A受審人は、航海中の船橋当直をB受審人、甲板長及び自らの3人による単独4時間交替の3直制で行っており、出港操船に引き続いて当直に当たり、翌7日00時ごろ福岡県筑前大島付近において、昇橋した甲板長に船橋当直を引き継ぐ際、04時から当直に就く一等航海士の当直時間中に平戸瀬戸を通航することになることが予想されたが、同瀬戸はよく通航する慣れたところであったことから、同航海士に任せておけばよいと思い、甲板長に対して同瀬戸北口に接近したときには報告するよう、次直の一等航海士に申し送りで指示することなく降橋した。 B受審人は、04時ごろ佐賀県馬渡島の南南東方2海里付近で甲板長から船橋当直を引き継ぎ、その後九州北部沿岸沿いに平戸瀬戸に向け西行し、05時15分ごろ平戸瀬戸北口の北東方1.5海里付近に差し掛かったが、自身が操船に当たって同瀬戸を幾度か通航したことがあったことから、自分で操船しても無難に通航できるものと思い、このことをA受審人に報告しなかった。 05時20分B受審人は、田助港外防波堤灯台から067度(真方位、以下同じ。)340メートルの地点に達したとき、針路を黒子島と南風埼のほぼ中間に向首する183度に定め、機関を10.0ノットの全速力前進にかけ、折からの次第に強まる北流に抗して9.0ノットの対地速力で進行した。 B受審人は、自ら手動で操舵に当たって時々左傍のレーダーを見ながら前路を見張り、またこのころ昇橋した一等機関士が船橋の左舷側前部で見張りの補助に就いて、南風埼に並航したとき海図記載の145度の針路に転じて水道沿いに南下するつもりで、強まった潮流により7.0ノットの対地速力となって続航していたところ、05時26分南風埼灯台から342度800メートルの地点で、牛ケ首を左舷側330メートルに航過したとき、船首少し左の南風埼沖に、反航してくる小型鋼船の白、白、緑、紅4灯を認めた。 05時27分少し前、B受審人は、南風埼灯台から337度650メートルの地点に達したとき、反航船と左舷を対して航過できるよう、右舵7度をとって右転を開始し、同時28分少し前、船首が203度に向いていたとき、右舷前方の黒子島の島影も近くなり、同船と左舷を対して航過できると判断し、水道の中央部に向け針路を戻すこととし、左舵10度をとって左転を開始した。 このときB受審人は、黒子島と南風埼間の狭いところを通過中で、水道東側の南風埼が左舷前方約500メートルに近づいており、左転し過ぎると同埼に著しく接近するおそれがあったが、反航船と左舷を対して至近に航過する状況が気になり、コンパスによる針路の確認を十分に行うことなく、間もなく舵を少し戻して舵輪の位置から離れて左舷側に移動し、反航船を眺めていたので、自船が少しずつ左回頭を続けながら予定の針路から大きく外れ、平戸瀬戸東側の南風埼に向かう状況となったことに気付かずに進行した。 05時29分半少し前、B受審人は、舵輪の位置に戻って左右を見ていたとき、一等機関士が何か叫んだように感じて前方を見たところ、右舷船首に南風埼灯台の明かりを認め、ようやく南風埼が迫っていることに気付き、危険を感じて右舵一杯をとり、更に機関を停止としたが及ばず、05時30分南風埼灯台から000度100メートルの海岸に、大興丸は、170度を向首し、約6ノットの速力で乗り揚げた。 当時、天候は晴で風力3の北東風が吹き、潮候は上げ潮の末期で、付近には約3.0ノットの北流があった。 乗揚の結果、大興丸は、船底外板全般に凹損を生じ、のち来援したサルベージ船により引き降ろされた。
(原因) 本件乗揚は、夜間、平戸瀬戸の黒子島付近を潮流に抗して南下中、船首少し左から接近する反航船を避けて右転したのち水道の中央部に向け針路を戻した際、コンパスによる針路の確認が不十分で、予定針路から大きく外れ、同瀬戸東側の南風埼に向かって進行したことによって発生したものである。 運航が適切でなかったのは、船長が、船橋当直者に対して平戸瀬戸に接近したときに報告するよう指示しなかったことと、船橋当直者が、船長に対して同瀬戸に接近したことを報告しなかったこと及び反航船を避けて右転したのち水道の中央部に向け針路を戻した際、針路の確認が十分でなかったこととによるものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、平戸瀬戸に向け九州北部沿岸沿いに西行中、筑前大島付近において、部下の甲板長に船橋当直を引き継ぐ場合、04時から当直に就く一等航海士の当直時間中に同瀬戸を通航することが予想されたから、甲板長に対して同瀬戸北口に接近したときには報告するよう、次直の一等航海士に申し送りで指示すべき注意義務があった。ところが、同人は、同瀬戸はよく通航する慣れたところであったことから、同航海士に任せておけばよいと思い、同瀬戸北口に接近したときには報告するよう、甲板長に申し送りで指示しなかった職務上の過失により、平戸瀬戸に接近したとき報告が受けられず、同航海士が操船に当たって同瀬戸を通航中に乗揚を招き、大興丸の船底外板全般に凹損を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、夜間、平戸瀬戸の黒子島付近を潮流に抗して南下中、船首少し左から接近する反航船を避けて右転したのち、水道の中央部に向けて針路を戻す場合、左舷前方の南風埼に著しく接近することのないよう、コンパスなどで針路の確認を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、反航船と至近に航過する状況が気になり、針路の確認を十分に行わず、左転を開始して間もなく操舵位置を離れ左舷側に移動し、反航船を眺めていて、左回頭を続けて予定の針路から大きく外れ、同瀬戸東側の南風埼に向かう状況となったことに気付かずに進行して乗揚を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する |