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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年3月10日13時00分 瀬戸内海福山港 2 船舶の要目 船種船名
貨物船ニュー清幸 総トン数 199トン 全長 56.30メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
735キロワット 3 事実の経過 ニュー清幸(以下「清幸」という。)は、主として穀物の輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、A受審人が息子の機関長と2人で乗り組み、菜種550トンを載せ、船首2.3メートル船尾3.7メートルの喫水をもって、平成10年3月10日10時45分岡山県水島港を発し、福岡県博多港に向かった。 ところで、A受審人は、同月1日以降、京浜港から神戸港への航海、次いで神戸港と関門港との間を1往復半するなど、連日長距離の航海が続き、航海中の船橋当直を機関長と単独5ないし6時間交替の2直制で行うほか、停泊中の積荷作業に2ないし3時間、また揚荷作業にも4時間ほど立会って運航に当たっていた。 その後、A受審人は、水島港出港前日の9日13時50分揚荷を終え、関門港を出港して水島港に向かい、機関長と交互に船橋当直に当たって瀬戸内海を東行し、当直に引き続き入港スタンバイから着岸操船に当たり、翌10日05時00分水島港に着岸を終え、2時間半ほど仮眠をとったのち、08時ごろから開始された積荷に立ち会い、荷繰り作業にも従事していたので、特に体調は悪くなかったが、連続就労により長時間の休息が得られず、やや疲労気味の状態となっていた。 こうして水島港を出港したA受審人は、いつものように機関長と交替で船橋当直を行うこととし、出港操船に引き続いて単独の船橋当直に就き、岡山県笠岡市沖合の白石瀬戸に向け西行したのち、同瀬戸を抜け、12時26分半沖ノ白石灯台から280度(真方位、以下同じ。)520メートルの地点に達したとき、仙酔島東方の躑躅(つつじ)島を船首目標として246度の針路に定め、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で自動操舵により進行した。 A受審人は、躑躅島に約1.5海里に近づいたとき、弓削島東方沖合に向け転針する予定で、操舵スタンドの後ろでいすに腰を掛けて前路の見張りに当たっていたところ、12時46分ごろやや疲労気味であったうえ、狭い水域を通過し終え、海上も平穏で視界も良く通航し慣れたところを航行することになったことから気が緩み、眠気を催すようになったが、あと少しで次直の機関長が昇橋するので、それまで我慢すれば居眠りに陥ることはあるまいと思い、速やかに機関長を起こし、当直を交替して居眠り運航防止の措置をとることなく、そのままいすに腰を掛けて見張りを続けるうち、いつしか居眠りに陥った。 清幸は、単独の船橋当直者が居眠りし、12時51分転針予定地点に達したことに気付かず、弓削島東方沖合に向け転針の措置がとられないで、躑躅島北岸付近に向首したまま続航した。 13時00分わずか前、A受審人は、ふと目を覚まし、前方近距離に躑躅島北岸を認め、驚いて右舵一杯としたが及ばず、13時00分清幸は、鴻石灯標から310度1.3海里の地点において、250度を向いたとき、ほぼ原速力のまま浅礁に乗り揚げた。 当時、天候は晴で風力1の南東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。 乗揚の結果、清幸は、船首船底外板に凹損を生じたが、引船の援助を得て引き下ろされ、のち修理された。
(原因) 本件乗揚は、白石瀬戸から弓削島東方に向け福山港の躑躅島を船首目標として西行中、居眠り運航の防止措置が不十分で、予定の転針が行われず、躑躅島北岸の浅礁に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、やや疲労気味の状態で単独の船橋当直に当たり、自動操舵として白石瀬戸から弓削島東方に向け福山港港域内を西行中、眠気を催した場合、居眠り運航とならないよう、速やかに次直の機関長を起こし、当直を交替して居眠り運航防止の措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、あと少しで次直の機関長が昇橋するので、それまで我慢すれば居眠りに陥ることはあるまいと思い、速やかに次直の機関長を起こし、当直を交替して居眠り運航防止の措置をとらなかった職務上の過失により、居眠り運航となり、予定の転針を行うことができないまま進行して乗揚を招き、清幸の船首船底外板に凹損を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |