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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年6月29日04時25分 明石海峡航路東口付近 2 船舶の要目 船種船名
油送船松尾丸 ケミカルタンカーホーシン 総トン数 480トン 998トン 全長 64.99メートル 72.52メートル 機関の種類
ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力 735キロワット
1,103キロワット 3 事実の経過 松尾丸は、専ら瀬戸内海諸港間においてC重油の輸送に従事する船尾船橋型油送船で、A受審人ほか5人が乗り組み、廃油1,000キロリットルを積載し、船首3.2メートル船尾4.2メートルの喫水をもって、平成10年6月28日15時00分愛媛県松山港を発し、大阪港に向かった。 A受審人は、翌29日03時ごろ播磨灘航路第5号灯浮標付近において、機関員とともに船橋当直に就き、航行中の動力船の灯火を表示して明石海峡に向け東行し、04時02分江埼灯台から329度(真方位、以下同じ。)1,750メートルの地点で、明石海峡航路中央第1号灯浮標(以下、灯浮標の名称は「明石海峡航路」を省略する。)を左舷側300メートルに通過して明石海峡航路に入航したとき、針路をほぼ航路に沿う085度に定め、機関を10.0ノットの全速力前進にかけ、機関員を見張りにあてて自ら手動操舵にあたり、順潮流に乗じて11.5ノットの対地速力で進行した。 定針したころ、A受審人は、右舷船尾40度560メートルにホーシン(以下「ホ号」という。)の白、白、紅3灯を視認して同航船であることを知り、04時08分江埼灯台から037度1.1海里の地点で、中央第2号灯浮標近くの航路屈曲部に至って航路にほぼ沿う122度の針路に転じ、折から2.1ノットの順潮流に乗じて12.1ノットの対地速力で航路中央境界線寄りを続航した。 間もなく、A受審人は、明石海峡大橋付近に差し掛かったころ、右舷後方から追い越す態勢で接近するガット船と前方の航路中央境界線付近に漁船群を認め、機関の使用に備えて主機から補機の発電に切り替えるよう機関員に指示し、同人を機関室に赴かせたのち、1人で見張りと操船にあたりながら進行した。 04時15分A受審人は、平磯灯標から247度1.8海里の地点に至り、後方から接近したガット船が右舷正横200メートルに並んだことから、これを先航させるとともに前方の漁船群を替わすつもりで機関を中立にし、間もなく134度の針路に転じ、その後中立と微速力前進を繰り返すうち、右舷後方のホ号と次第に接近する状況で、同時21分半平磯灯標から226度1.7海里の地点に達したとき、針路を再び122度に戻すとともに、機関を8.1ノットの半速力前進にかけ、10.2ノットの対地速力により、航路中央境界線と同南側境界線とのほぼ中間を続航した。 このとき、A受審人は、右舷正横前10度200メートルに、自船とほぼ同じ針路、速力で先航し出したホ号を見るようになり、そのころ右舷船首20ないし30度1,500メートルのところに、緑、白及び紅3灯を表示した4隻の漁船が曳網しながら低速力で北上しているのを双眼鏡とレーダーにより確認し、これら漁労中の漁船群と航路東口付近で接近するおそれがあることを知り、先航するホ号がこれらを避けるため、間もなく転舵するなどのことが予想できる状況であった。 ところが、A受審人は、このままでも無難に航行できるものと思い、ホ号が急に左転するなどしたときには十分に対処できるよう、大幅に減速するなどして安全な船間距離を保って航行することなく、ホ号や漁船群及びそのころ左舷後方150メートルのところを同航する他船に留意しながら、同じ針路、速力で進行した。 04時23分半A受審人は、中央第3号灯浮標を左舷側350メートルに見て航路東口を出航し、同時24分右舷正横少し前間近のホ号が左転を始め、間もなく自船との距離が急速に狭まるのを知ったが、左舷後方の同航船が近いので左転して衝突を避けるための措置をとることができず、汽笛により短音5回を鳴らして、全速力後進にかけたが及ばず、04時25分平磯灯標から206度1.66海里の地点において、松尾丸は、142度に向首して少しの行き脚があったとき、その右舷船首部が、ホ号の左舷船尾部に後方から25度の角度で衝突した。 当時、天候は晴で風力3の西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、付近には2.1ノットの東南東流があり、視界は良好で、日出は04時48分であった。 また、ホ号は、船尾船橋型ケミカルタンカーで、大韓民国籍の船長B及び一等航海士Cほか9人が乗り組み、エチルアセテート524トンを積載し、船首2.5メートル船尾4.1メートルの喫水をもって、同月27日17時30分大韓民国ウルサン港を発し、大阪港に向かった。 B船長は、翌々29日03時35分明石海峡西口付近において、航路通航時の操船指揮にあたるため昇橋し、間もなく前直者と交替して船橋当直に就いたC一等航海士と操舵手を補佐にあてて操船の指揮を執り、航行中の動力船の灯火を表示し、04時04分江埼灯台から329度1,300メートルの地点で、明石海峡航路に入航したとき、針路をほぼ航路に沿う087度に定め、機関を港内全速力前進にかけ、10.2ノットの対地速力で、航路南側境界線に接航して手動操舵により進行した。 04時10分半B船長は、江埼灯台から049度1.0海里の地点で、航路屈曲部に至って航路にほぼ沿う124度の針路に転じ、航路南側境界線寄りを同じ速力で続航し、同時13分半明石海峡大橋を航過したところで、周囲に危険な他船もいなかったことから、C一等航海士に操船を委ね、引き続き航路及びその出口付近まで自ら操船指揮を執らないまま自室に退いて休息した。 操船を引き継いだC一等航海士は、航路西口付近から先航する松尾丸の灯火及び船体を認めていたが、04時15分左舷前方900メートルに見るようになったとき右転を始め、自船と次第に接近する状況であることを知り、04時21分半平磯灯標から225度1.8海里の地点に達したとき、左舷正横後12度200メートルに、自船とほぼ同じ針路、速力の松尾丸を見るようになった。そのころ同人は、右舷船首方に低速力で北上する漁船群の灯火を認め、これらと航路東口付近で接近する状況であったが、自船の後方を松尾丸が適切な船間距離を保って同航するものと思い、その後同船の動静監視を行うことなく、漁船群の動きに注意を払って同じ針路、速力で進行した。 04時23分少し過ぎC一等航海士は、航路東口を出航し、同時24分前路近くに漁船群が近づいたことから、これらを右舷側に替わそうと思い、操舵手に左舵10度を令して左転を始めたが、松尾丸の動静監視を行っていなかったので、依然として同船が左舷正横より少し後方間近なところを同航していることに気付かず、間もなく漁船群と衝突の危険を感じ、引き続き左舵を令して急速に左転を始め、松尾丸との間に新たな衝突の危険を生じさせた。 04時25分少し前C一等航海士は、070度の針路となって漁船群を右舷側至近に替わしたとき、船首目前に迫った松尾丸を認め、急いで右舵一杯としたが及ばず、ホ号は、右転中の船首が117度を向いたとき、ほぼ原速力のまま、前示のとおり衝突した。 衝突の結果、松尾丸は、右舷船首ブルワークに凹損を生じ、ホ号は、左舷船尾ボートデッキ及び同支柱に曲損を生じたが、のちいずれも修理された。
(原因) 本件衝突は、日出前の薄明時、多数の船舶が輻輳(ふくそう)する明石海峡航路東口付近において、ホ号と松尾丸の両船が相前後して東行中、前路で漁労中の漁船群と接近した際、先航するホ号が、左舷後方の松尾丸に対する動静監視が不十分で、漁船群を右舷側に替わそうとして左転し、松尾丸と新たな衝突の危険を生じさせたことによって発生したが、松尾丸が安全な船間距離を保たず、衝突回避の時機を失したことも一因をなすものである。
(受審人の所為) A受審人は、日出前の薄明時、多数の船舶が輻輳する明石海峡航路をホ号と近距離で相前後して東行中、右舷船首方の航路東口付近に低速力で曳網しながら北上する漁労中の漁船群を認め、これらと同付近で接近するおそれがあった場合、先航船がこれらを避けるために左転したりするおそれがあったから、このようなときに十分対処できるよう、安全な船間距離を保って航行すべき注意義務があった。しかるに、同人は、このままでも無難に航行できるものと思い、安全な船間距離を保って航行しなかった職務上の過失により、ホ号の左転に対処できずに同船との衝突を招き、松尾丸の右舷船首ブルワークに凹損及びホ号の左舷船尾ボートデッキ及び同支柱に曲損をそれぞれ生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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